第42話 違うよ?



View of カウルン=テオ=エラティス ヒエーレッソ王国侯爵 西方将軍 






 今朝は、いつも通りの朝だった。


 天気は良くもなく悪くもなく、これから段々暑くなっていくだろうが今は比較的過ごしやすい気候。


硬いベッドでも汗による不快感を覚えず、比較的良質の睡眠をとることが出来る。


粗末な朝食も、うだるような暑さが無ければ文句もなく嚥下出来る。


 士気を保つのに本当に最低限しか環境が整えられていないのは、将軍と言えど同じだ。


 硬い寝床にマズい食事、暑い時期はうだるように熱く、寒い時期は凍えるように寒い。


 命の危険に常にさらされ、今日を乗り越えても明日には屍になっているかもしれない永遠の苦難。


 それが最激戦区と呼ばれるこの砦の日常で、我が国の現状でもある。


 我が国の状況は本当に苦しい。


 我々がここでどれほど血を流そうとも、国を救う事は出来ない……それは理解している。


 だがそれでも、私達がここで剣を振るえば……魔物を一匹減らせば、それで助かる民がいるのだ。


 ならば我等は身命を賭してこの地で血を流すことに意味はある。


 その事は、私だけでなく末端の兵までが心を同じくしているのだ。


 朝の準備を終えた私は夜番の兵達を労った後、朝昼番の者達に訓示を行った。


 普段、そういった事はしないのだが……何か予感のようなものが働いたのかもしれない。


 今日は普段と何かが違うと。


 その予感は……残念ながら的中してしまった。


 朝昼番の者達が配置についてすぐ、森の方で異変が確認されたのだ。


 西の森から一斉に鳥が飛び立った……元々あの森はとんでもない危険地帯なので、普通の鳥は殆どいない。


 飛び立った鳥も全て魔物に違いないのだが……森のかなり奥の方でそれらが飛び立ったのだ。


確実に表層よりも奥……中層、或いは……誰もがその可能性に思い至り、尋常ではない事態に砦に詰める者達に緊張が走った。


 すぐに砦は厳戒態勢に移行したのだが……それから一刻もしない内に森から魔物の群れが飛び出してきた。


 最初は数こそ多かったが表層の魔物。


 砦や防御施設を使い難なく対処することは出来たが、如何せん数が多い。


 かなり時間はかかるが処理自体は問題なく出来る……戦っている兵達の中にそんな楽観的な事を考えている者はいなかった筈だ。


 この異変の始まりは、森の奥の方で鳥が飛び立ったことによるもの……表層の魔物が押し出されてきたことを考えれば中層、下手をすると深層の魔物が押し寄せてくるかもしれない。


 砦側におびき寄せて戦うのであれば、表層の魔物も中層の魔物も対して脅威度は変わらない。


 しかし深層の魔物となって来ると話は別だ。


 深層の魔物は総じて中層までの魔物よりも凶悪な能力を持っている。


 毒の霧を吐く魔物やただの体当たりで砦を揺らす程の威力を持つ魔物。


 火を降らす鳥や雷を纏った虎。


 およそこの世のものとは思えないような能力を持った魔物たちが跋扈するのが深層だ。


 数匹程度であれば、砦と防御施設を盾に戦う事も出来るだろう。


 しかし、もし深層の魔物が群れを成して飛び出してきたら……とてもではないが、この砦は持たないだろう。


 それに……懸念はそれだけではない。


 あの時飛び立った魔物は……中層よりも奥から飛び立ったのだろうか?


 仮にそうだとしたら……深層の魔物が逃げる様な何かが森で起こったという事。


 最深層。


 深層の魔物が逃げるとしたら、最深層に住む何かが動いたとしか考えられない。


 この森には数えきれない魔物が生息しているが、それらは全て表層から深層に住んでいる。


 最深層に住んでいる魔物はその数が極端に少なく、嘘かほんとか大陸を縦断している森に二十程度しか存在していないという。


 まぁ、それを調べたのは大昔の冒険家を名乗る変人で、最後は霊峰に向かって消息を絶ったそうだが……その者の残した著書に二十の王として書かれていたという話だ。


 あの魔王軍でさえも、最深層に棲む王を避けて侵攻して来ているらしい。


 まぁ、連中の魔物を操る術が深層や最深層に住む魔物にも効果があったら、今頃ヒエーレッソ王国は跡形もなくなっていたと思う。


 奴等が使役する魔物が中層程度の魔物だからこそ、神聖国も南の戦線も維持出来ているのだろう。


 だが今の状況……考えたくはないが、魔王国軍ですら避ける最深層の魔物が動いたが故のものなのかもしれない。


 私も、そして必死に戦っている兵達も……その絶望的な考えに押しつぶされまいと必死に気勢を上げて目の前の魔物たちを迎撃している。


 ここまでは問題ない。


 魔物の数は多いが、対処できない程ではない。


 魔物を誘引する香を焚き、砦に魔物が集まるようにしているのだが……この先中層よりも奥の魔物が出て来たら戦況はひっくり返るだろう。


 勿論、我々の目的はこの砦で魔物の侵攻を抑える事。


 だからこそ魔物を誘引する香を焚いて、魔物がこの砦に集まるように……この先の国土に踏み込ませないようにしている訳だが、果たしてこの規模の魔物の侵攻を抑えきれるだろうか?


 ……分からない。


 かつて、いくつもの国が魔物の大侵攻に飲み込まれた。


 我がヒエーレッソ王国のかつての同盟国であるレグリア王国も、あわやという所まで追い詰められ……奇跡が起きてあの国は助かったが、我が国にその奇跡は起こりようもない。


 ……ここで我々が踏ん張らなければ、我が国も魔物に飲み込まれ歴史から姿を消すことになるだろう。


 深層の魔物だろうと最深層の魔物だろうと……食い止めるしかないのだ!


 私も……兵も……死力を尽くした。


 未だかつて、これ程強い兵達の姿は見たことが無かった。


 未だかつて、これ程強い自分は見たことが無かった。


 だからだろうか?


 長い時間、必死に戦っていく内に……深層の魔物と相対しても、手ごたえを感じてしまったのだ。


 勝てると。


 国を守れると。


 しかしそれは、目の前の現実から……目を背けたものだった。


 最初に……異変を目にした時……誰もが最悪を考えた筈だった。


 だが、目の前の狂気に呑まれ、忘れていたのだ。


 この異変の始まりを。


 しかし夢は、狂気は醒める……圧倒的で抗い様の無い現実の前に。


 私達を現実に引きずりおろしたのは一つの音。


 至近に落雷でもあったかのような強大な咆哮が鳴り響き、世界の時間が停止した様な錯覚を覚えた。


 砦を守る兵も将も……そして砦を襲う魔物でさえも動き止めた。


だからこそ覚えた錯覚。


 そして……時間が動き出した直後に襲ってきたのは恐慌だった。


 人も魔物も関係ない。


 ある者は腰を抜かし。


 ある者は武器を投げ捨て。


 ある者は気を失い。


 ある者は狂ったように武器を振るう。


 そして魔物たちも、我武者羅に暴れまわったり誘引の香を無視して逃げて行ったりと常ならぬ行動をとり始めた。


 私自身……必死になって声を張り上げ落ち着けと叫ぶことしか出来ない。


 いや、そう叫ぶことで私自身が落ち着こうとしたのだ。


 声を張り上げ、周りにいる兵達を……己自身を鼓舞する。


 喉が裂けんばかりに声を振り絞り、響き渡った咆哮に勝れとばかりに大声を上げた。


 だが、分かっていた……それが無駄な努力であることを。


 咆哮から間も無く森の奥より姿を見せたそれを見て……ひと目で理解してしまった。


 あれが、王と呼ばれる存在。


「……ドラ……ゴン……」


 森から翼を広げ飛びあがった漆黒の魔物。


 凄まじい速度で飛来してくるその魔物の姿がはっきりと確認出来た時……私は呟きと共に手にしていた剣を落としてしまった。


 魔物の中でも最上位の存在として誰もが知る存在でありながら、誰もその姿を目撃したことがない魔物だ。


 それも当然だろう……かの魔物に遭遇したならば、その者の運はそこまでなのだから。


 最悪の災厄がその大きな翼をはばたかせ、こちらに向かって飛来する。


 あぁ、そうか。


 これが私達の……ヒエーレッソ王国の最後か。


 真っ直ぐとこちらに向かってくるドラゴンを見ながら、諦観に達する。


 過去に二十の王を書に残した冒険家は、どうやって王と遭遇し生き延びたのだろうか?


 出来ればその辺りを書に詳しく書いておいて欲しかった。


 そんな事をぼんやりと考えてしまう程……目の前の現実と自らの思考に乖離が感じられた。


 いや、私だけではない。


 狂乱に陥っていた兵達でさえも呆然とドラゴンを見て、武器を取り落としている。


 魔物は我先にという感じで囲みを解いて逃げてゆく……その逃げた先は我が国の領土だが……もはやその背に一本の矢すら飛ぶことはない。


 長年この砦で戦ってきた勇士たちですら……全てを諦めてしまったのだ。


 あっという間に砦の上空までやってきたドラゴンは、私達の頭上で悠々と旋回をする。


 やはり狙いはこの砦か。


 そのまま砦を無視して欲しいと考えてしまった事に気付き……私はようやく矜持を取り戻す。


 何を考えている!


 私は西方将軍!


 魔物の侵攻の最も激しいこの地で、ヒエーレッソ王国の盾となる兵達の将だ!


 諦めて良い筈がない!


 私が諦めるなどという選択をして良い筈がないのだ!


 傍にいた弓兵の落とした弓を拾い、上空に向かって弓を構える。


 この弓では上空を旋回するドラゴンまでは矢が届かないかもしれない。


 だが、それで良いのだ。


 私がやらなければならないのはドラゴンを撃ち落とすことではない。


 意思を……戦う意思を皆に見せつける事なのだ!


「勇士たちよ!どのような絶望も乗り越え戦い続けた勇士たちよ!」


 弓を引き絞り、上空を睨んだまま私は声を張り上げる。


 おかげで狙いなどあってないようなものだが、別に構いはしない!


「諸君らの心が誰よりも強い事は私が知っている!そんな諸君らでさえ絶望に沈める存在が今目の前にいることも分かっている!だが、思い出せ!諸君らの背中に、誰がいるのかを!思い出せ!共に戦い、散っていった仲間の意思を!」


 私がどれだけ声を張り上げようと、砦で戦う全ての者に声が届くはずもない。


 だが、絶望に落ち、時が止まってしまったかのようなこの世界に、私の声は何処までも響く。


 そんな錯覚を覚える。


「アレは絶望か!?否!あれは我々が撃ち滅ぼす敵だ!」


 私が叫ぶごとに、兵達に意思が宿ったように感じる。


「立て!ヒエーレッソ王国西方の盾達よ!たとえ死すとも!雄々しく前を向こうぞ!見よ!我が一矢!一番槍は私が貰う!」


 叫び続け放った矢だ。


 構えも無茶苦茶で当然飛距離も碌に出ない……しかしそれで良いのだ。


 今感じるこの熱……兵達は確かに息を吹き返し、覚悟を決めた……そんな熱が砦全体に伝える。


 それが出来れば、放たれた矢がドラゴンに届かずとも問題は何もない。


 そんな風に妙な満足感を覚えながら、旋回し砦から少し離れた位置を悠然と舞うドラゴンを見ていると……突如、ドラゴンの翼がその身体から外れ……ドラゴンが落ちた。


 ……え?


 私の矢……ではないよな?


「「……」」


 困惑するような兵達の視線が私に集まったが……私じゃないよ?


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