第107話 明鏡止水
「……どうした?」
ウルルさん?
ウルルさん!?
俺の二の腕に抱き着くようにくっついて来たウルルに、頭の中がとんでもない事になる。
わっつ発奮!?
いや、輪厚はっぷん!?
いやいや、おちちゅくのにょら!
我妻帯者ぞ?
今更このような軽い接触如き服の上からでも分かる柔らかな感触は正に極上!
違う!
これはあれだ!
耳打ちをしなければならなくってくっついているスレンダーながらも確かに感じられる柔らかさに包まれた右腕に左腕が嫉妬を覚え……違う!
「……くっついても……いい……?」
既にくっついてますよね!?
とか、そんなことは言わない。
何故なら俺は真摯な紳士だからだ。
「……あぁ」
……フィオに怒られるのは覚悟した。
いや、勿論フィオの事を思うのであれば、俺はウルルに待ったをかけるべきだろう。
しかし、俺の右腕を抱きかかえるようにしているウルルの……普段はどこかぼんやりした表情をしているウルルが小さく笑みを浮かべ……頬を赤く染めている姿を見てしまっては、離れてくれとは言えない。
そもそも、希望を聞くと言ったのは俺で、ウルルの希望がこれであるなら……俺は全力でそれに応えなくてはならないだろう。
断じて浮気的な浮ついたアレ的なソレではない。
「……リーンフェリア達みたいに……出かけるのも……良いけど……今は……フェルズ様……凄く忙しいから……」
「……そうか」
俺の肩にもたれかかるように頭をくっつけるウルル。
相変わらず顔は薄っすら赤いけど、安心しきったような表情だ。
対する俺は地蔵の如くがっちがちに固まっていると言っても過言ではないが。
右腕にとくんとくんとウルルの鼓動を感じる。
「……あったかい……」
「……寒いのか?」
「……」
俺がそう問いかけると、ウルルは俺の肩に預けていた頭を少し動かし……小首をかしげるような角度でこちらを見上げて来る。
……なんだこの可愛い生物。
「……」
思わずマジマジと見返してしまったが……ばっちり目が合ってもウルルは何も言わない。
そのまま約数秒……無言で見つめ合うにはかなり長い時間が過ぎた後、ほんの少し口を尖らせるようにしながらウルルが視線を外した。
あ、あれ?
ウルルは普段から表情の変化が少なめだから、ちょっとした変化が見える事で大きく感情が動いたように感じられる。
これは……なんか、拗ねた?
俺の腕にしがみついたまま視線を逸らしたウルルに困惑していると、俺の腕を少し引き寄せながらそこを支点にウルルがくるりと体を回し……膝の上にぽふんと横向きに座る。
ほわ!?
うるるるるさん!?
「……」
「……」
ソファに座っている俺の膝の上にウルルが座り……表情は心なしか嬉しそうにしている。
「楽しいか?」
「……うん」
抱えていた俺の腕を手放し自分の膝の上に置いたウルルは、身体を俺に預けるようにもたれかかる。
俺は俺でソファの背もたれに体を預ける格好となっていたので、ウルルは今俺の上に座っている様な、寝ている様な……そんな体勢になり、俺の胸あたりに顔を当てている状態だ。
もはや俺は一切の身動きが取れなくなってしまった訳だが、ウルルは中々ご機嫌な様子だ。
「……いつもは……」
「ん?」
ウルルの声はいつも呟く様な小さなものだが、絶対に聞き逃すことはない。
不思議な感じはするが、ウルルだからと思えば納得出来る……それくらい、うちの子達の中でも謎に包まれているのがウルルだろう。
だが、うちの子達の中で誰しもが一番頼りにしているのはウルルではないだろうか?
アビリティや能力だけでいえば、他の外交官……クーガーやシャイナ達もほぼ同じスペックと言える。
だが、外務大臣という立場を除いてみても、誰もがウルルの事を認めており、その仕事に満足していた。
「……いつもは……フェルズ様の傍に……みんながいる……」
そんなウルルだが、安心しきった表情で俺に体を預けている姿は……外見相応と言った様子で非常にしっくりくる。
こんな姿を見てしまうと、普段から苦労をかけてしまっているのが本当に心苦しくなってしまうよな。
「……でも……今は……私と……プレアだけ……」
「そうだな」
「……プレアは……フェルズ様のお世話がある……だから今……フェルズ様を助けられるのは……私だけ……」
「あぁ。ウルルがいなければ……打てる手はほぼ無かっただろう。それこそ、この大陸を焼き尽くすくらいしかな」
まぁ、俺単騎で焼き尽くすのは流石に無理がある……魔石チャージできないしね。
精々……覇王剣で根切りコース?
それにしたってキリク達が迎えに来るまでに神聖国の連中を刈りつくすのは無理だろう……俺には索敵系の能力がないし。
絶対に逃げられて……地下に潜られて、泥沼って感じの状態になっていた筈だ。
迎えに来たキリク達が呆れる事間違いなし。
ウルルがいたからこそ、情報戦を制し、裏工作を完璧に行い、俺の策の普通では実現不可能な部分を取り仕切って貰えたのだ。
「……向こうに残っている……皆には悪いけど……フェルズ様の傍で……仕事をするのは……とても楽しくて……とても嬉しい……」
そう言ってウルルは、俺の胸に顔をこすりつけるようにぐりぐりと動かす。
楽しそうなのは非常に結構だけど、俺の心の中は嵐模様じゃよ!?
俺に体を預けるウルルは滅茶苦茶可愛い。
それは間違いない。
いや、だからこそ俺の心と体の一部がやべーんですよ!
……。
いや、体の一部ってあれよ?
心臓の事よ?
ドッキドキがバックバクでやべぇって話デスヨ?
「……フェルズ様の……鼓動……落ち着く……」
……早鐘を打たないように、ぐっと胸に力を込めて心臓を押さえつける。
いや、効果は無いと思うけど……でも、エンジン音のように鼓動が鳴り響くことは抑えられている気がする……。
「……」
そんなアホな事を考えていると、ウルルが俺の顔を見上げた後、先程まで抱え込んでいた俺の手を掴む。
「……ウルル?」
俺が首をかしげると、ウルルは掴んだ手をそのまま引き寄せ……俺の掌を自分の頭の上に載せる。
……流石に何をして欲しいかは聞くまでもない。
俺は頭の上に載せた手をゆっくりと動かし……ウルルの頭を撫でる。
さらさらで少しひんやりしている髪が指の間をするりと抜けていく。
……シャンプーのあるエインヘリア本国ならともかく、碌な入浴設備や道具すらないこの地でこの髪の状態を維持しているのは凄まじいな。
そんな事を考えながら……俺はウルルの頭を撫でる事に集中する。
そこに集中していれば、膝の上の柔らかさとか、胸に当たる柔らかさとか、伝わってくる暖かさとか、えもいえぬとても良い香りとか……気にならなくなったらいいなぁ。
……。
……大丈夫だ。
俺は冷静だ。
「……んふふ……」
珍しく声を出してウルルが笑っている……余程嬉しいようだ。
……俺はそれを邪魔する訳にはいかない。
無だ。
俺は無になるのだ。
「……そうだ……」
「……」
無。
「……これ……作った……」
ウルルが何処からともなく袋を取り出したけど……無。
「ほう」
無からのなでなで。
「……あーん……」
あー無。
もぐもぐ無ぐ……あれ?
なにこれ?
「……あーん……」
あーん!!!???
ななな、なんで!?
あれ!?
さっき食べたのって!?
「……これは?」
「……クッキー……」
うん、クッキーだね。
「……ランティクス帝国からの……輸入品で……作った……」
作った……あ、うん、そう言えばさっき作ったって言ってたね。
「……ほう」
「……小麦……砂糖……後……塩は……ヒエーレッソから……卵は……領内の……」
「なるほど」
クッキーって塩入ってんの?
っていうか、ウルルお菓子とか作れるんだ?
「……あーん……」
「……」
んばかな!?
あーんだとぅ!?
ヤンキーに喧嘩売られる時くらいしか言われること無いと思っていたのに!?
あーんは実在した!?
……落ち着け!
冷静になるのだ……。
良し落ち着いた。
落ち着いてみれば……あーんってされるの初めてじゃないわ。
オトノハとか……フィオにもちゃんと……。
……うぐ、フィオの事を思い出して心臓が……。
俺は胸を締め付ける罪悪感に苛まれながらクッキーを齧る。
「……美味いな」
「……フィルオーネ様は……」
おもむろにウルルが口にした名前に、身体がびくんっと反応するのを覇王力で押さえつける。
ふぃふぃふぃふぃ、フィオがどうしました!?
「……なんでもない……」
「!?」
そこで切らないで!?
絶対なんでもあるよ!?
そんな俺の想いは届かず、クッキーを仕舞ったウルルは再び俺の胸に顔をこすりつけるようにぐりぐりしながら目を細める。
えー、マジでお終い?
流石の覇王力でも、心臓がバクバクいうの抑えられないんじゃけど?
「……んふふ……」
幸せそうなウルルを邪魔することも出来ず、俺は硬直したままどうしたら良いか考えるが……頭の中に飛来するのはどうする?の五文字だけ。
俺はフェルズ……覇王フェルズだ。
何の因果か、お礼をあげようとしたら奥さんに浮気なんてしていません!と弁解しないといけなくなった覇王だ。
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