第103話 お仕事……おしまい


 

View of ペペル スルラの影 頭領


 




 目の前に突如として現れた人物に疑問を抱き混乱したが、俺の身体はその認識よりも先に動く!


 手の中には小型のナイフ、それを相手の首筋に容赦なく突き立てる。


 死体を路地へと蹴り飛ばすと同時にナイフを抜き、死体を目立たないように……しようとして、突き立てたナイフに何も手ごたえがない事に気付く。


「……反応は悪くない……でも……それに至るまでの……対応が悪い」


「っ!?」


 呟く様な声が耳に届くとほぼ同じタイミングで、何か小さなものが地面に落ちるような音がする。


 ……馬鹿な。


 即座に後ろに飛び退りながら、手にしていたナイフの柄を人影目掛けて投擲する。


 そう、柄だ。


 俺が突き刺したはずのナイフは、柄から先の部分が消失していた。


 先程地面に落ちたのは、その消失してしまった柄から先の部分だろう。


 俺が投げた柄は小首をかしげる様な動作で避けられる……それを見た部下がハッと気づいたように後ろに逃げる。


「……優先すべきは……任務のはず……」


 呟くような喋り方なのに、はっきりと耳に届いたその言葉は色々な意味ですさまじい衝撃を私に与えた。


「……初手で殺せなかったのなら……逃げるべき……」


「……」


 馬鹿にするでも咎めるでもない……唯々、そうした方が良いという事実を口にしているだけと言った様子だが、その言はぐうの音も出ない程正論だ。


 俺達の最優先事項は任務の完遂。


 必要とあらば命を捨て、必要とあらば全てを捨て生き延びる。


 それが密偵として当然の心構えだが、それを指摘されたという事は俺達の素性を……。


 さらに厄介なことに、この人物はたった今殺されそうになったというのに気にした様子も見せず、世間話でもするような雰囲気で佇んでいる。


 苦いものを感じながら、部下を守るように前に出てナイフを構え、同時に部下にこの場を離脱するようにサインを出す。


 俺の姿は見られても問題ないが、部下の姿を見られるのはマズい。


 部下はフードを深くかぶっているし、本人も小柄なため覗き込むようにしなければ顔を見られる事はほぼ無いが、俺が前に出てその姿を隠すに越したことはない。


 ……いや、この人物の言うとおり本来は二人でこの場から離れ王城に向かった方が良いのだが、こちらの素性を知っているであろう人物をこのまま放置するのは非常にマズい。


 いや、任務の内容まで知られていた場合を考えると、放置は絶対に出来ない……のだが、嫌な予感しかしないな。


 目の前にいる人物からは何も……殺気はおろか、敵意や害意すら感じられない。


 そんな中、少しだけ……ほんの少しだけ向けられている感情がある。


 興味、或いは喜び?


 この場にそぐわない感情に思えるが……間違いなく僅かに感じられるのはそういった感情だ。


「……観察眼は……悪くない……」


 そう口にしながら被っていたフードを外し……美しい黒髪の少女が姿を現す。


「……何者だ?」


 間抜けな台詞だとは思うが、少しで構わないから時間を稼ぎたい。


 答えが返ってくるとは欠片も思っていないが、こちらへの対応を見る限り何らかのリアクションくらいはありそうだ。


「……私は可愛い外交官……」


「かわ……外交官?」


 返事があるとは思ってなかった事……そしてその答えがおかしかったことで一瞬意識を奪われてしまったが、すぐに冷静になる。


 外交官……今この場で名乗るには凄まじく相応しくない役職のように感じるが、何故かその言葉が嘘には思えなかった。


 不気味。


 その一言に尽きる。


 だが……乱される思考に反し、身体は勝手に最適な動きを続けていた。


 死角となる角度から放った礫が外交官を名乗る少女の目に向かって飛んで行くと同時に、俺と部下は近くの路地へと飛び込む。


 指示を出す必要もない、この位置で問題が発生した場合のパターンも想定済みだ。


 あの者に姿を見られたことはマズいが、部下の変装した姿さえ見られなければ問題はない。


 それに今は離脱を優先したが、相手の気配はあの場を離れても把握出来ている。


 部下を指定位置に送り届けたら、俺一人で先程の者を殺す。


 ただ姿を見られただけであれば問題なかったが、外交官を名乗る人物……確実にこちらの素性に気付いている人物をこのまま捨て置くことは出来ない。


 殺す……いや、殺すのであれば、先程やるべきだった。


 相手のいる位置は感じ取れているが、行動の全てがこの距離から把握出来る訳ではない。


 今この瞬間誰かと連絡を取り、俺達のことが王城の方に伝わるかもしれない……何故逃げることを優先した?


 後顧の憂いを立つのであれば、多少無理をしてでもあの場で殺しておかなければならなかった筈だ。


 ……マズい。


 何故だ……?


 自分でも信じられないくらいに混乱している。


 体は普通に動く。


 思考も停止してはいない。


 だが、何かがおかしい。


 確かに、先程の邂逅は想定外の事であったし、非常にマズい事態だった。


 しかし、だからと言ってここまで心がかき乱されるのはおかしい。


 何が起こった?


 何らかの魔法をかけられたのか?


 何が起こっているか分からず、胸の内の不安だけが拡大していく。


 落ち着け……大丈夫だ。


 相手は先程の位置から一切動いていない。


 すぐにでも殺しに戻れば良いだけだ。


 何故それを考えるだけで……絶望にも似た想いを抱く?


「……何より重要なのは……情報を持ち帰る事……だから……臆病なのは悪くない……」


 不意に聞こえて来た聞き覚えのある声に、心臓が凍り付いたような感覚を覚える。


 馬鹿な!?


 気配は間違いなく先程の通りに残ったままだ。


 目の前にいる人物からは……一切気配が感じられない。


 どういうことだ!?


 そんな凍り付く思考とは逆に、鍛え抜いた英雄としての身体は反射的に鋭く動く。


 完全に意識と体が別に動いているのを感じる。


 周囲の景色がゆっくりと動き、声の主を視界に納め……ナイフを突き出す。


 しかし、どうやったかは分からなかったが先程ナイフを壊されたばかり……このまま突き刺そうとしても先程と同じ結果が待っているだろう。


 俺がそう判断するよりも早く俺の身体はナイフを手放し、そのまま回し蹴りを放つ。


 靴には隠し刃が仕込んであり、蹴りが当たると同時に刃が飛び出す様になっている。


 殺傷能力の高い暗器ではないが、相手の意表を突き、有利な状況を作ることが出来る。


 体がそこまで動いてから、ようやく頭の巡りが身体に追いつく。


 一瞬で良い。


 一瞬の隙さえ作ることが出来れば、あの細い首にナイフを滑らせることくらい容易いはず……。


 しかし、ナイフでのフェイントはあっさりと見破られ、蹴りは半歩程体をずらして避けらてしまう。


「……頭は混乱しても……身体は……動いてる……長年の……鍛錬の結果……だね……」


 そう口にしながら一気にこちらとの距離を詰めて来る少女。


「……でも……諜報技術は……もう少し……洗練した方が良い……」


「っ!?」


 極至近距離まで距離を詰められた俺は半歩だけ後ろに下がり……二本指で軽く胸のあたりをつかれ尻もちをついてしまう。


 即座に後転して立ち上がるが、間髪入れずに距離を詰められ再び指で突かれる。


「くっ!」


 しかし、今度は指を突きつけられただけで倒されることはなかったが……か、身体が動かない!?


「……レヴィアナの替え玉……身長が少し大きいし……歩幅も違う……胸も少し大きい……体重が違うから……足音も……替え玉は……顔と声だけ似せれば……何とかなるものでは……ない……」


「……」


 指摘されたのは替え玉としての甘さ……一つ一つは小さなものだが、それだけの違和感が積み重なれば、親しい者には替え玉と気付かれてしまうかもしれない。


 しかし、そういった違和感を削り切ったのが彼女の変装であり、我々『スルラの影』の同胞達が各地に潜入するために磨き上げた技術だ。


 家族であろうと恋人であろうと、どんなに親密な者にも見破られたことのない……英雄としての俺の力以上に『スルラの影』を最高の諜報集団足らしめている技術。


 ローブの上からパッと見ただけで分かる筈が……待て、そもそも何故元王女の替え玉だと……。


「直すべきところは多い……でも……楽しみ……」


「何を言って……」


「……斥候系の英雄……部下に欲しかった……」


「部下……だと……?」


 指を突きつけられているだけだというのに指はおろか視線すらも動かすことが出来ない俺の前で、少女は小さな笑みを浮かべる。


「『スルラの影』……私が貰う……ね?」


 その台詞と同時に、糸の切れた人形のように部下が崩れ落ち……その音を最後に、俺の意識も闇に沈んだ。


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