閑章

第501話 土いじり子爵の華麗な一日・始



View of ヘルミナーデ=アプルソン スラージアン帝国子爵






 わたくしは普段通り、日が昇ると同時に畑へと向かいます。


「今日はトマトときゅうりとナスの収穫日でしたわね」


「はい。バロメッツは明後日ですね」


「う……」


 バロメッツ……。


 あのとんでもない植物?と初めて目が合った時は、思わず羊の目を潰してしまうところでしたわ。


 普通動物の目というのは、じっと見つめていると吸い込まれてしまいそうなくらい澄んだ瞳なのですが……バロメッツの目は……なんというか奈落の底に落ちていきそうな、虚ろな何かを覚えるんですのよね。


 動物じゃなく植物だからでしょうか?


 まぁ、とても有益な植物であることは間違いありませんし、茎から切り離したバロメッツも非常に従順で、言葉を理解しているかのようにこちらの指示に従ってくれるので、手間が全然かかりません。


 それに、さしものエインヘリアの農作物と言えど、他の野菜や果物は収穫して輸送する間に鮮度が落ちてしまいますが、バロメッツに関しては……水さえ与えておけば輸送中も鮮度は落ちません。


 水だけで良いのは謎……いえ、深く考えてはいけませんわ。


 バンガゴンガ様も言っておられました。


 まずは受け入れる事からだ、と。


 バロメッツの栽培を始めた際、バンガゴンガ様が物凄く心配しておられましたが……三十日目まで再三羊が生ると言われ続けたからこそ、皆さんあの光景に耐えられたのだと思いますわ。


 聞くところによると、バンガゴンガ様が初めてバロメッツを栽培された際は、エインヘリア王陛下から事前に聞かされていたにも拘らず、信じることが出来なかった為、凄まじい衝撃を受けたとの事でした。


 わたくしは予めエインヘリアの国営農場で、バンガゴンガ様に幾度となく注意されながら初邂逅していたおかげで、なんとか冷静に対応出来ましたが……流石のグッテさん達でも動揺しておられましたからね。


 まぁ、そんなバロメッツはまだ収穫を二回しかしておらず、まだまだ慣れるには時間がかかるでしょう。


「とりあえず、明後日の事は明後日ですわ!今日の収穫を完璧にやれない者に明後日は来ないのですわ!」


「おっしゃる通りですね」


「さぁ、張り切って作業を始めますわよ!今日もこの後は学校ですからね!」


 わたくしは鋏を片手に作業を開始します。


 この農業用の鋏はバンガゴンガ様から譲って頂いた物ですが、殆ど力を込めず野菜を収穫出来る為、非常に重宝しており、即日領民の皆さんの分を自費で購入……しようとしたらその事がエインヘリアにバレて、無償で譲っていただくことに……。


 大変恐縮ではありましたが、まだ財政的に苦しかった時分……恥ずかしながらお言葉に甘えさせていただきましたわ。


 それはそうと、作業に集中しませんと……わたくしが野菜の収穫、セイバスが野菜の運搬と種の回収を担当しております。


 まぁ、私も収穫した野菜を背負った籠に入れているので、運搬は二人で行っているとも言えますが。


「そうですね。今日のお嬢様の一限目は私の授業ですし、それに本日はパーティーがございます。余裕をもって作業を終わらせて湯あみをするべきでしょう」


「流石に学校へ向かう前に湯あみは必要ですが……なんですの?パーティーって」


 そんな予定聞いていないのですが……一体何のパーティーが?


「パーティーを御存知でない?いや、まさかそんな……いくら芋臭きこと右に出るものなしと謳われたお嬢様でも、パーティーを知らぬとは……もしや、脳が腐っておられる?」


「誰がアンデッドですの!パーティーの意味を聞いたわけではありませんわ!パーティの話自体が初耳だと言っているのです!」


「あぁ、なるほど。そういう事でしたか。失礼いたしました、お嬢様」


「貴方が失礼なのはいつも通りなので気にしていませんわ」


「はい。お嬢様が言葉を正しく使えない事を失念しておりました事、謝罪させていただきます」


「謝罪が果たし状替わりですわね!?」


 わたくしはセイバスの眉間に鋏を突き立てんと繰り出しますが、あっさりと刺突を避けたセイバスはしゃがみ込みトマトの種を回収します。


「実を全て収穫したら種が二つ残るのはどういう仕組みなのでしょうね?」


「今冷静な疑問は必要ありませんわ!それより本日パーティーがあるとはどういうことですの?」


「どういうことかと申されましても、パーティーが本日ありますよとしかお返しできませんが……」


「そういうのは良いので、詳細を教えなさいな!」


 相変わらずのらりくらりと話をはぐらかそうとするセイバスを睨みつけると、丁寧な手つきで拾ったトマトの種を専用のケースに収めながらセイバスがため息をつく。


「ふぅ……令嬢にあるまじき目つき。礼儀作法の先生の顔が見たいですね」


「鏡を持ってきてあげますのでとっとと話を進めやがれですわ!」


 礼儀作法の講師は貴方でしょうに!


「なるほど。これは……今期私はボーナスをもらう事を諦めるべきですね」


「……」


 大丈夫ですわ……これ以上セイバスに何を言っても無限ループ……だからここは無視するのが一番ですわ!


「……」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……はぁ……ボーナス」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……」


「いい加減何か言いなさいな!」


 これ以上ない程のスルーっぷりに、遂に根負けしたわたくしはセイバスに声をかけてしまいます。


 ですが、セイバスは……心底きょとんとでも言いたげな表情でこちらを見てから口を開く。


「ボーナスが貰えない事への空しい想いを吐露しましたが?」


「本気でどうでも良いですわ!今日はパーティーがあるんですの!?準備はどうすれば良いのですの!?」


「がっつかれるのははしたないですよ?お嬢様。とりあえず、興奮して鼻息が荒くなっているところ申し訳ありませんが、お嬢様が何か準備される必要はありません。精々汗まみれのその身体をしっかり洗い流しておく程度でしょうか?」


「……物凄く言いたい事は沢山あるのですが、湯あみをするのは当然ですわね」


「えぇ、そうしてください。以前は雪が積もろうと頭から水を被っていた我等がアプルソン領ですが、最近は季節を問わず魔道具で快適な湯を用意できますからね」


「うちの領の皆さんが冬だろうと風邪の一つもひかなかったのは、偏に極寒であろうと清潔さを保ったからではないかしら?」


 エインヘリアで受けた初歩の医療教育からすると、清潔さというのは健康と密接に関係があるとのことでした。


 うちの領の皆さんは、昔から豪雪だろうと行水を怠らない方々ばかりでしたからね。


 昼間はしっかりと働き、その汚れをしっかりと落としてから就寝する……計らずとも健康的な生活を送っていたという事ですわね。


「限度があると思いますがね?流石に豪雪の中行水をすると言うのは……普通の方であれば命を落としかねませんし」


「そうなのでしょうか?」


「……初歩の医療教育は……もっと初歩中の初歩からやるように報告書を出しておきましょう」


「??」


 何やらセイバスが真剣な表情で言っておりますが、まぁ、この男は真剣な顔をして人に毒蛇を投げつけてきますからね、全く信用できませんわ。


 というか、それよりもパーティーですわ。


「わたくしがパーティーの準備を一切しなくて良いと言うのはどういう事ですの?わたくしはパーティーに参加しなくても良いという事ですの?」


「いえ、お嬢様はパーティーの主役です」


「わたくしが?どういう事ですの?パーティーを主催する予定なんて無かったはずですわ?」


 というか、以前に比べ遥かに裕福にはなりましたが、パーティーを主催しても我がアプルソン領に人が集まるとは思えませんわ。


 いえ、貴族としての繋がりが無いと言う話ではなく……現在、我がアプルソン領は領外からの客の受け入れは行えません。


 来られるとすれば、帝国上層部かエインヘリア上層部……そんな方々相手にパーティーの主催なんて、間違いなく色々な意味で死にますわ!


「いえ、お嬢様が主催するのではなく、お嬢様は……主賓。今回のパーティーは、所謂お貴族様の行うパーティーではなく、もっと気軽に行われる物です」


「気軽に行われるパーティーなんて聞いたことがありませんわ?」


 パーティーとは即ち、自分の持つ力を示す場であり、派閥における繋がりを強化するものであり、情報交換の場です。


 そこではギラギラとした欲望が、料理の油よりもギトギトしているのですわ。


「帝国式のパーティーではなく、エインヘリアの文化にございます」


「なるほど……そういう事でしたの」


 エインヘリアの物であれば……帝国のそれとは趣が異なっていて当然と言えましょう。


「はい。ですので、お嬢様は何一つお気になさらず、普段通りの格好でパーティーに参加してください。これは所謂……サプライズパーティーですので」


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