第30話 聖職者



View of ドルトロス オロ神教大司教






 教皇猊下に呼ばれた私は、中庭に面した廊下をゆっくりと進む。


 光と風を取り込むため中庭側の壁は存在せず吹き抜けとなっており、暑い季節の時はあまり気にならないが寒い季節がやって来るとこの廊下を歩くことが億劫となる。


 非常に美しく整えられた庭園も、冬場はただ忌々しいだけだ。


 幸い今の季節であれば忌々しさを覚えることはないのだが、後数か月もすれば寒くなると思うと今から憂鬱と言える。


 若い頃は寒いと思うだけだったのだが、この歳になって来ると体の節々が痛く……特に階段は苦痛だ。


 そういえばこの前の寒気に大司教クリオランが腰を悪くしていたな。


 腰痛や関節痛に効く魔法はないものか……あの国であればそんな魔法を開発してもおかしくないと思うのだが……。


 私は歩みを止めずそんなことを考える。


 あの国……我等オロ神聖国の西側にある小国は、魔法の技術だけは目を瞠るモノがある。


 その技術を奪う為に以前より多くの謀略を仕掛けていたが、同じく奴等の技術を狙う帝国の不信神者共が小国の王を抱き込んだのだ。


 こちらはようやく筆頭宮廷魔導士に成り代わり、研究成果を奪う準備が出来たところだったのだが帝国は国ごと奪う算段を着けていた。


 軍事力では帝国以上のものを我が国は有しているが、諜報や交渉といった点であの国には劣っているのだろう。


 事実、その動きに我々は直前まで気付くことが出来なかった。


 オロ神聖国に降ろうとしていた小国の貴族共はその動きに一切気付いていなかったし、本当に見事なものと言えるだろう。


 だからこそというか、せめてというか……王女にクーデターを起こさせ、更にそのどさくさにまぎれ英雄を召喚する算段をつけたのだ。


 その企みは上手くいったらしい。


 クーデターによって帝国に着こうとしていた連中を潰し、更に潜り込ませていた密偵を使い連中を王都から逃がし英雄召喚を行わせたのだが……その後情報が入らなくなってしまった。


 まぁ、レグリア王国方面を担当しているのは私ではなく大司教モルトロールだが、ここしばらく彼は不機嫌さを隠すことなく周囲に当たり散らしているようだ。


 私自身が担当していたとしたら……やはり同じように苛立っただろうし、彼の事を非難するつもりはない。


 この失敗により、彼は次の教皇となるための戦いで大きく後退したとも言えるが……果たして今回の件、それだけで済むだろうか?


 召喚が成功したのか失敗したのか、それすら分からなかったのだが……先日レグリア王国……いや、別の国の名を名乗っていたが……そこから使者が来た。


 名前は何だったか……確か……と、私が国の名前を思い出すよりも先に目的地に着いてしまった。


「教皇猊下、大司教ドルトロス様がいらっしゃいました」


「ありがとうございます、通してください」


 扉の前に立っていた小姓が扉の中に声をかけると柔和な……いや、柔和に聞こえる声が部屋の中から返って来る。


「失礼します、教皇猊下」


 小姓の開けた扉をくぐり、中にいる人物にひと声かけてから私は部屋の奥へと進む。


 そこには二人の人物がソファに座っていた。


 一人はオロ神聖国教皇コルネイ。


 一見すると柔和な好々爺という雰囲気だが、教皇の席に座るにあたり歴代の誰よりも聖地を血に染めた男だ。


 噂では前教皇の急逝はこの男が画策したそうだが、真相は分からない。


 私が司教となり聖地に入った時点で既に教皇になっていた為、当時の事は良く知らないのだ。


 ただ、私が聖地に入った時……私を含め司教以上の役職を持つ者の殆どが新たにその地位に就いた者達ばかりだった。


 あの時この地で何があったか……それを追及する様な者は、まぁ長生きは出来ないだろう。


 そしてもう一人、ソルトン=リーフ=ハイゼル。


 第一位階貴族……ハイゼル家の当主。


 貴族の中で唯一教皇と対等に会話の出来る最高位の貴族。


 教皇は元々ハイゼル家の人間で……現当主である彼の大叔父だった筈だ。


 だからといって対等な関係という訳ではないのだが、現当主の事を教皇は気に入っているのか珍しく本心から親し気に接しているように感じられる。


 まぁ、この怪物の本心なぞ私には全く分からないのだが。


「御足労頂きありがとうございます、大司教ドルトロス。どうぞお座りください」


「失礼します。猊下、それにハイゼル卿」


「御無沙汰しております、大司教猊下。実は先日やってきた使者の事で教皇猊下と話をしていたのですよ」


「やはりその件でしたか。レグリア王国の後釜で……確か……」


 そこまで口にした所で、先程その国の名前を思い出せていなかったことに思い至る。


 そんな一瞬の逡巡を読み取ったのか、教皇が私の言葉を継ぐ。


「エインヘリア……でしたね。召喚された英雄が簒奪したとか譲渡されたとか」


「えぇ、なんでも召喚される前からエインヘリアという国の王だったとかで……」


 教皇の言葉にハイゼル卿が頷きながら言う。


 英雄の王か……。


 あり得ない話ではない。


 英雄とは本当に我々と同じ人間なのかと首をかしげたくなるほど超越した存在だ。


 戦乱の世であれば、力を持つ英雄が国を興すことも奪うこともそう難しくはないだろう。


 英雄自身は国を運営できずとも良い。


 英雄は象徴だ。


 誰にも負けず、戦場に立てば無双の強さを見せる象徴。


 乱れし世において、これ程までに頼りがいのある王はいないだろう。


 軍事は王に任せ、後は周りの者達がしっかりと国を治めていけば良い。


 強者に付き従う……全ての者がそうとは言わないが、それを望む者は決して少なくはない。


 しかし、噂に聞く別の世界というものがどれほど荒れた世界なのかは知らないが、あちこちに英雄の王が存在する世界なのだろうか?


 そんな世界に生まれなくて良かったと考えるべきか、そんな世界から英雄が召喚されてしまったと嘆くべきか。


「使者として送られてきた者は、ラング子爵……いえ、本人の言ではもう子爵ではないそうですが」


「陞爵したのですか?確かその名は我々に降りたい話を進めていた貴族のものではありませんでしたか?」


 私が尋ねると、教皇そっくりな胡散臭い笑みを浮かべながらハイゼル卿が口を開く。


「大司教猊下のおっしゃる通り、我が国に長年交渉を持ちかけていた貴族ですが……陞爵ではないようです。どうやらエインヘリアという国は貴族を廃しているそうで」


「貴族を……?それをあの国の貴族達は受け入れたのですか?」


 我が国と違い、他国に於いて貴族は特権階級だ。


 貴族を廃すると言われ、彼らがそう簡単に首を縦に振るとは……。


「国に残ることを決めた貴族達は納得したそうです。我が国や帝国についた貴族はそれを認めなかった……いえ、だからこそほぼ最低限と言っても良い条件で臣従を誓った訳ですね。正直我々としては受け入れる旨みが殆ど無い相手ばかりでしたが……」


「確か使者に来たラング子爵領は川があるんでしたか?」


「えぇ。そこを取ることが出来ればヒエーレッソ側の戦線に兵を送り易かったのですが……」


 少し面白くなさそうにハイゼル卿が呟く。


「欲しいところは得られず、役立たずと微妙な土地だけを手に入れたという訳です。エインヘリア……と言いましたか。彼らは西側をちゃんと守るのでしょうか?」


 教皇が少し考え込むようにしながら言うとハイゼル卿が首を縦に振る。


「西側の守りに関しては今まで以上に力を入れるとの事でしたが、あの国の現状を考えると軍を率いての対応というのは難しいですね。王を名乗る英雄が動くのでしたら別でしょうが……」


「仮にも王を名乗るのであれば軽々には動かないのでは?」


 私の言葉に今度はハイゼル卿も考えるようなそぶりを見せつつ答える。


「現状では何とも……ですね。しかしこれ以上あの地が荒れるのは面白くないでしょう」


「そうですね。かの国の技術はぽっと出の英雄なぞに渡すわけにはいきません」


 二人の言葉には私も同意するが、つい先日までとは違いレグリア……いや、エインヘリアは簡単な相手ではないだろう。


 かの英雄が上に立って以降、極端に相手の情報が手に入らなくなったのだ。


 確実に諜報関係に手を入れたのだろう。


 情報の重要性を知る英雄……面倒な相手だと推察が出来る。


「お二人の意見には同意しますが、まずは相手が……英雄がどのような人物で、どのような能力を持っているのか把握する必要がありますね」


「……そうですね。かの国が以前呼び出した英雄は……中々厄介な人物でした。滅びる寸前の国を救うだけでは無く、立て直してしまったのですから。かの英雄が居なければ五十年前の時点でかの地を我々の手中に収めることが出来たのですが……」


 微笑みながらも口惜し気に教皇が語る。


 当時私は家を出て助司祭になったばかりの頃……教皇もまだ権力には程遠い位置にいた筈だが、もしかすると既にその時点である程度の仕掛けが出来る位には力を有していたのかもしれない。


 年齢的に二十になったかどうかといった頃の筈だが……。


「信仰については何か言ってきましたか?」


「いえ、一切触れることなく……寄進もありませんでした」


「ふむ。よそ者故信仰心が無いのは当然でしょうが、寄進もなしとなると……我々の事を正しく理解できていないようですね」


「それは間違いないかと。召喚された英雄はともかく、その下で働く者達は我々の事を良く知っている筈。進言しなかったとは考えにくい」


 聖地に使者がやって来る時は必ず寄進物を携えてやって来る。


 それが慣例であり、こちらが何も言わずともそれを破った者はいない。


 いや、いなかった。


 これをどうとるべきか……。


 普通に考えれば、我々と敵対する意思があるという事だが……英雄という存在は良くも悪くも常識外の存在だ。


 まして別世界の者ともなれば、常識を求める方がおかしいとも言える。


 かの国の国庫に余裕がない事はこちらも把握しているし、ただ単に無いものは出せない程度の感覚でそうしたのではないかという気もする。


「書状の内容は、こちらと敵対するようなものではありませんでした。寧ろ貴族達がそちらに迷惑をかけることを心苦しく思うというような内容でしたし、その事を理由に事を起こすつもりは名にかけてしないと言っていました。我々の持つ力を甘く見ているか、神の御慈悲を信じたか……分かりませんがね」


 持たざる者の心を救う。


 物質的な豊かさではなく精神的な豊かさこそ真なる救い。


 人は精神的に満たされることで、死した後オロ神の御許へと辿り着き永久の安寧を得ることが出来る。


 どの宗派であろうと、オロ神聖教である以上この原則は変わらない。


 宗派ごとに御許へ辿り着く方法やその精神性は違えど、目指す場所と心を救うという教えは変わらない。


 ……まぁ宗派なぞ、私達にとってはそれぞれの派閥の呼び名くらいの認識だが。


「たとえオロ神を信仰しておらずとも、その大いなる愛は平等に与えられるものです。寄進とは信徒たちの感謝の表れ。しかし全てを知り、全てを愛するオロ神に本来奉納する必要はないのです。私達の成果物を見て頂きたい。信仰を形としたものが寄進であり、その為の奉納であり、それをしなかったからといって問題がある訳ではありません」


 教皇が笑みを崩さずにそう言うと、ハイゼル卿も同じような笑みを浮かべながら頷く。


 つい先程、寄進が無かったことを愚かな振る舞いだとでも言いたげに語っていた筈だが……優し気に教皇猊下はそんなことを口にする。


「それはそれとして、寄進はあった方が良いですよね?」


「当然です。私達が飢えてしまうではないですか。オロ神には必要なくとも信徒に過ぎない私達は、腹に物を入れられなければ満たされません」


 朗らかに笑う二人。


 この二人が揃うと本当に話が進まないな……内心ため息をつきつつ私は口を挟む。


「大司教モルトロールを送りますか?」


 大司教モルトロールの名を出すと、教皇猊下はゆっくりと首を横に振る。


「大司教モルトロールは少しお加減が良くないようです。そこに更に心労をかけるのは避けたいですね。なので、大司教ドルトロス。使節団の代表を貴方に任せます。可能な限り英雄の情報を集めて下さい。それと、新たに人を入れる必要がありますね」


「……人ですか」


「ここ一月程になりますが、旧レグリア王国に入れていた者達との連絡が途絶えています。このタイミングですからね……追加の人員も入れたのですが、ダメですね。王都付近までは連絡がつくのですが、近づくと連絡が途絶えます」


 教皇の言葉に私が相槌を打つと、ハイゼル卿が補足するように情報を教えてくれる。


 密偵狩り……なるほど、道理で情報が入らなくなったわけだ。


 しかし、あの国の諜報機関はほぼ死に体だった。


 いくら英雄が召喚されたからといって、それがいきなり息を吹き返すとは考えにくい。


 私はこちらの内通者を捕らえることで情報を遮断していたと思っていたのだが、王都に入れていた密偵はおろか追加の人員さえも潰されているとなると……英雄一人でどうこうするには無理があるように思う。


 想像以上にマズい相手かもしれないな。


「聖騎士を連れて行っても……?」


 私は情報を整理しつつ、そう口にする。


 聖騎士……つまりオロ神聖国に所属する英雄で、現在は八人。


 一癖も二癖もある連中だが、その力量は疑いようの無いものだ。


 護衛として彼等以上は望めないだろう。


 しかし、自分で言っておいてなんだが恐らく……。


「大司教ドルトロス。貴方には申し訳ありませんが、聖騎士を他国へ送るのは難しい。ましてや、相手は交流の無い英雄の治める地。まだそこまで踏み込むべきではないでしょう」


「もちろん、その時が来るまでに相手の力は計っておきたいですが……今回はまだ時期尚早かと」


 予想通りの答えに、私は問題ないと告げるように頷く。


 どの国でも他国に所属する英雄を自国内に入れるのは嫌がる。


 英雄とは単体で一軍以上の武力を持つ者。


 王都に招き入れた瞬間暴れられたら……王都がそのまま廃都になってもおかしくはない。


 ましてや相手はどんな相手かさえも定かではない英雄の治める国であり、こちらに敵愾心を持っている可能性が高い国だ。


 最低限の配慮はするべきだろう。


「では同道者の選定は……」


「私の方で適任者を選出します。勿論貴方の推薦は受け付けますよ?他国との交渉において貴方の右に出る方はいませんし、そのあなたの推薦であれば二つ返事で使節団に受け入れましょう。それと、かの国の情報は最優先で手に入れる必要があります。必要なものがあればすぐに用意させましょう。使節団派遣に関する雑事は全てハイゼル卿が責任をもって手配してくれますので、貴方はかの国との交渉に集中して下さい」


「ありがとうございます。では三名程推薦させて頂きたく」


 得体の知れない英雄の国に向かい、その英雄を探る。


 非常に困難な仕事だし、かの地方を担当していなかった私のやる事ではないだろう。


 しかし、この二人に直接話をされている以上、私には行く以外の選択肢はない。

 

「どこかで旧レグリア王国の貴族に直接話を聞きたいですね」


「手配しておきましょう。他にありますか?」


「王都とその周辺、それから西の国境近くの教会から司祭を集め、王都に入る前に話を聞けるように手配して頂きたい」


「畏まりました。早急に文をおくりましょう」


 ニコニコとこちらを見ている教皇の前で、私はハイゼル卿にいくつか頼みごとをする。


 一切情報のない英雄の治める地に向かうのだ……準備し過ぎるくらいでも足りないだろう。


 順調に事が進んだとしても聖地に戻って来るのは半年後……下手をすれば一年は戻れないかもしれない。


 しかし、この仕事を上手く進めることが出来れば、一つ上の職に就くことも夢ではなくなる。


 十分……命を賭けるのに値する仕事と言えよう。


 

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