第102話 任務開始
View of ペペル スルラの影 頭領
「頭領、準備出来ました」
厚めのローブに身を包み、フードで顔を隠した部下がそう告げて来る。
「……」
俺は自身の装備を確認しながら頷く。
この数日間で元王女の部屋の位置、警備情報、そしてエインヘリア王がいつ元王女の元を訪れるかを調べ上げた。
城の見取り図はレグリア王国時代に手に入れたものがある為、進入路の確保は然程苦労しなかったが、現在の警備状況やエインヘリア王の事を調べるのは非常に難しかった。
城の周囲にはそれなりに出来る密偵が目を光らせており、使節団を監視していた密偵が下っ端に過ぎなかったことを如実に表していた。
まぁ、このレベルでもまだエインヘリアの防諜力から考えれば物足りない。
ざっと見ただけでも王城に忍び込めるだけの穴が見つかったからな。
誘導されている可能性も考え、調査の為その穴を使い王城に侵入してみたが何の問題もなく侵入に成功し、王城内を動き回ることが出来た。
部下を連れず、俺一人の潜入だった為元王女の誘拐は出来なかったが、それでも元王女の部屋まで誰にも見つからずに移動出来たからな……いくら何でも気付いていたのなら、そこまで自由にはさせないだろう。
その後も警戒が上がった様子はないし、今日の仕事も問題なくいける筈だ。
……。
嫌な感じは一切しない、だが嫌な予感が消える事はない。
どこかで何か大きな間違いをしている感覚が付きまとうのだ。
「早くとも数か月の仕事となるだろう。その間誰も接触はしない……何かしらの緊急事態が起こったとしてもだ」
「はい」
状況がどう変わろうと任務を全うしろ。
サポートは無く、誰かがどこかで失敗したなら死ね。
そういう任務だ。
無論、彼女が元王女の替え玉として得た情報は回収したい所だが、俺達の仕事では欲をかいて下手を打つ方が問題だ。
今回の替え玉という任務は、情報を得る事が目的ではない……彼女の使い道としては、少々惜しくはあるがな。
エインヘリアという国の厄介さを思えば、元王女の替え玉になる事が出来る部下の価値は非常に高いと言える。
もしかすると、帝国の重鎮に変装出来る部下よりも価値が高いかもしれない。
……無論、潜り込むことに成功すればだが。
「何かしらの情報を入手した場合でも、繋ぎは取らなくて良いのですか?」
「今回の任務に情報収集は含まれていない」
「それは、そうですが……」
不満気な色を見せる部下だが、その気持ちは良く分かる。
レグリア王国時代、元王女の替え玉という存在は価値が殆ど無かったが、ここに来て急激に重要度の高い人物に変わったからな。
仕事の重要度が増した分、他にも出来ることがあるという想いが強いのだろう。
「逸る気持ちは分かる。俺もお前の立ち位置ならば、有益な情報が多く手に入れられると思うしな。だが、そういった色気は潜入……ましてや他人に成りすます上では非常に危険だ」
「……」
「情報を得る事が任務であるなら、それは必要な危険だ。だが今回お前に求められている仕事はそうではない。分かるな?」
「……はい」
「情報を得られずとも、お前の仕事は現在進行中の仕事の中で最重要に位置するものだ。それを忘れず、全力を尽くせ。それこそが、全ての同胞がお前に望むものだ」
「すみません、頭領。任務を軽んじたつもりはなかったのですが……」
気を引き締め直す必要はあったが、必要以上に意気消沈してもらっても困る。
……若い奴への注意は本当に気を使うな。
「ふっ……気持ちは分かると言ったろ?若い内は特にでかくて派手な仕事を求めるものだからな」
俺が昔を思い出し小さく笑みを浮かべながら言うと、部下が驚いた様な表情を見せる。
「……頭領もそういう事があったのですか?」
「あぁ。先代の頭領に思いっきり説教されたな。お前の自尊心を満たす為に仕事があるのではない。依頼主の為……そして何より同胞が生きる為にあるのだと。俺には英雄としての力があったからな。ガキの頃はそれで色々調子に乗っていたんだ」
「そ、そうだったのですね」
なんとも言えない表情でこちらを見ている部下にもう一度笑いかける。
「これはお前にしか出来ない仕事だ」
「はい」
俺の言葉に頷いた部下の表情から、先程まであった自尊心や虚栄心が鳴りを潜め『スルラの影』の一員として任務に従事するという責任感だけが残る。
これならば問題はあるまい……任務中に余計な情報を手に入れたら再び色気を出すかもしれんが、その辺りは自制してもらいたいものだ。
潜入が始まれば……それがどれほどキツイものか身に染みるだろうし、心配はいらんと思うが。
「潜入は難しい任務だ。しかも他人になり切る以上……避けられない危険も多い。不測の事態に陥った時こそ冷静に……自身の心では無く、集めた情報から作り出した元王女の影を追え。だが、心の奥底……底の底の最後の一欠けらに同胞への想いを置いておけ。それを違えなければ、正しい選択が出来る筈だ」
「ありがとうございます、頭領。己の任務に専心いたします」
憑き物が落ちたような表情で言う部下に頷く。
さて、丁度良い時間だろう。
最後に説教臭い話をしてしまったが……俺も随分と歳を取ったということだな。
年寄り連中の事をあまり言えないな。
もしかしたら、俺も今の若い連中から口煩い年寄りと思われているのかもしれない。
そんな事を考えて苦笑するような落ち込むような……そんな気分を味わいながら宿の部屋を出た。
王城まで……確保した侵入経路まではここから少々離れているが、そこに行くまでも人目につく様な真似はしない。
既に草木さえも眠りにつく様な時間……通りを歩いている様な者はまず居ないが、それでも注意を厳にしつつ俺達は道を進んでいく。
誰もいない夜の街を歩くと、いつも世界が凍りついたかのように感じる。
すぐ傍には部下が周囲を警戒しながら歩いているが、それでも俺達の方が世界からはじき出された異物のように感じてしまう。
任務を前に何を感傷に浸っているのか……そんな自身の心に気付くのとほぼ同時だった。
俺達の進行方向……まだ距離は少しあるが、そこに小柄な人物が立っているのが見えた。
この距離になるまでその存在に気付くことが出来なかった事に違和感を覚えつつ、気付かれない程度にその人物を観察しておく。
視線の先に居る小柄な人影はこちらを気にした様子もなく、きょろきょろとあたりを見渡している。
このような時間に一人で外にいる時点で何かしらの訳アリなのは確実だが……人を探したり、待ち合わせをしている訳ではなさそうだ。
辺りを見回す時に俺達の事も目に入っていたようだが、興味を持ったようには見えなかったし警戒も……夜に知らない相手に会った程度の極々自然な警戒しか見せなかった。
人を探したり待ち合わせをしたりしているようであれば、もう少し俺達の事を気にした筈だ。
現に通りの反対側……俺達から距離を取るように移動して、再びきょろきょろと辺りを見渡している。
当然俺も部下も反応は一切しない。
俺達は歩くペースを変える事もせず、そのまま目的地に向かって進んでいく。
しかし、すれ違う瞬間……部下が一瞬その人物を警戒するように意識を飛ばしてしまった。
いや、すれ違った相手に意識を向けること自体はおかしくないのだが、部下のそれは少々一般人の反応としては強すぎるものだった。
幸いにして、すれ違った人物はそんな部下の反応に気付かなかったようだが……少し注意をしておいた方が良いだろうか?
そんな事を思いつつ、不自然にならない程度に部下に視線を向けると僅かにフードの下で気まずそうな表情を見せる。
……注意する必要はないようだな。
自覚があり、それを恥じているのならば同じようなミスはするまい。
そう考えた瞬間だった。
俺は警戒を切らしていないし、進行方向をずっと見ていた。
だというのに何故……私の目の前に、先程すれ違った人物が立っているのだ?
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