第507話 正社員



View of ドリュー ムドーラ商会商会員見習い






 商協連盟がまだあった頃、ムドーラ商会は恐怖の象徴だった。


 商協連盟の闇……触れてはならない存在。


 触れたら最後、闇の奥底まで引きずり込まれるか、即座に全てを失うか……ムドーラ商会とはそういう存在だった。


 しかし、エインヘリアという国に商協連盟が呑み込まれ、ムドーラ商会はその在り方を大きく変えた。


 なんというか……あくどさがなくなったというか、恐れられることには違いないのだが……同時に頼られるようになったのだ。


 俺は……商協連盟時代は下っ端も下っ端で、大したことはしていなかった。


 精々スラムのガキどもにデカい面するくらいだろうか?


 しかしそれもエインヘリアになる前までの話だ。


 国の名前がエインヘリアに変わったところで、俺達の暮らしが変わることはない……最初の頃はそう思っていた。


 だが、それがいかに甘い考えだったのか理解するのにそう長い時間は必要なかった。


 まず最初に変わったのは……スラムのガキ共だ。


 ある日を境に、ガキ共の姿がスラムから一切いなくなったのだ。


 これには最初焦りまくった。


 エインヘリアという国になった途端スラムからガキ共が消えたということは、間違いなく国が関係してやがる。


 ガキ共を殺したか攫ったか……どちらにせよ碌でもない事に違いない。


 消えたガキどもの事を探したかったが、ただの下っ端構成員に過ぎない俺にはどうする事も出来なかった。


 そうこうしている内に、今度はいつの間にかスラムその物が無くなってしまった。


 スラムって無くなるもんなの?


 いや、国の方針でスラム街が潰されると言う話は昔聞いたことがあったが、それはそこに住んでいた住民を追い出し、街そのものを更地にしてしまうと言うやり方だったのだがそういう感じではなかった。


 日に日に街が綺麗に、住民が綺麗になっていき……段々とスラム街そのものが普通の住宅街へと変化していったのだ。


 スラム街には職の無いものや脛に傷のある者……そして現役の犯罪者の巣窟で、その街の汚い部分を煮詰めたような場所だ。


 それがどういう訳か、気付けば健全な場所へと変貌していた。


 商協連盟があった頃、この辺りはとにかく混沌としていたように思う。


 財を築き上げる者がいれば、全てを失い落ちぶれていく者がいる……九割の落伍者と一割の成功者、そして成功した者の中から新たな落伍者が生まれる。


 全てを手に入れた翌日、全てを失うかもしれない……そんなギャンブルのような狂騒が支配していたのだが、国の名前が変わり、その熱の種類が変わると同時にムドーラ商会も変貌を遂げた。


 下っ端に過ぎない俺には知らされていなかったが、幹部がごっそりと入れ替わり、しのぎも大きく形を変え、ただ恐怖されるだけだった組織から一目置かれるような組織へと変貌したのだ。


 昔は国が変わっても……上の人間が変わっても下っ端の俺達には全く関係ない話だと思っていた。


 しかしそうでは無かった。


 上の考え方ひとつで、俺達下っ端の生き方すら変わる。


 権力と言うものがもつ影響力は、世界そのものさえも一変させてしまう物だと知り……俺は恐怖した。


 俺がムドーラ商会の下っ端からややマシな下っ端になるまでの二年余りで、ムドーラ商会の在り方は大きく変わった。


 勿論日陰者であることに変わりはないのだが……俺は、ただ生きるために生きるのではなく、この商会で前向きに頑張っていきたいと考えるようになっている。


「兄貴、シーブロンツの連中がこっちに手を出してきているそうっスけど……」


「あぁ、帝国の方から南下してきた奴等だな」


 俺が事務所で退屈そうにしていた兄貴に声をかけると、だらけていた兄貴が一瞬で空気を換えて返事をくれる。


 普段はのんびりと事務所で舟をこいでいる事の多い兄貴だが、こと敵対組織の話になると長い付き合いの俺でもブルっちまうくらいの凄味を出してくるんだよな。


「うっス。まだ先遣っぽい奴等がちょろちょろしてるだけみたいっスけど、どうするっスか?」


「先遣か……因みに何人くらいとか分かってんのか?」


「うっス。全部で八人っス。先遣のまとめ役は、エーボルって男っス。ハンター崩れで三級まで行ったそうっスけど、素行が悪くて追放されたとかなんとからしいっス」


「……」


「どうしたっスか?」


 先程まで剣呑な雰囲気を滲ませていた兄貴が、きょとんとしたような表情で俺の方を見る。


 なんか変な事言っただろうか?


「いや……お前、それ自分で調べたのか?」


「いやいや、まさかっス。情報通な人達から教えてもらったっスよ」


「……それを自分で調べたって言うんだが。驚いたな、お前そんな特技があったのか」


 特技って……ちょっと話を仕入れて来ただけなんだけど、兄貴は何を驚いているんだろうか?


「そんな大層なもんじゃないっスよ。連中酒場とかでデカい顔しているみたいっスから、ちょっと聞いただけでアホ程話を聞かされるっス。酒場のおかみさんとか滅茶苦茶鬱憤溜まってるみたいっスよ」


「そうか……まぁ、連中は任せとけっておかみさん達に伝えとけ。俺達もシーブロンツの連中の事は把握してる」


「そうだったんっスか?」


「暫く泳がして、相手の狙いを調べようと思ってな。それが分かれば先遣は一気に潰して……ついでに帝国にいる本体も潰すか?」


「帝国の本体って……大抗争になるんじゃないっスか?」


 最近はムドーラ商会も落ち着いたと思ってたけど、やっぱやる時はやるって感じだな。


 兄貴はそういうの得意そうだけど……俺はやっぱり荒事はあまり得意じゃない。


「まぁ、その辺は上次第だけどな。いざ潰すとなっても……まぁ、うちの戦力を考えれば一方的に叩き潰すだけになるだろうし、大抗争ってほどじゃねーよ」


 兄貴はそんな風にあっさりいうけど……俺が聞いた感じ、シーブロンツはそんな小さな組織じゃない。


 昔のムドーラ商会みたいに手広く犯罪に手を出していて、賭博や殺人請負は当然、薬や人身売買等にも手を出しているって話だ。


 帝国の法律は緩くはない。


 そんな国でそれだけのことが出来るってことは、間違いなく貴族と繋がりのある組織ってことだ。


 絶対生半可な組織ではない。


「まぁ、心配すんな。抗争になったとしてもお前は前線には立たねぇよ」


「べ、別にビビってなんかないっスよ!」


「そういうのは関係ねーんだよ。お前まだ幹部挨拶前だろ?」


「……そうっスけど」


 幹部挨拶……ムドーラ商会の幹部がごっそり変わってから行われるようになった行事で、例え古参の者であったとしても幹部挨拶を済ませない内は正式な商会員を名乗る事は許されないのだ。


「ははっ!ぶすくれんなよ!お前もそろそろ良い頃合いだしな」


「頃合い?え?それってもしかして……」


「あぁ、幹部挨拶に推薦してやるよ」


「あ、あざーっス!」


 俺は椅子に座る兄貴に全力で頭を下げながらお礼を言う。


 つ、遂に俺も幹部挨拶を……!


 下っ端の中じゃ上の方になったとは言え、まだまだ見習いのぺーぺーには違いない。


 そんな俺が正式に商会員として推薦されるだなんて!


 まぁ……抗争に参加するのは正直遠慮したい所だけど、正商会員には絶対になりたい!


「あー、喜んでるところわりぃが、まだ話は終わってねぇぞ?」


「うっス!すんませんっ!」


「ムドーラ商会の基礎についてはしっかり教えてやったよな?」


「うっス!」


 昔のムドーラ商会では許されていたありとあらゆる犯罪行為だが、今となっては上の指示以外でそれに手を出せば……身内であろうと容赦なく罰せられるという事。


 ごろつきからドロップアウトした様な連中には大層不評だが、俺の様に孤児上がりの連中には比較的すんなりと受け入れられている大原則だ。


 犯罪をやりたくてやってる連中は確かに少なくないが、生きるために仕方なくって連中も少なからずいるってことだ。


 俺はどちらかというと後者で、生き延びられればどんなことでもやるってタイプだが、ムドーラ商会の幹部が変わって、下っ端であってもそこそこの給料が貰えるようになったこともあり、率先して犯罪行為に手を染める必要はないと思っている。


 まぁ、俺達の貰っている給料は罪を犯して稼いでいる物なんだろうけど……。


「基本が分かってるなら問題ねえ。後これは最終確認だが……俺達ムドーラ商会は日陰もんだ。それは理解しているな?」


「うっス」


「正式に商会員になったら……もう後戻りは出来ねぇ。希望すりゃぁ足を洗う事は出来るが、それは結構大変だ。今ならまだ引き返せる。下っ端のお前は殆ど犯罪行為に手は染めてないだろう?」


「それは……そうっスね」


 精々用心棒をやった時の喧嘩やスリ……くらいのものだろうか?


「幹部挨拶に行ったらもうカタギとは言えねぇ。上からの命令はどれだけ理不尽な物でもやらなきゃいけねぇ、そこに個人の感情を挟むことは許されない。そういう世界だ」


「……」


「はっきり言うぞ?俺はお前がムドーラ商会の正商会員になることを勧められねぇ。だが道を選ぶのはお前自身だ。どうする?幹部挨拶に行くか?それともカタギに戻るか?勿論カタギに戻るっていうならしっかり仕事は面倒見てやるぞ?」


 真剣な様子で言う兄貴からは、本気で俺の事を案じてくれている事が伝わって来る。


 昔のムドーラ商会であったなら、真っ当な職を紹介してくれるのであれば間違いなくそちらを選んでいただろうけど、今のムドーラ商会はただの犯罪組織と言ってしまうのは少し違うと思う。


 勿論兄貴の言うように、真っ当な仕事でない事は確かなのだが……兄貴もそうだけど、何処か信念のようなものを感じるのだ。


 そして、俺はその姿に憧れている。


「心配して下さってありがとうございます、兄貴。ですが、俺はムドーラ商会の正式な商会員になって兄貴達と仕事をしたいと思っているっス」


「いいんだな?」


 念を押すように尋ねてくる兄貴に、俺は力強く頷く。


 そんな俺を見て兄貴は小さくため息をついたが、その後笑みを浮かべながら口を開いた。


「なら、俺はもう何も言わねぇ。この先の苦労はお前自身が選んだもんだからな。じゃぁ、幹部挨拶の話を続けるぞ?お前は情報収集が得意みたいだから、多分可愛がってもらえるだろうよ」


 兄貴のその言葉に嫌な物を覚えた俺は、若干顔を引きつらせてしまう。


 可愛がる……それは、絶対に額面通りに受け取って良い言葉ではない。


 若い連中を色々な意味で弄ぶのが趣味ってお偉方は少なくないと言う噂を聞いたことがある……これは、そういう……。


「あー、アホなこと考えてるみたいだが、そういうんじゃねぇよ。変な含みなく可愛がられるって意味だ。まぁ、その分大変だろうがな」


「どういう意味っスか?」


「幹部挨拶ってのは……まぁ、すげぇキツイんだよ。因みに俺は半年くらいかかった」


「……半年って、幹部挨拶出来るまでっスか?」


 俺は今の時点で一年半以上見習いやってるんスけど……。


「ちげーよ、幹部挨拶に掛かった時間だ」


「??」


「幹部挨拶ってのは、本当の所挨拶なんかじゃねぇんだよ。考えてもみろ、正式な商会員とはいえ、幹部と一々会えると思うか?そんな暇な人達じゃねぇって」


「えっと……じゃぁ、何するんですか?」


「……一人前の商会員になるための修行だよ」


「修行……なんのっスか?」


「……適正に合わせて色々だな。まぁ、これから行くお前に言うのもなんだが……アレは地獄だ。相当覚悟しといたほうがいいぞ」


「……あの、兄貴……やっぱり推薦の話ちょっと待ってもらっても……」


 さっきよりも遥かに嫌な予感を覚えた俺は兄貴にそう切り出すが、兄貴は俺から視線を逸らさず……満面の笑みを浮かべながら言葉を続ける。


「汗と涙と血反吐をまき散らす日々になるとは思うが、まぁ、死にはしないから安心しろ。いや、死にたくなっても死ねないから安心しろ」


「全然安心できないっスよ!?」


 死にたくなるほどの地獄って……拷問!?


「安心しろ。尋問を受ける特訓は……残念ながらあるけどな」


「……お世話になったっス。兄貴、先程言ってた真っ当な職を紹介してくれるって件……詳しく聞かせて貰えるっスか?」


「馬鹿め!ムドーラ商会からは逃げられねぇんだよ!お前はもう選んだだろうが!そうほいほい自分の考えを変えるような奴に真っ当な職が務まるかってんだ!」


「ひぃ……」


「明日にでも正式に推薦してやるから首を洗って待っとけ!みっちり研修受けられるように念入りに伝えといてやる!」


「あ、兄貴!勘弁してくださいっス!」


 この日から半年後……俺はムドーラ商会の正商会員として採用され、主に情報収集担当としてエインヘリア国内外で働くこととなった。


 因みにシーブロンツの連中は、何の盛り上がりもなく潰されていた。


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