第614話 その夜

 


「中々疲れたな……」


「そうじゃな。挨拶だけで何時間かかったんじゃろか?」


 部屋着に着替えた俺とフィオは自室のソファーでぐったりと脱力する。


 そんな俺達の様子に気付くこともなく……俺達が部屋に戻ってきたことで大興奮中のルミナが、向かい合わせになっている俺とフィオのソファーをジャンプで行ったり来たりしている。


 少しして落ち着いたら、今度は撫でて攻勢に出る事だろう。


 そんなぴょんぴょこ楽しそうに飛び回るルミナを、暫くの間ぼーっと二人で何となく目で追う。


 うん、これは間違いなく……二人とも疲れ切っているな。


 肉体的というよりも精神的に。


 このまま黙っていたら……俺達はルミナが満足するまでずっとその動きを見ているだけになるかもしれない。


 そんな気がした俺は、鈍い頭を必死に動かし口を開く。


「披露宴中は挨拶しかしてなかったから……五時間くらいか?」


 披露宴長すぎ……もう結構早い段階から挨拶を受けるマシーンになってたから、何も覚えてない。


 まぁ、楽だったのは挨拶をすると言っても、本当に言葉を交わしたのは数えるくらいで最初の一、二時間くらいでそれは全部終わったはず。


 後はどこどこの誰誰を紹介されて向こうが祝辞を述べて俺が一言返すだけ……フィオはそんな俺の隣で愛想よくしておくだけ……地獄の時間だ。


「晩餐会も挨拶しかせんかったじゃろ。プラス二時間じゃな」


「結婚式ってこんなに忙しいんだな」


「そうじゃなぁ。私達は準備は人任せで、自分達で何かをやったのはリハーサルと採寸と衣装合わせくらいじゃったが……お主の記憶の世界では準備段階から本人達で走り回るんじゃろ?大変じゃのう……人によっては複数回」


「……まぁ、そういう奴もいるな」


 居るには居るけど……結婚式当日の会話としては適切な話題ではなくない?


 若干俺がジト目になると、フィオは愉快そうに目を細める。


「しかし一日中一緒に居ったというのに、こうして会話をゆっくりできるのが夜になってからとはのう」


「確かにな。挨拶はひっきりなしだし、常に注目されているから小声で喋るのも難しい。式の最中が一番喋る事が出来たくらいだ」


「……式と言えば、色々言いたい事があるのじゃが?」


 今度は逆にフィオの方がジト目になりながら言う。


 しまった……藪蛇だ。


「ふむ?何か問題があったか?」


 そんな内心は当然表に出さず惚ける俺。


「そうじゃな……例えば、誓いの言葉……適当に言ったじゃろ?」


「そんな馬鹿な」


 ヤッパリバレテーラ。


「では聞き方を変えるのじゃ。緊張し過ぎて心ここにあらず……そんな感じじゃったじゃろ?」


「そんな馬鹿な」


 俺が肩をすくめてみせると、フィオは更に目を細くしながら足を組み替える。


 分かっている……その動きが誘いだという事は分かっているんだ。


 しかし、本能が……俺の本能が勝手に体の制御を奪い、覇王アイがしっかりと足の動きを追いかける。


 俺はそのまま……さりげない様子を保ったまま、こちらのソファーに飛び乗ってきたルミナの方に顔を向けて背中を撫でる。


「いや、しっかりバレておるからの?」


「そんな馬鹿な」


「絶対にバレると言ったじゃろ?」


「いや……今のは……誘っただろ?」


 絶対誘った!


 間違いなく誘った!


 だから俺は悪くない!


「なんか頭のおかしい痴漢の言い訳みたいなこと考えておらんかの?」


「そんな短いスカートはいている方が悪いんだ……ってか?」


 やばい、確かにこの状況……言いたい気がする。


 いや、あかんあかん。


「……すみませんでした」


「ほほほ」


「でも誘ったよな?」


「ほほほ」


 小気味よく笑うだけで何も言わないフィオをじっと見つめていると、撫で方に気持ちが籠っていないことを察したのかルミナが俺の隣から逃げてフィオの隣へと逃げていく。


 なんか二人に裏切られた気分だ。


「ルミナも痴漢野郎は嫌な様じゃな」


「……心が痛い」


 俺の言葉にフィオは口をあけて笑い、ルミナもきょとんとした表情で爆笑しているフィオではなく俺の方を見ている。


 ルミナは理解していないと思うんだけど……してないよね?


 ルミナにそんな目で見られてたら、覇王はショックで立ち直れないかもしれない……。


「まぁ、かく言う私も……ほとんど覚えておらんがの」


「何を?」


「……結婚式の話じゃよ」


「あぁ」


 俺の視線の話じゃないのか。


 出来ればそっちを忘れて貰いたい。


「お主と少し話したじゃろ?あの時だけははっきり覚えておるんじゃが、そこ以外が微妙でのう。やけに現実感がなかったというか……まぁ、儀式に取り込まれておった時よりは、はっきりしておったと思うんじゃが……」


「……フィオも似たような感じだったか」


「お主よりはしっかりしておったと思うがの」


 苦笑するフィオに俺は若干頬を引き攣らせながら謝る。


「そ、そうか……すまん」


「ほほほ、まぁ面白かったけどの。私以外の者には緊張しておった事すらバレておらんじゃろう」


「それは良かったけど……マジで?」


 つつがなく式が終わったから問題が無かったとは思っていたけど、思っていた以上にちゃんとできていたようだ。


「長い事王として過ごしてきたからのう……無意識でも取り繕えたようじゃな。自失しておる時のほうが普段よりキリっとしておった気もするのじゃ」


「そんな馬鹿な」


「その台詞、今日何度目じゃ?」


「それも含め、色々覚えてないな……人生で一番覚えていない日かもしれん」


「とんでもないクソ野郎じゃな」


 俺の台詞にフィオが楽しそうに笑い、俺もあわせて笑う。


 フィオの言う通り、結婚式のことを全く覚えていないというのは酷い奴だと言われて当然だ。


 それを笑い話にしてくれるのだから……感謝するべきだろう。


 数年後に喧嘩したらこの件持ち出されるかもしれないけど……物凄い弱みが出来た気もするな。


「フィリアやエファリアも挨拶に来てくれたが、流石に公の場だったからな。非常に堅い挨拶だったが……恐らく後日個人的にまた祝ってくれるだろう」


「そうじゃな。ところであの教皇なんじゃが……」


 そこで何処かもどかしそうに……というか言い辛そうにフィオが言葉を切る。


「クルーエルがどうかしたのか?」


「う、うむ。なんというか……挨拶に来た時にじゃな」


「うん?」


「なんかこう……視線が怪しくなかったかの?」


「怪しい?クルーエルが?」


「う、うむ」


 クルーエル……フェイルナーゼン神教の教皇だが、同時に帝国の皇帝であるフィリアと対等に議論が出来る女傑だ。


 そして……フィオにとっては一番警戒する相手だろう。


「……常識的に考えて、フィオがフェイルナーゼン神の元ネタだとは気づかない……よな?」


 クルーエルは、フェイルナーゼン神教の真の聖典によってフェイルナーゼン神が実在の人物だったことを知っているけど、同時にそれが数千年前の人物であることも知っている。


 今この時代にフィオとフェイルナーゼン神を結び付けられる人物はいない。


 普通そんな発想すら出てこない……しかし、そんな普通を超えて来るのが宗教関係者だ。


「うむ。それは流石にあり得ないじゃろうな。じゃが……なんというか視線が気になったのじゃ」


「結婚式に感動したとか?」


 俺の言葉にフィオは少し考えるそぶりを見せた後かぶりを振ってみせる。


「うぅむ……そういうキラキラした感じというよりもギラギラした感じというか、うっとりとねっとりを混ぜて濃縮した様な……」


「確かに、クルーエルは偶にぼーっとしている事はあるが……そんな感じだったか?」


「うむ……お主だけに向ける視線であれば、情欲でも抱いておるととれるのじゃが……」


「それはないだろ。クルーエルは信仰に身を捧げているタイプだし、自分の欲よりも他の救済を優先する。ある種歪んでいるとも言えるが、政治能力も高いし教皇として立派な人物であることは間違いない。そんなクルーエルが情欲って……程遠いにも程がないか?」


 フェイルナーゼン神教は別に姦淫を禁ずる的な教義はない……というか人口が激減した時代に生まれた宗教だからか、産めよ増やせよは寧ろ推奨されているくらいだ。


 しかし、教皇として職務に邁進しているクルーエルは色恋に現を抜かしている場合ではないと言わんばかりに禁欲的に活動している。


 唯一の息抜きが俺達とのお茶会だと言っていたが、アレは本当の事だと思う。


「そうかのう……?教皇と言えど人じゃとは思うが……まぁ、情欲とは言い過ぎとしても、ちょっと気になる視線をしておったのは確かじゃ。私とお主、二人に対しての」


「ふむ……まぁ、クルーエルなら今度お茶会の時にでも、何かあったか聞いてみても良いんじゃないか?案外結婚式の雰囲気にあてられていたとか、疲れていた所に酒が入ったとか……そんなところかもしれないしな」


 俺がそう言って肩を竦めると、確かにそうかもしれぬのうと言いながらフィオはルミナを膝の上に乗せた。


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