第37話 王の采配
View of ブレイズ=エリー=エスリク 辺境守護
二番目の息子に先導され、陛下が会議室から出ていった。
それから暫くして……ようやく室内の空気が弛緩したように感じる。
同時に、私は握りしめた拳の力をようやく抜くことが出来た。
いや、拳だけではない。
全身の力が抜け、更に先程までは気付いていなかったが背中に冷たい汗が流れている。
……今こうして生きているのが不思議なくらいだな。
私は部屋にいる二人に気付かれないようにゆっくりと息を吐いた後、意識を二人へと向ける。
会議室に残ったのは私と王女殿下……そして、娘であるレイン。
この辺境の地を離れ王女殿下の側近として近衛騎士となっていた娘だが、ずっと辺境に籠りきりだった私より頭が柔軟……だと良いのだが。
そんな事を考えながら視線を向けると、娘は無表情のまま目を伏せる。
……先触れとしてやってきた時も思ったが、本当に相変わらずだな。
父としては複雑だが。
「殿下、お話をお聞かせいただけますか?」
私がそういうと、王女殿下は少し眉を顰めながら口を開く。
「……辺境守護殿、私はもう王女ではありません。レヴィアナとお呼びください」
「……失礼しました。レヴィアナ様」
確かにもう殿下と呼ぶのは間違っているだろう。
というよりも、陛下の御不興を買いかねない……未だ理解が届いていないという事だろうな。
陛下は想像以上に寛大な方だったが、その言葉通り……大目に見て貰えるのは今の内だけだろう。
私は早く判断をしなければならない……いや既に色々遅いと言われている気もするが……。
「辺境守護殿はこれからどうするおつもりですか?」
そんな私の逡巡を見抜いたのか、レヴィアナ様が淡々と問いかけて来る……その問いに私は少しだけ言い淀んでから返事をする。
「……私は辺境守護ではありますが、私達だけでこの地を守る事は出来ません。レグリア王国から派遣される辺境軍の協力が有って初めてこの地を守る事が出来ているのです。しかし、ここは既にエインヘリア。その意に従うのは当然と言えますが……」
理屈はそうだ。
だが……。
「軍を解体すると言われては、ということですね?」
「はい。辺境守護としての地位に未練はありません。祖父が解放したこの地を守る事、我が家にそれ以上の望みはありませんし、それが我々の手だけで成し遂げられるものでない事も理解しています」
「陛下は本国と合流するまでは軍や辺境守護の地位は残すとおっしゃられました。であれば、問題はないと思いますが?」
「おっしゃる通り現状維持を約束してくださいましたし、そこに不安はありません。ですが、レグリア王国が陛下にしたことを思えば……」
「それについては私は加害者ですし、何も言えるような立場ではありませんが……その罪は召喚に直接かかわった者達にのみ問うと陛下はおっしゃってくださいました」
そう口にするレヴィアナ様は、柔らかく微笑んでいらっしゃる。
「陛下は信頼できると?」
「……こちらにも話は届いていると思いますが、陛下は敵対した貴族およそ三千の兵と一人で相対し、その悉くを殺すことなく制圧してみせました。どのような戦力も策略も歯牙にかけない……あの戦いはそれを見せつけるものです」
「……信頼する以前の問題だと?」
「そうですね。まぁ、私は陛下の事を信頼しておりますが」
そう言って微笑むレヴィアナ様からは、以前お会いした時は無かった凄味と……艶のようなものを感じる。
為政者として成長したという事であれば喜ばしい事ではあるが、その成長は政変によるものか、それとも陛下という存在と接したこと起こった変化なのか。
どちらにしても、上に立つ者として相応しい在り方と言える。
娘はレヴィアナ様に仕えたいと辺境を出て近衛となった。
私自身は過去に数度お会いしただけであったが……何処に惹かれたのかいまいち理解出来なかった。
無論、尊崇すべき方であったのは間違いないが……あの頃のレヴィアナ様は仕える主というよりも、守るべき庇護対象という雰囲気であった。
娘はそれを放っておけなかったのかもしれない。
しかし、今のレヴィアナ様はどこか儚げであったあの頃と違い、強かさを感じられる。
恐らく、未だ成長途中。
今後どのような成長をされるかは……いや、あの陛下の傍に居られれば、どのような分野にしろ一角の人物に成長されるだろう。
……陛下か。
私は先程まで会議室に居た陛下のお姿を思い出し、身震いをしてしまう。
「私は、砦の外で陛下の姿を見た時……死を覚悟しました」
「……?では何故あのようなことを?」
不思議そうに首を傾げるレヴィアナ様に、私は苦笑しながら言葉を続ける。
こういう仕草は、まだあどけなさが抜けない様だ。
レヴィアナ様の隣に座っている娘の目が優しいものに変化しているが……妹を見る目というよりも娘を見る様な雰囲気だな。
一瞬そんな考えが過ったが、今はそれどころではないな。
「あの時、私と共に砦の前に居た者達はこの砦に詰める者の中でも特に頭の固い連中です。まぁ、その中で一番頭が固いのが私なのですが……彼らは辺境守護である私の強さを何よりも信じてくれているのです。だからこそ辺境守護の任を解き、軍を解体するという通達に彼らは私以上に反発したのです。私が諫めたところで聞く耳を持たない勢いで……しかしそれではこの地を守ることが出来ません」
「つまり……最初から部下の前で陛下に負けるつもりだったと?」
私はレヴィアナ様の言葉に頷く。
部下達は強さだけを重視しているわけではないが、まずは上から抑えつけられるだけの力がある事を見せつける必要があった。
本来であれば、王の力というものは個人の武力等という小さなものではないのだが……うちの連中はそれを理解出来ない。
「私は祖父の強さを目の当たりにしたことはありませんでしたが、父から英雄という存在の理不尽さは聞いておりました。当然、私が手も足も出来ずにやられるであろうことは想定しておりました」
「しかしそれでは……」
「命を落としていたとしても、後事は息子達に託しておりました。跳ね返り連中を抑える為には一戦は必要でしたので」
「……生きた心地がしませんでした」
私が話し始めてからずっと険しい表情を崩していない娘が零す様に呟く。
「この地を守る者達には明確な順位着けが必要だったのだ。まぁ、獣みたいな連中だからな」
「……確かにこの地の者達であれば、それは必要だったかもしれません。しかし相手が悪すぎるかと」
娘の咎める様な言葉に私は苦笑しながら口を開いた。
「皆もひと目でそれに気づいた筈だがな。だが、意地を張ってしまう者達が必ず出て来る……それは避けねばなるまい」
「「……」」
二人は少し呆れているようだが、思慮の足りぬものが陛下に余計なことをする前に釘をさせたと思えば悪くない結果だったと言える。
まぁ、それも全て陛下の御恩情によるものだが……。
「メイドの……プレア殿でしたか?彼女がこちらの意を汲み、力を見せて下さって良かった」
私が安堵のため息をつきながら言うと、レヴィアナ様が少し考えるようにしながら口を開く。
「……恐らくプレア殿が汲んだのは辺境守護殿の意ではなく、陛下の意ですね」
陛下の意……?
「私も同意します。プレア殿は常に陛下のお傍に控え御用聞きをする事に専念しております。たとえ陛下に無礼を働いたからといって自ら前に出ることはないかと」
レヴィアナ様と娘の言葉を聞いて、ふと脳裏に陛下と会話した時の光景が過った。
「……そういえば彼女が前に出る直前、陛下の視線が一瞬こちらから外れたな。アレはもしや目配せを?あの一瞬でその判断を……メイドがしたと?」
「ただのメイドでないことは辺境守護が一番御存知なのでは?」
「む……それは、そうですな……」
「それと、恐らくですが……陛下がプレア殿に事前にこの展開を伝えていたのではないでしょうか?」
展開を伝える……?
「……私があのような行動に出ると陛下が読んでいたと?」
「はい。であればこそ、あれ程までに話が早く進んだのだと」
「……」
確かに、私は首を斬られる覚悟で陛下との手合わせを願った。
しかしその結果は……。
「それに、陛下は自らの権威等を気にされる方ではありませんし、自ら最前線に立ち剣……」
そこまで喋ったレヴィアナ様が何故か言葉に詰まる。
しかし、私が疑問の声を上げるよりも早くレヴィアナ様は言葉を続けた。
「……剣的な物を振るう事も厭わない御方です。しかし、辺境守護とは戦わなかった。まさか自信がないなどという事もあり得ません」
剣的なものという不思議な表現も引っかかったが、それ以上に陛下のなさったことが気になる。
「……では、何故?」
陛下がそういう方……武を好まれる方であれば、寧ろ私が手合わせを願った事を喜ぶのではないだろうか?
そう思った私がレヴィアナ様の御考えを聞こうと問いかけると、一瞬だけ悩むようなそぶりを見せたレヴィアナ様が笑みを浮かべ口を開いた。
「辺境守護の意図を正確に読んだから……やはりそういう事でしょう。辺境守護が手合わせを願う事、そしてそれは砦の跳ね返り達を抑える為そう願い出た」
「はい」
「しかし、陛下はその先を見ておられたのです」
「先……ですか?」
「えぇ。辺境守護は英雄に勝てないことをよくご存じの筈。しかし、英雄といっても体は一つ。陛下はずっと辺境に残りこの地を守るわけにはいかない……」
レヴィアナ様がそこまでおっしゃられ……そこで初めて気づく。
「陛下の配下……いや、エインヘリア本国の強さを誰にでも分かる形で伝えた。そういう事ですか」
「えぇ。実際プレア殿は兵達が見守る中でそれを口にされた。まず間違いないでしょう」
「……顔を合わせた事もない私の考えを、そこまで読み切っていたと?」
「砦の者達の不満も辺境守護の懸念も、一手で解決する手でしたよね?陛下のお傍にはもう一人……エインヘリア本国から召喚された方がいらっしゃいます。外務大臣のウルル様……あの方は凄まじい諜報力をお持ちです。恐らくウルル様が辺境守護について調べ、陛下がその情報を基に推察され、プレア殿に命じられたのだと……」
レヴィアナ様の言葉に……私は全身の力が一気に抜けるのを感じた。
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