第59話 普通



View of ドラン=セラ=セリオール ヒエーレッソ王国子爵 西方将軍副将






 砦を離れ私は今、森に来ていた。


 若い頃から何度も足を踏み入れ、自国の王都より数多く訪れた場所と言える。


 とは言っても、慣れているのは表層から中層まで。


 深層ともなると数える程しか行った事が無く、最深層に至っては一度も行った事がない。


 しかし、今回の目的地は最深層……全くの未知であり、人が足を踏み入れて良い領域ではない人外魔境の地。


 私が足を踏み入れることなぞ一生無いと思っていたのだが、何の因果か私はそこへと向かっている。


 しかもだ。


 今回共に最深層に向かうメンバーもおかしい。


 私以外にヒエーレッソ王国の者がいないのが一つ。


 私を含めて三人しかいない事が一つ。


 三人の内一人がメイド服を着ている事が一つ。


 そして最後に……三人の内の一人が隣国の王である事だ。


 何故私がここにいるんだ……。


 私はこの仕事を命じて来た将軍と公爵閣下の顔を思い出し、心の中で大きなため息をつく。


 言いたい事は山のようにある。


 何故私なのか、とか。


 他国の王が何故、とか。


 何故私なのか、とか。


 何故メイドがいるのか、とか。


 何故私なのか、とか。


 最奥に向かうのに何故三人なのか、とか。


 何故私なのか、とか。


 こちらから出向いて深層の王と戦うのはどうなのか、とか。


 最後に何故私なのか、とか。


 ……いや、分かっている。


 私が一番適任だと言う事は。


 それに最深層に向かう理由も、あの巨大なムカデを放置しておくわけにはいかないと言う事も分かっている。


 そしてエインヘリアの王でなければ……英雄でなければ最深層はおろか深層でさえこの人数では辿り着けないだろう。


 だからこそメイドがいる理由は分からない……と言いたい所だが、彼女が只のメイドでない事は明白だ。


 何故ならここまでの道すがら、木々を縫うように矢を放ち魔物を屠っているのは彼女なのだから。


 間違いなく圧倒的な強者……恐らく彼女も英雄なのだろう。


 この場にて一番の場違いは彼女ではなく私だ。


 しかし……残念ながら私にも役目はある。


 それは事の顛末を見届ける事。


 ヒエーレッソ王国の代表として、エインヘリア王陛下が最深層の巨大な虫の魔物を処理するところを確認しなければならないのだ。


 道中の安全はエインヘリア王陛下が保証してくれてはいるものの……正直生きた心地はしない。


 先日の魔物の大侵攻によって森の中の魔物はその数を大きく減らしているが、それでも皆無という訳ではないし、ここに来るまで両手で数えきれないくらいの魔物をメイドが屠っている。


 現在私達が居るのは深層……以前ここに来た時は、二十名の部隊を四部隊投入してようやくたどり着くことが出来た場所だが……たった三人……いや、私とエインヘリア王陛下はほぼ歩いていただけだから、実質メイド一人でここまで来たことになる。


 各国が英雄を取り込むことに躍起になる訳だ。


 しかも朝方出発して、今はまだ夕暮れ時にもなっていない頃合い……恐らく砦を出てから三刻程度しかたっていないだろう。


 驚異的というのも烏滸がましい程無茶苦茶な移動速度だ。


 別に足が速いと言う訳ではない。


 ただ、立ち止まる時間が全くないのだ。


 それに休憩も全くしない。


 森は歩きにくく、常に周囲を警戒して気を張っている為疲労がたまりやすいのだが……戦闘らしい戦闘が一切起こらず、魔物を察知した瞬間メイドが撃退してしまっている為緊張を維持することの方が難しい。


 警戒していない訳ではないが、普段部下達と森に来る時に比べたら散歩程度の気軽さと言える。


 実際、エインヘリア王陛下もメイドも一切警戒している様子がない。


 二人にとって深層という我々にとって絶対の死地は、街歩きをする事と何ら変わらないのだろう。


 いや、王という立場を考えるならば街歩きをする方が神経をとがらせるのかもしれない。


 ……深層にいると言うのに、こんなことを考える余裕があるとはな。


 私もこの二人の雰囲気に十分毒されているということか。


 心無し、砦にいた時よりも気楽そうにさえ見えるエインヘリア王陛下と、その後ろを楚々とした様子で着いていくメイド。


 この二人がいる限り危険というものは訪れないかもしれない……そんな事さえ感じてしまう程、この深層という場所で安心を感じてしまっているのだ。


 このエインヘリア王陛下が治めるエインヘリアという国。


 一介の子爵に過ぎない私では、その国の姿を見ることは一生無いだろうが……機会があれば一度訪れてみたいと思う。


 英雄が王だからといって、ただそれだけで素晴らしい国が出来る訳ではないのだ。


 いかに優れた王であったとしても国の全てを一人で収めることは出来ないし、エインヘリア王陛下が為政者として優れているかどうかも分からない。


 しかし、圧倒的な力を持ち、交渉事も抜け目なくこなしながら相手への配慮も忘れないやり口は驚嘆を通り越して呆れすらする。


 エインヘリア王陛下がこの地に来ることになった切っ掛けは巨大なムカデの魔物がその姿を見せたからだが、率先して動こうとはせず公爵閣下を促し依頼させるように仕向けていた。


 アレは恐らく今後の事に配慮したということだろう。


 現在公爵閣下は陛下に全権を委譲されている。


 公爵閣下の依頼は陛下の依頼と同義……しかし、現在のヒエーレッソ王国で陛下の力は無いに等しい。


 しかし、今後……エインヘリア王陛下の話通りに事が推移していけば、親神聖国の貴族を排斥する事も可能となる。その時の陛下や公爵閣下の功績としてエインヘリアとの繋がり、そして何よりエインヘリア王陛下自身との繋がりは強力な札になり得る。


 そして何より、人知れず訪れていた国そのものを滅ぼしかねない脅威に迅速に対処したという功績は、今の王家にとって計り知れない功績となるだろう。


 そう判断した上でこれ見よがしに元王女と会話をして、その考えと意思を匂わせて来たのだ。


 あの状況下、一瞬でそこまで考え公爵閣下に判断を促したエインヘリア王陛下だ。状況判断能力、そして政治的センスに先を見据える目……全てが一級品、いや、それ以上と断言出来る。


 聖騎士と呼ばれる神聖国の英雄。


 英雄帝と呼ばれる帝国の皇帝。


 彼らの力は疑うべくもないものだが……私には今目の前にいるエインヘリア王陛下以上の存在がいるとは思えない。


 だからこそ……エインヘリア本国がどのような場所なのか、心の底から気になるのだ。


 そんな気持ちが視線に乗ってしまったのか、私の視線に気づいた前を行くエインヘリア王陛下が振り返り、何処か皮肉気な笑みを浮かべながら口を開いた。


「どうした?セリオール副将。何か聞きたい事でもあるのか?」


「あ、も、申し訳ございません、エインヘリア王陛下」


「くくっ……最深層まで退屈な森歩きだからな。雑談くらいしても構わんだろう」


 余計なことを考えながら歩いていた私が言うのもなんだが、この森を進むことは退屈な森歩き等では断じてない。


 森の各所に先日の大侵攻による爪痕が残っている。


 それはつまり、先日の大侵攻は森を傷つけながらも行われた大規模なものであったと言う事だ。


 つまり森の魔物は確実に数を減らしている……にも拘らず、常に何者かに見張られているかのように首筋がひりつく感覚が付きまとう。


 普段に比べれば間違いなく気を抜いていると言っても、長年染みついた森への警戒心が完全に消えることはない。


 何より深層の魔物……私一人で遭遇すれば確実に死ぬ。


 そんな魔物が数多生息する場所で雑談をしながら散歩する……。


 エインヘリア王陛下が口にしたのでなければ、現実を知らぬ馬鹿だと蔑むか憐れむかのどちらかと断言出来る。


 しかし……こんな機会は二度とない筈だ。


 私はあまり声を大きくし過ぎない程度にエインヘリア王陛下に質問することにした。


「もしよろしければ……エインヘリアとはどのような国なのかお聞きしたいのですが」


「ふむ。我が国がどういう国か……か。そうだな、言うなれば普通の国だ」


「普通……ですか?」


 この地を鼻歌交じりに散歩しそうな方のおっしゃる普通だ。


 とんでもない普通なのだろうな……。


「あぁ。国に住む誰もが普通に生きられる国。普通に生まれ、普通に成長し、普通に子を成し、普通に子を育て、普通に死んでいく。一切の取りこぼしもなく、誰もが平等に、各々の普通を享受できる国。ただ与えられるものではない、自らそれを掴み取る事が皆に許されている国……それがエインヘリアだ」


「……」


 自らの国をそう語るエインヘリア王陛下は……至って普通の様子だった。


 あり得ない。


 不可能だ。


 そう口にするのは簡単だ。


 しかし、エインヘリア王陛下の……為政者の口から出るそれは、けして軽んじて良いものではない。


 誰もが理想を語る。


 誰もが理想を目指していると口にしながら、現実的な妥協点しか目指さない。


 国家運営は遊びではないのだ、その動きに数百万、或いは数千万の命が掛かっている。


 理想を抱いて死ぬにはあまりに大きすぎる数字だ。


 そんな立場の人間が口にする普通は……究極足りえる普通。


 その言葉に込められた思いに、身震いをしてしまう。


 一切の取りこぼしを許さず、普通の幸せを求める事が出来る国……我が国では貴族でさえもそれを望むことが出来るのはごく一部だと言うのに……。


 どうすればそのような国を作ることが出来るのか私には想像すら出来ないが、エインヘリア王陛下ならそれを実現できてしまう……そう思わせるだけの凄味がそこにはあった。


「さて、そろそろ最深層かな?」


「……申し訳ありません。最深層と呼びはしていますが、最奥より奥は人では到底辿り着けぬ地。明確な線引きは……」


「ふむ、そうだったな。だが、今回は分かりやすい目印がある。あそこを最深層と呼んでも良さそうだ」


 陛下がそう言って視線を上げる。


 その視線の先……殆ど空さえ見えないような木々の隙間から、ちらちらと巨大なムカデの姿が見えていた。


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