第561話 偶然の再会
View of ??? 元フェイルナーゼン神教枢機卿 『風』諜報員
私はエルディオンの諜報機関『風』の諜報員。
名前はない。
いや、ここ三十年近くはロウ=レフラスを名乗っていたが、所謂自身の名は持たない。
とはいえ、流石に三十年は長い。
ロウ=レフラスの名で呼ばれれば今でも反応してしまう可能性は否定できないが、この名を名乗ることは二度とないだろう。
フェイルナーゼン神教はその組織力や保持している武力に反して随分と穏やかな組織だが……やる時は何処までも苛烈になることが出来る組織だ。
まぁ、任務を終えた以上命を失う事に何の感慨もない。
最後に失敗という形なのが悔しくはあるが、無能の末路など考えるまでもなく決まっている。
だが……国は私に慈悲を与えてくれた。
長年の潜入に対し、その忠誠と献身に感謝と敬意を示す……そのような御言葉さえ頂いてしまったのだ。
『風』の諜報員は仕事の成否に関わらず大半が国に戻った時に廃棄される。
にも関わらず失敗した私はこうして生かされ、まだ国の為に働かせて貰えるのだ。
これに勝る喜びはないだろう。
と言っても、帰国してからの数か月私に命じられていたのは残念ながら待機ではあったが。
しかし先日ようやく任を預かり、こうしてエルディオンの外周部……ブランテール王国との国境付近へとやって来たのだ。
任務はエインヘリアの情報収集。
未だ私がフェイルナーゼン神教の枢機卿という立場にあったならそれなりに情報を有していただろうが、残念ながらロウ=レフラスとしての伝手は使うことが出来ない
再びエルディオンの為に働くことのできる喜びはあるが、私の人生の大半は潜入任務に費やされていた。
なので私の諜報活動は政治や交渉を使ったものが大半で、所謂普通の密偵働きというのは得意ではない。
無論、潜入任務に就く前に一通りの訓練は行ったから基本は頭に入っているが……子供の頃の話だからな。
実践できるかと問われれば……正直自信がない。
しかも対象はエインヘリア……情報を得るのがこの大陸で一番難しい相手だ。
「さて、どうしたものか」
ブランテール王国への出国手続きを終え、入国管理局の外へと出た私は呟くように言う。
外部の者がエルディオンへ合法的に出入国可能な場所は二カ所しかなく、その内の一か所がこの地だ。
入国管理局の施設の外には居留地があり、商人達の一時滞留が認められている。
まずはここで情報収集と行きたい所だが……飯処にでも行ってみるか。
そう考えた私は食事の香りが漂ってくる方へと顔を向けた。
「あれ?そこに居るのは……お久しぶりっスね!」
「……クガ?珍しいところであったな」
そこに居たのは北方諸国で幅をきかせている組織『酒蔵』の構成員であるクガだった。
聖地からエルディオンへの道中、護衛として色々と世話になった人物だ。
ここで偶然会うような人物ではないし、胡散臭さ……タイミングが良過ぎると言えるな。
「あー、えっと、何とお呼びすればいいっスかね?」
私の名を呼ぼうとして言い辛そうにしたクガがそう尋ねて来る。
逃亡中は私が偽名を使っていた事を思い出したのだろう。
「そうだな……ではスカリーと」
「了解っス。スカリーさんを送った後北方に戻ろうとしたんスけど……『酒蔵』が潰されちまったんスよ。それで適当にふらふらしてたっス」
「……適当にふらふらしていてこんな場所にはこないだろう?」
ここはエルディオンの居留地。
この場所まではある程度自由に国外の者も訪れることが出来るが、入国管理局の向こう側にはこの場にいる百人に一人も行くことが出来ない。
それでも人がここを訪れるのは、我がエルディオンで作られる高性能な魔道具を求めてだ。
「御慧眼の通りっス。実はスカリーさんと別れた後そのままエインヘリアの方に行ってみたっス。『酒蔵』が潰されている事は知ってたんで」
「……ほう?」
『酒蔵』が潰されていたことを知っていた?
いや、態度に見合わずこの男は優秀だ。
逃亡中……かなりの期間一緒にいてその事は十分理解している。
だから『酒蔵』が潰されたことを知っていてもおかしくはないのだが……ならば何故私の護衛を続けた?
私の安全を確保したのは組織からの指示だ。
命令を下した者達が消えた以上、仕事を続ける必要はないだろう。
「あれ?もしかして『酒蔵』が潰れた事を知っていたのに、何で護衛をしていたかとか疑問に思ってるっスか?」
「……」
「あはは、嫌だなぁ、忘れたっスか?確かに一番最初スカリーさんを助けたのは『酒蔵』の指示っス。でもその直後、俺個人に護衛の依頼をしたのはスカリーさんじゃないっスか」
「……確かにそんな依頼はしたな」
「っスよね?依頼を受けた以上最後まで完遂する。そこに組織がどうこうってのは関係ないんスよ」
そう言って肩を竦めるクガ。
確かにそれは護衛を依頼した側からすれば理想的な答えと言えるが……流石にそれを鵜呑みにする気にはなれない。
勿論私はクガに護衛を依頼するにあたり少なくない額を支払っているし、護衛中クガは一切手を抜かず完璧な仕事をしてみせた。
それがプロ意識から来るものか、それとも他に狙いがあるのかは私では判断出来なかった。
私自身長く教会に潜入し他人を欺き情報を集めてきたが……クガという男は一切裏が読めないのだ。
欲が感じられないとでもいうか……とにかく不気味としかいいようがない。
だが、その不気味さに目を瞑りたくなるほど有能なのだ。
「……相変わらず調子の良い男だ」
「あれ?結構いい事言ったと思うんすけど……ダメっスか?」
「……まぁ良い。それよりお前はエインヘリアの方に行ったと言っていたが、ここはエルディオンの国境だぞ?エインヘリアはもっと西だ。疾く行くと良い」
「いやいやいや、これから行くって言ってないっスよね?行ってたって言ったっスよね?」
大げさなくらい両手を顔の前でぶんぶんと振りながらクガが言う。
「ならばここで何をしている?」
「いやぁ、ちょっとばかし小遣い稼ぎでもと思ったんスよ」
「小遣い稼ぎ?あぁ、魔道具でも仕入れに来たのか?」
「商人じゃないんで商売とか無理っスよ」
にやにやしながらそう口にするクガは……どうもこちらを見透かしているようにも見える。
「……」
「まぁ、売りに来たんすけどね?俺が持ってきたのは情報っス」
そう言って自慢げに胸を逸らすクガ。
そういうことか。
持っている情報がどのようなものかは分からないが、恐らくそれはエインヘリアに関する情報なのだろう。
このタイミングで売りに来るならそれが一番高値がつく情報だ。
「売れたか?」
「いや、まだっスよ。今ここに着いたとこっスからね。でもエルディオンの中に入るのはなかなか面倒なんでちょっと悩んでるっス。この辺の商人に売ってもいいんスけど、商人相手じゃそんなに高く売れそうにないんで……」
……渡りに船と思ってしまいたくなるタイミングだが……都合が良過ぎるな。
だが、私は今までエルディオン国内……しかも『風』に管理された場所にいたのだ。
クガが何かを企んでいたとしても、私の情報を得た上で仕掛けて来ているとは考えにくい。
偶々と言うにはタイミングが良過ぎるが、狙ってこの事態を起こすことは不可能。
ならば話くらいは聞いておいても損はすまい。
それに『風』の者達から聞いた話によると、我々諜報機関の人間がエインヘリアの情報を手に入れるのは至難とのことだ。
嘘と断じてしまいたくなるが、誰一人としてエインヘリアの国内に潜入出来なかったのだとか。
そんなエインヘリアの情報……それが本物であれば、些細なものであったとしても手に入れたい。
「……」
「スカリーさんの知り合いで、エインヘリアの情報知りたい人とかいないっスか?」
「今の情勢であれば、エルディオンの者でそれを知りたくない者はいないであろうよ」
「スカリーさんは相変わらずいけずっスね。出来るだけ情報を高く買い取ってくれる人って意味っスよ!」
軽薄な様子で言うクガに対し、私はため息をついて見せる。
「そう簡単に中の人間に情報を売れる筈がないだろう?」
「……まぁ、そうっスけど」
恐らくクガであればエルディオンの中に入る事くらいは出来るだろう。
しかし、情報を欲しがるような者達がいるのは王都や軍事施設の中にいる者達だ。
いくらクガであってもエルディオンの奥深くまでは流石に潜り込むことは不可能と言える。
……ならば、少し恩に着せてやるか。
「安値で良ければ私が買ってやろう」
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