閑章
第108話 ランティクス帝国・上
ライスワルド=スティニア=ランティクス ランティクス帝国第一皇子
「失礼します」
私が部屋の中に入ると、げんなりした表情の陛下がこちらを見ていた。
「おい。普通皇帝の部屋に返事がある前に入室してくるか?」
「返事を待っていては、いつまでたっても部屋に入る事が出来ない可能性がありますので」
私がそう言うと、陛下が大きくため息をつく。
「執務室ならともかく、ここは私室だぞ?皇帝のプライベート空間だぞ?遠慮しろよ」
「普通は執務室の方が機密だなんだという話があるのですがね」
「馬鹿か?俺が執務室で仕事なんかする訳ねぇだろ?寧ろ私室で女を連れ込んでる時に踏み込まれた方が気マズいだろうが」
「……」
肉親のそういう姿は死んでも見たくないが、不思議と今までそういう場面に出くわしたことはない。
女性に手を出すことが多いにも拘らずだ。
まぁ、陛下であれば、私が部屋に近づいた時点でその事に気付いていたとしても不思議ではないが。
「んで、何の用だよ?わざわざ私室に来てまで下世話な話をしに来たわけじゃないだろ?」
下世話な話題を振ったのは貴方の方だと言いたい所ではあったが、そんなことを言ったところで毛の先程も気にすることはない相手だ。
時間の無駄でしかない事に労力を割く程暇ではない。
「失礼します」
私がそんなことを考えてながら陛下の向かい側のソファに腰を下ろすと、挨拶と共に一人の人物が入室してくる。
ミザリエラ=シェリアン=ランティクス。
私の妹にしてランティクス帝国の第一皇女だ。
「お前もかよ、ミザリー」
「何の話でしょうか?」
小首をかしげながら陛下にそう問い返したミザリーは、何事もなかったかのようにソファに座る。
その姿を見た陛下はこれ見よがしに大きなため息をつく。
「はぁ……んで、雁首揃えて何のようだ?俺は忙しいんだがな?」
「皇族の中で一番暇なのは御父様でしょう?」
「んなわけねぇだろ……ほら、あの……ルーペンスとか」
「ルーペンスはまだ赤子でしょう?というか、赤子と比べて忙しい等と……恥ずかしくないのですか?」
「……まぁ、俺もちょっとどうかとは思ったがよ」
こちらから視線を外しつつブツブツとそんなことを言う陛下。
本気で言ってそうな気もしたが、流石にそこまで厚顔無恥ではなかったようだ……嬉しくもなんともない情報だが。
「少しでは無く大いに思ってください。後他所では絶対にそんな事口にしないで下さいよ?正気を疑われます」
私の言葉にミザリーも頷く。
「……ランティクス帝国の皇帝陛下の正気を疑うヤツなんざ、お前らくらいだろ?」
「表立ってはそうでしょうね」
私がそう答えると、陛下はショックを受けたような表情を見せる。
「腐っても皇帝陛下。不敬罪は極刑ですし、残念ながら心の中で思うだけですわね」
ミザリーが追従すると、今度はしょんぼりした表情を見せる陛下。
相変わらず子供みたいな方だ。
いや、それがポーズなのは理解している。
……もとい、全てが本心でない事は理解している。
「お前らな……長旅から戻ったばかりの親を労わろうって気はねぇのかよ」
「政務を放り出して勝手に帝都を空けたのは……陛下御自身では?」
「諫められることはあれど、労わられる謂れはないかと存じますわ」
「……」
ふざけたことを言いだす陛下に、私とミザリーが間髪入れずに応えると陛下はがっくりと項垂れる。
内政にほとんど口を出さないとは言え、皇帝であることに違いはなく……その決裁を必要とすることは非常に多い。
そう気軽に一月も二月も帝都を空けて良いわけがないのだ。
「とりあえず、諫言は後にしましょう。今は話をお聞きしたい」
「そうですわね。陛下、エインヘリアの事をお聞かせいただけますか?」
「全力で話したくねぇ……」
こちらの事は一切見ず、不貞腐れながらを言う陛下に私とミザリーはため息をつく。
「ざっとした所は使節団団長であるシャワルン卿から既に報告を受けております。私達が聞きたいのは陛下の所感……特にエインヘリア王についてです」
「……その前に、会議はどうだった?」
顔をこちらに向け問いかけて来る陛下の姿に、私とミザリーは心持ち背筋が伸びる。
ほんの一瞬前までの子供じみた様子など一切感じさせない……英雄としての、ランティクス帝国皇帝としての姿がそこにあった。
「エインヘリアと共にオロ神聖国を攻めるべきだとの主張が一番強かったです。次点でエインヘリアを傘下に加えるべきという意見が。その次が、支援に徹し戦争には参加するべきでないと。後は極少数による意見でした」
「使節団が持ち帰ったエインヘリアの提案は第三位か」
面白くなさそうに言う陛下。
これは……予想以上に機嫌が悪くなっている。
ミザリーも同様の事を思ったのか、先程までよりも表情が硬い。
「ちっ……シャワルンの奴は何をしてやがる。それで、お前らはどう考えているんだ?」
「私は共にオロ神聖国を攻めるべきだと」
「私はエインヘリアの提案通り、物資の取引だけにしておくべきだと」
陛下の問いに私が応えると、続けてミザリーも持論を告げた。
「……ちっ、支援ってのは売るわけじゃなく提供って意味か?」
ミザリーの言い回しに、第三位の意見がエインヘリアの提案を飲んだものではない事に気付き舌打ちをする陛下。
「はい」
エインヘリアに対してのスタンスが確定していないことで、会議はかなり荒れたと言える。
シャワルン卿を始めとする使節団の者達の説明は、我々に意思統一を促し帝国の進むべき道を確定させるに足るものでは無かった。
「お前ら、シャワルン達の報告を軽視しすぎだろ。それともあいつ等の説明は聞くに堪えない物だったか?」
段々と怒気を膨らませていく陛下に、私達は冷や汗を流す。
陛下は基本的に政策や統治に関することで口を出すことはない。
それは陛下御自身が英雄であるという事が最大の要因だ。
けして政治的センスや統治に関する能力が不足しているわけではない……寧ろ現在帝国を支えている大臣達に勝るとも劣らない能力と、常人とは一線を画す先を見る目を持っている。
しかし、それでも口を出さないのは、陛下御自身が口を出すことで意見が一本化してしまうことを嫌ってだ。
まぁ、それも仕方ない。
英雄にして皇帝……英雄帝という存在は、敵味方を問わず畏怖を与えるものだ。
どれだけ思慮深く、清廉な人物であっても、英雄の持つ圧倒的な雰囲気の前には正気ではいられない。
英雄帝の打ち出す方針に対立意見を出せる人物は極少数……広く人材を登用し活発な議論をもって政治を進めたい陛下にとって、自身の存在は邪魔でしかないのだ。
若き日にその事に気付いた陛下は、極力口を出さず最終決定を承認するという形を取った。
何も考えていない人物であれば、下から上がってくる政策をただ承認すれば良いだけの話だが……そんな簡単な話ではない。
しっかりと自身の考えがある上で、それに迎合しない……健全な議論の上で統治を進めろ。
陛下が臣下に望んでいるのはそれだ。
英雄帝という強大な皇帝を有しているランティクス帝国だが、その初動は他の国に比べ非常に遅い……それは独裁を良しとせず、例え後手に回ろうと有能な臣下によって国家は運営されるべきだという考えから来るもの。
今の為では無く後世の為に、英雄帝を失った帝国の未来の為陛下が決断されたことだ。
だからこそ、陛下の覚悟に応えるべく……日夜議論に明け暮れ、英雄という強大な指導者に頼らずランティクス帝国という大船を運営しているのだ。
まぁ、普段の姿を見ていると楽をしたいだけなんじゃないかと勘繰りたくもなるが……それも恐らくポーズに過ぎないのだろう。
……恐らく。
だが、それはそれとして……第一皇子そして第一皇女である私達は、重要な局面ではこうして陛下のお考えを直接伺う事がある。
判断を伺うわけではなく、あくまで参考意見が欲しいというていではあるが……ここで決まった方針はそのまま通る可能性が高い。
私やミザリーは当然として、臣下もみな……英雄帝と呼ばれる父を慕い、敬っており、その判断を重視している。
まぁ、その奔放さに辟易とすることが無いとは口が裂けても言わないが……それでも陛下は英雄であり、大陸史にその名を刻む英雄帝なのだ。
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