第121話 筆頭
View of ソルトン=リーフ=ハイゼル オロ神聖国 第一位階ハイゼル家当主
私が聖堂に入ると、その後ろ姿から神々しささえ感じられるほど美しい姿で祈っている騎士がいた。
その騎士こそ私の目当ての人物ではあるが、彼の祈りの時間を邪魔する訳にはいかない。
音を立てないように気をつけながら、聖堂に配置されている椅子に腰を下ろす。
職務以外の時間はずっと祈りを捧げているのでは?そんな噂がまことしやかに流れてしまう程、彼の祈りの時間は長いらしい。
彼に用事がある時は寝ている時に訪ねた方が早いというのも……あながち冗談ではないのかもしれないな。
そんな事を考えつつ、私は彼が祈りを終えるのを辛抱強く待つことにした。
「お待たせして申し訳ありませんな、ハイゼル卿」
「いえ、貴方の祈りを邪魔するつもりはありませんでしたが、気を散らせてしまいましたか?」
私がこの聖堂に来た時はまだ日が高い位置にあったのだが、日は既に傾き……もう間もなく完全に日が沈んでしまうだろう。
祈りが長いとは聞いていたが、まさかこれ程とは……。
居眠りをせずに待ち続ける事が出来たのは奇跡に近いが、長時間身じろぎすることもなく堅い椅子に座っていた為身体中が痛い。
「不敬ではありますが、たとえ祈りの最中であろうと常に周囲への警戒は怠っておりません。敵意を向けられていたのならともかく、私への気遣いが感じられましたからな。心穏やかに祈り続けることが出来ました」
そういって穏やかな笑みを浮かべるのは筆頭聖騎士であるギラン殿。
自分に用事があると分かっていながらも、四半日近くそれを放置して祈り続けられるのは……やはり彼も英雄ということだろう。
しかも待たせている相手は教皇猊下に近しい位置にいる私だ。
ギラン殿であれば待たせている相手が誰なのかも把握出来ていただろうが……一切気にした様子はない。
寧ろ、祈りの時間を邪魔しなかったことを称賛しているくらいだ。
「実は、ギラン殿と話がしたかったのですが、お時間いただけますか?」
「えぇ、夜の祈りの時間までで良ければ、構いませんよ」
……まだ祈るつもりか。
「ありがとうございます。部屋を用意してありますのでそちらまでご足労願えますか?」
「承知いたしました」
夜の祈りとやらが始まる前に捕まえることが出来て本当に良かった。
長時間座っていたことで凝り固まった体をほぐしながら、私はギラン殿と共に聖堂の外に止めていた馬車に乗り込んだ。
「教皇猊下ではなく、貴方とこうして話をする機会があるとは思いませんでしたな」
「申し訳ありません、ギラン殿。次の戦争について少々確認したい事がありましたので」
「なるほど。そういえば、総指揮官として戦場に出られるのでしたな」
「はい。軍事には明るくありませんので、お飾りの総指揮官ではありますが」
そう。
ギラン殿の言う通り、今回のエインヘリアとの戦に私は総指揮官として参加することになってしまった。
自慢ではないが、生まれてこの方戦事に関わったことは一度もなく、剣だって子供の時に多少習った事がある程度。
長年の書類仕事によって足腰は弱っているだろうし、戦場まで馬に乗って移動することすら困難だ。
第一位階貴族として安定している私は、わざわざ箔付けや、ましてや戦功などというものは一切必要ない。
だというのに、教皇猊下によってほぼ強制的に参戦が決められてしまった。
戦争にかこつけて私を葬るつもりなのかと思ったが、そうではなかった。
どうやら教皇猊下は今回の戦を利用して、オロ神教内部の派閥や権力を一度整理するつもりらしい。
私だけでなく、多くの非戦闘員が今回の戦には帯同する。
現教皇派の筆頭と呼ばれている私が総指揮官として参加することで、権力強化を図る……いや、図っていると見せかけて、それを阻止しようと戦場に誘い出し殺す。
そしてその全ての罪をエインヘリアに擦り付ける……そういう寸法だ。
多少の無茶も、戦場という場所でならまかり通る……南の戦場は、相当凄惨なことになるだろう。
私の役目は総指揮官という名の誘蛾灯というわけだ。
しかしそれと同時に、聖騎士との折衝役というとてつもなく気の重い仕事も割り振られていた。
「大丈夫ですよ、ハイゼル卿。軍は不信心者共に抜かれないように気を付けてくだされば、後は私達がなんとでも致します。件のエインヘリア王さえ仕留めてしまえば全て終わりですからね」
「えぇ、無茶をするつもりはありません。我々の後ろには無垢なる信徒たちがいるのですから」
私がそう言うと、にっこりと邪気の無い笑みを向けて来るギラン殿。
「素晴らしい心構えです、ハイゼル卿。流石は教皇猊下の御親戚……出家されずともその想いは必ずやオロ神まで届くことでしょう」
「ありがとうございます。しかし、私は出家を許されなかった身。俗世に塗れた貴族……その筆頭です。穢れた身で救いを求めては……オロ神も快くは思いますまい」
「それは違います。オロ神は慈愛に満ちた神。汚れた身なればこそ、救いの手を差し伸べずにはおられません。必ずやあなたも救われることでしょう」
……本当に、この人は苦手だ。
この人の言葉を聞くたびに、とても同じ勢力に属しているとは思えない感覚に囚われる。
澄んだ瞳をした気持ちの悪い何か……純粋であるがゆえにおぞましさがむき出しになっている様な、そんな人の形をした化け物。
同じ化け物であっても、欲に塗れている教皇猊下の方が健全な心のように思えるのは、ギラン殿の言動の端々から感じられる狂気のせいだろう。
「ありがとうございます、ギラン殿。その言葉が聞けただけでも救われた気持ちです」
「いえいえ、私如き言葉なぞより教皇猊下のお言葉の方が何倍も重みがあります。教皇猊下であれば、たちどころに貴方の悩みをほぐして下さることでしょう」
……悩んでいると言った覚えはないが、まぁそれを否定した所で話は進まないからな。
「えぇ、今度教皇猊下に相談してみる事にします。それで、今回の戦なのですが……ギラン殿を含め聖騎士が四名投入されます。彼らの事はギラン殿に任せる事になると思うのですが……」
「教皇猊下も中々の試練を私に与えて下さいましたね。あの子達を統率するのは並大抵の苦労ではないのですが……」
「しかし、ギラン殿以外には不可能な仕事です。教皇猊下は、貴方ならばこの試練も最良の結果を出して下さるとおっしゃられていました」
私がそういうと、嬉しくてたまらないと言った表情を見せながらギラン殿が頷く。
「教皇猊下に期待されては……やり遂げるより他はありませんね。分かりました、あの子達の事はお任せください」
「ありがとうございます。勿論、聖騎士の方々に私から指示を出したりすることはありませんが、ギラン殿の邪魔をしないように神殿騎士を配置しますので、その点だけご了承いただければ」
「なるほど。であれば、話は簡単です。最前線に私達四人が出ますので、軍は後方に布陣してください」
ギラン殿の言葉に、私は申し訳なさそうな表情を作りながらかぶりを振る。
「確かに聖騎士の方々に前に出て頂けるのは頼もしいのですが、あまり離れすぎるとエインヘリア軍が抜けて来た時に止める事が難しくなってしまいますね。かと言って、距離を詰めすぎて英雄の戦いに軍が巻き込まれれば……」
「……失礼しました。そういう事であれば、平原の南側を私達の戦場としましょう。我々が戦っている傍をエインヘリアの軍が抜けられる筈もありませんし、平原の北側を中心に守って頂ければ抜かれる事はないかと」
「申し訳ありません、ギラン殿。戦場を南北逆にすることは可能でしょうか?」
「何故でしょうか?」
私の言葉にギラン殿が首を傾げる。
「万が一ですが、敵軍に北側を抜かれると穀倉地帯に敵がなだれ込みかねません。南側の街道であれば、その先は対ヒエーレッソ王国用の砦があります。抜かれたとしても、砦と軍による挟撃が可能となりますし、もしそれを避けて北側に転進するようであれば横腹を突けます」
「なるほど」
正直、軍の規模を考えればほぼ抜かれる事は無いと思うが、万が一の可能性を潰しておきたい。
いや、向こうには旧レグリア王国の魔導技術がある。
エインヘリア王がそれを持ち出さない訳がないし、何らかの方法でこちらの軍を混乱させ、後ろに抜けられる可能性は万に一つという程低くはないかもしれない。
向こうの英雄はエインヘリア王一人だが、こちらには聖騎士が八人いる事は知られているのだ。
戦いを挑んでくる以上、何らかの勝算を持っているのは間違いない。
「私は万が一にも神聖国の土地を侵略者共に踏み荒らされたくないのです」
「その想いに私は賛同いたします。畏まりました、私達は北側でエインヘリア王を討ち取ります。南側はお任せしますね?」
「軍事の何たるかを知らぬ私の言葉を聞き入れて下さりありがとうございます。この命に代えましても不信心者共に、我等の同胞の地を穢させはしません」
……まぁ、私が出来るのはここまでで、後は神殿騎士達に任せるしかないのだが。
「素晴らしい決意です、ハイゼル卿。私も……四人の聖騎士でたった一人の英雄と戦うということで油断しないようあの子に達釘を刺しておかねばなりませんね」
「よろしくお願いします。教皇猊下は聖騎士の力を疑ってはいませんが、エインヘリア王の事を最大限……英雄帝以上に警戒しておられます。様子見は必要ありません、全力で叩き潰してください」
「畏まりました。エインヘリアなる蒙昧な輩に、オロ神の偉大さを存分に知らしめましょう」
「頼りにしております」
まぁ、エインヘリアが知るのはオロ神の偉大さではなく、狂信者の不気味さ、或いは恐ろしさだろうが。
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