第624話 とある日の治安維持部隊・後



View of ランディ=エフェロット エインヘリア治安維持部隊隊長 元ハンター協会ソラキル王都本部所属四級ハンター






「では、イアスラ殿……」


「呼び捨てで構いませんよ?」


「……考えておきます」


 少女のような邪気の無い笑みを見せたレキュル……イアスラ殿の顔を直視できず、俺は並べられた料理に目を落としながら答える。


 マズいな。


 凄まじく女性慣れしていない感じになってしまった。


 いや、特に慣れているわけではないが……この反応はかなり情けないな。


 そう思った俺が咳払いをすると、悪戯が成功したというような笑みを見せながらイアスラ殿が口を開く。


「隊長さん。とりあえず冷める前にお食事を楽しみませんか?」


「そうですね……っと、最後に一つだけ。隊長さんは止めて貰えますか?」


「あら……では、エフェロットさん。それともランディさんの方が?」


 口元に手を当てながら上品に微笑むイアスラ殿。


 あぁ、ダメだ。


 完全に面白がられている。


「……どちらでも構いません」


「ではランディさんとお呼びさせていただきますね」


 ……流石にこの流れでそう呼ばれても動揺したりはしない。


「問題ありません」


「ふふっ」


 俺の反応が予想済みだったのか、それとも予想外だったのかは分からないが……イアスラ殿は小さく微笑んだ後酒を口につける。


 ……。


 飲む仕草に飲んだ後の吐息、コップをテーブルに戻す手の動き。


 そのどれもが蠱惑的というか煽情的というか……動き一つ一つが計算されつくされているのだろうな。


 正直目が奪われてしまった。


 そこまで欲求不満のつもりはなかったが……っていかん。


 不躾だったな。


 俺は若干慌てつつ、酒を一口飲んでから料理に手を付けた。






「今まで食べた事のない料理ばかりでしたが、どれもとても美味しかったです」


「ふふっ……ご満足いただけたようで何よりです。実はこの店は私の商会の直営店なんですよ」


「そうだったのですか……」


 治安維持部隊に所属するようになって懐に余裕が出来た俺は、それなりに食事を楽しむ余裕が生まれていた。


 だから色々な店で多くの美味い物を食っていたのだが……この店の料理はレベルが違う。


「最近ようやく店を出す許可が取れたもので……かなり大変だったのですよ」


「許可……ですか?」


 飲食店の出店は役所に届け出をして講習を受ければ良いだけだから、そこまで大変ではないはずだ。


 講習は中々難しいらしいが……イアスラ殿がつまずく様な内容ではない筈だし、そもそもイアスラ殿が講習を受けた訳ではないだろう。


 衛生管理とか、その辺りの事を重点的に学ぶらしいしな。


 治安維持部隊の仕事で、出店許可のない店や出店の調査もあるのでその辺りも詳しくなってしまった。


「えぇ。実は先程の料理は全て、エインヘリアの王城で食べられる料理なのですよ」


「お、王城で!?」


 ということは……陛下もこの料理を食べておられる!?


 もっと味わっておけば……いや、滅茶苦茶美味かったから十分味わったけど、それを知っていればもっと……。


「王都やその付近の大都市ではアーグル商会がいくつかこれらの料理を出す店を出店しているのですけど……まぁ、独占ですね。そこにようやく割って入る事が出来たということです」


「なるほど……」


 アーグル商会は知っている。


 元々は内務大臣補佐のアーグル様が立ち上げた商会で、アーグル様が登用される際に後進に譲ったエインヘリアでも屈指の商会。


 御用商人とも呼ばれているが……ドワーフ製の商品や最新の魔道具等、どちらかというと国家事業の成果を販売している国営商会と言った方が正しいかもしれない。


 確かに王城で出されている料理であれば、アーグル商会が独占していたとしてもおかしくはない。


「王都周辺の街ではこの料理を再現しようと料理人達が頑張っているそうですが、今の所完璧に再現できた店はないようです。まぁ、レシピを見せて貰った身としては……これを再現するのは相当難しいとしか言えませんね」


 そう言って、イアスラ殿は少し意地が悪そうに笑う。


「そんなに難しい料理なのですか?」


「そうですね……私も料理は得意ではないのではっきりとしたことは言えませんが、既存の料理と比べて手間がかかるし、そもそも調味料が聞いたことの無いものばかりで……更に料理を作るために他の料理が必要だったりするのですよ」


「聞いた限りだと、確かに再現は厳しそうですね」


 料理の事はさっぱり分からないけど……きっとそうなのだろう。


 しかし王城で食べられている料理……気軽に食べに来るのは……無理だろうな。


「また食べてみたくはありますが……この店での食事は中々簡単には手が出せませんね」


「ふふっ……この店は高級志向ですが、低価格帯で提供する店も準備しています。開店するのはもう少し先になりますが」


 そう言って苦笑する姿から……何となく察する。


 どうやら開店時期は俺が王都の方へ移動してからのようだ。


「それは残念です。ですが折角教えて頂いたことですし、向こうに転属したらアーグル商会の店で程良い価格帯の店を探してみようと思います」


「あら、こちらに戻ってきて食べてくださらないので?出来ますよね?」


「そうしたいのは山々ですが、流石に食事の為に転移を使う許可は下りませんよ」


 エインヘリアが急速に領土を拡大できた理由の一つとも言える魔力収集装置……転移による拠点間移動は世界が一変する程に便利だ。


 確かにアレを使えば王都からこの辺りまで瞬きの間に移動が出来るが、基本的に私的利用は出来ない。


 いや、正当な理由があって申請をすれば許可は下りるんだが、流石に食事をとりたくて申請を出しても通らないだろうし、そもそもそんな申請は出したくない。


 ふざけた理由で申請を出せば、上司だけでなく同僚からも白い目で見られることは間違いないだろう。


 それくらい、国への忠誠心と高い士気を治安維持部隊は有している。


 治安維持部隊にはエインヘリアに併合された国の軍関係者が多く在籍しているが、それに反してというか……非常に国への忠誠心が高い。


 軍人は多かれ少なかれ自分達が国を守っているという自負をもっており、国内の犯罪者と戦うよりも外敵と戦う事の方が重要な仕事で、治安維持を一段下の仕事と見ている節がある。


 入隊したての者はそういった傾向が強いし、敗戦国の軍人であればなおの事……およそ治安維持に回せる人員ではない筈だが……今の所、治安維持部隊の者で忠誠心や勤勉さに欠ける人物は見たことがない。


 治安維持部隊に所属するには過酷……いや、苛酷という言葉すら生温い地獄の研修期間があり、跳ねっ返りはそこでバッキバキに折られるからな……。


 一瞬研修を思い出してしまい、冷や汗が出てしまいそうになったのだが……俺は目の前の美女に意識を戻すことでそれを堪える。


「ふふっ……それは残念ですね」


「私もそう思います。さて、イアスラ殿……そろそろ本題に入って貰えますか?」


 俺がそう尋ねるとイアスラ殿は首を傾げる。


「あら?私が貴方を誘ったのは……ランディさんに興味があるから、こうしてお話をしたかったからですよ?」


「そう言っていただけるのは光栄ですが、イアスラ殿に興味を持ってもらえるほど面白味のある者でない事は良く理解しているつもりです」


 いや……当然ながら誘われた時は浮かれたし、一夜限りの夢でもあわよくばという想いがないとは言えない。


 しかし、治安維持部隊の小隊長と国有数の商会長兼諜報機関に所属する才媛では格が違い過ぎる。


 遊び相手にすらならないだろう。


「そんなことはありませんよ。ランディさんはとても魅力的です」


「……」


「……ふぅ、仕方ありませんね。では、先にお仕事の話をさせていただきますね」


 俺は無言で頷くと同時に、全力でほらね!と叫びたい気持ちを押さえつけた。


 分かってたさ!


 そりゃそうだ!


 仕事に決まってる!


「実はサレイル王国のとある犯罪組織がこちらに進出しようとしている様でして」


 イアスラ殿のため息交じりの台詞を聞き、雑念が一瞬で消えて思考がクリアになる。


「……密輸等ではなく、進出ですか?」


「はい。治安維持部隊の働きもあり、現在このソラキル地方ではあまり力のある組織は存在しておりません。王国時代の頃と比較すれば、空白地帯といって良い程ですね」


 エインヘリアは犯罪に厳しいというか、治安をこれ以上ないくらいに重視し注力しているからな。


 大手の犯罪組織は軒並み壊滅させたし、小規模な所も動けば即座に摘発される。


 もっと西の方に行けば、ムドーラ商会という巨大な裏社会の顔役がいるのだが……アレは国によってコントロールされている組織だ。


 イアスラ殿にとっては同じ諜報機関の別部門といった感じだろう。


 貧困から犯罪に走る者は激減しているし、犯罪を生業としていた者はどんどん摘発されている。


 スラムは姿を消して清潔な住宅街に生まれ変わり、孤児は施設に入り学問を学び、浮浪者は職を得て新しい人生を作っている。


 そして既存の衛兵とは比べ物にならない程練度と人員を抱えた治安維持部隊の存在。


 エインヘリア国内において犯罪とは旨みのある卑怯なやり口ではなく、ハイリスクローリターンの見本のようなものになっているのだ。


 勿論、全ての犯罪を撲滅できているわけではないし、小さくとも犯罪組織は各地に存在している。


 しかし、彼らは以前のような力もなければ、デカい顔を出来る訳でもない。


 エインヘリアという新しい時代に取り残され、過去の栄光を懐かしみつつ日陰で生きていく……そういう矮小なものに過ぎないのだ。


 そう言った連中は自暴自棄になって大きく動こうとして摘発されるか、他国へ逃げるか……大体その二つのパターンで決着する。


 それでも撲滅できないのは……本当に不思議だが、これも仕方のない事なのだろう。


 真っ当に生きられない者は何処にでもいる。


 だからこそ、国はムドーラ商会を使い犯罪組織をコントロールしているのだろう。


 しかしそんな状況は他国の組織から見れば、競合相手のいない美味しい餌場。


 経済状況も鑑みれば、エインヘリアという国は食卓に並べられた豪華な料理に見えることだろう。


 まぁ、美味しそうなのは見た目だけで、強烈な毒入りなんだがな。


「相手については既に調査済みです」


 そう言ってイアスラ殿は持っていた小さなバッグから書類を取り出す。


 それを受け取った俺はざっと目を通し、小さくため息をつく。


「……かなり大きな組織ですね」


 近年のエインヘリアでは見られなくなった規模の組織。


 これだけの規模を持つからこそ、他国にまで手を伸ばすのだろうが……同じ他国を狙うなら帝国の方に行くべきだったな。


「国外の組織なので大本の方はムドーラ商会の方で処理しますが、こちらに入り込もうとしている連中は治安維持部隊の方で処理をお願いします」


「承りました。これだけ詳細な情報があれば、万が一にも取りこぼしはありません。確実に処理しましょう」


「お願いします」


 口ではそう言ったが……資料を見る限りこの組織、相当な大物だ。


 商協連盟時代のムドーラ商会とまではいわないが、それでもサレイル王国程度なら裏から操るくらい造作もないというレベルの規模だ。


 いや、実際サレイル王国を牛耳っていてもおかしくはない……だからこそ、帝国ではなくエインヘリアに進出してきたのかもしれない。


 サレイル王国やその隣のスコア王国は、帝国の恐ろしさを嫌という程味わっているからな。


 実質属国と言われる両国……当然この犯罪組織も十分過ぎる程それを知っている事だろう。


「帝国よりうちの方が楽な相手と思われるのは、中々業腹ですね」


「ふふっ、全くですね。是非とも我が国の恐ろしさを体験させてあげてください」


「お任せください」


 そう言って俺が笑うと、イアスラ殿も妖艶に微笑む。


「前回の時もそうでしたが、イアスラ殿が直接お話を持って来られる時は大捕り物になりますね」


「あら、前回は確かに仕事の話だけでしたが、今回は違いますよ?」


「……?」


「ふふっ……先程、先に仕事の話をと申したではありませんか」


 妖艶な笑みを崩すことなく、ゆっくりと立ち上がったイアスラ殿がしなを作りながら近づいてくる。


「ランディさんが素敵だと言ったのは……本心ですのよ?」


「……」


 ごくりと……思わずつばを飲み込んでしまった俺に、イアスラ殿が微笑みながら身体を寄せて来る。


「私の事……お嫌いですか?」


 掠れるような問いかけに、全身に電気が走ったような感覚を覚える。


 今日の夜は……長くなりそうだ。






「あれ……?隊長、もしかして朝帰りですか?」


「……」


 俺は服装や髪に乱れがないことを確認してから首を傾げる。


「なんでだ?」


「いや、服が昨日と……」


「……」


 なるほど。


 昔は連日同じ服でも気にする奴なぞいなかったというのに、裕福になった弊害がこんなところに……。


「……タレコミがあった。他の隊とも連携を取らなきゃならん大捕り物だ。打ち合わせがあるから今日は副隊長の指示で動け」


「りょ、了解です!」


 俺は部下に指示を出しながらロッカーの制服を着こみ、鏡を見てから来たばかりの詰所を出る。


 あぁ、太陽が黄色い。


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