第96話 レイフォン卿



View of ドルトロス オロ神教大司教






「急なお呼びたてに応じて頂きありがとうございます、ドルトロス大司教殿」


 どこか胡散臭い笑みを浮かべながらレイフォン卿が私を部屋へと迎え入れる。


 ここはレイフォン卿が寄越した使者に指定された店だ。


 一国の重鎮がオロ神教の大司教を呼び出すの場所としては非常にみすぼらしい店ではあるが、今の私にそんな事を気にする余裕はない。


「いえ、問題ありません。途方に暮れておりましたし……お声掛けいただきとても助かりました」


「それは良かった。あ、先に謝っておきますが、店は変えられないのであしからず」


 そういって肩を竦めると椅子に座わりながら、レイフォン卿が私に椅子を進めて来る。


 その態度から、ここに来るまで考えていた予想が外れたことを悟る。


「何故店を変えられないのでしょうか?」


 要件は気になるが……とりあえず相手の話の流れに乗った方が良いと判断する。


 つい先程、自分の要件を優先して痛い目を見たばかりだからか、少し腰が引けているのかもしれない。


「あぁ、この食事処は見た目こそ貧相ですが、実は国営なんですよ。まぁ、表には出していませんが」


 つまりこの食事処はエインヘリアの諜報機関の一つと言う事か。


「防諜はしっかりしているので、堪った鬱憤を吐き出しても安心ですよ」


「ははは。しかし、この場で話した事はエインヘリアに全て筒抜けということではありませんか?」


「まぁ、そうなりますな」


 そういって肩を竦めるレイフォン卿。


 その姿は余裕に満ちており、現在の私の状況とは明らかに違う事を物語っているようだが……エインヘリアもそんな甘い状況ではない筈だ。


 虚勢と見るのが普通だが……いや、常識で考えて痛い目を見たばかりだったな。


 しかしそうなると、レイフォン卿の要件はなんだ?


 ここに来るまでは、エインヘリア王の宣戦布告に対して賛同しているのは表向きだけで、実は反対なのではないか?


 それ故、何らかの情報を携え神聖国に降ろうとしているのではないか?


 そんな都合の良い事を考えていたのだが、この様子は明らかに違う。


 レイフォン卿は今、明確にこちらよりも上の立場として話しかけてきている。


 間違いなく神聖国にとりなして欲しいと言う話ではない……となると、ここに来たのはエインヘリア王の意向に沿ったもの。


 いや、それは当然か。


 この店が国営なのだとすれば、ここでの会話は全てエインヘリア王に筒抜け……いや、諜報機関を総括しているのがレイフォン卿と言う可能性もあるか?


 ……ダメだ。


 この国に関する情報が少なすぎて予測すら立たない。


 逡巡を表には出すつもりはないが、レイフォン卿には筒抜けかもしれない。


 そのくらいこの人物は手強い相手だ。


「それにしても大司教殿、此度は災難でしたな」


「……いえ、真に災難だったのはエインヘリア王陛下と何も知らぬこの国の民でしょう」


「民はともかく陛下の方は……まぁ、本人以上に周りにとって災難だったでしょうな。陛下御自身は……能力的にはどのような状況に陥ろうと御一人でどうとでも出来るでしょうし、ちょっと遠出をしている程度にしか思っておられないかもしれません。実際、ほぼ独力で一月も掛けずに一国の王になっておりますからな」


「……正直申し上げれば、恐ろしいですね」


 私の言葉にレイフォン卿は満足気な笑みを見せる。


 あの謁見の間でもそうだったが、どうもレイフォン卿は以前に比べて皮肉っぽくなったと言うか……。


「確かにそうですな。私の知る英雄は多くありませんが、少なくとも陛下を敵に回すよりは他の英雄を敵に回した方が気が楽だと思いますよ」


「……確かにあの御姿を見てしまっては、否定しがたいですね」


 あの謁見において、私は何一つ自らの意思で行動できなかった。


 教皇の指示通り動き、エインヘリア王の思惑通りに動かされ……その狙い通りの結果に導かれ、そしてかつてない程の苦境に立たされている。


 全てが教皇のせいだと厚顔無恥な事を言うつもりはないが、それでも納得しきれない部分が多分にある。


 それを脱する為には……。


「レイフォン卿……エインヘリア王陛下は、本当にオロ神聖国……オロ神教と戦うおつもりなのですか?」


「はははっ、そのような冗談を言う方に見えましたかな?」


「……残念ながらそうは見えませんでした。しかし、だからこそ不思議なのです。確かにエインヘリア王陛下は傑物なのでしょう。ですが、戦争とは一人で行われるものではありません。貴方達はお諫めしなかったのですか?」


 状況への苛立ちから、詰問するような色が出てしまったがレイフォン卿は気にした様子もなく……いや、むしろより機嫌が良くなったかのように微笑む。


「勿論、我々の知る限りの情報は伝えてあります。その上で陛下が判断されたのでしたら、我々は全力で陛下の差配に従うだけです」


「……以前お話しした時、レイフォン卿は自ら考えて動かなければ領民を守る事は出来ないとおっしゃっていました」


 レグリア王国時代の話ではあるが、国を見限りオロ神聖国に着こうとしていたレイフォン卿と密談した時、唯々諾々と上に従っていれば民ごと破滅しかねないと言っていた。


 国の全ては救えずとも自らの領民だけは……そういった無力感と苦渋に満ちたレイフォン卿の姿を私は見ている。


 しかし、このままいけば……あの時恐れていた未来が訪れる可能性は、決して低くないのだ。


「残念ながら領主の任は解かれ、領地も没収されてしまいましたからね。民を守る重責からは解放されているのですよ。あぁ、それと先程から私の事をレイフォン卿と呼んでいらっしゃいますが、私はもう爵位を持たぬ身。その呼び方は正しくありませんな」


 そういって肩を竦めるレイフォン卿を私はじっと見つめる。


 いや、呼び方はこの際どうでも良い。


 そんな想いを込めて目を逸らさずにいると、レイフォン卿はゆっくりと椅子の背もたれに体を預ける。


「大司教殿、過去の話はもう良いでしょう。それよりも未来の話をするべきではありませんかな?」


「……未来と言いますと?」


「今日、我等エインヘリアは貴国およびオロ神教に宣戦布告をいたしました。つまり両国の未来は既に決まっております」


「……」


「しかし、大司教殿。貴方の未来は違います」


「どういう事でしょうか?」


 私の未来……このまま座していればエインヘリア国内で私は殺され戦意高揚に使われるのは、ほぼ間違いない。


 司教を先に聖地に戻すことで、その両方が殺されることを避けようと小細工はしているが……正直無駄な抵抗と言わざるを得ない。


 教皇の持つ情報網やその手の者の存在……それがどういった組織でどれほどの力を持っているのか、その影すらも見ることが出来ていない私では、逃げるという選択肢さえ選べないのだ。


「ふふふっ……我々には貴方を保護する用意があります。如何なる者の手からも貴方を守る用意が」


「っ!?」


 厭らしい笑みを浮かべたまま、レイフォン殿はそんなことを言ってのけた。


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