第66話 飛びムカデ
View of ライノール=ミリア=ヒルマテル ヒエーレッソ王国公爵 王弟
「エインヘリアの王があの魔物を討伐したと言う事だろうか?」
先程までムカデの姿の見えていた地点を見ながら、私はカウルン殿に尋ねる。
「エインヘリア王陛下が現地に到着したと考えるのが自然ではありますが、些か早すぎる気もしますな。エインヘリア王陛下だけであれば到着していてもおかしくはありませんが、メイドとセリオール子爵が同行していますからね……」
「ふむ。ここから見るとそこまで離れている様には見えんが……」
森には魔物がいるし……やはり移動するだけであっても時間がかかるのだろう。
「先日の大侵攻の影響で魔物はその数を減らしている筈ですが、森の中は非常に移動が困難です。大きく迂回せねば進めぬような場所もありますし、常に魔物への警戒が必要なので精神的にも肉体的にも激しく疲労します。エインヘリア王陛下達がこの砦を出てから三刻程でしょうか?私達であれば、中層に辿り着けるかどうかといった頃合いです」
「それほど森は移動しにくいのか……」
私の想像以上の苛酷さがあの森には広がっているようだ。
今更ながら、英雄とはいえそんな場所に他国の王を送り込んでしまったのはマズかっただろうかと思う。
いや、あの巨大なムカデの元に向かわせている時点で本当に今更だな。
「エインヘリアの王が戦っているのだろうか?」
「その様子は無いようですが……」
私が尋ねると、真剣な様子で遠見の魔道具を覗き込みながらカウルン殿が応える。
あれ程の巨体が戦闘をしていれば、この距離からでも何らかの痕跡が見えるだろう。
それが無いと言う事は……戦闘が起きていない……もしくは最初の一撃で全てを終わらせた?
「確か、エインヘリアの王はドラゴンを一撃で倒したのだったか?」
「正確には二撃です。最初の一撃で空を飛ぶドラゴンの翼を断ち、地に落ちたドラゴンの首を次の一撃で……」
「……あの巨大ムカデを最初の一撃で倒してしまった可能性は?」
「十分にあり得るかと」
「ならば、姿が見えなくなった時点で倒してしまったのかもしれんな」
楽観的な私の言葉に、カウルン殿は難しい表情を崩さずに魔道具で森の奥を見ており、私達の周りでは緊張した面持ちで、兵達が忙しそうに動き回っている。
……いかんな。
戦場の空気というか、この緊張感に耐え切れそうもない。
外交の場とは違った緊張感は、この場にいるだけで精神をどんどん削っていく。
楽観的な言葉を口にしなければ、平常心を保てない程に。
「……エインヘリア王陛下であれば不可能ではないと思いますが、確認が取れるまでは警戒を厳とする必要があります。最低でも今日一日は厳戒態勢を解くことは出来ません」
「一日か……分かっていたつもりだったが、ようやく実感できたな。実際に戦闘を行う事だけが戦いではないと」
「現地で戦闘を行う事も、命を賭けて情報を集める事も、そして前衛が十全に戦う為に兵站を整える事も、全てが戦いです。ヒルマテル公爵や陛下が後方を支えてくれるからこそ、我々はこの地で為すことを成せるのです」
魔導具から顔を外し、温かみのある笑みを見せながらそう口にするカウルン殿。
その表情に少しだけ緊張が解れるのを感じる。
……どうも、子供の頃をしられているからか、兄とカウルン殿には頭が上がらないな。
しかし、それはそれとして……後方を預かる我々が頼りないのは事実。
とてもではないが後方を支えられているとは言い難い。
「……苦労をかける」
「皮肉ではありません。本心から感謝しております」
「……」
そう言ってもう一度微笑んだカウルン殿は森へと視線を戻す。
相変わらず森は静かで何かが起こっている様子はないが、防壁に詰める兵達の緊張感は依然変わりない。
恐らくレグリアの元王女も部屋から森を見ているだろう。
ふと、彼女がどのような心境で森を見ているのか気になった。
不安を覚えているのか、それとも午睡が出来る程にリラックスしているのか……何となくだが後者のような気がする。
元王女でありながら陛下と共に他国までやってくるような人物だ。
大胆さと強かさ……それに何より自身の父親相手にクーデターを起こし失脚させることを厭わない意志の強さ。
彼女もまた英傑の一人と呼べる人物なのかもしれない。
もし、クーデターの後召喚が行われずに彼女が女王として国を治めていたらどうなっていただろうか?
国の状態はボロボロで、神聖国と帝国の手は伸びている。
我が国と違うのはクーデターを起こすことによって、神聖国や帝国の息がかかっていた権力者を一掃出来たというところだ。
……いや、陰険な連中だからな。
クーデター側にも手を伸ばしていたかもしれない。
やはり厳しいか。
根本的な国力の差があり過ぎる。
時間があれば立て直せたかもしれないが、帝国も神聖国もそれを許さないだろう。
両国が自勢力に取り込もうとして……そこで上手く立ち回る事が出来ればあるいは……。
そんな事を考えていたところだった、急にあたりが騒がしくなり緊張感が増した。
私は急ぎ森へと視線を向け……ムカデが再び体を天に向けて伸ばしているのを目撃する。
「倒してはいなかったか……」
「そのようですな……しかし、戦っている様子にも見えません。もしかしたら、まだ現地に到着した訳ではないのかもしれませんな」
「……もどかしいな」
エインヘリアの王がムカデの元に辿り着いているのかどうかさえ、ここからは分からない。
狼煙でも上げてくれれば伝わるのだが、流石にムカデの傍でそんな目立つ行為はさせられない。
ムカデは匂いに敏感だと聞いた覚えもあるし、余計なことをすべきでは無いだろう。
「こればかりはどうしようもありません。私達に出来るのはエインヘリア王陛下を信じながら、警戒だけは怠らないようにするだけです」
「苦しい時間が続くな」
「辛抱強くなければ守将は務まりませんので。年を取ったからこその強みですな」
「私ももう若くはないのだがな」
苦笑しながら私が言うと、一瞬だけこちらを見たカウルン殿の目元が緩む。
何か言いたげな雰囲気ではあったが、私はそのまま言葉を続ける。
「交渉事であれば辛抱強くやれる自信はあったが、戦場においては勝手が違うな」
「私は交渉の場では全くの役立たずです。各々の戦場で十全に力を発揮することこそが肝要かと」
「……カウルン殿がもう少し政治方面でも力を貸してくれれば助かるのだがな」
西方将軍であるカウルン殿は政治的な力を持っていないが、それでも中央への影響力が無いという訳ではない。
寧ろ、いざ動けばかなりの発言力を有しているだろう。
だからこそ、この地に封じ込められているとも言えるのだが……いや、カウルン殿が中央への意思を見せれば暗殺されかねない。
カウルン殿はこの地に絶対に必要な人材。
無理をさせるのは得策ではないだろう。
「魔物相手であれば動きも読めるのですが、人相手は中々……ですな」
痛みに堪える様な表情をしながら、ムカデから視線を外さないカウルン殿。
その横顔から視線を外し、私も目を凝らす様にしながらムカデを見る。
「……また身を沈めたな」
「どれほど巨体であったとしても生物には違いありませんし、動くのは普通だとは思いますが……落ち着きませんな」
「……」
強大な相手の一挙手一投足に注目し、その言動に運命を左右される。
……我が国を取り巻く状況はどちらを向いても同じだな。
心の中でため息をついていると再びムカデがその姿を現す。
「昨夜に比べて随分と落ち着きがないようだな」
「そうですね……ですが、戦っている感じではありませんし、火を噴く様子もありません。ただ身じろぐだけであれば、こちらとしては……?」
ムカデから視線は逸らさずにそこまで口にしたカウルン殿が、怪訝そうな表情をしながら言葉を止めた。
「どうかし……っ!?」
私が疑問を口にしながらムカデの方に視線を向けると、ムカデが天に向かって大きく伸び……いや、飛んだ!?
「ムカデが飛んだ!?」
翅もないムカデが飛ぶ!?
なんだそれは!?
いや、相手は常道の存在ではない!
飛んだというのであれば飛べる存在だったというだけの事!
問題は飛び立ち、何処へ向かうかという事だ!
「防衛兵器をいつでも撃てるように準備!魔法使いは火に対する防御魔法を!」
カウルン殿が即座に指示を出すと周囲の兵達が即座に動き出す。
あれ程の魔物を前にしながらも慌てることなく忠実に動く兵達に頼もしさを覚えるが、あの姿を見てしまっては一欠けらも安心出来ない。
「……こちらに来るか」
魔道具を覗き込みながら呟くように言ったカウルン殿の言葉が腹の底に重く落ちて来る。
エインヘリアの王は間に合わなかったということか……。
いや、空を飛ぶドラゴンを斬ったという話だったし、森からムカデを撃退してくれる可能性も……。
そんな願いもむなしく……ムカデは悠々とこちらに向かって真っすぐに飛んで来る。
……陛下、申し訳ありません。
私は恐らくここで死にます。
ただ、砦がこのまま壊滅したとしても、恐らくエインヘリアの王であれば我が国を無下にはしない筈。
寧ろこの事を責任に感じてくれるやもしれない。
もしそうなれば、私も無駄死にではない……この砦にやってきた目的は果たしたと言えるだろう。
そんな、何処か達観したような感情を覚えながら凄まじい勢いで飛んでくるムカデを見る。
アレがこの砦に到着した時、どのような惨劇が起こるのか。
魔物との戦いを知らぬ私では想像すら出来ないがあれ程の速度だ。それを目の当たりにするのはそう遠くないだろう。
そんな覚悟とも諦観とも言えぬ思いを抱いていたのだが、悠然と空を飛ぶムカデは森と荒地の境目あたりで高度を下げ始める。
上空から襲い掛かってくるわけではなさそうだが……普通のムカデも中々動きが早いからな……油断は出来ない。
恐らく砦に居る全ての者が固唾を飲んで見守る中、ムカデは大地に降り立ち……その背中から何かが落ちた。
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