第65話 危機感
View of ライノール=ミリア=ヒルマテル ヒエーレッソ王国公爵 王弟
今朝早くエインヘリアの王とメイド、そしてカウルン殿の副将である子爵が森の最深層へと向かって行った。
たった三人で森……しかも最深層に向かうなぞ、自殺以外の何物でもないと森を知る者達は言うだろう。
しかし、この砦にいる者でそれが不可能だと言うものは一人もいない。
私はその強さを見ていないが、それでもあのエインヘリアの王が鼻歌交じりに最深層まで辿り着く姿が容易に想像できる。
私の前にいるカウルン殿も恐らく同じような心情なのだろう。
他国の要人……他国の王を死地に送り出したとは思えない程、平然としている。
勿論、普段通り日常を過ごせているという意味ではない。
外が明るくなったことで、私の目にも森の木々より高い位置まで体を伸ばし揺らしているムカデの姿が見えるようになった。
アレがこちらに向かってくることがあれば、間違いなく王国存亡の危機と言える。
ドラゴンの亡骸を見た時も似たような事は考えた。
しかし、アレは既に亡骸……想像することでゾッとはしたものの、現実的な脅威として認識していたかと言われれば、やはり他人事のように感じていたと思う。
あのムカデの姿を見た時に感じた恐怖……あれを感じた瞬間、危機意識に欠けていた事をはっきりと理解した。
この砦の者達はあのムカデと同等の恐怖を間近で感じたのだ。
それにも関わらず、未だこうしてこの砦に詰めて国を守ってくれている。
勇士達に本当に頭が下がる思いを覚えると同時に、神聖国派の貴族達に強い憤りを感じた。
命を賭けて国を、民を守る兵達がいる一方で、自らの利益の為に国も民も纏めて売り渡そうとする貴族がいる。
本来国を守るべき貴族達が国を売り、庇護を受けるべき民が命を賭ける。
歪な国になってしまった。
いや、そういう国に時間をかけて作り変えられてしまったのだ。
エインヘリアとの関係は現状を覆す大きな一手となる。
しかし、それと同時に今後は神聖国を上回る超大国との外交を余儀なくされる。
その際に矢面に立つのは……主権を取り戻した王家、そして私だろう。
エインヘリア相手に外交か……帝国との交渉以上に神経を尖らせる必要があると言える。
帝国は我が国と領地を接していなかったし、神聖国という強力な敵がいた。
エインヘリアにとっても神聖国は敵だし、敵視する理由が理由なだけに恐らく和解はあり得ない。
しかしエインヘリアと神聖国がぶつかる事は、両国の戦力や国力といった純粋な力関係以外の部分に不安要素がある。
一つは、神聖国が宗教によって治められているという点。
オロ神教の信者は大陸各地に存在しており、熱心な信者はオロ神聖国の発する言葉を盲目的に信じる。
もう一つは、エインヘリアがこの大陸に住む者達にとって外勢力という事。
神聖国は間違いなくエインヘリアを大陸外からの侵略者と、神敵と称するだろう。
分かりやすいレッテルを張り、信者を煽る。
いや、エインヘリアの事を侵略者と呼べば、信者以外からの支持も得られるに違いない。
下手をすれば不倶戴天の敵とも言える帝国とも手を組もうとするかもしれないし、帝国もそれを受け入れる可能性がある。
未知の外敵を前に、一時的に両国が手を組む可能性は決して低くはない。
無論、手は組みつつ足を引っ張り合うのだろうが。
しかし、表向きだけでも手を組むほど、外敵への敵愾心は強い。
それは、山の向こう……魔王国から攻め込まれている事で強く実感出来ている。
オロ神教徒だけではなく、この大陸の全てがエインヘリアに敵対する可能性がある中、私達がエインヘリアと交渉を進めているのは非常に危険が多い。
秘密裏に事を進めているし、実質的に塩の取引しかしていない現状ではまだ言い逃れは可能だが……エインヘリアと神聖国が本格的に争い始めたら、そうも言っていられなくなるだろう。
しかし神聖国が我が国から兵を引けば、我が国は魔王国軍どころか魔物の侵入すら防ぐことが出来ない。
そうなった時に頼れるのは、エインヘリアだけ。
私達に選択肢など端から存在していない……エインヘリアと神聖国との争いが……いや、エインヘリアの王をこの大陸に召喚してしまった瞬間、決まってしまったのだ。
「……私達と神聖国に迎合する貴族共。どちらが売国奴なのかな?」
「何かおっしゃいましたか?ヒルマテル公爵」
口に出したつもりはなかったが、カウルン殿が問いかけて来る。
「いや……なんでも……」
何でもないと言いかけた私はかぶりを振って苦笑する。
「……?」
「ただの愚痴だ」
「……エインヘリアですか?」
愚痴の一言でその名が出て来ると言う事は、カウルン殿も似たような事を考えていたのかもしれない。
私は笑みを深めながら口を開く。
「力が無いというのは本当に惨めだな。何一つ自らの意思で決めることが出来ない」
「……」
「かつてのレグリア王国。それに神聖国、帝国、魔王国……そしてエインヘリア。我が国は力ある者達に翻弄され、激流を行く木の葉のようにただ沈まない事だけを祈る事しか出来ない。そんな国を捨て、神聖国にすり寄る貴族達の方が人としてはまともなのかもしれない」
自嘲するように私が言うと、カウルン殿は首を横に振る。
「確かに個人としては間違っていないのかもしれません。ですが、上に立つものとしては間違っております」
「そうかな?家の安寧を優先するのもまた貴族としての在り方として間違ってはいない。民を犠牲にしてまでも……とは思わんがな」
「家の存続よりも、家の名誉を求めるのもまた貴族ではないかと。連中の行いは家名を残し、名誉を貶めるものです」
生真面目なカウルン殿らしいと思う。
しかし、人はそこまで強く在れないとも同時に思う。
「神聖国にすり寄る貴族達とエインヘリアに全てを委ねる我等。そこにさしたる違いはないかもしれん」
「それは……」
「確かにエインヘリアの王は一方ならぬ人物だ。かの王は自らの権威を高めることに興味は無さそうだが、強い信念を持っている。だからこそ一度口にしたことを違えるようなことはすまい。つまり、神聖国が兵を引けばエインヘリアが援軍を送ってくれる」
「はい。私もそこは間違いないと考えております」
そう、そこは間違いないのだ。
問題はそこからだ。
エインヘリアと神聖国の戦いが長引けば、必ず神聖国は我々がエインヘリアの支援を受けている事を非難するだろう。
そうなれば、国内のオロ神教徒は間違いなく蜂起する。
エインヘリアの手を借りなければ、国は滅ぶ。
手を借りれば……エインヘリアと神聖国の戦いが長引いた際、国内は荒れる。
そして……エインヘリアの王が言っていたように、本当にエインヘリアが圧倒的な力を持っていて、神聖国をあっという間に壊滅させたら……。
「我が国は、この大陸の裏切り者と言われるかもしれんな……」
「エインヘリアの進出を我々が支援した訳ではありませんが……」
「そうだな。だが、人とはそう言うものだ。エインヘリアには何が何でも神聖国を潰してもらう必要がある。もしエインヘリアがこの戦いに手間取ったり、ましてやこの大陸から引き上げる様な事があれば、我々は最悪の末路をたどる事になるだろう」
「……」
「……ふふっ、すまないな。色々と不安にさせてしまうようなことを言ったが、ことここに至った以上、我々にはもうエインヘリアの王を信じるしか道はない」
「……」
硬い表情のまま私の言葉に頷くカウルン殿。
少し脅しが過ぎたようだ。
「カウルン殿、これはただの愚痴だ。力無き己が腹立たしく、嘆くことしか出来ぬ愚かさと惨めさを噛みしめて文句を言っているだけのな」
「……」
顔を顰めるカウルン殿を見て……そして愚痴を言った事で幾分心が軽くなった私は笑ってしまう。
まぁ、カウルン殿に憂鬱さを押し付けてしまったようなものだが。
「色々と愚痴を言ったが、実の所そこまで先の事を悲観してはいない」
「そう……なのですか?」
「神聖国との戦いは、エインヘリアがどれほど強国であろうと一筋縄ではいかないだろう。場合によっては勝ちきれないかもしれない。だが、そうなったとしてもエインヘリアの王は我が国を見捨てない……短い会談ではあったが、私はエインヘリアの王はそういう類の人物と見た」
「私もそのように思います」
「……しかし、今はまだ結びつきが弱い。何らかの方法でエインヘリアとの結びつきを強めたい所だが……我が国には王女がいないからな……」
「婚姻ですか?」
「国同士の結びつきを強めるには一番手っ取り早いからな。私の娘を陛下の養女にして送り出す手もあるが、アレは少しとうが立っているからな……」
エインヘリアの王とは十近く歳が離れているのではないだろうか?
私としてはもう誰でも良いから嫁いでもらいたい所なのだが……私がそんなことを考えた瞬間だった、扉がかなり強い力でノック……いや、殴りつけるように叩かれる。
「将軍閣下!ムカデに動きが!」
「……エインヘリア王陛下が最深層に辿り着いたようですな」
カウルン殿がそう口にしながら窓の外に視線を向ける。
そこでは、先程までゆらゆらと体を動かしていたムカデの姿が消えていた。
「私は暫く防壁に詰めようと思いますが……」
「私も同行して良いだろうか?何かあった際は指示に従うと約束する」
「畏まりました。では、向かいましょう。客人にもお伝えしておきますが、宜しいですか?」
「無論だ」
どんな些細なことであっても、エインヘリアを蔑ろにすることは出来ない。
ましてや、この件はエインヘリアの王が関わっている事……最優先で情報共有をすべきだろう。
部屋に知らせに来た兵に元王女への伝言を頼んだ我々は、防壁へと急いだ。
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