第525話 ……あれ?

 


「大した話ではない。親、そして年寄りと言うのはそういう生き物なのだというだけのことだ」


 そう言って小さく笑う前皇帝。


 その姿は何処か力の抜けた年寄りのようであったが……何故か俺にはその目の奥からギラギラとした熱のようなものを感じ取れてしまった。


 俺は生涯現役……その熱は俺にそう語りかけているようで、今こうして見せている姿がポーズに過ぎないように感じられた。


 ……俺が捻くれているせいかもしれんけど。


 というか、前皇帝よりもリズバーンの様子の方が気になる。


 なんというか、こちらは本当に心の底からフィリアの子供を望んでいるような……何だったらリズバーンの方が実父じゃないのと言わんばかりの、慈愛に満ちていながらも何処か心配そうな表情を見せているんだ。


 恐らく俺が前皇帝の言葉を額面通りに受け入れられないのは、横にリズバーンがいるからだ。


 だって明らかに違うもん。


 リズバーンの醸し出す空気と前皇帝の醸し出す空気……並んでいるからこそ違いがはっきり分かる。


 リズバーンは心の底から心配や不安、切望のようなものを感じるが……前皇帝の方は何処か面白がっている様な空気が隠しきれていない。


 それでいてその言葉は相手の心に刺さるというか、情に訴えかけながらも限りなく真実であり否定する余地がないというか……。


 要は厭らしい感じなのだ。


「なるほどな。親の心子知らずとも言うし、その辺りの隔意はどこにでもあるのだろう」


「そうかもしれねぇな」


 前皇帝にというよりもリズバーンに対して俺がいうと、オッサンが頷く。


「スラージアン帝国とエインヘリア、この大陸を今後牽引していく二大大国だ。今両国の関係は非常に良好で未来には何の不安もないように見える。だが、それは本当に恒久的な平和か?」


「くくっ……戦帝と称されたお前がそれを問うか?栄枯盛衰は世の理。どれ程優れた統治者であろうといずれは没するのと同じように、エインヘリアも帝国もいつかは衰退しよう」


 俺が肩を竦めながら言うと、前皇帝は目を見開く。


「……驚いたな。隠居のこの身ならともかく、現役の……しかもこれ程の領土拡大を成し遂げた王からそのような言葉が出ようとはな」


「俺が話しているのは死人だからな。死人相手に強がったところで意味はあるまい?」


「まだ片足しか墓に入っていない奴もいるが?」


「……それは一体誰の事ですかのう?」


 前皇帝の言葉に、穏やかながら剣呑な声を出すリズバーン。


 見事なまでに矛盾した感情を融合させているな……。


「やはり食えぬな、エインヘリア王」


 リズバーンの放つプレッシャーを物ともせずに、楽しそうに前皇帝が言う。


 やっぱり物凄い胆力だな……前皇帝。


 そして、当然だが俺もリズバーンの事は無視だ。


 触らぬ何とかに何とかはない。


「別に諦めているわけではない。俺は盤石となるように未来へとエインヘリアを送り出すつもりだし、その為考えることを止めるつもりはない」


「未来永劫……とはいかんが、少なくとも今代、次代、次々代くらいまで両国の関係を安定させる方法はあるだろ?」


「婚姻か」


 前皇帝の言葉に俺が回答すると、我が意を得たりとばかりににやりと笑って見せるオッサン。


 俺の感覚からすれば政略結婚ってのはちょっと……いや、かなり抵抗があるけど、それでもその効果自体は納得できる。


 親兄弟そして子供に孫……余程冷え切った間柄じゃない限り、血の繋がりがある者には甘くなってしまう。


 例え情が無かったとしても家同士の結びつきを強くして、時に実家の為に、時に嫁ぎ先の為に動く。


 送り出した者に子が出来れば、己に連なる者が他国の要職……相手次第ではトップに着くのだ。


 繋がりを強化し、情報のやり取りをスムーズにする……そう言った意味で結婚と言うシステムは非常に有効といえるだろう。


「悪くないだろう?」


「いや、はっきり悪いだろう。俺もフィリアも子供がいないし、それぞれが養子を取って結婚させても意味がない。つまりお前は、俺とフィリアが結婚しろと言っているのだろう?」


「そうなるな」


「馬鹿な。どう考えても後継者争いの火種にしかならん」


 下手をしなくても、エインヘリアと帝国を巻き込んで後継者争いの戦争が起こる。


「例えばだが……先に生まれた子をエインヘリア、次の子を帝国の後継者とするって感じに予め決めておくのはどうだ?」


「話にならん。先に生まれた方をどちらの王にするか……絶対にそれで揉める。それに、先程も言っていただろ?子が優秀とは限らんと。生まれる前に後継者を決めておいて、片方が優秀、片方がどうしようもない馬鹿だったら最悪だろう?」


「ふむ」


「そもそも、俺達は互いに王なのだ。当然自国を最優先にする……上手くいくはずがないだろう?最初から夫婦として破綻している」


 馬鹿馬鹿しいというように俺は手を振る。


 俺が心底そう考えている事が伝わったのだろう、少し考えるようなそぶりを見せながら前皇帝は更に口を開く。


「ならば、帝国とエインヘリアを一つの国に纏めたらどうだ?ついでに他の小国や属国も全て取り込んで、大陸の統一国家を樹立するんだ。フィリアと婚姻を結べば統一後の統治も混乱は最小限に抑えられる筈だ」


「先程よりはマシな意見だがそれも却下だ。統一国家……確かに見栄えは良いかもしれぬが、必ず破綻する。人は競い合う事で成長していくものだと俺は考えているが、それは国家であっても同じこと。ただ一つの塊となってしまっては、身内の満足で終わってしまい劇的な成長は望めなくなるぞ?成長を止めた国は腐り落ちるのも早い……下手をすれば孫の代まで持たずして統一国家は散り散りとなろう」


 それに何より……ほんとこれ以上は領土いらん。


 俺は魔力収集装置を大陸の隅々に設置出来ればそれでいいんよ……領土とか広がっても統治の手間が増えるだけで何一つ良い事が無い。


 それに、健全な経済圏を築くには他所の国が絶対に必要だ。


 水が流れなければ腐るように、金も回らなければ淀んでいく。


 仮に……統一国家の運営が上手くいき、百年二百年と国が存続したとしよう。


 今はまだ土地も資源もあり余っているけど、統一国家の誕生によって争いがなくなれば、人口は急激に増えるだろう。


 エインヘリアの様々な技術もあるし……人口爆発が起こってもおかしくはない。


 そうなってくれば……当然いつかは土地も資源も足りなくなる。


 いや、資源は魔力収集装置があれば枯渇することはないかもしれないけど、土地は足りなくなる。


 恐らくそうなる前に、大陸の外……海の向こうに目を向けるだろうね。


 他にも大陸があるのか……そしてそこに人は住んでいるのか……その辺は分からないけど、もし現地人がいれば……まぁ、戦争に発展するのは火を見るよりも明らかだろう。


 来年の事を言えば鬼が笑うとは言うけど、統治者が十年二十年先を見据えて動けなければお話にならないし、国家の事、民の事を思うならば百年先の事を考えて動かなければならないだろう。


 俺は死ぬけど民は永遠に生きるからね。


 それを守る国も……出来れば永遠を目指したいところだけど、覇王自身には明日くらいしか目指せない。


 キリクやイルミットでも千年先は……多分見据えられないだろう。


 絶対とは言えない恐ろしさが彼らにはあるけど。


 まぁ、何にしても……今後の発展を思えば、現段階で統一国家の樹立なんて進歩の阻害でしかないと思う。


「悪くない考えだと思ったが……お前には何か見えているのか?」


 統一国家の樹立なんて、忙殺される未来くらいしか見えないけど……。


「くくっ……統一国家を作るにはまだ機が熟していない。ただそれだけの事だ」


 恐らく大陸を統一……一丸となれるのは海を越えた先に国家が見つかってからじゃないかな?


 例え敵性国家が見つかったとしても一丸となれるかどうかは微妙……それでも他の存在が見つかっていない状態で作るよりはよっぽど現実的じゃないかな?


「機が熟していない……真意は読めねぇが、少なくとも大陸統一をするにはまだ何かが足りないってこったな?」


「あぁ。現時点では統一国家を作らない方が良い未来に辿り着けよう」


 俺の返答にまた少し考えるそぶりを見せた前皇帝は、再び確認するように口を開く。


「統一の件はとりあえず置いておいて……帝国とエインヘリア、今後の為にも縁を持ち絆を強固にすると言う意見に異論はないんだよな?」


「あぁ」


 うちと帝国……関係が良好であるに越したことはないし、その為に縁組をするというのは良い話だとは思う。


 でもなぁ……自分の子に政略結婚を命じるのは……なかなか気が重い。


 幼いころから交流を密に取って仲良くさせておけば、罪悪感も薄まるかも知れないけど……仲良くなるかどうかは本人達次第だからな。


 下手にお互い大っ嫌いとかなったら……最悪だ。


 こっちも向こうも子沢山って感じだったら、中の良い子達も出て来るだろうけど……現状俺もフィリアも子供どころか相方すらいないからな……。


 俺がそんなことを考えている間にも前皇帝は話を続ける。


「だが、フィリアとお前が結婚するのは火種にしかならない」


「そうだな」


「ならば、縁組は次代……それぞれの子ということになるな」


「俺もフィリアも相手がいないがな」


「確かにそれは問題だが……フィリアはともかく、お前の方は大丈夫だろ?男なんだし、やろうと思えば今すぐだろうと十年後だろうと二十年後だろうとやれるはずだ」


「……否定はしないな」


 二十年後でも二十三歳だし……まだまだ元気どころか絶頂期と言っても過言ではない筈。


「だが、俺はともかくフィリアの方は養子か?それだと実の孫と言っていたお前の希望は叶わなくなるが」


「最悪の場合はそれも受け入れる……だが、もう一つ手はある」


「ふむ」


「お前とフィリアが子を作り、その子に帝国を継がせればよい」


「話が戻っているぞ?俺とフィリアは結婚……」


「分かってる。結婚すれば碌な事にならないってのは理解した。だから、結婚する必要はない。子を成すだけだ。そしてその子には帝国の皇位継承権のみを与え、エインヘリアの王位継承権は持たないとすれば良い」


「……」


 それって……俺に子種だけ出せと……そういう事?


 いやいやいや、それはどうなんよ。


「待て、どうしてそうなる」


「悪くない話だと思うが……」


「突拍子が無さすぎる。それだとお前の希望を通しているだけだろう?」


 孫の顔が見たいから適当なとこから子種拾ってこいって……それってどうなん?


 あ、でもなんか……どこぞの父親が、子供が出来たら離婚して家に帰ってこいって娘に言ったとか言わなかったとか……そんな話を思い出したんだけど、娘を持つ男親ってそんな感じなん?


「そんなことはないだろう?エインヘリアと縁を結び、国同士の繋がりは確実に強固になる。お前からすれば子供だし、次期エインヘリア王からみれば異母兄弟だ。数代は繋がりが強固だし、時代が進み血が薄くなってくればまた婚姻を改めて結べばよい。そうやって帝国とエインヘリアは共存共栄していくことだろう」


 兄弟だからと仲が良いとは限らんが……でも魔力収集装置があるから他国に住む兄弟であっても、それこそ毎日会う事すら可能だし、絆を深めることは難しくないように思う。


 母親同士が良好な関係であれば、子供同士そこまで極端に仲が悪くなることもないだろう……ソリが合わない可能性ももちろんあるが。


 って、待て待て。


 そうじゃないだろ?


「例えそうだとしても、俺にはまだ妻もいないんだ。その状態でフィリアと関係を持てるはずがないだろう?」


「なら、お前が正妻を持てば、この方向で考えても良いよな?」


 それなら構わない……と言うとでも思ったか!?


「そもそもフィリアは養子で良いと言っている。お前としては無念かもしれんが、わざわざ俺と子を成す必要はない筈だ。縁を結ぶのは次代でも問題なかろう」


「おいおい、自分の子に政略結婚を押し付けるのは良くて自分は子種を出すことを拒否するのか?」


「……」


 本当に面倒なオッサンだな……。


「両国の為になる。それは間違いないと思うが?」


「……」


「分かった。お前なら国の為、民の為に私心を殺し、子供達により良い未来を残す礎となる事を喜ぶと思ったんだが、当てが外れたな」


「くくっ……そんな挑発に乗るはずがないだろう?」


「ちっ……可愛げのない奴だ。だが、正直な所……親の欲目を除いても、フィリアは良い女だぞ?」


「それについては異論ない。だが、この件に関しては彼女の意思が第一だ。そうだろ?腹を痛めるのはフィリアで、そしてなにより皇帝本人なのだから」


 こんなところでこのオッサンと決められるような話ではない。


 っていうか、フィリアは養子で良いって言っているんだから、子を成すとかそういう事に興味がないんだろう。


 無理強いしたらオッサンが殺されるぞ?


 元々死人だし……フィリアにはそれをする権力がある。


「なるほどな。確かにフィリアの意思が大事だな」


「あぁ」


 神妙な顔で頷く前皇帝。


 ……っていうか、何だってこんな話になったんだ?


 リズバーンも聞いてはいけない話を聞いてしまったみたいな顔になってるし……これ帝国に戻ったら面倒が起きそうだよね、俺は関係ないが……。


 何故か満足気な笑みを浮かべるオッサンと気まずそうなリズバーンを見つつ、俺はすっかり冷たくなったお茶を飲んだ。


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