第98話 聖地の二人
View of ソルトン=リーフ=ハイゼル オロ神聖国 第一位階ハイゼル家当主
教皇猊下に部屋へと呼びだされた私は、盆にポットとティーカップを乗せたまま入室の許可を求めた。
するとすぐに扉が開かれ、部屋の中に居た助司祭が盆を受け取ろうと申し出て来たのを私は断る。
「よく来てくれましたね、ソルトン。おや?それは?」
「以前教皇猊下が御所望されていた、お湯を長時間暖かいまま保存する魔道具と、帝国北東部で採れるお茶が手に入りましたので話の共にと用意させていただきました」
「おや、わざわざ貴方が淹れてくれるのですか?」
「えぇ。給仕の者に負けないくらい美味しく淹れてみせますよ」
私がそう口にすると、穏やかに微笑む教皇猊下。
その姿は現世救済を謳うオロ神教の教皇に相応しく慈愛に満ちたものだが、その内面がその真逆の心を持っている事を私は良く知っている。
それに……最近の教皇猊下はあまり機嫌が良いとは言い難い。
それを表に出すことは殆ど無いが……。
私は染みついた動作で茶を用意すると、教皇猊下の前に置く。
「ありがとうございます、ソルトン。早速頂きますね」
そう言って私の淹れた紅茶の香りを楽しみ、その後一口飲んだ教皇猊下が少し驚いた表情を見せる。
どうやら驚かせることに成功したようだ。
その表情を見てから私は教皇猊下の向かいに座り、自分のために淹れた紅茶の香りを楽しむ。
「本当にお茶を淹れるのが上手ですね。これからは毎回貴方にお茶の用意をして貰いたいくらいです」
「私がここに来る時は用意いたしますが……」
私の言葉に不満気にため息をつく教皇猊下。
勿論それは冗談だろうが……本気で教皇猊下がそれを望めばそれを叶えるだけの権力は有している。
まぁ、そんなくだらない事で権力を振りかざす人ではないが。
「今後はもっと貴方をここに呼んで打ち合わせをする事にしましょう」
「ではその時の為に、こちらの魔道具はここに置いておきます」
「ありがとうございます。大事に使わせていただきますね」
そう言いながら、紅茶を一口……思った以上に気に入ってくれたのかもしれないな。
その事に若干気分を良くしながら私は言葉を続ける。
「それで、本日はどうなさったのですか?」
「実は、エインヘリアとの会談が出来た様でようやく第一報が届いたのですよ」
「そうでしたか。随分早かった気もしますが、ドルトロス大司教猊下は何と?」
私が尋ねると、悲しげな表情を見せる教皇猊下。
これは……どう見るべきだろうか?
思惑通りに行ったと見るべきか、当てが外れたと見るべきか……。
「実は、エインヘリア王は我々が想定していたよりも遥かに厄介な相手だったようです」
「……ドルトロス大司教猊下は帝国への誘導に失敗したと言う事ですか?」
私がそう尋ねると、教皇猊下は小さくため息をつく。
「それどころか、エインヘリアは正式にオロ神聖国へ宣戦布告をするようです」
「……宣戦布告ですか。それはまた……」
随分と無謀な。
そう口にしようとして、教皇猊下が不機嫌な事に気付き言葉を止める。
どうしたのだろうか?
確かに第一案はエインヘリアへの謝罪と賠償、そして帝国を召喚の黒幕とすることでエインヘリアを……いや、エインヘリアの英雄をオロ神教へと取り込む足掛かりにするとのことだった。
しかしそれが成る可能性は低いと教皇猊下は考えていた筈。
不機嫌になる理由は……他の案も失敗した?
「あぁ、すみません。当てが全て外れた訳ではないのです。宣戦布告を受ける、当然この事態も想定していました」
「そうでしたか」
つまり当てが外れた部分があり、そこが教皇猊下は気に入らないと……。
「エインヘリア王……非常に厄介な相手のようです」
「それほど強力な英雄と言う事ですか?」
「……武力という点で言えば、その力の程はまだ分かりません。しかし、統率力、政治力、そして何より諜報力。これらを非常に高いレベルで兼ね備えているのは間違いありません。しかし、本人の能力以上に厄介なことが明らかになりました」
そう口にする教皇猊下の顔には既に笑みはない。
底冷えするような怜悧で無機質な瞳。
とても人を導くべき聖職者が浮かべる表情ではないが、教皇猊下に最も相応しい表情ではある。
「何があったのでしょうか?」
「……この情報はまだ他の方には知らせないで下さい」
そこで一度言葉を切った教皇猊下の気配に気圧されてしまう。
「エインヘリア王は、どうやら召喚されるより以前より王であったようです」
「異世界の王ということですか……?」
確かに、瞬く間に旧レグリア王国を滅ぼし、そして掌握してみせた手段は見事なものだったし元々王であったと言う話は納得出来る。
しかし、それが教皇猊下を不機嫌にさせる理由となるかと言われれば……それは違うだろう。
確かにオロ神教に取り込むには少々難しくなったとも言えるが、それでも教皇猊下の手練手管であれば、いくらでも取り込む手立ては考えられる筈。
つまり他にも懸念事項があると言う事だろう。
「それが、そうではないのです。エインヘリア王の治めるその国は、どうやら海の向こうにあるようなのです」
「海の向こう……?」
「えぇ。しかも厄介なことに、海の向こうのエインヘリアは既にエインヘリア王がこの大陸に召喚されたことを知り、こちらに向かっているとのことです」
「なんと……」
それが事実であれば、確かに教皇猊下が不機嫌になるのも無理はない。
「流石に想定外でした。まさか海の向こうから英雄を召喚していたとは……やはり不確かな技術になど頼るべきではありませんでしたね。おかげで我々は、別大陸の国に宣戦布告されてしまいました」
「別大陸の国……どの程度の規模のものなのでしょうか?」
「残念ながらその辺りは確認出来ませんでした。流石のドルトロス大司教も想定外の話に頭が回らなくなってしまったようですね。しかし一つ分かる事は、この大陸には無い技術を有しているということです」
未知の技術を有した未知の国。
最も厄介なのは……相手の本国にはオロ神教の信徒が一切存在しない事だ。
信者達を扇動して反乱を起こさせるという手が一切使えない……いや、元レグリア王国領では使えるだろうが、エインヘリアからしてみれば飛び地に過ぎぬレグリア王国領に固執するつもりはないだろう。
海の向こうから来るということは重要視するのは海沿いの土地。
つまり……。
「ヒエーレッソ王国への接触があるかもしれませんね」
「橋頭堡を確保という訳ですね。確かに貴方の言うように海に面しているヒエーレッソ王国は、エインヘリアにとって狙い目でしょう」
私の言葉に教皇猊下が頷く。
「幸い、もうすぐ魔王国軍は山の向こうに引き上げる時期です。遠征軍をそのままヒエーレッソ王国に駐屯させますか?」
「……難しいところですね。エインヘリアは確かに宣戦布告してきましたが、だからと言って即座に侵攻してくるわけではありません。宣戦布告の知らせが聖地に届いてから一ヵ月猶予をくれるそうです」
「態勢を整える時間を与える……というよりも、海の向こうからくる本国の戦力を待つまでの時間稼ぎですか?」
私がそう言うと、笑みを見せながら教皇猊下は首を振る。
「時間稼ぎをする必要があるのなら、そもそも宣戦布告をしなければ良かったのではないでしょうか?」
「それは確かに……」
「勿論時間稼ぎ側面が無いとは言い切れませんが、もしかするとエインヘリア王は焦りがあるのかもしれませんね」
「焦り……ですか?」
「別の大陸にあるというエインヘリアの力は分かりませんが、間違いなく合流してからの方が戦力的には楽なはずです。それをせずに今の段階での宣戦布告……何かしら急がねばならない理由があるのでしょう」
教皇猊下のお言葉に私はなるほどと頷く。
確かにその通りだ。
海の向こうに本国があり、その本国がエインヘリア王を迎えに来ているということは時間が経過すればするほどエインヘリアは有利になる。
そのアドバンテージを捨てると言う事は……教皇猊下のおっしゃる通り、エインヘリア王には急がなければならない理由があるということなのだろう。
「そういえば、宣戦布告の知らせが届いてからとおっしゃっていましたが、それは今日より一ヵ月と言う事でしょうか?」
「いえいえ、そうではありません。これはあくまで第一報が届いただけ、正式な使者がこちらに戻って来るまでにはもう少し時間がかかります」
「そうでしたか。ドルトロス大司教猊下の御戻りはいつごろでしょうか?」
「残念ながら、ドルトロス大司教は戻って来ません」
沈痛そうな表情を見せながら教皇猊下がそう口にする。
ドルトロス大司教が帰ってこない……?
「それはもしや……」
「えぇ、宣戦布告を受けた際、心無きエインヘリア王によって処刑されたようです。今使節団は彼の遺体を守りながら帰還している最中です。とても残念なことです」
「……」
そう口にした教皇猊下が聖句を唱えドルトロス大司教の冥福を祈る。
実に空虚なポーズだけの祈りだし、ドルトロス大司教も教皇猊下の祈りなど絶対に欲してはいないだろう。
エインヘリアがドルトロス大司教を害した……その可能性はゼロではないが、それよりも遥かにドルトロス大司教を害する理由のある人物が目の前にいる。
「彼の事は殉教者として祀り、国葬をもって見送りましょう。いえ、彼だけではありません補佐として送り出したモルトロール大司教に司教や司祭等……多くの者達が犠牲になったようです」
「そうだったのですか……」
モルトロールや司教連中は、教皇猊下の意向で両国間を取り持つための贄にされたはずだが……再利用すると言う事か。
国内や各地の教会はそれで良いとして、問題は……。
「……帝国との協調路線を取ると言うのはどうでしょうか?別の大陸からの侵略者に対抗すると言う名目であれば……」
私の言葉に、教皇猊下は非常に冷えた笑みを浮かべる。
「ふふっ、確かに可能性はゼロではありませんが、我等は既に外勢力相手に協調できない事を知ってしまっていますからね。望みは薄いでしょう。それに帝国関係を仕切っていたドルトロス大司教が亡くなってしまいましたし、あちら方面は仕切り直しですね」
「……確かに」
やはり、帝国方面に強い影響力を持ち始めたドルトロス大司教が邪魔になった……そういうことだろう。
私がそんなことをチラッと考えた時、教皇猊下がこちらを見ながら口を開く。
「もし良ければ、帝国方面……貴方が面倒みますか?」
「私ではあの国の貴族の相手をするには力不足かと。我が国の貴族は無能の代名詞でもありますし、新鋭の司教辺りに任せるのが宜しいかと」
「残念ですね。私は貴方の事を買っているのですが……貴族位を捨てて出家しても良いのでは?」
「私にはまだ娘しかおりません。流石に第一位階貴族として跡取りを残さない訳にはいきませんので……」
「本当に惜しい事ですが、確かにハイゼル家がなくなってしまうのは問題がありますね」
そう言って微笑む教皇猊下だが……私がその提案を受けていた場合、あまり愉快な未来は待っていなかったはずだ。
この国で平穏な余生を全うしたいのであれば、程々に有能かつ従順でなければならない。
ドルトロス大司教はその辺り上手くやっていたと思うが……。
「おっと、話が逸れてしまいましたね。エインヘリアについて、もう少し情報を共有しましょう」
教皇猊下の言葉に私は頷く。
テーブルの上のお茶はすっかり冷めていた。
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