第43話 狸



View of カウルン=テオ=エラティス ヒエーレッソ王国侯爵 西方将軍 





 砦より少し離れた位置に墜落した黒きドラゴン。


 遠目から見てもまだ生きているようだが、もがくというよりも痙攣するような動きはどう見ても無事という感じではない。


 流石のドラゴンもあれ程の高さから墜落しては、無事ではいられないようだ。


「「……」」


 飛来したドラゴンのせいで、砦に集まっていた魔物たちは既に蜘蛛の子を散らすように逃げ去った為、砦は先程までの死闘が嘘のように静まり返っている。


「……部隊を編成しろ!ドラゴンの状態を確認する!」


「は……はっ!すぐに!」


 何が起こったのか分からないが、ドラゴンが墜落して地面で死にかけているのは確かだ……追撃を仕掛け止めを刺さなくては!


 我に戻った私が指示を飛ばすと、周囲に居た者達が動き出す。


 私の放った矢は全く関係ないが……なんとなく私を見る周りの目が、先程までと違う気がする。


 痙攣しているように、ぴくぴくと倒れたまま体を動かしているドラゴンに視線を向ける。


 一体何が起こった?


 アレは最深層の魔物……の筈。


 まさかあれ以上の脅威がこれから出て来るとでも……?


 あのドラゴンは最深層の魔物ではなく、その脅威から逃げて来ただけ……?


 ……。


 い、いや、違う!


 あのドラゴンが逃げ出してきたというのであれば、暢気に砦の上を旋回などせず一目散に逃げて行っていた筈だ!


 あのドラゴンは明らかに砦を睥睨し、攻撃を仕掛けて来る寸前だった。


 だとすれば、ドラゴンにとって予想外の攻撃を受けたという事……森から魔物が溢れてきたのは間違いなくドラゴンから逃げての事。


 誘引されていた魔物がドラゴンの咆哮を聞き一斉に逃げ出したことから考えても、それは間違いないだろう。


 であるならば……。


「将軍、偵察隊の準備が出来ました」


 そんな声が聞こえ私は思考の渦から現実へと引きずり戻される。


 報告してくれたのは砦北側の指揮を執っていた副官で、いつの間にか私の傍に来ていたらしい。


 どうやら周りが見えなくなるくらい考え込んでいたようだ。


「……御苦労。偵察には私も出る」


「将軍!?それは……」


「自身の目で見る必要がある。何が起こったのか……そして、これからどう動けば良いのか。この砦は任せるが、まず後方の砦に伝令を出しておいてくれ。中層から深層クラスの魔物の突破を許してしまったとな」


 深層クラスの魔物は優先的に叩いていたから数は少ない筈だが、それでもこの砦程強固とは言えない後方の砦にとって非常に危険な相手だ。


 狼煙を上げているので警戒はしている筈だが、情報は急ぎ回した方が良い。


「……畏まりました。どうか、お気をつけて」


「何かが起こった時……砦を放棄して構わん」


「……はっ」


 難しい顔をしている副将に後は任せ、私は偵察隊の集まる門の前へと移動する。


 危険は多いが……恐らく私が一番冷静に対応出来るだろう。


 ……いや、責任者自ら偵察に行こうというのだから間違いなく冷静さを欠いていると言える。


 しかしこの状況下で部下を偵察に出し、自分は砦の上から固唾を飲んでその様子を窺うなどという真似は私には出来ない。


 それに、偵察における最優先事項は生き延び情報を持ち帰る事だ。


 私自身、無理をするつもりはない……。


「何かあった場合は散り散りに逃げよ。一人でも良い……誰かが情報を国に届けるのだ。まぁ、いつも命がけで偵察任務をこなしてくれているお前達にとっては私の方が危なっかしく見えるのだろうし、今更分かり切ったことを言うなと思っているのだろうが一応な」


 私が苦笑しながら肩を竦めると、偵察隊の者達が笑い声をあげる。


 地に落ちたとはいえ、相手は伝説上の生物であるドラゴンだ。


 皆の恐怖や緊張は未だかつて感じたことがないレベルだろう……私の冗談に笑っているのも、肩の力が抜けたという訳ではなく少しでも声を出して押し寄せる恐怖を紛らわしたかったのだろう。


 だが、こういった状況ではそう自分を錯覚させるのが大事だ。


「よし、それでは行くとするか。アレがそのまま死んでくれれば当分肉に困る事は無さそうだな」


「ははっ!将軍閣下、ドラゴンの肉を食したともなれば家族に自慢できますな!」


「確かにな。土産に持って帰りたい所だが、流石にドラゴンの肉といっても腐るだろうし、我々だけで楽しむとしよう」


「「おう!」」


 気勢を上げた偵察隊を引き攣れ、渡した砦の外に出る。


 ドラゴンがいる場所は砦のすぐ傍といっても良い場所だが、馬を使いたかった。


 移動が面倒という話ではなく、その方がいざという時逃げやすいからだ。


 しかし、訓練された軍馬たちでさえもドラゴンの咆哮は流石に耐えられなかった。


 現在砦の馬は気絶しているか……死んでしまったかのどちらかしかおらず、まともに動けそうなものは一頭もいない。


 私の愛馬は運良くというか、辛うじて気絶するだけで済んだが……流石に起こしても乗れる状態ではないからな。


 なので騎乗を諦め、我々は徒歩で偵察に出る。


 砦の外に出て改めて思うが……ドラゴンが落ちたのは砦のすぐ傍だ。


 砦そのものや防壁に落ちなかったのは幸運と言えるだろう。


 まぁ、ドラゴンが動き出したら砦ごと我々は薙ぎ払われるかもしれないが……その場合は情報を持ち帰るも何もないな。


 副将が出してくれたであろう伝令が、後方に逃げた魔物を避けて無事情報を届けられれば良いのだが……。


 横たわるドラゴンを見ながら……別の事を考え、気を紛らわせつつ周囲も警戒する。


 ドラゴンという存在に専心してしまうと、これ以上一歩も前に進めない気がしてならない。


 恐らくその感情は私だけのものではないだろう。


 もはや砦の門を潜る前に笑い、気勢を上げていた者達は何処にもいない。


 今ここに居るのは……目の前に存在する化け物に怯えながらも歩みを止めない勇士だけだ。


 少し、ほんの少しだけではあるが、彼らの見せる勇気のお陰で絶対の恐怖に抗える気がしてきた。


 慎重に……極力音を立てない様に……ドラゴンへと近づいていく。


 ……未だ痙攣するように動いているドラゴンだが、これが息を吹き返した時……どう対応すれば良いのか全く思いつかない。


 先の戦いで砦の防衛設備はほぼ矢弾が尽きてしまっている。


 油をかけて火矢を放つか?


 しかし、その油も砦に接触するくらい近くに来てくれないと落とすことも出来ない……手でここまで運んで油をかける?


 馬が使えない以上時間がかかる……そんな悠長なことをしている間にドラゴンが起きかねないな。


 剣や斧で首を落とせればよいのだが……。


 私がそんなことを考えた瞬間だった。


 突如、ドラゴンが口を大きく開けながら身を起こす!


「まずっ……!」


 それが私の声だったのか、それとも他の誰かの声だったのか分からない。


 ただ一つ言えることは、その場にいた全員が自らの終わりを感じた。


 生命の危機を感じたからか……ドラゴンの動きが非常にゆっくりしたものに見える。


 しかし……どれほどドラゴンの動きがゆっくりと感じられようが、こちらはピクリとも動くことが出来ない。


 ここに来ると決めた時点で死は覚悟していた。


 だからこそ……大口を開けているドラゴンの姿を見て、私は笑いが漏れてしまう。


 いや、周りに居た者達には悲鳴を出し損ねたように聞こえたかもしれないが……私は確かに笑っていた。


 伝説上の存在とも言えるドラゴン……そのドラゴンが死んだふりをして我等をおびき寄せた?


 卑怯などというつもりはないが、ドラゴンが狸寝入りをするとはな……。


 その事実に、私は何とも言えない満足感を得てしまった。


 だからドラゴンの喉の奥が光り出したのを見ても……笑みを殺せなかったのだが……周りから見たら諦めの笑顔に見えたかもしれないな。


 そんな事を考える余裕さえあったが……次の瞬間、世界は時間を取り戻した。


「ガポっ……!?」


 妙な鳴き声を上げたドラゴンの首が突如体から離れ、くるくると回りながら飛んで行く。


 ま、またか……!?


 一体何が!?


「ドラゴンの血は良い素材になるのだが……残念だ」


 私がそう声を上げるよりも一瞬早く、そんな言葉が聞こえてきた。


 そして、その言葉に続くように身を起こしていたドラゴンの身体が再び地面に落ちる。


 軽い地響きと土煙を巻き上げ横たわる首なしのドラゴン……これは、死んでいる……よな?


「せめて氷系の魔法が使えれば保存できるのだが……俺もプレアもウルルも氷系の魔法は使えないからな。それに解体するにしても人手がな……」


「陛下……本国にはドラゴンが良く出るのでしょうか?」


「いや、俺がドラゴンを見たのは四年前だな。王都に飛んできた」


「お、王都にドラゴンが!?」


 ドラゴンを挟んで反対側からそんな会話が聞こえてくる。


 何がどうなって……。


「そこに居るのは砦の兵だな?緊急事態に見えたので手を出してしまったが……余計な世話だったか?」


 ドラゴンから回り込むように姿を現した男が、どこか愁いを帯びた笑みを見せながらそんな風に声をかけてきた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る