第486話 最後の一手



View of パルコ=ヒューズモア セイアート王国将軍






「将軍!英雄が行方不明に!」


「どういうことだ?」


 駆け込んできた伝令の言葉に私は問い返す。


 これから開戦という状況で英雄が行方不明?


 勝手に敵軍へと突っ込んでいったとかでもなく?


「上流から堰に水が押し寄せてくる直前、突如英雄がふらついたかと思うと川の傍でしゃがみ込み……次の瞬間上流から濁流が押し寄せ川の傍にいた英雄を飲み込み……」


「そうか……分かった。対岸の兵に通達!敵軍へと投降せよ!無駄に命を散らす必要はない!それから我々は砦まで退くぞ!」


 輜重隊を失った時点でもはや我々の遠征は失敗だ。


 先日までいた砦には千の兵と食料と装備、そして井戸水が存在している。


 領境の砦なので、本国からの支援も数日あれば届く。


 現状、砦に籠り耐えることが最善と言える……耐えられれば、だが。


 当然だが、この状況で砦に籠り本国から救援が来るのを待つ……そんな策をとる事は出来ない。


 カイ=バラゼルがわざわざ明け渡してきた砦だ。


 こちらの調査では罠を見つけることは出来なかったが、まず間違いなく何らかの仕掛けがされている筈だ。


 籠城を始めたその日の夜に砦の壁が全て崩壊してもおかしくない。


「将軍……英雄は……」


「捨ておけ。無事ならば合流できるかもしれんが、この状況では救助しようがない。それよりも撤退を急げ!ここにもすぐ敵が来るぞ!」


「は、はっ!」


 砦までは軍の足で一日、早馬を出せば半日と掛からない距離だ。


 それに輜重隊という一番足の遅い部隊がいない今、砦まで戻るのに一日とかかることはない。


 何一つ嬉しくはないが。


「それと砦に伝令を先行させろ!恐らく砦にも本日中に敵軍が来る!敵が来た場合は予め出しておいた指示に従って動くようにと!」


「直ちに!」


「それと、先の水攻めの被害を纏めてくれ。凡そで構わん」


「……はっ」


 矢継ぎ早に指示を出した私は、対岸の向こうで防御陣を敷きつつ白旗を上げる軍を見る。


 私が読み違えたせいで彼らには苦難を強いてしまった。


 抵抗せずに捕虜となれば無下には扱われぬはずだが、それでも最終的には大半の者が戦争奴隷に落とされるだろう。


 本来であれば賠償金と保釈金を払って彼らを解放してもらうところだが……現在の我が国にそんな余裕はなく……恐らく上層部は彼等を見捨てる。


 全ては私のせいだが……流石に私が彼らの保釈金を払う事は出来ないし、私の首と引き換えに要求しても通りはしないだろう。


 英雄は使い潰し、その上で出来る限り兵達には被害が出ない様に立ち回りたかったのだが……恐らくその思考はカイ=バラゼルには筒抜けだった。


 英雄を切り離し、更に川を使って軍を分断。


 しかも物資を本隊から切り離す形でだ。


 先陣と輜重隊だけで戦う事は不可能だし、物資から切り離された本隊が戦う事も不可能……カイ=バラゼルは殆ど兵を失うことなく中央、そして北から攻め寄せる我々を無力化したわけだ。


 トリバンダル将軍の方はどうなっているだろうか?


 今回のカイ=バラゼルは……決めに来ている節がある。


 間違いなく南も大変な事になっていると思うが……今南の状況を知る術はないし、何より下手をしなくても我々は全滅……現時点でもそれに近い状況だ、他人を心配している余裕はない。


 私は残していく対岸の兵達に心の中で謝罪をしながら、砦に向けて軍を転進させた。


 そういえば……水が押し寄せる前に英雄がふらついていたと報告があったな。


 ……毒でも盛られたか?


 そういえば、堰を制圧した時に多少手傷を負っていたと報告があったな……その時に遅行性の毒を喰らっていたのかもしれない。


 毒が効いたところに濁流の直撃……普通に考えれば死んでいると思うが、普通でないからこそ英雄と呼ばれるわけで……死体が見つかるまでは断言出来ないな。


 まぁ、英雄についてはどうでも良い。


 いや、出来ればそのまま死んでくれていた方が助かるが……。


「将軍、砦に籠城でしょうか?」


「いや……もうこの状況で戦い続けるのは不可能だ。砦に残した者達には物資を纏め、いつでも撤退できるように準備をさせてある。だが……中央を撃破した軍が我々の背後を取っていた場合、その数にもよるが砦は落とされているかもしれん。敵影が見えたら即座に伝令を飛ばし、狼煙を上げるように言い含めておいたが、今の所その様子はない」


 私は進行方向の空を見るが、今の所狼煙が上がっている様子はない。


 要所要所に残してきた中継の部隊が全て潰されていなければ……砦はまだ健在と見て良いだろう。


「砦に残した兵と合流したらそのまま国境まで逃げる。強行軍にはなるが、国境までは輜重隊も失った事だし二日もかかるまい。無事に逃げられれば、だがな」


「襲撃はありますか?」


「あるな。対岸に残してきた兵を捕虜とするだけで満足は……しないだろう。カイ=バラゼルは間違いなくこの戦争で我々との因縁に決着をつけるつもりだ。徹底的に潰しにかかって来るぞ」


「厳しい撤退戦になりそうですね……」


 表情を硬くしながら言う副官に頷いて見せる。


「好材料は、我が国の国境まで然程距離が無い事と、少なくとも背後から襲い掛かってくる軍は川のお陰でしばらく足止めされている事だな。周囲に飛ばした斥候が感知できる距離に敵軍はいない訳だし、恐らく砦までは安全にいけるだろう」


「少数の部隊が潜んでいる可能性は十分ありますし、安全とは言い難いのでは?」


「十や二十ならともかく、百や二百の部隊を見逃す程うちの斥候は節穴ではない。それは斥候を手ずから鍛えたお前が一番分かっている筈だ」


「ははっ……責任重大ですね」


 苦笑する副官に、私も笑いかけた。


 状況は絶望的だが、まだ全ての希望が潰えた訳ではないのだ。


 それに立場上……私はただで投降する訳にはいかない。


 いざという時は、先に投降した兵達を含め……私の首と引き換えに彼等の立場を守るつもりだ。


 此度の戦……勝つ気の無い私が指揮し、彼らを死地に追いやった。


 上手く負けるつもりだったが、カイ=バラゼルは私のそんな考えさえも利用し、こちらを叩き潰すつもりだったようだ。


 両国の関係を思えば致し方なき事だが、付き合わせてしまった将兵達にその責任を押し付けたくはない。


 私はそんな決意を固めていたのだが……砦まで戻った私達が目にしたのは、一部の隙も無くバゼル王国軍に包囲された砦の姿だった。


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