第101話 準備
View of ペペル スルラの影 頭領
「では、そちらは任せる。俺はここでもう一つの依頼を片付ける」
「頭領、本当に一人で大丈夫か?」
「問題ない」
部下の言葉に私は肩を竦めてみせる。
「人手が要るのはそちらだからな。こちらは一人拐して入れ替えるだけだ」
部下達の方はエインヘリア国内での暗殺だ。
監視の目がある中での暗殺は容易なものではないし、妨害される可能性もある。
エインヘリアが、国内での暗殺をあっさりと許すとは思えないしな。
「分かった。心配はいらんと思うが、油断はするなよ?」
「当然だ」
部下の言葉に頷くが……正直、油断の出来る仕事ではない。
いや、相当難しい仕事と言える。
部下は英雄としての俺を信頼してくれているが……エインヘリア王のいる王城での誘拐。
しかも相手はエインヘリア王の寵愛を受けている元王女だ。
その警護が薄いとは思えないし、変装こそしているが俺は今回オロ神教の助司祭としてこの国に来ている。
万が一にも身元がバレるような事態は避けねばならない。
まぁ、私の扮した助司祭も死体となって聖地に送られるし、別の変装をするのでまずバレる事はないが……。
それでもエインヘリアに付きまとう不気味な雰囲気は、それが楽観に過ぎないと感じさせてくる。
「そちらも容易い任務ではないぞ?ぬかるなよ?」
「あぁ。合流は待たずに国を出て良いんだな?」
「構わん。というか、恐らく合流を待つような余裕はなくなる筈だ。脱出を最優先……死体は必ず持ち帰れ」
「分かった」
最後に念押しをしてから俺は部下と別れた。
彼らはこれから後発の使節団……ドルトロス大司教と共に聖地へと戻るが、予定では国境ぎりぎりの場所でドルトロス大司教を暗殺する。
その際事情を知らない数人も運命を共にすることになるが、教皇の望んだ生贄だ。
既に王都教会の儀式で処分したモルトロール大司教達と合わせ、その死は戦意高揚の為に使われる。
気の毒と思わないでもないが、まぁ、大司教達も俺に同情されたくはないだろうな。
さて、こちらもそろそろ動くか。
「始めるぞ」
「はい」
俺が声をかけると、部屋の隅に残っていた部下が応える。
俺は司教としての変装を解き、城下町の民に埋没するようなみすぼらしい恰好に着替え、それに合わせ顔や体つきを貧相な者に見えるように新しく変装していく。
部下の方も似た様な姿に変装していくのだが、その体つきや顔立ちはとても貧民には見えないものだ。
まぁ、それも仕方ない。
彼女はレグリア王国の元王女と成り代わる為に生来の顔を変え、食事等にも気を使い健康状態を維持しているのだ。
彼女のように、近隣諸国の要人に変装するために顔を作り変えている部下は何人もいる。
教皇からいきなり無茶な指示が飛んで来ることはよくあることだからな、念の為レグリア王国の元王女に変装できる部下を連れて来ておいて良かった。
この部下は、レグリア王国の元王女に変装することこそ最大の仕事だ。
何時来るとも分らない仕事の為に顔を変え、他人の人生を頭に叩き込み、人生の全てを他人の模倣に専心し……最後まで日の目を見ない部下もいることを考えれば、彼女は幸せと言えるだろう。
時間をかけ、慎重に変装を作り上げた俺達は日が沈むのを待ってから宿から出る。
既に使節団はこの街を出て聖地への帰途に着いているが、計画を実行するまでは後十日以上かかるだろう。
可能であればエインヘリアが混乱するタイミングでこちらも動きたいが、ドルトロス大司教を暗殺したとして、そこまでエインヘリアが慌てるだろうか?
教皇が彼らの死をどう使うかはエインヘリアもすぐに察するだろうし、その効果がかなりある事も分かるだろうが……暗殺が成った時点でそれを止める術はない事を考えれば、然程混乱が起こるとは思えない。
……正面から行くしかないか。
城下町で暴動を起こさせる手も考えたが、宣戦布告があった以上、何をやろうとオロ神聖国の仕業と結び付けられるのは必定。
宣戦布告の知らせがオロ神聖国に届くはずのないタイミングで大きな騒動を起こすのは、こちらの手の内……遠方と瞬時に連絡を取る方法があると晒す様なものだ。
それだけは絶対に避けねばならない。
この事が相手にバレる……いや、懸念を持たれる時は、全てが終わっている段階でなければ割に合わないと言える。
幸い、使節団を監視していた連中は全員監視を続行……帰途に着いた使節団と共にこの街を出たようだ。
纏わりつく様な嫌な感じも同時に消えたように思う。
……出し抜けた。
エインヘリアに訪れてから初めて感じた安堵感。
安心してしまったという事実に気付いた瞬間、俺は底の見えない谷に向かって落ちていくような絶望的な何かを感じた。
これは恐らく罠だ。
確実にエインヘリアには俺を上回る実力を持った英雄……エインヘリア王がいる。
しかし、俺を……使節団を監視していた者がエインヘリア王かと聞かれれば、それは違うように思えた。
これは教皇にも部下達にも伝えていない俺の直感だ。
情報を扱う俺達が、不確かな物を軸に動くことは出来ない。
不確かな情報は、時に何も分からない事よりも事態を危険に導く。
求められているのは確実な情報であって、推測や推察等ではない。
今確かなのは、使節団を監視していたエインヘリアの連中はこの地に居ないという事。
俺の警戒網の内側に、こちらを見ている者は居ないという事だ。
……これで使節団が居なくなるまでずっと感じていた嫌な感じが消えていなければ、ある意味で安心出来たかもしれない。
嫌な感じが消えた事でより一層嫌な物を覚える……訳が分からないな。
警戒は怠らず、されど自然を装いながら目を付けていた宿屋の扉を潜る。
城下町のいくつかの施設はエインヘリアの諜報機関が関与している様子が伺えたが、この宿はそういった気配は一切なかった。
ここを拠点に数日城を調べながら計画を詰める……いつにもまして準備期間の無い仕事だ。
英雄の居城に忍び込みその寵姫を攫い替え玉を置いていく。
準備期間が一ヵ月あったとしても相当厳しい……替え玉を置いていかなければならない以上、潜入したこと自体感づかれては意味がないのだ。
依頼された以上、最善を尽くすが……愚痴くらいは言わせてもらいたいものだな。
「おや、これは珍しい。帝国で採れる野菜ですか?」
「……そう」
宿の受付で、行商人らしきローブ姿の女と宿の主人がカウンターに置いた野菜を囲んで商談をしている。
この宿は一階部分が食堂になっているからな……その分情報が手に入りやすいと思い選んだのだが……二人の様子を見る限り、少し時間がかかりそうだ。
「……今後は……帝国の食材が……手に入りやすくなる……」
「そうなのですか?」
「……今のうちに……調理法を……試しておけば……」
「なるほど……他の店に一歩先んじられると。分かりました、では一通り貰えますか?」
「……まいど」
帝国の食材が手に入りやすく……?
エインヘリアが帝国の支援を取り付けたということか?
思わぬタイミングで得た情報に思いを巡らせていると、商談を終えた宿の主人が俺達に気付き声をかけて来る。
「おや、すみません、お客さん。宿のご利用ですか?」
「えぇ、二人で三泊したいのですが、空いていますか?」
俺の言葉に笑顔を浮かべた宿の主人が大丈夫ですよと言いながら宿帳を取り出す。
「……店主……また来る」
「ありがとうございます。ムルルさん。またよろしくお願いしますね」
「……うん」
カウンターに近づく俺達と入れ違いになるように行商人の女が宿から出ていく。
帝国方面から来た行商人か。
少し話を聞いてみたかったが、余計なことをして無用なリスクを負う必要はない。
俺は行商人の後ろ姿から視線を切って偽名で記帳し、部下と共に部屋に向かう。
受付を終えた宿の主人が、今日は新しく仕入れた野菜を使った料理を出すので是非試して欲しいと言って来たので頷いておいたが、元より食堂には顔は出すつもりだ。
食事処や酒場には人が集まるし、食事や酒を共にすることで口が軽くなる。
少ないリスクで情報を集めるには最適な場所だ。
幸いにしてここに来ても嫌な気配は一切感じないし、警戒網の内側に密偵の気配はない。
数日かけて慎重に城や元王女、それにエインヘリア王の情報を集める事に専念するとしよう。
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