第485話 三手目

 


View of パルコ=ヒューズモア セイアート王国将軍






「将軍、英雄につけていた斥候からの報告です。堰を守っていた敵軍を撃破、現在堰の防衛についているとの事」


 英雄がやられることはなかったか……こうなると、本体から英雄を引きはがす為の策だったと見るべきか?


 副官の報告にそんな事を考えながら指示を出す。


「ならば予定通り、堰を死守するように。損害は?」


「英雄が多少傷を負ったようです」


「傷を?そんなに抵抗が激しかったのか?」


「どうやら多数の罠が設置されていた様です。それと傷とは言っても殆どかすり傷のようなもので動くことに支障は全く無いようです」


 英雄と言えど、やはり傷は負うのか……無敵の存在などではないということだな。


「そうか……因みに川の向こうへと放った斥候はまだ戻ってないか?」


「はい。そちらは一人も帰還しておりません」


 川の向こうで斥候狩りをしているのは確実……間違いなく敵は川の向こうに潜んでいる。


 渓谷辺りで仕掛けてくると思ったのだが、それにしては斥候狩りが早すぎる。


「何かあると分かっていても進まねばならんのは苦しいところだな」


「堰は壊さないのですか?」


「……悩ましいところだな」


 渡河する前に堰を切れば、当然渡河は難しくなる。


 だが渡河中に堰が切られるような仕掛けがあれば、こちらの被害は甚大なものになる。


 渡河した後に堰を壊せば退路が断たれる可能性もある。


 斥候狩りの動きから川の向こうに敵がいるのは確実……渡河前に堰を壊せば恐らく敵は対岸へと布陣するはず。


 だが……対岸に布陣するつもりだったのなら最初から陣を敷いておけばより堅牢なものが用意できたはず。


 それをしない理由……水攻め、奇襲……渡河直後、もしくはその最中に奇襲か?


 川の向こうから……それと、恐らくこちらの軍の背後にいるであろう、中央を潰した軍により川を挟みこむように奇襲をかけられたら……なるほど、これはマズいな。


 一応砦からここに至るまでの道には見張りを置いているが……ここはバゼル王国内。


 我々の知らない抜け道を使って軍が現れる可能性は十分あると言える。


 安全を追うならば、堰を壊し、川が落ち着くのを待ってから渡河する……しかし、相手の狙いを考えれば……。


「急ぎ渡河を行う。恐らく堰を壊そうと敵軍が動くはずだから英雄に死守するように通達を。渡河後は敵の奇襲に警戒を。それと渡河完了後堰を壊す」


「退路を断つのですか?」


「出来れば壊したくないところだが、背後からの奇襲を防ぐ意味合いと……仮に撤退するとなった場合、その段階で堰を奪い返されてしまっては碌な事にならないからな」


 堰の守りを完璧に出来るのであれば残したい所だが……森を燃やすという最終手段があるからな。


 絶対の防御は不可能だ。


「渡河完了後、強行軍になるが英雄を最前線において峡谷まで一気に突破する」


「はっ!」


 今の所、後方に敵軍の姿は見えないが……伏している軍がいると見て動いた方が良いだろう。


 仮に、後ろから一軍が我々を追ってきているとするならば、正面の軍を一気に突破しなくてはあっという間に窮地に立たされることになる。


 だが……流石に罠を仕掛けやすい峡谷を勢いのまま突破する事は出来ない。


 地形的に、峡谷に入る直前の開けた場所は陣を張るのに適している……可能であればそこに陣を張りたいが、そんな条件の良い場所を易々と明け渡してくれるとは思えない。


 斥候が帰ってこない以上調べようがないのだが……これ以上ない程進退窮まっているな。


 私の命令に従い渡河の準備を進める軍を見ながら、私はどうしても胸の内に溜まる嫌な予感を振り払うことが出来ない。


 ……気持ち悪い。


 森に火の手が上がれば渡河はすぐに中断するが……渡河が始まってさえしまえば、多少火を付けられたところで渡河が終わるまで堰を守る事は出来るだろう。


 英雄の援護……という訳ではないが、二百程の部隊を堰の方には回してある。


 流石に英雄を含めた二百の兵を、こちらに伝令を出す暇を与えずに処理することは不可能だ。


 堰の方は問題ない……奇襲も最大限警戒しているし……恐らく決戦は渡河中ではなく渡河後。


 見える範囲には前方も後方も敵の姿は無い……そして前方のみ、斥候を深く出すと狩られる。


 状況を見るに間違いなく川を越えた先……恐らく渓谷の手前で接敵すると言えるのだが……。


「その間違いなくというのが問題か……」


 カイ=バラゼルを相手にするなら、間違いないという状況がそもそも間違っている……いや、カイ=バラゼルによって作られた虚構である可能性が高い。


 ……どれだけ考えを巡らせようと、堂々巡りになるだけなのは分かっている。


 だが、堰の話を聞いてからずっと嫌な予感が拭えない。


 しかし、そんな私の思いとは裏腹に、渡河の準備を終えた軍は号令に従い渡河を始めた。


 順次渡河を進めていく兵達。


 最初に川を渡る者達……最も危険ではあるが、少なくとも即座に攻撃をされる位置に敵の姿は無いので特に問題なく渡河は進んでいく。


 彼らは渡河を終えると共に対岸に簡単な拠点を構築。


 それが終われば輜重隊の渡河が始まるが……これはかなりの時間を有するし、敵が襲撃を仕掛けてくるとすればこのタイミング。


 私だけではなく軍全体に緊張が走ったが……時間はかかったものの、やはり何事もなく輜重隊も渡河を終えた。


 次に渡河するのは後衛……弓矢隊や魔法使い隊を主軸にした部隊だ。


 その後本陣である我々、最後に殿の軍となる。


 このまま何事もなく渡河が完了する……そんな風に気を抜いていたわけではないが、順調に進んでいくとかの様子を見ていた私は、ふと足の裏に振動のようなものを感じ辺りを見渡す。


 一瞬、敵軍の襲撃かと思い慌てたのだが、やはり敵軍の姿は何処にも見えない……しかし、やはり振動を感じる。


 振動が気になりしゃがみ込んだ私が地面に手をついたその時だった、天啓がおりたようにある事実に気付いてしまった。


「渡河を中断しろ!既に渡河中のものは装備を捨てても構わん!急ぎ岸にあがれ!」


「しょ、将軍?」


 しゃがみ込んだまま叫ぶ私に、一瞬驚いた様子を見せた副官だったがすぐに方々に指示を飛ばす。


「水だ!水が来るぞ!川から離れよ!急げ!装備は捨てろ!」


 副官が私の意図を汲み指示を飛ばし、直後狂ったように陣太鼓がかき鳴らされるが……間に合わない!


 立ち上がった私の視界には凄まじい勢いで押し寄せる真っ黒な水が、堤を削り岩を巻き込み押し寄せてきている!


 最も恐れていた攻撃を……最悪なタイミングで受けてしまった!


 押し寄せてきた濁流は、逃げ遅れた兵達をその悲鳴ごと吞み込み、全てを蹂躙しながら突き進んでいく。


「しょ、将軍!何故水が!?堰が壊されたのですか?」


「……違う。アレは英雄達に守らせていた堰が壊されたわけではない。いや、結果的にその堰も壊れたのだろうが……あの水はもっと上流……我々が奪った堰よりも上流に作られたもう一つの堰が切られて起こったものだ!」


 私の叫びに、周囲にいた者達が目を剥いて固まった。


 カイ=バラゼルはこの川の治水工事を行っている……地図では確認出来なかったが、水量調整の為に上流にため池のような物を作っていてもおかしくはない。


 そうでもなければ、堰を森の中に作り十分な水量をそこに貯めておきながら、さらに上流にそれ以上の水を貯めておくことなぞ出来る筈がない。


 森の中に隠す様に堰を作り、陣まで作ってそこを守らせる。


 それによって、もう一つの堰が存在する可能性を我々の頭から消し去ったのだ。


 一朝一夕で出来るような策ではない……砦を使い時間を稼ぎ、堰に水が溜まる時間を確保した。


 そういう風に思考を誘導した上での二重の策。


 完全にしてやられたが、今この時が一番危険だ。


「次があるぞ!周囲を警戒しろ!川が荒れて暫く渡河は出来ん!対岸の連中にも警戒するように伝えろ!浮足立つな!敵はそこを狙ってくるぞ!」


 続けて叫んだ私の言葉に、周囲が時間を取り戻し一気に動き始める。


 すぐに太鼓や旗を使い、対岸の軍にも指示を飛ばすが……向こうはこちら以上に動揺している。


 恐らく今奇襲をかけられれば碌に抵抗できず対岸の軍は壊滅する。


 援護しようにも、弓矢隊はほぼ壊滅……我々は刈り取られていく同胞達をただ見ている事しか出来ない。


 いや、こちらはこちらで間違いなく襲撃を受けるだろう。


「英雄に伝令を出せ!無事かどうか分からんが……こちらでも対岸の軍でも構わん!合流するように伝えろ!」


「将軍!対岸に敵影が!」


「数は?」


 悲鳴のような声で報告を上げる副官に、私が端的に尋ねると、少し落ち着きを取り戻したのか声のトーンを落とし、目を細めて敵影を確認するようにしながら報告を続ける。


「まだ全貌は見えませんが……峡谷方面から二千は下らない数が進軍して来ております」


「渡河が済んでいるのは三千五百……輜重隊を含めてだ。そして、後衛は各部隊所属の者を合わせても五百はいないだろう。ぶつかるだけ無謀だな」


 恐らく相手の狙いはこちらの物資を奪う事だ。


 前方にも後方にも敵がいると睨んでいる以上、輜重隊をあの順番で渡河させるのは必定……そこを読まれ、完璧なタイミングで分断されてしまった。


 対岸の兵を救う事は能わない……そう判断した私が対岸の者達に投降するように指示を出そうとしたところで、伝令が駆け込んでくる姿が見えた。


「将軍!」


 ……今度は何が起きた。


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