第97話 その価値は
View of ドルトロス オロ神教大司教
「それは一体……」
急に世界から現実感が失われたような錯覚を覚える。
目の前にいるレイフォン殿も、寂れた食堂の個室であるこの部屋も、先程聞いた言葉も……全てが薄い膜の向こうにあるかのような……。
「言葉通りの意味です。このままでは、貴方はエインヘリア領内を出ることなく命を落とす。そうですね?」
「っ!?」
馬鹿な……!?
私の対応は、確かにエインヘリア王やエインヘリアに対しては失礼極まりない物だったが、だからと言って命を狙われるようなものかと言われれば否だ。
もし私の命を奪うのであれば……そしてそれがエインヘリア王の意向であるのならば、私は謁見の間にて拘束され、聖地にその首だけを送りつけられているだろう。
故に、レイフォン殿の言う私を狙う者というのはエインヘリアではない。
だが、オロ神聖国が私の命を狙う理由も……レイフォン殿には分からない筈だ。
しかし、レイフォン殿は相当先程の発言に自信を持っている……自信を持って死を宣言される身としては堪ったものではないが。
「何故……?」
「ふふふっ、分かっておいでだとは思いますが、我々エインヘリアが大司教殿の命を狙うと言う意味ではありませんぞ?貴方の命を奪うのはオロ神聖国」
「……」
「もう少し踏み込んで言うのであれば、教皇コルネイ」
「っ!?」
「勿論、直接手を下すのは別人ですがな」
「……何故……」
先程からその一言だけが頭の中を占める。
「驚きましたかな?しかし、驚くのは恐らくこれからですぞ?」
意地の悪い笑みを浮かべながらそう口にするレイフォン殿。
混乱した頭のまま、彼の同僚は相当苦労するだろうなどと言うくだらない事を考えてしまう。
「お、お待ちいただきたい。何故そのような話になるのでしょうか?」
「何故と言われましてもな……教皇は既に大司教を含む政敵を貴方に殺させました。まぁ、こちらも直接殺したのは貴方では無く、あの助司祭達ですがな」
「……」
「しかし、最初に聞いた時は驚きましたぞ?教会地下に拷問部屋があるなどと」
「っ!?」
な……何故地下祭儀殿の事を!?
「教皇の命でその政敵を生贄にした。教皇と言う立場に相応しい酷い醜聞ですが、まだそれは表沙汰になっていませんからね。今ならば大司教二人を友好の為にエインヘリアに送ったが殺された……そんなシナリオに変更することも可能ですし、その方が戦意高揚となって一石二鳥……いや、口封じも出来て三鳥と言ったところですか」
「……」
全て……全て分かっているのか……。
一切取り繕うつもりもなさそうな、愉悦に満ちた笑みを浮かべているレイフォン殿を呆然と見つめ返す。
「いやはや、羨ましいものですな。大司教二名の他にも司教や司祭を複数名使い捨てにする。我が国の現状ではとてもできない人材運用法です。我々はカツカツですからなぁ、本国が合流すればそれも一気に解消されるようですが」
「本国……」
「まぁ、陛下は本国の力を使うことなく、現状の手札だけでオロ神聖国と戦うつもりのようですがね。おかげで手足である我々は忙しさのあまり食事もあまり取れず、寝る時間も十分とは言えません。困ったものです」
笑みを消すことなくそう口にするレイフォン殿は、欠片も不満を持っている様には見えない。
エインヘリア王に仕える事が楽しい、そう思っている事がありありと伝わってくる。
……ダメだ。
謁見以降、ずっと混乱させられている。
エインヘリア王にレイフォン殿……何をどこまで知っている?
いや、どこまでがエインヘリア王の計算の内なのだ……?
それに本国……我々、いや、私はあまりにもエインヘリア王とその国について知らなさすぎる。
この地の教会も、オロ神聖国も、すぐに分かる様な表向きの情報しか得ていない。
無論、表向きの情報だけでも分かる事は少なくない。
民を遇し、貴族を廃す。
貧民に食事と仕事を与え、先へ進むための足掛かりを与えた。
滅びかけていた国を急速に立て直そうとしており、その手腕と行動によって信を集めている。
しかしこの国が、エインヘリア王がただそれだけの……民を優先し遇するだけの甘い存在でない事だけは確かだ。
得ている情報も、その精度……全てをその場で見ていたのではないかと言うくらい正確な上、会った事すらなかった私の心の内まで完璧に読んでいる。
恐ろしい。
分からない事への恐怖。
ここには居ない筈なのに、ここまであの威圧感が届いている様な息苦しさ。
全てを……私の頭の中までも支配しているのではないかと錯覚させるようなやり口。
現実なのか……?
今私が居るここは、本当に現実なのか?
謁見の間でエインヘリア王の姿を見た時に気絶して、まだ夢を見ているのではないか?
「随分と混乱されているようですが、大丈夫ですかな?」
「……」
私の混乱を明らかに楽しんでいる様子を見せているレイフォン殿に、何も返すことが出来ない。
今までオロ神教の高位司祭として様々な経験をしてきたし、その全てにミスなく対応して来たという自負があった。
しかし、今日一日でその自信は粉々になってしまったと言える。
「少し……整理させて貰えないでしょうか?」
「えぇ、えぇ、勿論。お手伝いいたしますぞ?疑問があればなんでも聞いて下さい」
「貴国がとんでもない諜報力と分析能力を有している事は分かりました。そしてその力でオロ神聖国やオロ神教の事を調べ上げている事も。確かにレイフォン殿のおっしゃる通り、私の状況はかなり厳しいと言わざるを得ません」
私がそう口にすると、先程まで浮かべていた笑みを抑え真剣な表情でこちらを見るレイフォン殿が頷く。
「私を助ける用意があるとおっしゃいましたが、それは何故でしょうか?オロ神聖国と戦う際に私が役に立つ事はほぼ無いかと」
「そうですね。戦うにあたって大司教殿が戦力になるとは考えておりませんが……申し訳ない。何でも聞けと言いましたが、その辺りは陛下とお話しいただけますか?」
やはり私を助けるのはエインヘリア王の意向で間違いないようだ。
教皇に贄とされる寸前といった私が何の役に立つかは知らないが、助けてくれると言うのであればその手を取らない手はない。
何らかの思惑があるのは間違いないが……そんなことは当たり前だし、それを知った上で上手く立ち回る事こそが肝要だろう。
ならば私がすべきは……。
「分かりました。では、その辺りの疑問は置いておくとして……私を助けるとはどうするのでしょうか?使節団の中には教皇の手の者が紛れ込んでおります。私がここに来たことは勿論、ここで話した内容もバレている可能性さえあります」
「ふむ、教皇の手の者ですか。確かに何人か紛れ込んでいるようですね。助司祭は全員そうですし、護衛の騎士と丁稚に一人ずつ。それから司教もそうですね」
それすらも把握していると……?
まさか、教皇のみが知る諜報機関の事も……?
「つまり先に帰した司教は……」
「えぇ、無事に帰還して……貴方が殉教されたことを周りに吹聴するでしょうね」
「……」
ここまで用意周到だとは……もしかすると、教皇は最初から私自身を殺すつもりだったのかもしれない。
そうだ……違和感は確かにあった。
教皇は私に、エインヘリアの意識をランティクス帝国に逸らす様に命じて来た。
しかし、その割に準備に時間をかけ、結果ランティクス帝国よりも謁見が遅くなってしまった。
それにエインヘリアへの対応……あの悪辣な教皇が、エインヘリア王の出自の可能性を一切考えずにあのような指示を出すだろうか?
エインヘリア王や畳み掛ける様な事態の変化に呑まれていたが……少し冷静になってみれば、不自然な点がかなり多い。
嵌められたのか?
私は教皇猊下に従順ではあったが、帝国方面を中心に影響力を強めていた感は否めない。
それが原因か……?
「まぁ、大丈夫ですよ。教皇の持つ諜報機関『スルラの影』は確かに優秀ですが、エインヘリア国内で我々を出し抜くことは不可能です。それに……こちらが得ている情報は、彼らの防諜を我々が上回っていることの証明にもなりましょう?」
「……」
まことしやかに噂されていた教皇の諜報機関……それを当然のごとくその組織の名前まで……しかし、スルラの影か……。
「スルラとは……?」
「私も知らなかったのですが、大陸北東部に拠を構える小部族の事だそうです。なんでも元は北西部のギボトゥス部族国から派生したのだとか」
「ギボトゥス……それが教皇と繋がっていたと?」
「ギボトゥス部族国とは切り離された者達ですので、そこは関係ないかと。しかし『スルラの影』は中々一筋縄ではいかない相手のようですな。何故教皇に付き従っているのかも分かりませんし……」
その台詞に私は小さな驚きと安堵を覚えてしまう。
「……貴国でも分からない事があるのですね」
「陛下がこの地に来てからまだ半年足らず……流石に万象を掌握するには時間が足りないようですな」
愉快気に肩を竦めるレイフォン殿だが……時間さえあれば全てを掌握できると考えているようだ。
大した自信だとは思うが、エインヘリア王にはそうさせるだけの雰囲気はある。
「……どうやって私を助けて下さるのかお聞きしても?」
「えぇ、そちらは私も聞かされているのでお答えできます。大司教殿には……とりあえず死んでもらうそうです」
再び厭らしい笑みを浮かべながら、レイフォン殿はそう口にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます