第46話 要望



View of カウルン=テオ=エラティス ヒエーレッソ王国侯爵 西方将軍






「お待たせしたこと謝罪いたします、エインヘリア王陛下。本来であれば最優先で対応させていただくのが道理だとは存じますが……」


「くくっ……気にする必要はない、エラティス将軍。平時と戦時で優先すべきことは違う。聞けば、あのドラゴンの襲来以前から相当激しい魔物の襲撃があったそうではないか。道理であちこちに魔物の死体が散乱している訳だ」


 私が深く頭を下げると、エインヘリア王陛下は肩を竦めながら応える。


 その声音からは待たされたことに対する不満は一切感じられない。


「俺としても西方の戦線を支えるエラティス将軍を、この状況で独占してしまうのは心苦しい限りだからな。後処理を優先してもらった方がこちらも気が楽というものよ」


 そう言って笑い声さえ上げるエインヘリア王陛下。


 その言葉からはやはり含みのようなものは感じられず、寧ろこちらを気遣ってくれているような印象さえ受けた。


 あれ程の力を持ちながら、闊達な御方だ。


「お心遣い感謝致します、エインヘリア王陛下。それとドラゴンの解体ですが、申し訳ありません。少々お時間を頂ければと」


「ふむ?」


「実は、ドラゴンの鱗が非常に硬く、アレを剥がさない事には刃が通らないと報告がありまして」


 その鱗を剥がすことも相当困難らしい。


 それをあっさりと切り裂いたエインヘリア王陛下……兵達が畏敬の念を抱くのも無理はないだろう。


「なるほど、鱗か。ドラゴンの鱗や皮は武器や防具の良い素材になる。うまく活用すると良い」


 やはりそうおっしゃられるか……。


「いえ、ドラゴンの素材は全てエインヘリアに……」


「いらんいらん。最初に言った通り、取れた分の血を貰えればそれで満足だ」


「しかし……」


「ならば、無断で国境を越えてしまった事への詫びとして納めてくれ」


 ……なるほど。


 名目上であっても謝罪の品とすることで、他の意図はないと表明するという事か。


 無断で国境を越えたと言っても従者は三人……軍を率いていた訳でもない。


 立場が立場故、全く問題にならないとはいかないだろうが、ドラゴンの素材は謝罪の品としては過剰だし、文句をつけることは出来ないだろう。


 それに謝罪の品に貰い過ぎだと突き返すことも……。


 勿論、謝罪の品であるならこちらはドラゴンの素材を受け取った事に対して配慮をする必要はないと言えるが……しかしそれは建前上の話だ。


 ドラゴンをあっさりと倒してみせた事。


 そのドラゴンの素材を全て譲り受けた事。


 砦を……国を救ってもらった事。


 どれも意識しない事は不可能だ。


 いかんな……。


 なんとかドラゴンの素材をエインヘリアに引き取ってもらおうとした結果がこれだ……どんなに警戒をしているつもりでもあっさりと上を行かれる。


 やはり私には荷が重い……何か致命的な事をやらかしてしまいそうだ。


 だが……ここには私しかいない。


 妙な言質を取られぬようにだけ気を付けて、話を聞きださねば。


 く……胃が。


「畏まりました。国にはそのように……」


「魔物との戦いに役立ててくれ。あぁ、勿論換金してしまっても構わんが……どうせ売るなら帝国に売ってくれ」


「帝国……ですか?」


 それは恐らく……。


「貴国の状況は理解している。それが難しい事もな。こっそりやると言っても……アレはでかいからな」


 そう言って皮肉気に笑うエインヘリア王陛下。


「は、はは……確かにあの巨体を神聖国の目から隠すのは難しそうですね」


「だが、この砦であれば不可能ではないだろう?」


「それは……」


 やはり知っているか……。


「神聖国もあからさまよな。激戦区と呼ばれるこの地以外の守り……それと魔王国との戦線には積極的に派兵しているようだが、この地だけはヒエーレッソ王国に任せきっている」


「……」


「ヒエーレッソ王国の民達はさぞ神聖国に感謝しているのだろうな」


「それは……はい。無論我らも感謝しております……」


 苦々しい想いが無いとは言わないが、感謝しているのは確かだ。


 我等だけで国の西側全てを守ることは出来ない。


 だから、兵を派遣して各所を守っている神聖国の神聖騎士団には感謝している……その気持ちは嘘ではない。


「くくっ……その様子では、無邪気に神聖国を信じているわけではないようだな」


「……」


 そう。


 確かに神聖国は援軍を派遣してくれているが……一番の激戦区であるこの場所は完全に無視されている。


 無論、他の場所や魔王国との戦いを軽んじているわけではない。


 しかし、この地が破られれば、我が国は瞬く間に蹂躙されることになるだろう。


 だからこそ、ここには最優先で人が回される……ヒエーレッソ王国の兵士がだ。


 この戦線にヒエーレッソ王国の兵が集まり、他の戦線では減る……その穴埋めをするように神聖国の兵が送り込まれてきている。


「神聖国としてはこの国を盾にしたいわけだから、潰すような真似はすまい。まぁ、ヒエーレッソ王国が今の形を保つ必要もないだろうがな」


「……」


 そう、神聖国にとってヒエーレッソ王国が必要なのではない。


 必要なのは神聖国の……盾だ。


「順調に信者を増やし、ヒエーレッソ王国という国の持っていた権威を剥がしている。まぁ、神聖国のお陰で西側の守りは強固になっているのは紛れもない事実。相手の思惑や実情がどうあれ、感謝しない訳にはいかんよな」


「……」


 比較的安全な戦線とは言えど戦場には変わりなく、多くの場所で神聖国の兵が我が国の民達を守っている……当然民が目にするのは神聖国の兵が自分達の為に戦う姿だ。


「それに……そう遠くない内にここにも神聖国の兵が送られてくるようになるはずだ。無論、ヒエーレッソ王国の兵が潰れた後でだが」


「……それでも、神聖国の力が我々には必要なのです」


 そう……我々には選択肢などないのだ。


 神聖国の狙いが分かっていても、それに頼らなければ我々はとうの昔に滅んでいるだろう。


 恐らく、かつてのレグリア王国が援軍を打ち切らず、全力で支援してくれたとしても……多少滅亡の日が伸びる程度の違いしかなかった筈だ。


 神聖国は、宗主国として仰ぐにはとても信頼できるものではない。


 属国を食い物とする国は数あれど、神聖国のやり方は……ヒエーレッソ王国の民全てを盾として……死兵として使い捨てるに等しいものだ。


 我々がやっているのは……その日を一日でも遅らせる延命措置に過ぎない。


 上層部だけではなく、国のために戦う全ての兵がそれを如実に感じている筈だ。


「エラティス将軍。これを伝えるのは非常に心苦しいが、神聖国は遠からずこの地に兵を派遣することが出来なくなるだろう」


「……どういうことでしょうか?」


 エインヘリア王陛下の突然の発言に、私だけではなく隣にいる副将も小さな声を漏らす。


「今は前線から遠く、兵力に余裕のある神聖国だが……今後その余裕はなくなる。各地に送られている神聖国の兵は引き上げ、ヒエーレッソ王国の兵と民はこの地に捨て置かれる。そうなった時、貴国はどうなるかな?」


「……魔物か、もしくは魔王国に蹂躙されるでしょう。神聖国の兵達がここよりも楽な場所に配置されているとは言っても、戦っていない訳ではないのです。魔物だけであれば、暫くは守る事も出来るでしょう。しかし、南方にある魔王国との戦場は……我が国の兵よりも神聖国の兵の方が圧倒的に数が多く、あの地は実質魔王国と神聖国の戦場といっても過言ではありません」


「魔王国との戦いはひとまず脇において、魔物との戦いは……神聖国がいなくなったとしてどのくらいは戦線を維持できる?答えにくいかもしれんが、西方将軍である貴公の見解を聞きたい」


「……次の冬は越せるでしょう。ですが、その次の冬を迎えることは恐らく……」


 もうすぐ夏になる時期……神聖国が兵を退くタイミングさえ分っていれば、各戦線に最低限の補充は可能な筈だ。


 そして夏が終わり、刈り入れ時が過ぎれば更に兵の補充が出来る……しかし恐らくそれが最後だろう。


 冬を越し、次の種まきの季節にどれだけの人手が残っているか……その事態に陥った時点で次の収穫は絶望的。


 もはや次の冬を越すだけの備蓄は出来ないだろうし、そもそも兵も残ってはいないだろう。


「来年の夏頃までは持たせられるか?」


「……後先を考えずその場を凌ぐだけであれば」


 余りにも絶望的な未来。


 エインヘリア王陛下がわざわざこの砦までやってきて神聖国が兵を退くと口にされた以上、何らかの確信があるのだろう。


 そしてそこから引き起こされるのは絶望的な未来。


 しかもこれはあくまで魔物との戦いだけを考えた場合だ。


 実際はここに魔王国との戦いもある。


 今の我が国単体の戦力で二つの最前線は支えきれない。


 確実にどちらか……あるいは両方が破られるだろう。


 その推察に私も副将も顔を青褪めさせる。


「魔王国との戦いは……刈り入れ時よりも前に終わるだろう?」


「……はい。魔王国はどうやってかあの霊峰を越えてこちらに侵攻してきますが、刈り入れ時から種まきが始まるくらいまでの間に侵攻してきたことはありません。種まきの頃にこちらに攻め込んできて刈り入れ時に撤退……例年そのような流れとなっております」


 今年も魔王国軍の規模は例年通り……恐らく撤退時期も同じだろう。


「霊峰を越えることが出来る時期が決まっているのだろうな。恐らく、今年の魔王国との戦いは神聖国に任せて問題ない筈だ。来年は……神聖国は動けないだろうがな」


「……何があるのでしょうか?」


「それは流石に教える事は出来んが……そろそろ本題に入りたい」


「……」


 エインヘリア王陛下がそう口にした瞬間、会議室の空気が一変する。


 ドラゴンに感じたものと同等……あるいはそれ以上の重圧。


 頭を地面に叩きつけながら許しを請いたい……そんな衝動を必死に抑え込みながらエインヘリア王陛下の言葉を待つ。


「オロ神聖国には秘密裏に、この砦にヒエーレッソ王……もしくは全権を委譲した者を呼んで欲しい。我がエインヘリアとヒエーレッソ王国の今後の話をしたい」


「そ、それは……」


「無論、ただでとは言わん。ヒエーレッソ王、或いは代理人が要望通りこの砦に来れば、神聖国が手を引いた後、俺達エインヘリアがヒエーレッソ王国の民達を守ってやろう。会談の結果がどうあれ、今後二年は守ってやる。会談が決裂した場合は……その二年で軍を立て直せ」


「……」


 二年という期間での安全保障。


 会談が実現した時点でそれを約束すると?


 けして長い期間とは言えないが、もはや我が国は沈みゆく船。


 藁でも何でも掴むしかない……それが英雄の差し出してきた手であれば尚更だ。


 恐らく、エインヘリア王陛下の要望どおり……会談は実現するだろう。


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