第99話 第一位貴族の懸念



View of ソルトン=リーフ=ハイゼル オロ神聖国 第一位階ハイゼル家当主






「エインヘリアへの対応はどうなさるのですか?」


「非常に心苦しくはありますが、宣戦布告を受けた以上戦うより他ありません。無辜の民を悲しませるようなことはしたくないのですが、刃を交えねば理解出来ぬ者もおりますので」


 沈痛そうな表情で言う教皇猊下。


 一欠けらも民のこと等思っていないだろうに真に迫ったその表情は、何も知らぬ者が見たらさぞ心を痛める事だろう。


「しかし、別大陸のエインヘリアの事は宜しいのですか?エインヘリア王の事もありますし、このままでは衝突は避けられないかと」


「そうですね。流石に海の向こうの国が相手では、いくら我々といえど分が悪いでしょう。ですが、だからこそ今のうちに戦うべきだと私は思います」


「……合流する前に潰すと言う事でしょうか?」


「潰すとは言いません。ですが、今のエインヘリアは本国より切り離された小舟のようなもの。決着をどういう形であれつけることが出来れば、向こうも納得してくれるでしょう」


 納得……自国に余力がある状態で負けを受け入れるとは思えないが……何かしら納得させるだけの方法を考えているということか?


「決着ですか……それは、どのような形をお望みなのですか?」


 普通に考えれば我々の勝利だが、そんな当たり前の事を聞いたわけではない。


 私が聞きたいのはどういう勝利で、どういった結果に辿り着くのかというところだ。


「相手が誰であろうと、オロ神の加護を受けた我々が膝を屈する訳にはいきません。しかし、だからと言って全面戦争となれば非常に厄介な相手となるでしょう。それは魔王国軍に長年攻め込まれ続けている帝国や西側諸国を見ていれば明らかです」


「魔王国軍と同様、海の向こうにあるエインヘリアにこちらから攻める事は出来ませんし……何より相手の国力や軍事力も計る事が難しい」


 勿論、長距離を遠征してくるエインヘリアにも大きなリスクがあるだろうし、そこに掛かる軍事費も馬鹿にはなるまい。


 一方的に殴られるだけといえど、守り切る事で勝利を得る事も不可能ではない筈だ。


 しかし、そういった戦いは先が見えにくく、精神的にも非常に厳しいものになる。


「今まで我々は魔王国軍と自国内で戦う事はありませんでしたが、エインヘリアとの戦いはそういう訳にはいきません。海から攻め寄せてくる以上、盾となる国はありませんしね」


 そうなる前にこの戦争を終わらせる……しかし、どういう風に?


 教皇猊下は負ける事は許されないとおっしゃった。


 つまりこちら側から和睦の申し入れは出来ないと言う事……しかし、旧レグリア王国領を制圧したり、ましてやエインヘリア王を打ち取ったりは出来ない。


 そんな事をすれば、海の向こうにあるエインヘリアとの全面戦争は避けられないだろう。


 ……条件が厳し過ぎるな。


 こちらから和睦を申し入れることが出来ず、攻め滅ぼすことも出来ない。


 逆に現時点では戦力に不安のあるエインヘリアだが、その背後には相当な力を持っていると考えられる本国がある。


 それがある限り、余程追い詰められない限りエインヘリアから降伏の申し入れは無いだろう。


 いや、降伏の申し入れがあったとしてもそれが一時的なものになる可能性が高い……ダメだ。


 勝利条件が分からない。


 教皇猊下は何を目指しておられるのだ?


「神ならぬ人の身では全てを叶えることなぞ出来ません。大いなる寄る辺は人の心に安寧を、人の未来に希望を与えます。それは英雄であっても変わりはありません」


 オロ神教にエインヘリア王を取り込むと言う事だろうか……?


 いや、それはあまりにも無謀な……。


「しかし、それはその英雄が救いを求めていれば……ですがね。残念ながらエインヘリア王はそういうタイプではないようです。しかし、周りの者はそうではありません」


「周りというと……」


「エインヘリア王の傍を固めているのは旧レグリア王国の者達です。当然我々の力を十分理解しており、エインヘリア王の考えに巻き込まれ我々と戦う事に不満を覚えている者がいる筈……そう思いませんか?」


「確かに、不満はありそうですが……」


「海の向こうのエインヘリアというのもエインヘリア王の言葉だけですからね。今はエインヘリア王の手腕とその覇気によって求心力を保っているようですが、私達にとって只人の心こそ最も相手しやすいものですからね」


 そう言って微笑む教皇猊下。


 周囲を取り込み、エインヘリア王に翻意させるということか。


 確かにそのやり方は我々の得意とするところではあるし、たとえ海の向こうの本国が合流してもエインヘリア王自らが翻意してしまえばそれ以上の戦いを望みはすまい。


「指示は出してあります。エインヘリア王はレグリア王国の元王女を寵愛している様ですからね。まずはそこから攻めます。それとは別に戦争の準備を進めなくてはなりませんが……それは第一報が正式に届いてからですね」


「今は裏で動く段階という事ですね」


「向こうはまだ知らせが聖地に届いたとは知りません。エインヘリアに宣戦布告を受けてから……会談があったのは今日の事ですからね」


「……」


 今日の会談内容を既に……?


 教皇猊下の耳が早い事は理解しているつもりだったが、まさかそこまでだったとは……。


 私の驚愕を感じ取ったであろう教皇猊下がにっこりと微笑む。


 何故私に手札を晒したのだろうか?


 何の理由もなくそんなことを教皇猊下がするとは思えないが……今後の布石なのかもしれないが、深く詮索することはしない方が良いだろう。


 必要があれば教皇猊下から話がある筈だ。


「エインヘリアは防諜能力が非常に高く、使節団にいる密偵以外は入り込むことが出来ませんでした。ドルトロス大司教のお陰で使節団は二つに分かれて動くことが出来ますし、この機に色々と工作したい所ですね」


「既に目を付けられているのでは?」


「ふふっ。確かに使節団は目を付けられているでしょうが、今回送り込んだのは今までと違い精鋭中の精鋭ですからね。いくらエインヘリアの防諜が優れていても今回ばかりは防げませんよ」


 送り込んだ密偵に相当自信があるのだろう。


 教皇猊下の浮かべる笑みは珍しく本物の笑みのように感じられる。


「向こうはこちらの密偵を完璧に封じ込める事が出来ていると油断しているようですし、色々と探らせてもらいましょう。いつものように現地の教会が使えればもっと楽だったのですが……」


 現地の教会では殆どエインヘリアの情報が得られなかったとドルトロス大司教から連絡が届いていたが、王都の方でもやはり同じような状況だったようだな。


「それと戦争に関してですが、まず間違いなく向こうから攻めてくる筈です」


 教皇猊下の言葉に私は頷く。


 エインヘリアが本国との合流を優先していないのであれば、攻めて来るのは間違いないだろう。


 現在の国力差を考えれば、守ったところで守り切れる筈がないのだから。


「聖騎士を四名、迎撃に回しましょう。そして別ルートで聖騎士一名を入れた軍をエインヘリアに向けて進軍させます」


 攻めはそれで良いとして、守りに四名も?


 そんな私の疑問を読み取ったのだろう、教皇猊下が笑みを浮かべながら言葉を続ける。


「送り込んだ密偵の話では、エインヘリア王は相当手強い相手の様です。聖騎士一人では恐らく勝てない、二人でも良くて五分五分……そういう見立てだそうです。なので四名投入します」


「英雄二人で五分五分……」


 想像していたよりも遥かにエインヘリア王は化け物のようだ。


 その上政治や謀略、諜報にも精通していて求心力もある。


 絶対に敵に回したくない相手だが、そんな相手からの宣戦布告……厄介なことこの上ないな。


「英雄譚か何かの登場人物のような存在ですね、エインヘリア王は」


 私の思考を読んだのか、教皇猊下がそんなことを言ってくる。


「恐ろしい話です。それでいくと我々は打倒される敵という事になってしまいますね」


「そうでしょうか?英雄譚には挫折が付きものではありませんか?」


「だとしても、最終的に試練を乗り越えるのが英雄譚でしょう?」


「我々は倒されるべき悪ではなく、英雄を導く側ではないでしょうか?」


「ふふっ、そうありたいものです」


 底冷えするような教皇の笑みを見つつ、私はこれから先の事を考えて憂鬱さを覚えると同時に一抹の不安を覚えた。


 エインヘリアに対して五名の聖騎士を導入する……つまり聖地に残る英雄は三名。


 もし、エインヘリアとの戦いが長引く様な事になれば、帝国がその状況を黙ってみているとは思えない。


 いや、そうでなくとも、エインヘリアに呼応して帝国が軍を起こすことも考えられる。


 その場合、三名の聖騎士で帝国を相手取る事は出来るのだろうか?


 ……帝国が相手であれば信徒を使うことが出来る。


 得ている情報からエインヘリアの方では効果が薄いかもしれないが、帝国領内であればいくらでも信徒を動かすことが出来るし、対エインヘリアにおいても戦いが長引けばそれだけ民に負担を強いる事となり……結果信徒を動かしやすくなるだろう。


 エインヘリア本国や帝国の事を考えれば短期決戦の方が良いが……戦後の事を考えると戦いが長引いた方が我々にとっては動きやすくなる。


 教皇猊下がどのような計画を立てているか……。


 エインヘリア王の周囲の心から攻めるとのことだったが……果たしてどのような決着となるのか、まだ私には見えない。


 ただ一つ分かっている事は、この戦いがどう転ぶにせよこの大陸全土を揺るがすものになる事は間違いないということだ。


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