第95話 身動きの取れない大司教



View of ドルトロス オロ神教大司教






「まずは聖地に早馬を。宣戦布告を受けたことを早急に知らせて下さい。詳細は第二報を文章で送ると伝えるのを忘れないように」


「すぐに手配いたします」


 私の指示で助司祭の一人が表情を硬くしたまま部屋から出ていく。


「司教、申し訳ありませんが何人か連れて急ぎ聖地に戻って下さい。私もすぐに後を追いますが、エインヘリア国内の教会に対して指示を出しておかねばならないので少し時間がかかります」


「承知いたしました。ですが、その……」


 不安げな表情を隠さず口籠る司教に私は可能な限り柔和に見えるように微笑む。


「どうかしましたか?」


「その……大丈夫でしょうか?」


「エインヘリアとの戦争の事を心配しているのであれば問題ありませんよ。確かにエインヘリア王は英雄ではありますが、率いる国はオロ神聖国の三分の一にすら届かない小領。それにこの国の英雄はエインヘリア王ただ一人……聖騎士を有する我々が負ける事はありません」


「し、しかし、海の向こうにあるというエインヘリアの事もあります」


 真剣な表情で言う司教に私は笑みを絶やさずに頷いて見せる。


「そうですね……未知の敵は恐ろしくあります。しかし、オロ神の御加護がある我々が負ける筈もありません。違いますか?」


「……おっしゃる通りです。申し訳ありませんでした」


「不安に思うのも無理はありません。しかしあなたも信徒を導く立場にある者です、あまり不安を表に出さぬように気を付けて下さい」


「はい、御指導ありがとうございます。それでは御指示に従い、私は先に聖地に急がせていただきます。オロ神の導きのあらんことを」


「オロ神の導きのあらんことを」


 司教が頭を下げて部屋を出ていく。


 オロ神の御加護……残念ながら、聖地の者達にとってこれ程説得力の無い言葉は無いだろう。


 先程の司教も聖地所属、当然それで納得したわけではない。


 ただ、オロ神教の高位神官である我々がそのような不安を口にするなという裏を理解したに過ぎない。


 そしてもう一つ、先程の司教が心配していたのは……エインヘリアとの戦争の事ではない。


 エインヘリアを取り込むための使者として派遣されたのに、結果は宣戦布告を受けてしまった……その事実に対する不安だ。


 今回の使節団の中で、彼は私に次ぐ地位に就いているからな。


 責任を負わされるのではないかと恐れているのだろう。


 その事に関しては、先に帰してやるのだから上手くやれとしか言えんし、そこまで面倒を見てやるつもりはない。


 寧ろ今は私の進退……いや、命すら危ぶまれる状況だ。


 司教を先に帰したのは、ある意味で囮でもある。


 聖地に伝令を送るように命令を出しているが、恐らく私がそれをせずとも教皇の耳には宣戦布告の話が届くだろう。


 そうなった時、教皇がどういう行動に出るか。


 今回、使節団に同行していた複数名が儀式という名の処刑で死んでいる。


 勿論、それは教皇の指示ではあるが……エインヘリアとの国交が絶望的な現状、彼らを生贄に使ってしまったというのはあまり良い状況とは言えないし、何よりそれが教皇の指示だと知っている我々の存在は、教皇にとって致命的な弱みとなる……となれば、我々がどうなるかは想像に難くない。


 先に戻した司教、もしくは私……あるいはその両方が秘密裏に処理され、そしてその死はエインヘリアの仕業とされ戦意高揚に使われるのだ。


 当たり前ではあるが、教皇の為に命を捨てるつもりは更々無い。


 早急に手を打つ必要があるのだが、使節団の誰が教皇の手の者か分からない現状、迂闊な事は出来ない。


 手をこまねいていては、遠からず私は闇に葬られる可能性が高い……だからこそ早馬を出したり、使節団の者を司教と共に先に聖地へと移動させたりと手は打っているのだが、正直この程度で教皇の耳目を誤魔化せるとは思えない。


 帰りの道中でどうにか姿をくらませる手を考えねば……いくら教皇の耳目が凄まじい手練れだとしても、会談内容を教皇に知らせその指示を受けて戻ってくるのに今日明日でどうこうというのは不可能だろう。


 ここから聖地まで、早馬でも十日くらいはかかる筈。


 その倍の速度で動けたとすれば往復で十日……甘く見過ぎか?


 ……そうだな。


 隠し玉の英雄が居ないとも限らない……特殊な力で今すぐにでも教皇の指示を受け取っている可能性だってあり得る。


 常識にとらわれて命を落とすわけには……。


 そこまで考えた私は思わず自嘲的な笑みを浮かべてしまう。


 エインヘリア王を常識的に考えた結果が今の状況……つい先程の話だと言うのに、つくづく私は常識的にしか物事を考えられないようだ。


 それが原因で死ぬのかもしれないという状況に追い込まれていながらも……。


「大司教猊下?」


 私の様子に気付いた助司祭が声をかけて来るが、私は即座にかぶりを振ってみせる。


「いや、各地の教会にレグリア王国の元貴族達と繋ぎを取るように指示を出しておいて良かったと思いましてね」


「……そうでしたか。思案の邪魔をして申し訳ありません」


 この助司祭も、オロ神教の暗部の者だからな……間違いなく教皇の耳目の一つだろう。


 しかし、これは本命ではない。


 本命はもっと目立たないように潜んでいる筈。


 護衛か、或いは御者、丁稚……ダメだ、誰も彼も疑わし過ぎる。


 どうする……?


 交渉が決裂した時のプランも考えてはいたが、まさか相手がこの段階でここまで踏み込んで来るとは流石に思っていなかった。


 ここまで条件が悪い状況で、私の腹案を実行出来るだろうか?


 いや、厳しい……というか不可能だ。


 交渉が決裂したとしても、もう少し私自身がエインヘリア王と友好を築くことが出来ると考えていたのだが……交渉どころか最初の挨拶の時点で決裂してしまっては、友好も何もあったものではない。


 エインヘリア王は思った通り……いや、それ以上に理知的な人物だった。


 エインヘリアの裏を知ってしまえば、我々のやったことは相手を呼びつけた上にその顔に唾を吐きかけたに等しい行為だ。


 だというのに、勘気を一切見せず終始冷静……いや、余裕さえ伺えたと言える。


 手にしている情報の差もあったが、何より役者が違い過ぎたのだろう。


 ダメだ。


 進むことも退くことも出来ない……いや、それどころか身動きが全く出来ない状況と言える。


 早く考えを纏め、動かなければ……そんなことを考えている内に、いつの間にか随分と時間が経っていたようだ。


 窓から差し込んで来る日が赤みを帯びている。


 しかし、部屋の隅にいる助司祭は一切動いた様子がない……暗部の者は大抵命令があるか、何かが起こらない限りそういう物だが……。


 そんな人形のような助司祭に水を頼もうとした瞬間、扉がノックされ助司祭が動き出す。


 水を頼むタイミングを失した私は、椅子から立ち上がりテーブルの上に置いてある水差しに手を伸ばそうとして……。


「大司教猊下。秘密裏に面会をしたいと申し出ている者がいるようです」


「秘密裏に……?誰ですか?」


「セルニオス=ソルティオス=レイフォン卿です」


 レイフォン卿……?


 要件はさっぱり読めないが、現状を打破する為の切っ掛けとなるかもしれない。


 少なくともここで考えているだけでは、座して死を待つのと変わらない……。


 私はレイフォン卿と会う事を使者に伝えるように助司祭に告げた。


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