閑章

第69話 土いじり子爵の秀麗な一日



View of ヘルミナーデ=アプルソン スラージアン帝国子爵






「御無沙汰しております、お嬢様」


「……毎日顔を合わせているではありませんか」


 執務室で書類仕事をしていると、相変わらず訳の分からない事を言いながらセイバスが部屋に入ってきました。


「そうでしたか?なんだか随分と久しぶりな感じがしたのですが……」


「意味が分かりませんわ。それよりもセイバス、帝都から果物増産の話が来ていますわ」


 わたくしは丁度処理していた書類をセイバスに渡しながら言います。


「果物ですか。品目は……イチゴとメロンとブドウですか。畑の拡張が必要ですね」


 イチゴは前回も増産したのですが……随分と消費が多いですわね。


 陛下のお気に入りとのことですし、色々と新作のデザートを開発しているとのことですし、需要が高まっているのでしょう。


 まぁ、土地はいくらでもありますし、新しく畑を作るのも領民の皆さんが手を貸してくださいます。


 畑の拡張事態はすぐに出来るで問題はありません。


「そうですわね。エインヘリアへの申請書類が……これですわ」


 わたくしは先程まで書いていた書類をセイバスに渡します。


「確認いたします……ふむ、帝都の要求より種類が多いようですが?」


「追加分は、以前バンガゴンガ様より提案された物ですわ」


「トウモロコシですか。確かに使い勝手の良い野菜ですね」


「小麦の代わりにもなるとか?」


「えぇ。単純に茹でて食べても非常に美味ですし、お嬢様がおっしゃったように粉にして小麦の代わりに使う事も可能です。味わいは少々違いますが」


 どうやらセイバスは、エインヘリアでトウモロコシを食べたことがあるようですわね。


 教員同士の付き合いもあるでしょうし、その事自体はどうでも良いのですが……せめてエインヘリア特有の野菜や果物の情報だけは共有して欲しいですわね。


「因みにこちらトウモロコシを利用したレシピでございます」


「……トウモロコシの件、知ってましたの?」


「バンガゴンガ様のお勧めですから。当然私も個人的にリサーチしておりました」


「もう少し早く報告して欲しかったですわ。新しい作物ですし、それなりに悩みましたのよ?」


「バンガゴンガ様のお勧めなのですから、お嬢様がバンガゴンガ様から聞いた情報で判断されるのがよろしいかと。私がレシピを調べたのは導入後の事を考えてのことですので」


 ……そう言われると、ちょっと文句がつけにくいですわね。


 いえ、バンガゴンガ様であれば、自身でちゃんと調べて判断することを寧ろ喜ばれるでしょう。


「そうですね。ご自身で調べたのであれば、バンガゴンガ様は感心こそすれど文句を言ったりはしますまい。ご自身で調べたのであれば」


「……」


「ご自身で……」


「しつこいですわ!」


 無表情でどや顔をするセイバスに無茶苦茶腹が立ちますが、言っている事は正しいので口で文句を言うだけにしておきますわ。


 ただ、セイバスが無表情なのに勝ち誇っていると分かる顔をしているのが物凄くムカつきます。


 非常に憎々しいですが……淑女として、ぐっと堪えてみせます。


「土ばかり弄ってないで、心の機微にも気を使って欲しいものですな」


 大丈夫、まだ我慢できます。


 ……あら?いつの間にか手に持っていたペンが粉々になっていますわ?


 不思議な事もあるものですわね。


「今月末は帝都で皇帝陛下主催のパーティがあります。貴族の集まるパーティです。当然求められるのは土いじりのスキルでは無く礼儀作法や会話のスキル……大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫ですわ……」


 めちゃくちゃ不安ですわ!セイバスの煽りが全く気にならないくらいに不安しかありませんわ!


 折角、仕事に没頭して忘れていたというのに……いえ、ただ現実逃避していただけで何の解決にもなっていないのですが。


「さぼ……」


「お嬢様は、皇帝陛下の直臣。欠席をして陛下の顔に泥を塗る様な真似は……」


「当然しませんわ!」


 あぶねぇところでしたわ!


 アプルソン家は既に地方の弱小貴族ではありません。


 権力は無いに等しいですが陛下の直臣となった以上、相応の立ち居振る舞いというものが必要です。


 勿論、礼儀作法は問題ありません。


 なんせ……エインヘリアに留学生としていくことになった時点で、それはもう徹底的に叩き込まれましたもの……。


 ……思い出すだけでブルっちまいますわ。


「それはようございました。先日、エインヘリア王都にてパーティ用の服を発注しておいたので、無駄にならずに済みました」


「パーティ用の?わたくしのドレスは陛下から下賜して頂いた物が大量にありますわよ?」


 礼儀作法の特訓と合わせて正装もものすごい数を用意してもらっています。


 パーティ毎に違うドレスを着ても、死ぬまでドレスに困る事は無いと思いますわ。


 いえ、毎回違うドレスを着るように言われていますが……うぅ、勿体ないですわ。


 保管料にメンテナンス料もかかります。


 まぁ、お金に関しては……陛下の直臣となって年金が貰えるようになりましたし、野菜や果物の販売で相当儲かっているので苦労は全くしていないのですが……身に付いた貧乏性はちょっとやそっとでは拭えませんわ。


 って、それよりもドレスですわ。


 何故セイバスはあんなにドレスがあるのに新しいものを?


 流行りとかそういう事ですの?


「……?」


「?」


「???」


「……」


「……」


「何か言いなさないな!」


「何か……ですか?そうですね……ビトンさんの奥様が第三子を御懐妊されたそうです」


「それはおめでたい事ですが、それは違いますわ!」


「他の話題となると……」


「ドレスの件ですわ!」


「どれ……す?」


 何を言っているのか分からないみたいな表情をするセイバスに、全力でインク入れを投げつけます。


 勿論、蓋は締めた状態ですわ。

 

 セイバスは事も無げにあっさりとそれを受け止め、あろうことかインク入れの蓋を開けて投げ返してきました!


「ちょっ!?」


 執務机に向かって書類仕事をしていたわたくしに、当然逃げ場等というものはなく……セイバスの投げたそれを受け止めるしかありませんでした。


「なんてことするんですの!」


「まぁ、落ち着いて下さい。流石にインク入れは投げていませんよ?」


「分かっていますわよ!でも貴方の投げた蓋の裏にもべっとりとインクがついてましてよ!?」


「おや、気付きませんでしたね」


 肩を竦めるセイバスに殺意が湧きます。


「貴方、投げる前にわざわざインク入れをひっくり返して、蓋にインクをつけていましたよね!?」


「……そんなことよりも、お嬢様」


「主人をインク塗れにしておいて、そんな事よりも!?」


「注文したのは私の服です」


「……?」


 何の話ですの?


「お嬢様がパーティに行っている間、私も帝都の夜をエンジョイしなければなりませんので」


「本当に何の話ですの!?」


「エインヘリアで注文した私の服の話ですが?」


「……服」


 服……あぁ、そういえばそんな話でしたわね。


 インクのせいで全部飛んでましたわ……。


「最初にインク入れを投げたのはお嬢様ですよ?」


「……」


 そうですけど……物凄く腑に落ちませんわ。


「しかしお嬢様、貴族の集まるパーティとなれば、考えなければならない事があります」


「……考えなければならない事ですの?」


 蒸し返したところでセイバスは意にも解さないでしょうし、わたくしはこのまま話を進める事にします。


 手に着いたインクは拭きますが。


「お嬢様は子爵家の当主。年齢的にもそろそろ伴侶を見つけるべきではありませんか?」


「そ、それは……」


 突然投げつけられた現実に、わたくしは咄嗟に言葉を返すことが出来ません。


 確かに、必要がないとは言えませんわ。


 ですが……。


「以前までのアプルソン領であれば、婿入りして下さる方であれば誰でも構いませんでした。ですが、今はそういう訳にはいきません。その事は以前にも話したと思いますわよ?」


 今のアプルソン領は、帝国だけでなくエインヘリアにとっても大っぴらには出来ない地です。


 そこに他家の者を入れるのは、両国にとって非常にリスクが大きい行為と言えましょう。


「確かにそうではありますが、お嬢様が皇帝陛下の直臣になったことは貴族達の間でも噂になっております。間違いなく接触があるかと」


「わたくしが留学して以降、陛下主催の大きなパーティは今回が初めてですものね。セイバスの言う通り、何かしらあってもおかしくはありませんわね」


「というわけで」


「?」


「お嬢様の好みのタイプについてお聞きしても?」


「何故ですの?」


 何がという訳なんですの?


「お嬢様の好みを知っておけば、牽制もしやすいですし、狙った獲物だけをお嬢様の元に運び込めるかと」


「狩りでもするつもりですの!?」


 まぁ、貴族の女性にとってパーティーは狩場みたいなものですが……。


 わたくしは違いますわよ?


「高位貴族の集まる皇帝陛下主催のパーティは、男性にとっても女性にとっても戦場です。そのように暢気な事を言っていては……死にますよ?」


「死ぬんですの!?」


「死にます。平均して五、六人の貴族が毎回死んでいるそうです」


「帝国の貴族が絶滅しますわ!?」


 いくら帝国が広大で貴族の数が百で足りない数いるとしても、パーティ毎に平均五人も死んでいれば数年と持たずに貴族がいなくなるでしょう。


「まぁ、どうでも良い話です」


「よくありませんわ!?」


「そんなことよりも、お嬢様の好みの話です」


「まだ続いてましたの?」


「お嬢様がイケメン好きな事は知っています」


「まぁ……否定はしませんが……」


 というかとても好きですわ。


「そう私のようなイケメンが」


「それは全力で否定しますわ」


 セイバスがイケメンな事は否定しませんが、性格が終わってますわ。


 こんなのを伴侶にしたら休まる時がありません。


「まぁ、お嬢様に好意を持たれても鬱陶しいだけですが」


「鬱陶しい!?」


 嫌だとか困るとかならともかく、鬱陶しい!?


「私の好みはキュ、ボン、ドンですので」


「……まぁ、人の好みに口は出しませんが……」


 マニアックすぎませんこと?


「さて、私も性癖も晒したのです。お嬢様をここはドドンとぶちまけては?」


「この流れで好みを語るのは物凄く嫌ですわ」


 っていうか、何でセイバスにそんなことを……。


「そもそも。わたくしのお相手をパーティで見つけるのは難しいですわ」


 初めて会った相手……しかもわたくしが陛下の直臣となったことで近づいてきた相手です。


 とてもではないですが、田舎の小領主に過ぎないわたくしが海千川千の貴族達を相手取って本心を見抜き立ち回れるとは思えません。


 ならば最初から全ての方々がわたくしを騙しに来ていると考え、全てをお断りする方向で進めた方が良いですわ。


「お嬢様の婚姻については帝都の方でも精査されるでしょうし、余程の事がない限り変な相手に許可は下りないかと」


「確かにそうですわね」


 陛下やリズバーン様達にその辺りはしっかり監視されているといっても過言ではありません。


 ……それはつまり、迂闊な方を選ぼうものならわたくしの評価にも関わってくると言う事ですわよね?


 ……ちょっとどころじゃなく先行きが不安になってきました。


「そんなお嬢様に、私が良い婿殿を探してこようかと」


「貴方の紹介なんて、碌な事にならないと思うのだけれど?」


「これは心外な。当然、お嬢様の事は頭の片隅に入れつつ、私に最大限利益が出るように動きますとも」


 何故この男は臆面もなくそんな台詞を爽やかに言えるのでしょうか?


「清々しいまでに自分ファースト宣言ですわね」


「お任せください。イケメンで真面目。将来性がありつつも婿に入る事を厭わず、イケメンでありながら秘密を絶対に……自身の家にさえ秘密を明かさず、アプルソン家の事を一番に考えられる、イケメンで年下の御仁。そんな方を見つけてみせますとも」


「イケメンイケメンしつこいですわ!大事なのは……」


「顔ですね」


「違いますわ!」


「お任せください」


「任せらんねーですわ!」


 結婚相手云々はさて置き、パーティは憂鬱ですがこれも仕事。陛下に迷惑をかけないように気合を入れていかなければなりませんわね。


 婿探しとか……今はどうでも良いですわ。


「あ、ビトンさんの家にお祝いを用意しませんと……」


「僭越ながら、私の方で用意いたしました」


「あらそうなの?では後で持って行きましょう」


「畏まりました」


 わたくしはインクで汚れた手が綺麗になったことを確認してから、書類の続きに取り掛かりました。


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