第89話 旅する大司教



View of ドルトロス オロ神教大司教






 この歳になっての長旅は、十全に整えられた環境と周りのサポートがあっても命の危険は非常に大きい。


 大規模な護衛がいる為魔物や野盗等の襲撃はさして怖くもないが、病や事故は護衛がどれだけいようと関係ない。


 歳が歳なだけに、体力の低下による病は気を付けていても罹る時は罹るし、下手をすればそのまま死ぬ。


 天候によって引き起こされる事故は、神ならぬ人の身では避けられよう筈もない。


 そんな死と隣り合わせな旅路もあと少しと言ったところだ。


 幸いここに来るまで病気にかかる事は無かったし、同行している者達にも脱落者は出なかった。


 とはいえ、順風満帆な旅路だったかと言えば必ずしもそうでは無かった。


 とにもかくにも、道中一番辛かったのは……腰だ。


 聖地からここまで、大司教という地位に見合った非常に乗り心地の良い馬車を使ってきたが、正直初日から腰が辛くて仕方なかった。


 馬車が止まるたびに癒しの魔法をかけているが腰痛のような慢性的な痛みには効果が薄く、気休め程度の効果しか得られない。


 腰の痛み、膝の痛み、肩に首に頭に……本当に年を取ったと実感するが、大司教と言う地位まで上り詰めたというのに、やっている事は結局使いっ走りだ。


 あの教皇が生きている限り、この状況は変わらないだろうが……あの化け物をどうこうする等とは考えるべきではない。


 あれは敵対することを考えるだけでも危険な存在だ。


 どうやってかは知らないが、かの教皇の敵対勢力は悉くが死んでいる。


 教皇のみがその存在を知る諜報機関があるとまことしやかに噂されているが、そんな噂が信じられてしまう程、教皇は不自然に情報を掴んでいるし……その結果も誰の目にも分かるように表沙汰になっていた。


 しかも表沙汰になるのはその結果だけで、誰が何時どうやって……それらの情報は常に闇の中なのだ。


 恐らく……いや、確実にこの使節団の中にも教皇の耳目が存在している筈。


 聖地ではないからと油断して、迂闊な事を言おうものなら即座に教皇の耳に届くことだろう。


 年齢の割に良い耳だ。


 教皇はかなりの高齢……後五十年くらいは余裕で生きそうなほど生気に満ちているし、私の方が先に寿命が尽きそうだが……普通に考えれば、遠からず死んでくれる筈なのだ。


 現時点では従順に動くことが最善だろう。


 ふぅ……そういう訳で、今は与えられた仕事をしっかりとこなすことを考えなければな。


 現在我々はエインヘリアと名乗る国の領内を移動している。


 道中の街や村は非常に貧しくみすぼらしいものだったが、その割に教会や我々に助けを求める者が居なかった。


 どうやら国が大規模に配給を行っているようだが……レグリア王国を乗っ取ったこの国にそれほどの財源は無かったはずだ。


 いや、そうか……貴族共から接収した財貨があったな。


 救いを求めてこない民衆もそうだが、同時に我々を歓待する貴族達もまたこの国から姿を消していた。


 貴族を廃し民に施す……ある意味我々と近いやり口といえるが実践するのは簡単な話ではない。


 財力と暴力……その両方を兼ね備えた貴族を制するには、それを上回る圧倒的な力が必要となるが、それについてはわざわざ考えるまでもなく答えはシンプルだ。


 英雄を制することが出来るのは英雄のみ。


 かつて、その力の恩恵を受けていたレグリア王国の貴族に取って、それが自分達に向けられる恐怖は想像を絶するものだろう。


 無論若い貴族達は英雄と言う存在の桁外れな力を伝聞でしか知らないだろうが、それでも軽視する者はいない筈だ。


 ……いないと思うが、まぁ、現実を見ない愚か者は少なからずいるからな。


 そういった者達が兵を挙げて、あっという間に返り討ちにあったと言う話はこの国の教会から聞いている。


 そう……情報だ。


 一番の問題はそれだ。


 不自然なまでに王都の情報が手に入らない。


 可能な限り各地の教会から国境付近に人を集め情報を得たが、既知の情報しか得られず、また召喚から時間が経てば経つ程情報が少なくなっていくのだ。


 これは確実に召喚された英雄が国内の諜報関係を掌握しつつあると言う事……いや、既に掌握していると見て間違いない。


 あらゆる意味で今回召喚された英雄は規格外だ。


 政治手腕、諜報力、統率力……それらを非常に高い次元で兼ね備えているようだ。


 ただ穴が無いわけではない。


 民達の歓心を得る為に、貴族を廃したことで旧体制の権力者たちを完全に敵に回しているのだ。


 民に比べれば数は少ないが、連中の横のつながりは馬鹿に出来ない。


 集めた者達には、不満を持っている元貴族連中に繋ぎを取るように指示を出してある。


 必ずしも必要な仕掛けではないが、英雄の出方次第では必要となるだろう。


 まぁ、賢明な者であればオロ神聖国、そしてオロ神教を敵に回す愚かさは理解出来る筈だ。


 教会への対応は、敵対的なものこそ見せていないが、積極的に近づいてくる様子もない。


 レグリア王国時代の貴族が全員排斥されたわけではなく、今もそれなりの地位に就いている者も少なからずいる。


 特に、我々と繋がりを持ちレグリア王国を裏切る算段を着けていた者達の中で今も国の中枢にいるのが、セルニオス=ソルティオス=レイフォンとエリストン=チャールソン=ラングの二人だ。


 レイフォンは元々王女の相談役として中枢に近い位置に居たが、ラングは完全に地方貴族であった。


 両名とも抜け目のない性格で、レグリア王国を併合した後もそれなりの地位に就ける予定ではあったが、見事に我々を裏切ったと言える。


 この国がエインヘリアと国を改めて以降一切連絡を取ることが出来なくなったのだから、間違いないだろう。


 しかし、そういう連中だからこそ、我々の事が良く分かっている筈だ。


 同時に、英雄召喚の裏に我々が居た事も王となった英雄にはバレていると見て間違いない。


 しかしその事自体は想定済みだし、何より側近として傍に置いている二人が必ず我々と敵対することを止めるだろう。


 いくら英雄といえど、重用している側近から諫められればその怒りを呑み込まざるを得ない……筈だ。


 一瞬聖地にいる聖騎士の事を思い出し疑念が生じたが、この国の民を重んじた施策を見れば、王となった者が恣意によって動くタイプでない事は明らか。


 側近の意見を蔑ろにするようなことはないだろう。


 それに、謝罪の品も……用意しているしな。


 だが……ランティクス帝国から使節団が送られてくるのは予想外だった。


 あの国は英雄帝という絶対者が君臨しているにも拘らず、その政治は皇帝を除いた貴族や王族によって運営されており、動き出しが非常に遅い。


 例え使者を派遣したとしても、初動や距離を考えれば我々の方が先に到着すると思っていたのだが……召喚された英雄が王となっている事で、英雄帝の関心を買ってしまったと言ったところだろう。


 帝国の動きの速さこそ予定外だったが、計画に変更はない。


 この国を使い、ランティクス帝国に圧力をかける。


 可能であればオロ神教に英雄を取り込みたい所だが、流石にこの状況でそれを望むのは危険すぎるだろう。


 ヒエーレッソ王国のような属国に出来れば最上の結果だが、それも厳しい……この国にはヒエーレッソ王国とは違い英雄がいる。


 無論我々も聖騎士と呼ばれる英雄を複数所有しているし、経済力も軍事力も小国に過ぎないこの国とは比べ物にならない。


 確実に我々が有利な条件で同盟を結ぶことが出来るだろう。


 しかし、それをしっかりと認識させたうえで、表面上は対等な同盟を結ぶのが最良だ。


 今はそれで良い。


 時が経てば経つ程、我々の大きさを実感として認識出来る筈だ。


 そうなった時、改めて交渉をすれば良い……今は兎に角召喚したと言う事実に対し謝罪と賠償をして、怒りを宥める必要がある。


 こちらの誠意をしっかりと見せ、その上で矛先を変える……本来であれば、召喚後すぐに動きたかったのだが、これを機に敵対勢力を削ろうとする教皇の命があった為、これ以上早く動くことが出来なかったのだ。


 まぁ、私にとっても……今回の仕事の難易度こそ上がってしまったが悪い話では無かったからな。


 教皇が率先して敵対者を減らしてくれるのであれば、私自身が恨まれることもない……とは完全には言い切れないが、それでも率先して動くよりは遥かにマシだ。


 さて、そろそろ余計なことを考えるのは止めよう。


 王都までは数日しかない。


 得られた情報は少ないが、それを精査しなければならないのだ。


 この国の王がどういう人物で、今回の交渉をどのような流れで組み立てるか……全てはこの時に掛かっていると言っても過言ではない。


 当然ながら楽な相手ではないし、手を抜こうものなら……下手をすれば私の首が物理的に飛ぶ。


 しかし、危険が多いからこそ見返りも多い。


 教皇に次ぐ権力を得る事も、けして無理な話ではないのだ。


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