4/8-Ⅲ

 気付くと日は斜に傾き、店内は橙に染まっていた。


 ティーカップも空になった頃、ようやく蒼咲が戻ってきた。「待たせたね」と微笑む姿に藤邑は頬を膨らませる。が、機先きせんを制したのはやはり蒼咲だった。


「粗方用意はしたつもりだが、足りないものがあれば都度言ってほしい」


 要はさっさと向かえと、そう言いたいらしい。カウンターから藤邑を追い出すと、蒼咲は素知らぬ顔で洗い物を始める。


 彼女は大仰に息を吐くと、投げてあったブレザーを手に取った。それから灯日を横目に捕らえると、


「行きましょうか」


 その雲行きを隠すかのように、口元を綻ばせた。儚げにも見える仕草だが、先程の態度から察するに、根底にある感情はもっと別のものだろう。そして、その感情が灯日の予想通りならば、言わねばならないことがある。


 それでも着いて行くべきか、逡巡しゅんじゅんしてしまう自分が居る。藤邑も感じ取るものがあったらしい。「待ってますね」と告げる声色には配意があった。


「……大丈夫、行くよ」


 深呼吸を一つ、思考と共に空気を入れ替える。なまじりを決した姿に、藤邑だけでなく蒼咲まで笑んでいた。改めて礼を告げ、二人して店奥へと向かう。


 思いの外、扉の先は明るかった。いや、店内が暗すぎただけかも知れない。


 壁にはブラケットライトが設置されており、四方に光を散らしては板張り床に幾何学模様を浮き上がらせている。そのライトにもアンティーク調の飾り付けが施されているものの所々鍍金メッキが剥がれており、喫茶店のものより年数を感じさせる。


 木板の廊下は数メートル先まで続き、突き当たり右に何かがあるようだった。藤邑に続くとその何かは階段であることが判明する。どうやら上の階に行くらしい。


「あの、藤邑さん」


 軋みを立てながら、少し見上げた姿勢で声を掛ける。彼女が振り向くことはなかった。


「部外者なんて言って、ごめん」


 それでも構わず、灯日は紡ぐ。


「藤邑さんにも事情があっただろうし、それを聞く前に……いや。そうじゃなくても僕は、一方的に否定しようとした」


 途中二階と思しきフロアが見えたが、藤邑は素通りする。どうやら目的地はもう一つ上、つまり三階らしい。


 しかし、灯日はそこで足を止める。一つ分となった足音に気付いたのか、数段上から見下ろす形で藤邑も立ち止まった。しばし見合った後、灯日は大きく息を吸う。


「委員長、ストップ」


 続けて頭を下げようと視線を外した矢先、少年の唇にひんやりとした感触が被さる。反射的に目を瞑ってしまったが、「いいですか」と手を当てたまま藤邑は言った。


「お気付きかと存じますが、昨日のあれはわざとです。焚き付けておいて覚悟がないなど、はなはだおかしいでしょう?」


「だとしても、僕にも非があるのは本当だよ」


 彼女の手を退けながら、ゆっくりと瞼を上げる。再び視線が交わるも、先程のような緊張感はどこにもない。


「委員長は真面目ですねぇ」


 茶化すように、藤邑。


「でも、私は謝りませんよ。これでも必死なんですから」


「その割には余裕そうに見えるけど」


「顔には出さないたちなので」


 片目を瞑る仕草は映画のワンシーンよろしく、非常に鮮やかなものだった。気障きざったらしい態度に白けた目を向けると、何がおかしいのか、藤邑は小刻みに肩を震わせる。そうして一頻り笑い終えた後、「行きましょうか」と頭上を指差した。


 先刻よりも幾らか丁寧に歩みを進める。最後の階に足を掛けると、目先にはフロアではなく扉があった。くぬぎで作られたそれには手作りらしい掛け札が添えられている。仮漆ニスの具合からして掛け札自体は新しいものだった。


 文字をなぞるべく手を添えると、


〈月ノ宮学園高校 美術部〉


 手彫りで刻まれた文字に、灯日の心臓は大きく脈打った。


 心音が脳内を掌握し、体温が数度上がったかのような錯覚にまで陥る。固まる少年を他所に、藤邑はドアノブに手を掛けた。待ったを掛ける暇もなく、少年の視界が見る間に開けていく。


 刹那、まばゆいばかりの光が二人を包んだ。


 思い掛けず片手で顔を覆ったが、どうやら思い違いだったらしい。窓から差した西日はそれほど強いものではなく、床に撒かれた銀朱ぎんしゅは夜に沈みかけていた。


 藤邑は軽い足取りで中に入ると、照明用のスイッチを押下おうかした。剥き出しの白熱灯が数回瞬き、数秒置いてから周囲を照らし始める。そうして部屋の全貌が見えると、灯日は初めに感嘆の声を上げた。


「ようこそ、雨宮灯日くん。ここが私たちの拠点こと、月ノ宮学園高校美術部の部室です」


 その様子に、藤邑はしたり顔でお辞儀をしてみせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る