第619話 続々々々々・温泉界



 岩で囲まれた窪みに溜まるお湯。


 立ち上る湯気。


 しかし、湿気はその場に留まることなく霧散していく。


 湯を囲む壁や天井が存在していない為、それも致し方なき事。


 ここは、所謂露天風呂。


 この湯殿の名はヴァルハラ温泉。


 傷つき倒れし戦士たちを優しく癒す、露天風呂。


 ここは現世か常世か……それを知るものはおらず、ただ湯に浸かるのみ。


 そして今……湯に浸かっている者は三人……。






「なんか主役になった気がする」


「陛下、遂に頭がおしまいになってしまわれたのですね。おいたわしや」


「酷くないか?」


「申し訳ありません、元から終わっていましたね」


「どういうことなの?」


「つまり、ハルクレア殿の頭は今終わったのではなくとっくの昔に終わっていたとサルナレ殿は言いたいわけです」


「すまない、ザナロア殿。私はそこを聞いたわけではなかったんだ」


「おや、そうでしたか。てっきりそこを気にされていたのかと」


「全くです。陛下、言葉は正しく使わないと正しく伝わりませんよ?」


「頭が終わってるとか言ってくる奴に、言葉の正しさを説かれたくないな」


「しかし、陛下はこちらにきてから常々言っているではありませんか。衣すら纏わぬこの場にて心を偽わり言葉を飾っても仕方がないと」


「……まぁ、現世のしがらみを持ち込んでも仕方がないとは言ったが、虚栄を張らなきゃなんでも良いとは言ってないぞ?」


「身も心も衣を纏わず正直な自分でいるわけですし、歯にも布を着せないのが正しいのではないでしょうか?」


「思ったことをストレートに口から出すのは、正直者ではなくただの馬鹿だからな?」


「これは異なことを。この場において……唯の馬鹿である事に何の不都合がありましょうか?」


「私の心が傷付くという不都合があるな」


「大した問題ではありませんね」


「私にとっては大問題だ」


「そうは言いますが、陛下は生前好き勝手な言動を繰り返していたではありませんか。死後位謙虚にいてはどうですか?」


「……死後に罵倒を直接聞くことになるとはなぁ」


「世の中知らないことだらけですね」


「相変わらずお二人は仲が良いですね」


「ザナロア様……何度も申し上げておりますが、それは心外と言うものです」


「ははは」


「全くだ。コイツは死ぬより以前から欠片も私の事を敬った事がないどころか、蔑んでいた不心得者……仲の良さの欠片もないと断言しよう」


「蔑むなどと人聞きの悪い……死した後まで敬称でお呼びしているではありませんか」


「敬う気持ちの無い敬称なぞ、ただの呼び名……あだ名に過ぎんだろ」


「なるほど。素晴らしい御意見です、へーか」


「……何故だろうか?先程までと同じ音に聞こえたのに、強烈に馬鹿にされているような気がする」


「実に面白い御関係です。もし生前も今の様に本音を言い合える御関係だったら……とは思いませんか?」


「……」


「ははっ、ザナロア殿は本当に人が悪い。そのようなもしもは……意味が……ない……ような……?」


「ははは、失礼。これが私の性なので……おや?どうかされましたか?」


「いや……何故か今日は……不思議な感じが……」


「……陛下、もしかして消えるのですか?」


「……わからん」


「……」


「そういえば、この温泉も人が減りましたね」


「気付けばランガス殿やくそ……オーレルもいなくなったし、ドラゴンも他の湯を試すと言ったきり戻ってこないな」


「陛下……」


「……ふっ。そのような顔をするなサルナレ。既に死した我等がこうして酒を飲み、新しい出会いを楽しむことの方がおかしかったのだ。目を閉じた瞬間消えたとしても何ら不思議ではあるまい」


「……」


「おかしい……とは限りますまい」


「ザナロア殿?」


「ここに居た全員……いや、今も生きている全ての者が、死後どうなるかなんて知り得ない訳ですしね。この世界こそがあるべき死の姿なのかもしれませんよ」


「それにしては……死者の数が随分と少なくはありませんか?」


「我々には見通せぬ湯気の向こう……向こうにも我等と同じような境遇の者達が幾千幾万といないとは言い切れますまい?」


「詭弁ではないでしょうか?」


「えぇ。ですが同時に、けして否定できない話ではありませんか?」


「……それはそうですが」


「世界の一部を見てこの世の真理を悟ったと賢しげに語ることこそ、視野の狭さを喧伝している様なもの。世界とはかくも不思議に満ちており、我々が知覚できるのはそのほんの一部でしかない……ならば我々はそれらを感じたままに受け入れるしかないでしょう」


「……」


「ははっ、どうした?サルナレ。随分と似つかわしくない表情じゃないか」


「陛下……」


「確かに我等は良く分からない状況に瀕しているが……気にする必要もあるまい。私は私自身が生まれた瞬間も、私が私であると自覚した瞬間も覚えてはおらぬが、何不自由なく生きたし……気付いたら死んでこの場にこうしていた。その事に恨みつらみはないし、誰しもが当然のことだと受け入れるものだろう?ならば次の瞬間、誰にも気づかれずに消えたとしても、やはりそれはそういうものなのだ」


「ハルクレア殿のおっしゃる通りですね。だからこそ、私は思うがままに今を生きるべきだと思うのです」


「ザナロア殿程突き抜けてはおらんが……私もいつ消えてなくなるとも分からんからこそ、無駄に飾らず正直にありたいと思っている」


「……驚きました。ザナロア様はともかく、陛下がそこまで考えておられたとは」


「ふっ……無駄に飾り立てた結果が真っ二つ、だったのだろう?」


「……えぇ。あっという間に真っ二つになりましたね」


「流石に、笑い話にしかならん最後は二度も必要ない。虚飾に塗れたとしても、自分の心は誤魔化せんからな」


「……本当に驚きです」


「ふっ……」


「ついこの前龍王と名乗ろうとしていた方が、臆面もなく虚飾が空しいと言ってのけるとは……」


「……」


「……」


「ふふふ」


「このままへーかが消えたとすれば、我々の心に残るのは虚飾、虚栄に塗れたへーかのお姿ですね」


「……絶対消えんからな」


「色々とアレなんで、もうお諦めになっては?」


「絶対消えんからな!」


「ふふふふ……おや?お二方、いちゃつくのはその辺に」


「おぞましい事を言わないでくれるか?ザナロア殿」


「全くです。ちょっと消えるかと思いましたよ」


「それはそれで面白かったかもしれませんが……今はそれよりも、あちらをご覧ください」


「……ん?」


「おや、あれは……人影ですね」


「そのようだな。新しい来客か……」






 湯煙の向こうに消えていくヴァルハラ温泉。


 虚飾も虚栄も虚構も全てが呑み込まれてゆく。


 逝くものは追わず、来るものは拒まず。


 新たな客人を迎え、彼らは何を知り何を思うのか……未来も過去も今は無く、ただこの瞬間があるのみ。


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