第620話 翁会談・前
View of ディアルド=リズバーン 『至天』第二席『轟天』
儂が部屋に入ると、窓際に座るくたびれた老人が目に入ってきた。
いや、かく言う儂も十分過ぎる程に老人ではあるが、今のこの者程くたびれた感じはしておらんはずじゃ。
老人の名はウルグラ=モルティラン。
エインヘリアに滅ぼされた魔法大国エルディオンの重鎮中の重鎮にして英雄。
バルザード=エヴリンと双璧を成す魔法の英雄……なのじゃが、今こうして窓際で魂が抜けた様に呆けておる姿からは、その片鱗すらうかがうことが出来ぬ。
「……リズバーンか」
億劫そうに首を動かし儂を見たモルティランが、驚いたような表情を見せる。
どうやら生きてはおるようじゃな。
「うむ。息災……には見えぬな」
「……そうだな」
「……」
一瞬目に生気を宿らせたように見えたモルティランじゃったが、すぐにその目を濁らせる。
先代皇帝であられるドラグディア様の御時代、スラージアン帝国とエルディオンは一度大きくぶつかった。
一度といっても、一回の戦闘という意味ではない。
ドラグディア様はエルディオンとの戦いを「なんか違う」とおっしゃり、一度和睦して以降自ら兵を率いてエルディオンと戦うことは無かったが、それでも和睦までの数年間幾度となく槍を交え……そして和睦後も小競り合いのような戦いで儂等は何度か戦った。
その戦いの中、三人のエルディオンの英雄と戦ったが……一番面倒だったのがこのモルティランじゃった。
英雄も軍も……正面から魔法を叩き込んでくることを最上とするエルディオンの連中の中、この者だけは様々な手をもって戦場をかき回した。
恐らくじゃが……ドラグディア様が直接モルティランと対峙しておったら、エルディオンとの和睦は無かったかもしれぬのう。
ドラグディア様を楽しませることが出来たのは、恐らくエルディオンでこの者だけ……儂としては、戦場で会いたくない相手の一番手じゃったが。
逆にバルザード=エヴリンは個人の戦闘能力ならモルティランよりも上じゃが、直情型で軍の指揮も直進しか出来ないようなタイプ……非常にやりやすい相手じゃった。
しかし、今こうして儂の目の前に居る老人からは、生気や覇気といった物が一切感じられぬ。
原因は……考えるまでもない。
エインヘリアとの一戦。
かの国を知る者であれば、その一言だけでおおよその察しが付くと言うものじゃ。
「座っても良いかの?」
「……好きにしろ」
尊大な物言いこそ残っておるが……いや、呆けておるように見えてその実、心の内は煮えたぎっておるのやも知れぬのう。
そんな風に感じた儂はモルティランの向かいに腰を下ろし、観察する。
「……」
「……不快な視線だ。そんなに私の落ちぶれ様が面白いか?」
「面白いかどうかと聞かれれば、最高と答えるのう」
「……」
「ほっほっほ」
そんな儂の答えと笑い声に、明らかな苛立ちを見せるモルティラン。
やはり心の底から呆けておったわけでは無さそうじゃな。
現に、顔色はともかく目に宿る意思が先程よりも明らかに強くなってきた。
「……久しいな、リズバーン。随分歳を取ったようだな」
「ほっほっほ。それはこっちの台詞じゃ。扉を開けた瞬間、間違って棺桶の扉を開いてしもうたかと思ったほどじゃったぞ?」
儂の言葉に鼻を鳴らすモルティランは、目だけはギラギラと強い光を放っておるが……やつれてこけた頬と窪んだ瞳のせいで幽鬼のようにも見える。
「ふん……少し不摂生な生活をしていただけだ」
「儂等の歳でそんなことをすれば、片足どころか全身を棺桶に突っ込んでおってもおかしくないという訳じゃな」
「否定は出来んな」
深くため息をつきながらモルティランは立ち上がり、何やら部屋を見渡す。
すると扉の傍に控えていたメイドが音もなく動き、淀みない動作でお茶を用意して儂等の前に置く。
その動きを見たモルティランは眉を顰め嫌そうな顔を見せたが、何も言わずに椅子に座り直す。
今儂等が居るのは、エインヘリア王都にある屋敷の一室。
儂等に茶を淹れてくれたメイドも当然エインヘリアの者で……英雄と謳われたこの男は虜囚に過ぎない。
そして恐ろしい事に、この屋敷にはモルティランだけでなくエヴリンや五色の将軍も幽閉されておる。
英雄を捕虜にすることもあり得なければ、その捕虜を一纏めにしておいておくこともあり得ないじゃろう。
この扱いも……こやつらの心を折っておる要員の一つと言える。
儂が同じ立場に置かれたら……やはりモルティランと同じように心を折られておったじゃろうな。
儂等が心折れずに今も『至天』として立っておられるのは、スラージアン帝国までが倒れた訳ではなかったというのが大きかったのじゃろう。
何も出来ずに国が滅んでしまったこやつらとは根本が違う。
……折れている暇もなかったとも言えるが。
「リズバーン……お主は、アレを知っていたのだろう?」
「儂等は数年前にエインヘリアとぶつかったからのう」
何をとは聞かず、儂は答える。
「……どう戦った?」
モルティランの真剣な面持ちに若干申し訳なさを覚えると同時に、エインヘリアの諜報力の凄まじさを改めて認識する。
スラージアン帝国とエインヘリアの戦争。
戦場に出た者であれば口をそろえて言うだろう。
戦いにすらなっていなかったと……しかし、あの戦いに参加していなかった者達は儂等とエインヘリアが引き分けたと認識しておる。
あの戦いに直接参加した者は……後詰を含めれば六十万強。
どんな口止めをしても間違いなく真実は漏れるものだが……何をどうすれば帝国外どころか国内でさえも欺くことが出来るのか。
……まぁ、あれじゃな。
この一言に尽きるじゃろう……だってエインヘリアじゃし。
さて、それはそうと……どう答えたものか。
エルディオンは既にないとはいえ、モルティランは敵対国の英雄……真実を教えるのは、儂の判断でやって良い事ではないのう。
ここに来ることの許可はとっていたが、エインヘリアについて何処まで話して良いか確認するのを忘れておったわ。
そんなことを考えていると、扉がノックされ一人の少女が部屋へと入ってきた。
「御歓談中失礼いたします、リズバーン様、モルティラン殿」
「ん?おぉ、シャイナ殿」
「御無沙汰しております、リズバーン様。旧交を温めているところ失礼とは思いましたが、参謀のキリクよりリズバーン様に言伝をあずかりまして」
「キリク殿から?」
はて?
キリク殿から伝言……?
なんじゃろうか?
「はい。問題ないのでお好きなようにしていただいて構わないとのことです」
「……ふむ」
なんのことかと問い返そうと思ったが、そう問い返す直前……シャイナ殿の笑顔を見て……腹に刃物でも突き刺されたかのような感覚と共にその意味を悟った。
い、いや……流石に偶然じゃよな?
儂がここに来ればそういう話になるのは当然……ならばキリク殿が全てを話しても構わないと思っていたのなら、それを伝えることに何らおかしなところはない。
寧ろ儂がそれを予め確認しておかなかったことの方がおかしいと言える。
儂がその事を悩んだ瞬間伝えに来たのは……きっとあれじゃな。
先程キリク殿に会ってモルティランと話をする許可を得た時に伝え忘れたとか……それで急ぎシャイナ殿に追いかけて貰ったから丁度良いタイミングだった……きっとそうに違いないのじゃ。
そうでなかったら心臓に悪すぎるのじゃ……。
……そうであってほしいのう。
儂が少し遠くを見ながらそんなことを考えていると、にっこりと微笑むシャイナ殿が口を開く。
「御歓談中、本当に失礼いたしました。私はこれにて下がらせていただきますが、何かご入用の際には彼女にお申し付けください」
そう言ってメイドと共に頭を下げるシャイナ殿。
「うむ、伝言感謝するのじゃ」
「いえ、それでは失礼いたします」
シャイナ殿が部屋から出て行き……儂はため息をつかない様に注意する。
大丈夫じゃ……問題ない……。
「……すまぬの、モルティラン。あー、エインヘリアとどう戦ったか、じゃったな?」
「……あぁ」
シャイナ殿の後ろ姿を見届けてから話しかけると、訝しげな顔をしていたモルティランが頷く。
「そうじゃな……まず大前提として、帝国とエインヘリアの戦いが痛み分けで終わったという情報。あれはエインヘリアによる欺瞞じゃ」
「……ありえん。確かにエインヘリアは情報操作に長けているが、戦争の結果を国内外に誤魔化すなぞ出来る筈もない」
自国の民相手ならともかくと続けるモルティランに儂は頷いて見せる。
「ほっほっほ、確かにその通りじゃ。普通に考えてそんなこと出来る筈がない」
「……」
儂が含みを持たせながら笑って見せると、モルティランは顔を歪めた。
普通あり得ない。
そういう普通の外にいるのが儂等英雄という存在だ。
エルディオンにおける非常識の筆頭がモルティランであり、その男が非常識だと言い捨てる様はいい気味だと思う気持ちが半分、同情を覚える気持ちが半分といったところじゃな。
「儂等が散々言われておった言葉じゃろ?そしてそれが全く意味のない言葉じゃと一番よく理解している筈じゃ」
「……」
「そもそも、お主が戦った相手……あれが常識で計れる相手じゃったかの?」
「……」
今度ははっきりと苦々しい表情でこちらを睨むモルティランに、儂は肩をすくめてみせたあと大きくため息をついた。
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