第623話 とある日の治安維持部隊・前
View of ランディ=エフェロット エインヘリア治安維持部隊隊長 元ハンター協会ソラキル王都本部所属四級ハンター
「隊長、今日の報告書です」
「……今日も一日平和だったようだな」
「それ、報告書を見て言ってます?それとも俺の顔を見て言ってます?」
不満気な表情で言う部下に俺は笑って見せる。
その部下の右目には、綺麗な青あざが出来ていた。
「名誉の負傷ってヤツだな」
「あのおばさんの拳、尋常じゃないくらいに硬かったんですけど……」
「旦那さんもボロボロだったしな……」
そう言いながら俺は報告書に視線を落とす。
そこにはコイツの本日の活動報告が書かれていた。
南東地区にて夫婦喧嘩の仲裁一件。
その際に顔面を殴打されて負傷。
「……労災の申請は忘れずにな」
「その報告書じゃダメですか?」
「これは活動報告だからな、労災の申請は別に必要だ。まぁ、そんなに難しい書類じゃないから大丈夫だ」
「書類はほんと苦手なんですけど……」
そう言って苦々しい表情を見せる部下に労災の申請書類を手渡す。
目の周りの青あざと相まって……物凄く悲しげに見える。
まぁ、書類を書くのが苦手という気持ちは俺にもよく分かる。
魔物ハンターだった頃はまともに文字すら書けなかった。
辛うじて依頼書の内容を読むことが出来るといった程度……とてもじゃないけど書類をかける様な学はない。
しかし、治安維持部隊に所属するにあたって文字の読み書きや計算に関してはみっちり教育されたからな……当然部下もその教育を経て配属されている訳で出来ない訳ではないのだが……苦手意識と言うものはそう簡単になくならないものだ。
「大丈夫だ。そういうヤツの為に本当に簡単な書類になっているからな」
申請書の中にかかれている指示に従って書けば、申請が問題なく通るように出来ている。
俺も何度か申請したことがあるしな。
「分からなかったら聞いてもいいですか?」
「構わんが、まずはしっかりと申請書にかかれている文字を読むことだ。その上で分からなかったら聞きに来い」
「了解しました」
敬礼をしながら答えた部下は、難しい顔で俺の渡した申請書を見ながら近くの席に向かう。
その姿を見ながら、俺は内心苦笑する。
治安維持部隊に入隊して約三年。
気付けば治安維持部隊の小隊長になっており、書類仕事も増えた。
おかげで最初の頃は苦手だった文字にも強くなった……魔物ハンターをやっていた頃では考えられないな。
俺は背後にある棚からファイルを手に取り、部下の書いた報告書をファイリングする。
この綺麗な紙も金具のついたカバーだけのファイルも、数年前にはなかったものだ。
こんな簡単に本を作る事が出来るというのは素晴らしいことだし、何より必要な書類を探すのが凄まじく楽だ。
このファイルは陛下の発案で作られたらしいのだが……やはり陛下も大量の書類に悩まされているのだろう。
だからこそこんな便利なものを思いついたに違いない……気分転換に魔物を狩る様な王様だし、書類仕事のストレスはかなり凄そうだ。
まぁ、そのお陰で俺は陛下に救って貰えたわけだし、ストレスも悪い事ばかりじゃない……いや、陛下には口が裂けても言えないけどな。
そんなことを考えながらファイルを棚に戻した俺は部下に声をかける。
「どうだ?」
「いけそうです。思ったより分かりやすい書類で……」
「手続きが煩雑だと誰も申請しなくなるからな」
「これだと簡単すぎてかすり傷くらいでも申請する奴が出て来るのでは?」
「仕事中の怪我なら程度に関わらず申請して問題ないが……かすり傷では労災は下りないだろうな。仕事は普通に出来るし治療も必要ないからな」
けがの治療費用や治療の間働けない事に対する補償だしな。
と言っても……労災でお金が支払われたという話は今まで聞いたことがない。
基本的にポーションが支給されて終わり……所謂ポーション支給申請用紙といったところだな。
勿論それで治らないような大怪我ならちゃんとお金が支払われるみたいだが……ポーションで治らない怪我って、生きて申請が出来る状態なのだろうか?とも思う。
「俺も仕事に支障があるほどでは……」
「分からんぞ?それが切っ掛けで視力が落ちる可能性もあるし……きっちりと治しておくに越したことはない」
「……あのおばさんの一撃で頭が吹き飛ばなかった幸運に感謝しながら申請しておきます」
「それが良い。書類は机の上に置いておいてくれ、俺はそろそろ出ないといけなくてな」
俺が制服の上着を脱ぎながら言うと、部下はにやりと笑いながら口を開く。
「デートですか?」
「……そんなのじゃねぇよ。仕事だ仕事」
仕事なら制服じゃないと駄目じゃないですかーという声を背中で聞きながら、俺は詰所を後にする。
「お久しぶりですね、隊長さん」
俺が席に座るとにっこりと微笑みながら向かいに座る女性が挨拶をして来る。
「お久しぶりです、レキュル殿。先日は大変お世話になりました」
俺が挨拶と共に謝辞を述べると、一瞬驚いたように目を丸くしたレキュル殿が酒の入った瓶を持ち上げながら微笑む。
俺がコップを差し出すと、ゆっくりとお酒を注いでくれたレキュル殿が口を開く。
「今日は部下もいないことですし、もう少し砕けてくれると嬉しいのですけど……」
「……すみません。あまりこういう場所に慣れていないもので」
そう言って俺は部屋の中を軽く見渡す。
上品な内装の部屋には、俺たち二人の他には給仕をしてくれる女性が一人いるだけ。
頭上には魔道具の明かりが灯り、室温も非常に快適。
日は暮れたものの、エインヘリアにおいては夜はまだまだこれからといった時間帯で、一歩町に足を踏み出せば喧噪に包まれるであろうに、この部屋は俺達の会話する音以外一切聞こえてこない。
ここは高級料理店の個室。
恐らく一回の食事で金貨一枚では足りないであろうことは想像に難くない。
俺も安定した職業でそこそこの高給取りという自覚はあったが、流石にこんな場所で食事をする様な機会はなかったし、そもそもこの店で気軽に食事が出来る程金はない。
そんな高級店……当然俺は場違いなことこの上ないのだが、目の前に座るレキュル殿はこの店の空気に完全に溶け込んでいる。
イアスラ=レキュル殿。
かつて商協連盟内で最高意思決定機関と言われた執行役員会議。
その中で御大と呼ばれる御仁……ビューイック商会商会長バークス=バルバラッド。
彼の懐刀と言われていた女傑が彼女だ。
流石に執行役員ではなかったようだが、商協連盟に属していた商人で彼女の事を知らない者はいないと言うほどの大人物。
それに何より……凄まじく綺麗な女性だ。
絶世、あるいは傾国の美女と呼ぶにふさわしい美貌。
商協連盟のトップを支える頭脳。
商会会長としての財力。
三十を過ぎた年の頃だとは思うが……そんな若さでそんな地位に居る才媛……俺なんかと同席している事自体おかしいというものだ。
以前仕事を共にしたことがあるとは言え、そんな雲の上の人物とも言える彼女から誘われてこの店に来たわけで……正直、頭の中が大変な状態になっている。
「ふふっ……じゃぁ、今日は練習だと思ってください。恐らく今後はこういった店に来ることも多くなるでしょうし」
「そうでしょうか?」
「えぇ。今度転属される王都圏はこちら以上の発展ぶりですし、情報のやり取りでこういった店を使う事も少なくありません」
「……なるほど」
レキュル殿の言う通り、俺は来期から今まで所属していたソラキル地方北部エリアから王都圏へと転属となった。
ソラキル地方北部はエインヘリア国内でお世辞にも治安の良い方ではない。
いや、他国に比べれば遥かに治安は良いのだが、北にあるスコア王国やサレイル王国に居を構えるアホ共がちょっかいをかけてくることが多いのだ。
無論、治安維持部隊が全力で対処に当たっている為、表立って大きな事件が起こったりはしていないし、治安が悪いというのも治安維持部隊やエインヘリア中枢における認識で、一般の民はそんな認識は全く無いだろう。
だからこそやりがいのある仕事ではあったが、この度いくつかの事情がありこの地を離れることになった。
「ですが、おそらく王都で働くのは一時的な事になると思います」
「あら、そうなのですか?」
「レキュル殿も知っておられると思いますが、今度陛下の結婚式が王都で執り行われますよね?」
「えぇ。その為に、王都近郊の街に各地から治安維持部隊が回されていると」
「私もその一人です。陛下の結婚式が終わり民が落ち着いたらこのエリアに戻って来るでしょう」
俺がそう言うと、先程までのキレイな微笑みとは違いどこかこちらを見透かす様な笑みを浮かべるレキュル殿。
「ふふっ……そうですか。隊長さんがそう言われるのならそうなのでしょうね」
「……」
その笑みは間違いなくこちらの事情を理解していると言っている。
確かに陛下の結婚式に合わせて王都圏の治安維持部隊を増強するという理由もあるが……陛下の結婚式の後、俺は中隊長に昇進する為の研修を受ける事になっていた。
それが無事に終われば、次の任地……国内で一番不安定なエルディオン地方への配属となる予定だ。
彼女は……表向きは商会長という立場だが、裏というか……本職はエインヘリアの諜報機関に所属する人物だ。
恐らく、かなり正確にこちらの情報を持っているのだろうが……治安維持部隊の人事を俺の口から外部の者に漏らすことは出来ない。
例え所属している国が同じだとしても、組織としては別組織だからな。
「レキュル殿……」
「隊長さん、良ければイアスラと呼んでくれませんか?」
ぞくりとするような妖艶な笑みを見せながらレキュル殿が言う。
……凄いな。
同じ笑みだというのに、これ程千差万別に使い分けるとは……恐ろしい人だ
理性ではそう思っているのだけど……今、間違いなく俺は翻弄されている。
そう自覚しながらも、俺はレキュル殿……いや、イアスラ殿の言葉に頷いていた。
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