第39話 王様



View of ライゼン 元レグリア王国辺境軍 小隊長






 昨日、俺達の詰める砦に王都から新しい王様と女が数人やってきた。


 先触れとしてやってきたのは辺境守護様の娘さんだそうだ。


 俺はこの砦に詰めるようになって五年程だが、辺境守護様の娘さんを見たのは今回が初めてだった。


 娘さんは幼き頃よりレグリア王国の王女様に仕える騎士だったので、殆どこの地にいることが無かったのだが……凛とされた佇まいと、その美貌に心を奪われたのは俺だけではない筈だ。


 しかし、辺境守護様の娘さんに浅ましい劣情をぶつけることなぞ出来る筈もない。


 国からは辺境と呼ばれる地だが、この地は数十年に渡り代々の辺境守護様によって守られてきた。


 現辺境守護様の二代前……英雄であるグレンタール様によって解放されたこの土地には、再開拓に従事した俺達の祖父母や曾祖父母の血と汗と涙が染み込んでいる。


 その恩恵を受けている俺達は、開拓された土地を守るため……そして辺境守護様によって守られているという御恩に報いる為、命を賭して戦っているつもりだ。


 この砦には辺境守護様の他に御次男であるロキア様も詰めており、御長男はここより南の方の砦、御三男は北の砦をそれぞれ守っておられる。


 この地に住む皆は辺境守護様やそのご家族に心から感謝し、信頼している。


 だから辺境守護様の兵に志願する者は多いのだが、俺は辺境守護様の兵ではなく辺境軍に志願した。


 ……いや、正確には辺境守護様の兵に志願したのだが、選考で落ちたから辺境軍に入ったという事だ。


 辺境軍に所属する者の半数以上はこの地の出身ではないが、俺の様に選考に漏れたから辺境軍に入ったという同郷の者は少なくない。


 しかし、辺境軍に入って分かったこともある。


 それは辺境守護様の兵になろうと辺境軍に入ろうと、その仕事に大差がないという事。


 辺境守護様の直属の兵は当然だが、辺境軍所属であっても上に立つのは辺境守護様だ。


 この地の総指揮官は辺境守護様であり、辺境軍の指揮官達も辺境守護様と対立する訳ではなく一丸となってこの地を守っている。


 だから何の不満もない。


 俺はこの地で戦い、この地の為に生きているのだから。


 まぁ、それはそれとして……辺境守護様直属の兵に憧れはあるのだが……。


 ……い、いや、今それはどうでも良い。


 それよりも俺達が気に入らないのは、新しい王だ。


 ここは最前線だ。


 魔物との戦いに明け暮れ、日々血で血を洗い、生きるために殺す世界だ。


 そんな場所に……事もあろうに女ばかり侍らしてやってきた。


 正直ふざけているにも程があると言える愚行だ。


 いや、例え女であっても実力者は少なくない。


 実際軍に所属している女達は……男を片手でひねりつぶせそうな奴も……結構いる。


 だから女連れが悪いとは言わない。


 現に辺境守護様の娘さんともう一人は軽鎧だったし、護衛を兼ねていたのだろうし……一人はメイドだったが、王族の身の回りの世話をする者も必要なのだろう。


 だが、綺麗処ばかりを引き連れてきやがって……。


 それにいくら護衛に辺境守護様の娘さんがいらっしゃるからとはいっても、たった四人で王都から辺境までやってきたことは常識外れにも程がある


 この地は領内を巡回する兵が多く、治安はそれほど悪くない。


 しかし、王都からこの地に辿り着くまでは相当危険の多い旅路であっただろう。


 こんな少人数で……しかも、明らかに裕福な身なりをした方々がそれをあっさりと成し遂げたのだから、その実力は推して知るべきだとは思う。


 だが、それでも気に入らない物は気に入らない……。


 そしてそれは俺だけの感情ではなく、この地の誰もが多かれ少なかれ抱いていた感情と言える。


 だからこそ……そんな俺達を抑えるために、辺境守護様は英雄の力を持つと言われる王様に戦いを挑んだのだろう。


 俺はその場には居なかったが……その戦いを見た同僚は、酷い戦いだったとしか教えてくれなかった。


 そう語る同僚の顔色が真っ青だったことから、どのような結果だったかは想像に難くないが……一体どれほどの差があったのか。


 ただ……心の底から気に入らないとは思うが、今俺の前方を気軽な様子で歩く後ろ姿を……いや、初めてその姿を見た瞬間に、一つ理解してしまった。


 アレは本当に、俺達とは違う存在なのだと。


 王様だからなのか、それとも英雄だからなのか……あるいはその両方だからなのか。


 俺は王様を一目見た時……腰が抜けてしまった。


 いや、腰が抜けたのは俺だけじゃなかったが……それでも小隊長としては恥ずかしい限りだ。


 しかし、この森で見たどの魔物よりも王様は恐ろしく感じられた。


 話は通じる。


 凶暴さは一切感じられない。


 殺気はおろか、不機嫌そうな様子も一切ない。


 剣こそ携えているが軽鎧すら身に着けておらず、この場にいる誰よりも……いや、

 傍にいるメイドと同様に守りが薄く、とてもこの国どころかこの大陸でも屈指の危険地帯にいるとは思えない姿。


 そして同じ男とは思えない程綺麗な顔立ちは、男色家でなくとも見惚れてしまいそうになる程美しい。


 どの要素も恐ろしさを感じる様なものではない。


 だが……唯々恐ろしい。


 これが俺達の国の王様。


 ……頼もしさよりも恐ろしさの方が先に立ってしまう。


 いや、俺がそう感じてしまうからこそ王様としては頼もしいのか?


 分からない……。


 そもそも、俺が死ぬまでに王様をこんな近くで見ることがあるとは思わなかった。


 雲の様に遠い存在……それを間近で見ているのだから、恐れを覚えても仕方がないのかもしれない。


 と考えると、他の国の王もこの王様と似たように感じるのかもしれないな。


 うん……きっとそうだ。


 であれば、このような場所にまでメイドを引き連れて歩く王様の事は気に入らないという評価で良いだろう。


 王様にとって辺境軍のいち小隊長くらい、歯牙にもかけない存在だろうしな。


 そんな事を考えながら、王様達の後……最後尾を警戒しながら付いていく。


 護衛対象を間に置いて森を進む……未だかつて経験したことのない事態と言えるな。


 そもそも護衛が必要な人物が森に入る事はない。


 ここはこの世界で一番危険な場所だ。


 自ら剣を持って戦えないものに足を踏み入れる資格はない。


 だが、王様はともかく……あの信じられないくらいに綺麗なメイドや辺境守護の娘さんが仕えている王女様とかは間違いなく戦えないだろう。


 なんでそんな二人を連れて来るんだ……。


 王様は英雄らしいから俺達よりも遥かに強いのだろうけど、森はそれほど甘い場所ではない。


 ただ力が強いだけで全てを守れる程、この森は優しくないのだ。


 表層で最も注意すべきは小型の熊や猪、ましてや兎ではない。


 蛇だ。


 この辺りに出る蛇の魔物は毒こそ持っていないが、頭上に広がる木々の枝を利用し音もなく近寄ってくる。


 そして首を狙って牙を突き立てて来るのだ。

 

 熊や猪は余程油断していない限り隙をつかれることはないが、蛇に関しては相手の奇襲から戦闘が始まる。


 しかも自分の腕くらいはある大きな蛇による首への噛みつき……下手をせずとも致命傷になりかねない。


 表層において一番兵を殺しているのはこの蛇なのだ。


 だからこそ、王様達の後ろを歩く俺達の役目は……その頭上に注意を払い、万が一にも王様達が奇襲を受けないようにうする事だ。


 後方に配置されているのは俺を含め四人。


 そのうちの三人は、王様達の頭上を見落としが無いように目を皿にして見張っている。


 幸いにして今の所、蛇はおろか熊も猪も出てこない。


 食料調達の任務だったら途方に暮れていたかもしれないが、今回は間引きでも調査でも食料調達でもなく護衛任務。


 何も出てこないに越したことはない。


 だが、そんな幸運もそう長くは続かない筈だ。


 もうそろそろ、表層と中層の境に俺達は到達する。


 中層に入る前に小休止がある筈だが、中層に入れば厄介な魔物は一気に増える。


 頭上には蜘蛛や蛇、地上には大型の熊に狼……。


 熊や狼に遭遇した場合、迎撃ポイントまで迅速に撤退しなくてはならない。


 これだけ木が生い茂っている場所では連携も十分に出来ず、毛皮の厚い熊や木々の合間を縫って素早い動きで連携してくる狼に対応するのは難しいし、それらと戦っている時に頭上から蜘蛛や蛇に襲われたら全滅する可能性の方が高くなる。


 幸い、辺境守護様がおっしゃっていた目的地は中層でも手前の方にある一番広い迎撃ポイント。


 あそこまでであれば、そうそう厄介なことにはならない筈だ。


 などと、小休止前にそんな油断するようなことを考えたのがいけなかったのだろうか?


 王様よりもさらに前方……辺境守護様の率いる部隊が緊迫した声を上げた!


「マズい!狼の群れだ!中層から出張ってきやがった!」


 なんだと!?


 まだ中層に入ってもいないというのに、よりにもよって狼の群れ!?


 予定していた小休止ポイントはもう少し先で、群れを突破してそこに駆け込むことは難しい。


 かと言ってこの辺りには狼の群れを迎撃できるような広いポイントはない……小型の魔物しかいない表層には、あまり大きな迎撃ポイントが用意されていないのだ。


 はぐれならともかく、今まで表層のこんな位置に狼の群れがやってくることはなかった。


 未だかつて起こらなかった事態が、よりにもよって何故今……護衛対象がいる時に起こってしまうんだ!


 最悪だ!


「陛下!私が殿になります!撤退を!」


「……狼か。ついてないな」


 前方から辺境守護様が撤退するように後ろに向かって言うと、なんとも暢気な呟きを発する王様。


 ついてないのは確かだが、今そんなことを暢気に言っている場合じゃない!


「お前達は退路の確保!群れの数は!」


「視認六!」


 指示を出すと同時に前方の者達に問いかけるとすぐに返事が飛んで来る。


 視認六……下手をしたらその倍以上いるかもしれん。


 これはマズいぞ……いくら何でも森の外までは逃げ切る事は難しい。


「迎撃ポイントまで先導する!横の警戒を怠るな!」


 森の中を逃げ切るのは不可能だし、この場に留まって戦うのも同じくらい無理がある。


 多少手狭ではあるが、まだ迎撃ポイントまで移動する方が生存率を高められるだろう。


 幸いというか……狼の魔物は頭が良い。


 獲物を見つけたからといって即座に襲い掛かってくるようなことはしない。


 まずはこちらの戦力を計ろうとする筈……。


 殿となる辺境守護様達が牽制してくれれば、なんとか迎撃ポイントまで移動出来る筈……いや、移動してみせる!


 それが先導する俺達の役割だ!


 頭上への警戒も怠ってはいけない。


 焦り、視野を狭くしてしまえば、この森はあっという間に俺達を呑み込む。


 それに狼の魔物は連携が上手い……俺達の逃げる先に回り込んでいる可能性も……。


「ちっ!視認五!回り込まれているぞ!」


 俺が退路に回り込まれている可能性を考えた瞬間、先導する部下が声を上げる。


 くそっ!


 やはり回り込まれていたか……!


 これは……覚悟を決めねばならない。


 好ましい相手ではないが、俺達の後ろにいる王様は絶対に逃がさなければならない相手だ。


 いや、英雄である王様は大丈夫かもしれないが、王女様は……。


「……ふむ、仕方ないな。ブレイズ!この辺りの木を切り倒してしまっても構わんか?」


 俺が絶望的な状況に覚悟を決めた瞬間、王様が殿となっている辺境守護様に問いかける。


 木を……どういう意味だ?


「へ、陛下!?だ、大丈夫です!」


「よし、ならば全員伏せろ。今ならまだ魔物と距離がある」


「全員伏せろ!」


 辺境守護様の命に従い、その場にいた全員……王様以外の全員が即座に伏せる。


 一体どうするつもりだ……!?


「ワイドスラッシュ」


 王様のそんな呟きのような一言が聞こえ……次の瞬間、轟音と共に森の中に日の光が差した。


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