第543話 帝都にて



View of フィリア=フィンブル=スラージアン 先代皇帝を殺しておくべきだったと後悔しているスラージアン帝国皇帝






 考えない、考えない、考えない!


 ……。


 ……。


 ……よし、大丈夫よ。


 私はスラージアン帝国皇帝。


 そして今我が帝国は戦争中……だから、私事のアレコレは全て放り捨てて、今は皇帝として全力を尽くさなきゃいけない状況。


 何かあんなそれとかをどうこうしているアレはない。


 ふぅ……。


 暗示をかけるように、寝起きで非常に目つきの悪い鏡の中の自分を睨みつける。


 これが最近朝の日課になってしまっている。


 ……よし。


 行けるわね。


 私はドレッサーの上に置いてあるベルを手に取り鳴らす。


 朝の澄んだ空気に染み渡るようにベルの高音が響き、その余韻が消えるよりも一瞬早く侍女とメイド達が部屋へと入って来た。


 私の寝起きがあまり良くない事を知っている彼女たちは、無言で私の身支度を整えていき、私は鏡の中でどんどんと作り上げられていく皇帝の姿をただぼーっと見ている。


 こんな綺麗な鏡……流石はエインヘリアのぎじゅ……。


「っ!?」


「陛下?如何されましたか?」


「いや、何でもない。気にしないでくれ」


 訝し気に問いかけてきた侍女に、私は瞑目しながら答える。


 大丈夫……大丈夫よ。


 私は心を落ち着けつつそのまま瞑目を続け……再び目を空けた時、そこには今日の皇帝が完璧な姿で作り上げられていた。






「陛下、国境砦にいるリズバーン様からの報告書です」


 私はラヴェルナが差し出してきた報告書に目を落とす。


 敵影を確認。


 進軍速度が変わらなければ三日後に接敵。


 本日より『至天』第十五席、ユーリカ=ストラダが敵軍に潜入。


「思ったより国境に来るまで時間がかかったな」


「そうですね。輜重隊を含めても千以下……エルディオンの王都から一ヵ月というのは少しかかりすぎですね」


「他の軍が動く様子は?」


「調査部からは特にないと」


「他の軍と連動しているわけでもないと……まったく、エルディオンの連中には毎度毎度辟易とさせられるな」


 私の言葉に、ラヴェルナが苦笑しながら頷く。


「まぁエルディオンに限らず、どの国も……いえ、国内でさえも相手取るのが楽なことはないかと」


「少しは楽をさせてもらいたいものだ」


 書類を机に置き、顔を上げながらそう言うと、ラヴェルナだけではなく執務室に居た数人の秘書官達も苦笑しながら私を見ている。


「まぁ、エインヘリアとの戦争の時と比べれば随分と楽ではありませんか?」


「……そうだな」


 ラヴェルナの言葉に、表情を変えないようにしながら私は頷く。


 今の絶対わざとでしょ!?


 クソ親父の一件があってから、エインヘリアの名が出て来ると私が過剰に反応してしまうようになった為、ラヴェルナは面白がってこうして不意打ちをして来るようになった。


 好意的な見方をすれば……不意に私が挙動不審にならない様に慣らしてくれているとも取れ……るけど、私は確信している。


 ラヴェルナは確実に、徹頭徹尾面白がってやっていると。


 なんて性格の悪い女なの!


 いえ、知ってたけどね!


 従姉妹のような幼馴染が嗜虐趣味の少年愛好家とか救いようがないわね!


「……とはいえ、少々お疲れの御様子。陛下、少し休憩されてはいかがでしょうか?」


 どす黒い笑みを浮かべながらラヴェルナが休憩を進めて来る。


 これは明らかに、防音の行き届いた休憩室に私を引きずり込もうとしているだけだ。


「まだ仕事を始めたばかりだろう?」


 私が肩を竦めながらお前の考えはお見通しだと暗に告げると、座っている私を見下ろしながらラヴェルナはにこりと微笑む。


 その目は笑っておらず……貴方の考えたことこそお見通しよ……そう告げている様だった。


「……それより、敵軍の動きの遅さが気になるな。意味もなくこんなゆっくり行軍するとは思えん。少人数である事の強みはやはりその機動性だろう?」


「……加えて、英雄という圧倒的な個々の力によるゴリ押し。正直我々からすれば、一番嫌なのは英雄が軍として動かずにバラバラに国内に潜り込まれることでしたね」


 ラヴェルナが一瞬ジト目になったが、流石は筆頭書記官。


 すぐに私の話に返答をして来る。


「いや、寧ろ何故それをしない?確かに隊列を成してくる英雄は相当の脅威だが、正しい運用の仕方かと言われれば疑問があるな。一人で戦局を覆すと言われている英雄だぞ?三百人纏めて動かしても意味は無いだろ?寧ろ過剰戦力だ」


「それは『至天』を警戒しての事では?」


「確かに『至天』は強い。特に魔法大国を称するエルディオンにとって、ディアルド=リズバーンの名は目の上のこぶ。大陸最高の魔法使いの名を疎ましく思うと同時に恐怖も感じている筈だ。過去のエルディオンとの大戦ではかなり派手に暴れたらしいしな」


 エルディオンとの過去の戦いはかなり激しいものだったらしいが、クソ親父が中途半端な形で戦を止めた為決着に関してもスッキリしたものではない。


 当時の帝国の状態を考えれば、エルディオンとの戦いを講和という形で収めたのは英断とも言えるが……しこりが残ったのもまた事実だ。


「確かに、リズバーン様の武名はエルディオンの者達に深く刻まれている事でしょう」


「しかし、だからこそ軍を一塊にしておく理由が分からん。アレに数押しが効くか?明確な対抗手段が無ければ、空を飛ばれて一方的に蹂躙されるだけ……ディアルド=リズバーンの前に数は意味を成さない」


「……」


「それを一番よく知っているのが奴等だ。そんな奴等が、馬鹿正直に英雄を一塊の軍として動かしてくるだろうか?」


 違和感はずっとあった。


 しかし私も、上層部の皆も……英雄が三百人いる部隊と言う話を聞き、その字面に目が眩んでいたように思う。


「個々人が軍みたいなものだが、あくまで個人だ。補給路や退路確保の為、国境の砦を落とす必要があるか?適当に敵国内に入り込んでしまえば、後は好き勝手暴れるだけで良いのだぞ?三百人が固まって動く必要が何処にある?」


「それは……後続としてくる本隊の為では?」


「砦を落とす事自体はそうかもしれんが、その割に後続が動く様子はない。寧ろその三百人に集中しろと言わんばかりにじっくりと寄せて来ている」


 どうにもあからさま過ぎるのだ。


「陛下は今進軍して来ている三百人が囮……もしくは偽物だと?」


「……遠巻きにとは言え資源調査部の者達が監視している以上、偽物とは考えにくい。だが……本命ではないかもしれん。三百の英雄とは言っているが、正確な数を把握しているわけではない。例えば、そちらに目を惹きつけておいて少人数を帝国内に送り込む……『至天』を国境に釘付けにした上でだ」


「……まさか、本命は帝都と?」


「他にも重要な拠点は多いが、第一候補だな」


「……『至天』を戻しますか?」


「備えが必要かもしれんな」


 ゆるゆると進軍してくる様を見る限り、タイミングを合わせようとしている……おそらく事が起こるとすれば開戦当日辺りだろう。


 問題は何処が狙いかという事だが……。


「主要な者達は今日から城に詰めるように連絡を。それと敵に狙われそうな拠点にも警戒を厳にするように通達を。それとラヴェルナ、リズバーンに先程の件と合わせて誰かこちらに回す様に伝えてくれ」


「畏まりました」


 やはり英雄という存在は危険すぎるな。


 ちらつかされるだけで確実にこちらの意識を持って行かれる。


 普段はこちらがちらつかせている立場だったけど、これは認識していた以上に威力があるわね。


 英雄相手には一つ読みを外すだけで致命的になりかねない……その重圧が余計に視野を狭くさせ柔軟性を失わせる。


 しかも、エルディオンの英雄は人造の英雄。


 エルディオンという国の在り方を考えれば……英雄を使い捨てのような運用をしてきてもおかしくはない。


 そんな私の懸念を他所に……事態は動き出す。


 まず動きがあったのは、国境沿いの砦……予想していなかった事態に砦と、帝都が揺れた。


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