第105話 偽装工作



View of ドルトロス オロ神教大司教






「なっ!?」


 流石に私が身を投げるとは思っていなかったのだろう……黒装束のどちらかが驚きの声を上げる。


 まぁ、崖を落ちていく私にはそれがどちらなのか確認しようもないが。


 襲い掛かってくる浮遊感に気持ち悪さを覚えるが、それも一瞬の事。


 浮遊感は一瞬で消え……何かが潰れるような音が鳴り、続けて着水の音。


 崖の上では死体が流された、回収が必要だといったような会話聞こえてくる。


 それを私は崖の途中……上からは見えない窪みとなっている部分から聞いていた。


「……」


「……じゃ……帰ろうか……」


 私をこの窪みに引き込んだ少女が、やる気なさげにそう呟く。


 それに返事をしたい所だが、上に聞こえるんじゃないかという想い以上に疲労と……飛び降りた時の恐怖によって腰が抜け、声も出せない状態だ。


「……声……出しても大丈夫……」


「……あ、ありがとうございます。えっと、貴方はエインヘリアの……?」


「……私は……エインヘリアの……可愛い外交官……」


「あ、はい。え?かわ……?あ、いや、外交官の方でしたか」


 一瞬その不思議な名乗りに混乱してしまったが、すぐに気を取り直す。


 私の目の前に居るのは、ぼーっとしているような、全てを俯瞰しているような……底の見えない目をしている少女。


 その銀色の瞳を見ていると、走っている最中に感じた恐怖を思い出す。


 追手に見つかったタイミング……あれは、事前に聞いていたタイミングと寸分違わぬタイミングと言えた。


 追手がエインヘリアの手の者なら、完璧なタイミングであったとしても流石としか思わないが、私を追って来た者達は間違いなく教皇の手の者だった。


 そして、表立って妨害等の関与がバレる様な事はしないと言っていた。


 どう誘導すれば、あれ程完璧なタイミングで追手が追い付くのだろうか?


 私の走る速度、追手が私の不在に気付くタイミングに追跡する速度……どうやればそんなものを完璧にコントロールすることが出来るのか。


 そしてどうすれば、何日も前からそんな計画を立てることが出来るのか。


 全く意味が分からない。


 人とはそこまで計画通りに動くものなのか?


 他国の密偵を完全にコントロールしてみせた。


 それが今回だけのものなのか、それともいつでも可能なことなのか……助けられた安堵よりも、エインヘリアという国の底知れなさに対する恐怖の方が上回る。


 だが、それと同時に……この国に守られる限り、間違いなく私の身は安全だと確信する。


 そんな事を考えていると、少女の視線が私の肩辺りに動くのを感じた。


「……そういえば……肩……」


「……大丈夫だとは思いますが、思い出したら痛くなってきましたね」


「……治す」


 そう言って私の後ろに回り込む外交官の少女。


 恐怖や疲労で忘れていたが、ナイフは肩に思いっきり刺さっており、結構深手のように思う。


 例え治癒魔法を使えるとしても、そう簡単に治せるような怪我ではないと思うが……っ!?


 余り痛みを感じていなかったので油断していた。


 後ろに回った少女がおもむろにナイフに手をかけ無造作に抜くと、血と共に痛みが一気に噴き出す。


「……ぐっ」


 痛みに思わずうめき声を出してしまうが、少女は気にした様子もなく何らかの液体を傷口にかける。


 背中側での出来事なので、声をかけてくれないと心の準備が一切出来ないのが辛い。


 かと言って文句なぞつけられる筈もないのだが……急激に肩の痛みが和らぎ……ん?


 怪我の痛みだけではない……長年の頭痛の種であった肩こりが和らいでいる様な……。


 運動をしたおかげだろうか?


 肩だけではない、馬車移動の連続で完全に死んでいた腰まで楽になったような気がする。


「……上手く肩に……ナイフ当てた……」


 身体の節々にあった痛みが引き歓喜に打ち震えていると、少女の呟くような声が聞こえて来たので私は慌てて頷く。


「え、えぇ。偶々石に躓いたので狙いが逸れたみたいでした。もしあの時転びそうにならなかったら、そのナイフは私の背中か首か……どちらにしても致命傷となるような場所に刺さったことでしょう」


 あの一瞬の出来事だけは、信じてもいない神に心から感謝を捧げても良いように思う。


 そんな事を思ってしまうくらい、あの偶然は奇跡的なものだった。


「……そうなるように……石を当てたから……」


「……え?」


 ……石を当てた?


「そ、その……」


 今の言葉の意味を聞こうとして、役職しか聞かされていなかったことを思い出し口籠ってしまう。


「……私はウルル……エインヘリアの……外務大臣……」


「が、外務大臣!?」


 予想していたよりも遥かに大物だ。


 いや、外務大臣という役職に比して、その外見も、年齢も、何よりこんな場所にいる事も、一から十まで全てがおかしい。


 しかし、このような状況でそんな嘘をついても意味がない。


 私は慌てて頭を下げる。


「……失礼いたしました、ウルル様」


 その役職があまりにも衝撃的だった為、何を聞くつもりだったか一瞬とんでしまった。


「……先程私が走って逃げていた時、その……石を?」


「……うん……ナイフ……危なかったから……」


 確かに、躓いたからこそナイフは致命傷とならなかったが……よろめき方次第で別の場所に刺さっただろうし、下手をすれば逆に致命的な場所に刺さったかもしれない。


 そうでなくとも転んで追いつかれたかもしれないし、そもそも飛んで来るナイフに合わせて石をぶつけよろめかせるというのは、タイミングがシビア過ぎるだろう。


 ……いや、違う。


 それを成せるだけの能力と自信……確信があったということだろう。


 それに……普通に考えて、崖から飛び降りた私を、小柄な少女が道具も何も使わずにこうやって窪みに引き込める筈がない。


 今更ながらそんなことに気付く。


 只人ではありえない。


 つまり彼女は英雄ということだが……エインヘリアに、エインヘリア王……陛下以外の英雄が?


「な、なるほど……あ、ありがとうございました」


「……いいよ……」


 つい先程、エインヘリアの底知れなさに恐怖を覚えていたが……エインヘリアに底なんてものは存在しないのかもしれない。


 外務大臣に就いている英雄。


 一体どこから彼女は現れたのだ?


 まさか、謁見の間で言っていたエインヘリア本国……実は既に合流している?


 それとも……。


「……うん……召喚されたのは……フェルズ様だけじゃ……ないよ……」


「!?」


 やはりそうなのかという想いと、何故私の考えている事が分かるのかという想いに挟まれ体も思考も硬直してしまう。


「……貴方の身代わりの死体は……川下で見つかる……」


 唐突な話題変更に硬直したままの思考では咄嗟に反応できなかったが……なんとか声を絞り出す。


「……身代わり……ですか?」


「……うん」


「……身代わりとなった方には、申し訳なくありますね」


 口先だけではなく本心からそう思う。


 自分が生きる為とはいえ、関係ない者が死んだわけなのだから。


 恐らくは犯罪者か何かなのだろうが……。


「……殺したのは……貴方達……」


「……?どういう意味でしょうか?」


 私のせいで死んだ……というには、達という表現はおかしいような?


「……貴方達が……儀式と称して……殺した人……見つかる死体はそれ……」


「!?」


 けして責めている様子では無い一言が、私に衝撃を与える。


「……教会地下の拷問部屋から……遺体は回収した……」


 儀式の間で殺したモルトロール大司教達の遺体は、助司祭達が処分したはず。


 それをどうやって……?


「……遺体を回収した手段も気になりますが、彼らの遺体は全て首が無いのでは?」


「……くっつけた」


 ……大丈夫なのだろうか?


 一瞬そんな考えが頭を過ったが、エインヘリアであればそんなことも可能だろうと少し思ってしまった。


「……下に落ちた時に……顔はぶつけて……潰れてる……という設定……」


「なるほど……」


 下の川は激流だし、遺体の損壊も激しいだろう。


 それに確か私が飛び降りた直後、何かが岩に当たるような音がしていたし……その辺りの細工は完璧ということだろう。


 首が刃物で切断されている点に比べれば、その辺りは些細な問題だ。


 どうくっつけたのかは知らないが、恐らく密偵の目を誤魔化すことが出来るレベルなのは間違いない。


 大々的に私の死が発表される……それがエインヘリアの狙いなのだから、偽装に手を抜くことはあり得ないだろう。


「じゃぁ……そろそろ……いこうか……疲れ……とれた……?」


「お気遣いありがとうございます。もう大丈夫です」


 どうやって上に戻るかは分からないが、移動する事自体は問題ない筈だ。


 私が頷いて見せると、ウルル様は軽い様子で窪みから飛び出し……対岸の崖の上に着地した。


 ……いや……無理ですぞ?


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