第572話 戦いの火ぶたが

 


View of ヴェイン=リングロード リングロード公爵家三男 青の軍新将軍






「白い……炎?」


 エインヘリア王から少し離れた位置に突如として立ち昇った白い炎は一瞬で消えたが、離れた位置にいる私の所にまで肌を焼くような熱が届き、続けて熱風が巻き起こった。


「俺は別に魔法が得意な訳ではないが、この程度は出来る。というか、うちの城で働くメイド達でもこのくらいの魔法は使おうと思えば使えるな」


 そんな人外魔境があってたまるか!


 肩を竦めながら放たれたエインヘリア王の言葉に、私は思わず飛び出しそうになった台詞を呑み込む。


 先程の白き炎。


 ほんの一瞬だったにもかかわらずこの辺りの気温を一変させるほどの熱量……あれが私に向けられていたとして、とてもではないが防げたとは思えない。


 そもそも、いつ詠唱していた?


 あれだけの威力の魔法……まさか最後に呟いた一言で発動させられるわけがないし……待機させていた魔法を最後の一言を起動キーにして発動させたのか?


 何にしてもあれだけ高威力の魔法、火魔法が得意なノリスでも出来るかどうか……。


「い、今のは……」


「ただの火属性の魔法だな。別に珍しくもないだろう?まぁ、貴様等の使うものとは少し違うかもしれんがな。火の属性専用魔法『白炎』……威力は知略依存だから、俺にとってはとりあえず使える程度のものでしかないが、」


「……」


 虚勢や誇張ではない。


 一切の気負いもブラフも感じさせず……寧ろ本音の部分であまり得意ではないと言い放つ。


 あれが……あの魔法を事も無げに放ちつつ、得意ではない?


 ふざけるなと言いたい。


 あの魔法……一つの極みに達しているとさえ思える程の魔法を使いながら、得意ではないだと?


「俺達にとって魔法とはこの程度のものよ。無論、魔法と言う技術そのものは素晴らしいものではある。だが、あくまで技術の一つ、学問の一分野でしかないと言うのが俺達の認識だ。人の上に魔法があるのではなく、人の手の中に魔法があるのだ。そしてそれを扱う扱わないに関わらず人に優劣はない……得手不得手があるのは当然だからな」


「……」


「とはいえ、どれだけ言葉を尽くそうと理解する気の無い者には伝わらんだろうがな。さて、これ以上言葉を交わしても何も得られるものは無さそうだ。俺としては残念な結果ではあるがな」


 そういってエインヘリア王は腰に佩いていた剣を抜く。


 刀身まで真っ黒な剣はシンプルな造りだが、妙な色気のようなものを感じる。


 何のために抜いたか……分かり切っている行動なのに、私は思考がマヒしたかのように行動を起こそうという気が起きない。


 ゆっくりと抜かれた剣がこちらに向けられてようやく、私の体にまともな思考が戻ってきた。


 自分のいる場所、存在、相手、現状……全ての情報が一気に流れ込んでくると同時に、事前に詠唱を終え待機させていた魔法をエインヘリア王に向かって全力で放つ!


 その瞬間エインヘリア王とその護衛の騎士を中心に、地面から隆起した岩の牙が前後左右から襲い掛かる。


 堅牙牢。


 私の使う魔法の中でもっとも対人制圧に優れた魔法で、全方位から襲い掛かって来る岩の牙を初見では絶対に無傷で防ぐことは出来ず、少しでも傷が入ればそこから毒に侵され例え英雄であっても一瞬で相手の動きを奪う。


 即死する程凶悪な毒ではないが、戦場において無防備を晒した者の末路は言うまでもないし、複数の牙で貫かれれば普通に絶命に至る。


 英雄であればそうそう死にはすまいが、元々相手を無力化するために準備していた魔法だ。


 相手が王であることを考えれば、結果的に大成功の選択だったと思う。


 これでエインヘリア王を捕縛すれば、この状況も一気にひっくり返る。


 正直言って、現時点の戦力でエインヘリアに勝つのは厳しい。


 しかしエインヘリア王返還の条件として講和……数年の不可侵条約を結べば、叔父上の力で戦力をひっくり返すことが出来るだろう。


 エインヘリアの兵の精強さは、恐らくここ数年実戦で戦い続けた事によるものだ。


 恐らくこの戦いを経験した者達には良い教訓になった筈。


 それに、北でやられたキュアン達もきっと取り返すことが出来るだろう。


 予想外の邂逅ではあったが、我がエルディオンには福音だったかもしれない。


「軍に被害は出たが、最高の結果となったな」


 興奮からか思わず口に出してしまったが、幸い声の届く範囲には誰もいない。


 しかし、なんとなく気まずさを覚えた私は咳払いをしてから堅牙牢を解除しようとして……それよりも一瞬早く、エインヘリア王達を覆い隠す牙が全て崩れ落ちる。


 その事に気付いた私は急ぎ次の魔法を詠唱……解き放つ!


 妖花霧……毒の霧を発生させる魔法だ。


 堅牙牢と違い直接的な攻撃力はないし、毒の威力も即効性も然程ではない。


 しかし、発生した霧の中で呼吸をするだけで相手を麻痺させることが出来る。


 屋外では魔法を発動させ続けなければ相手を麻痺させるよりも霧散する方が早いという欠点はあるが、発動状態を維持しておけば風に吹き散らされることがない。


 更に今は堅牙牢を崩したことによって土煙が舞っており、この毒霧に気付くことは出来ないだろう。


 二度も呼吸をすれば体を動かすのに違和感を、五度呼吸をすれば完全に体が麻痺する。


 ましてや……。


「……随分と空気が乾燥していたようだな。砂煙が……」


「も、申し訳ありません、フェルズ様!風属性を使うことが出来ず……」


「くくっ……気にするな、リーンフェリア。風を使えないのは俺も同じだ」


 余裕からか、あのように悠長に会話をしていればすぐに全身が麻痺する。


「とはいえ、こう埃っぽくてはな……」


「では、少々手荒いですが……っ!」


 そんな会話が聞こえた後、旋風が巻き起こり彼らを覆い隠していた土煙が吹き飛ばされる……しかし、私は妖花霧の魔法を解いていないので薄い霧が彼らのいる位置に残る。


「なんだこれは?霧?」


「魔法のようですが……目くらましにしては随分と薄い霧ですし、毒か何かでしょうか?」


「なんだ、毒か」


 なんだ毒かってなんだ?


 何処の世界に毒の霧の真っ只中にいると分かってなんだで済ませられる王がいるというのだ!


「リーンフェリアが吹き飛ばせなかったということは魔法的な毒だろうな。先程の魔法もそうだが、これも今まで聞いたことがないタイプの魔法だ。ふむ、やはりエルディオンの魔法は面白いな」


 暢気に会話を続けており、既に五呼吸くらいは軽くしている筈だが……何も問題がないと言わんばかりに平然と会話を続けているエインヘリア王と護衛の騎士。


 とりあえず……毒だと分かっているなら、せめてそこから移動しろと言いたい。


 私は魔法の維持を止め次の魔法を放とうと……。


「もう少し色々見てみたい気もするが、予定が詰まっていてな。とりあえず続きはその内見せてもらうとしよう」


 突如間近で聞こえた声に後ろに跳び退こうとした瞬間、腹に凄まじい衝撃が走り後方へと吹き飛ばされる。


 な、なにが!?


「む、手加減し過ぎたか?まぁ、英雄がどの位頑丈なのか知る良い機会か」


 私に蹴りを放ったエインヘリア王がそう呟いた瞬間、先程まで感じていた重圧が何倍にも強まった。


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