第1話 飛んで火に入る春の少女
4/7-Ⅰ
編入生が来ることは事前に知らされていた。新学期から数日経ってはいるが、先方の事情で今日にずれ込んでしまったらしい。
既に数コマ分の授業が開始されているものの、「優秀な子だから問題ない」というのが担任教師である
「県外から来ました、
私立月ノ宮学園高等部、二年C組にて。
黒板の前に立つ少女は、春に見合う桜色のリボンを付けていた。背中に届くほどの長髪がソプラノに合わせて揺れている。
丁寧にお辞儀をする姿に、ふと清楚という単語が思い浮かんだ。それから少女の顔が上がり、一笑。二呼吸置いて、感嘆とも言える声が次々に重なった。まるで品評会のようだと、少年は人知れず息を吐く。
それでも冷めた視線を投げなかったのは、誰の目から見ても少女が美しかったからだ。
珍しいこともあるものだと、少年──
「席は雨宮君の隣にしたから。そこに座ってくれる?」
不意に呼ばれた名前に、灯日は慌てて居住まいを正した。今一度袖口を確認し、目印になればと手を挙げる。編入生はその双眸に灯日を映し込むと、微かに顔を綻ばせた。それから三部の言葉に頷きを返し、指定された席へ歩を進める。
灯日の席は窓側の一番後ろにある。机を付け足すには少々無理のある位置だったが、幸い異議を唱える者は居なかった。
とは言え、あの容姿を眺める権利は誰だって欲しいものらしい。級友たちから羨望の眼差しを向けられるも、それも先生の一声で教壇へと向き直る。彼女が席に着く頃には、話も次の連絡事項へと移っていた。
「こんにちは」
椅子を引きながら編入生が囁きかけてくる。灯日が会釈だけ返すと、編入生もまた頭を下げた。先程の美しい所作とは違い、どこか人懐こい、小動物らしさを感じさせる仕草だった。しかし目が合ったのも束の間、編入生は顔を上げると直ぐ様ホームルームの内容を控え始めた。灯日もまた気に留めることもなく、担任の話に耳を傾ける。隣の席というだけで、編入生との関係はそれきりのように思えた。
一限目が始まるまでの、一〇分ほどの休み時間。
五、六名ほどの生徒が編入生を囲み、雑談に興じていた。いや、より正確に言うならば、編入生への質問大会が開催されていた。そんな行事はフィクションの中だけだと思っていたのだが、それほどまでに彼女、そしてその立ち位置が珍しいのだろう。
私立月ノ宮学園は、月ノヶ丘市にある進学校である。幼稚舎から大学まで用意された
入学のタイミングも幼稚舎、中等部、高等部とあるので、新しい顔ぶれが増えることも珍しくはないはずだ。しかし編入生という魔性の言葉が人々の興味を惹き付ける。クラス替えがなかったことも、もしかしたら一因にあるのかも知れない。
「県外ってどこから?」
「前の学校では何やってた?」
「ねえ、どうしてこのタイミングで来たの?」
「藤邑さんって可愛いよね、良ければウチのマネージャーに」
膨大な質問を前に、編入生は「はあ」や「ほう」など、そんな生返事ばかりしている。この質問の嵐を止める義務はないのだが、それでも授業に差し支えるようなら何かしら声を掛けなければならなかった。
授業開始五分前。どうしたものかと途方に暮れていると、生徒の一人が「良ければ学校を案内しようか?」そう提案した。それに便乗する形で、編入生の周りで次々と声が上がる。
「心遣いはとても嬉しいのですが」
──が。それを制止したのは他でもない、編入生自身だった。その声は哀調を帯びているものの、ここだけは譲れないと暗に主張している。
先ほどまで気のない言葉ばかり並べていたのに、突然の出来事に誰も彼もが口を
「ごめんなさい。学校案内は委員長に頼んでいるんです」
編入生、もとい藤邑の言葉に、クラスメイトの視線が灯日へと注がれる。そのほとんどが驚愕に満ちていたが、言わずもがな、一番驚いているのは灯日本人である。
当の藤邑はにこにこと笑みを浮かべるのみで、現状把握するための情報が少なすぎる。
「……うん。実はそうなんだ」
少し間は空いたものの、それでも灯日は答えてみせる。その返答に周囲は一瞬静まり返り、今度は顔を見合わせて笑った。
「そっか。先約が居るなら仕方ないね」
「おっ、委員長やるねぇ」
「邪魔しちゃ悪いから」
「今回は諦めるかぁ」
「それじゃあ藤邑さん、また今度ね」
引き潮のように周りから人が消えていく。その様子は一周回って心地良いほどだった。
時計を見遣ると、針は授業開始一分前を指していた。話を切り上げるには丁度良いタイミングである。無論、彼らが時間を見て行動していたとは思えない。話の流れから見て、今のやり取りが原因なのは明らかだった。そして灯日自身、自分が避けられている理由を十分理解している。
灯日はちらりと、藤邑を盗み見た。その表情はきちんと驚いており、これほどまでとはと顔に書いてある。灯日の名前、正確には役割としての名称を出したのは、彼女の意図したことで間違いない。驚いてはいるが、この結果もある程度予想していたのだろう。
灯日は思う。この学園、強いては
──物好きな子だ、と。
そうして、第一印象は容易に塗り替えられる。他人のことを言えた義理ではないけれど、だからこそ藤邑の存在は興味深いものだった。
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