第455話 しあわせ



View of ヴァルダス とある北方諸国に住む魔族






 日の出とともに目覚め畑で作業をして、日が最も高くなった頃に作業を終える。


 畑での作業が終わった後は農具の手入れや、森での採取等を行う。


 採取を終えて家に戻り、細々とした作業をして日の入りから少ししてから寝る。


 そんな代わり映えの無い毎日が幸せなのだと気付いたのは、一年半ほど前……母さんが狂化し、討伐された後の事だった。


 父が亡くなった時はまだ幼かったため、そういった実感を覚えることはなかったのだが、母さんの事は流石に堪えた。


 いや、俺以上に辛かったのは妹に違いない。


 母さんが狂化の予兆を見せた時、俺は森で採取をしていたのだが、妹と母さんは家で繕い物をしていた。


 母さんが自身の狂化の予兆を感じ、妹を村長宅へ事情を伝えるために走らせ……その後すぐに避難が始まり、近隣の街から討伐の為の軍が派遣された。


 母さんの事があった今も俺達がこの村で過ごすことが出来ているのは、父の残した功績のお陰だ。


 十年前にこの村が魔物に襲われた時、父が命を懸けてこの村を守った。


 その結果父は命を落としてしまったが……その英雄的働きによって救われた村の皆が、母と子の三人家族となってしまった俺達の生活を助けてくれたのだ。


 しかし、母さんが狂化したことによって流石に今まで通りとは行かなくなった。


 それは当然そうだろう。


 村人に被害が出なかったとはいえ、母さんが狂化した後の戦いが相当激しいものであったことは、討伐にきた軍にも被害が出たことから分かっている。


 今まで仕事を手伝ってくれたり、採取を共に行ってくれていた村人たちから俺達兄妹は距離を取られてしまったのだ。


 しかし、その事で村人たちを恨む気にはなれない。


 寧ろ、いつ狂化するか分からない魔族である俺達兄妹を村に置いてくれているだけでも、本当に心優しい人たちだという事が分かるというものだ。


 何でもない日常……この幸せは、本当に維持することが難しい。


 どれだけ努力して、どれだけ注意して、どれだけ望んでも……一瞬でそれが壊れることを、父と母さんの死によって俺達は学んだ。


 だからこそ、毎日を精一杯後悔しない様に生きて来た。


 それが楽しかったかと問われれば、首を傾げざるを得ないが……妹と二人、今日まで力を合わせ生きて来たのだが……。


「おにい……ヂャン!」


「あぁ、サララ。ここにいるぞ!」


 片目を赤くし、苦し気にしながら俺の手を物凄い力で握るのはサララ。


 俺の……残された最後の家族。


 それが今、母と同じ狂化という訳の分からない現象によって奪われようとしている。


「く、グルジイ……よ!おにいちゃん……」


 サララは農具の整備をしていた時にいきなり倒れ、苦しそうに呻きだした。


 始めは何が起きたのか分からなかったけど、慌ててサララを家の中に運び込んだところで、きれぎれに母さんと同じ症状だとサララが教えてくれた。


 狂化……苦しむ妹を俺はどうしてやる事も出来ない!


 そんな無力感に打ちのめされながらも、俺は握りつぶされそうになりながら両手でしっかりとサララの手を握り返す。


「サララ!」


 サララが狂化に飲み込まれない様に、サララの心をここに繋ぎとめるように、俺は力の限りサララの手を握りしめていたが……同時に覚悟も決めていた。


 サララが完全に狂化してしまったら、その時は責任をもって俺がサララを殺す。


 そして埋葬してから……俺も後を追うつもりだ。


 だが……サララはこんなにも苦しそうにしている。


 今苦しみから解放してやった方が良いのではないだろうか?


 そんなことが脳裏に過るのだが……それでも俺は動けない。


 今サララの手を放す事なんて出来る筈がない……サララはまだ生きているんだ……殺せる……訳が無い!


「サララ!サララ!」


「あ、アア……お、おニイヂャン!」


「サララ!」


「あ、あぐ……あ、に、にげ……ニゲテ!」


 そう叫んだサララが、俺の手を振りほどくように動き……そのあまりの力に、俺は部屋の壁際まで弾き飛ばされてしまった。


「っ!」


「に、ゲテ!逃げて!にげてにげてにげてにてええええええええええええええええええええええ!!」


「うわああああああああああああああああああああああ!?」


 サララが叫び、凄まじい魔力が膨れ上がる。


 今まで感じたことが無い程の激しい魔力の動きに、サララが完全に狂化してしまった事を俺は理解する。


 覚悟は決めた筈だ。


 狂化した魔族は軍が出動する程危険な存在だ。


 それはまだ子供であるサララであっても違いはないだろう。


 しかし、それが分かっていながらも、俺は村の誰に知らせることなく……自分一人で全て終わらせようと考えたんだ。


 だからテーブルの上には、すぐに手に取れるように鉈を置いておいた。


 だけど……サララに弾き飛ばされ、しりもちをついた俺は起き上がる事もせず、只悲鳴を上げている。


「あああああああああああああ!サララあああああああああああああああ!」


 己の無力さに、世界の理不尽さに、不条理な現実に……俺は憎み、嘆き、怨嗟を吐いた!


 何故こんなことが!


 何故こんなことに!


 俺が、俺達が!サララが!母さんが!一体何をしたというんだ!


 普通に生きていただけだ!


 一切の罪を犯さず、ただ平穏に生きていただけだ!


 何故こんな仕打ちを俺達ばかりが受けなければならない!


「あああああああああああああああああ!」


 俺が叫びながら床を殴りつけると……想像していたよりも激しい音がした。


 だが、そんな事に気を回す余裕が俺には無かった。


 ただただ、世界が、俺から家族を奪っていく世界の全てが憎かった。


「ちっ!最悪……いや、最高のタイミングだね!」


 突如、俺とサララしかいない筈の部屋に第三者の声が聞こえ……流石に俺も顔を上げる。


「アタイが抑えるから、あんたたちは薬を投与!」


「「うっす!姉さん!」」


 何を言っているか理解出来なかったが、俺達の部屋に突如として現れた見知らぬ女が、凄まじい勢いでベッドの上で叫んでいるサララに伸し掛かる!


「やめろ!サララに何をする気だ!」


 それを見た俺は、すぐに立ち上がりテーブルの上にある鉈に手を伸ばそうとして……横から出て来た手にその腕を掴まれてしまった。


「やめろ!離せ!サララを離せ!殺す!殺すぞ!」


「落ち着け!落ち着け坊主!」


 俺の腕を掴む男を無視して……テーブルの上の鉈は諦め、サララを押さえつけている女に飛び掛かろうとするが男の腕はびくともせず、俺はその場に縫い留められたかのように動くことが出来ない。


「離せ!離せぇ!!」


「落ち着け坊主!大丈夫だ!安心しろ!俺達はお前達を助けに来たんだ!」


「あぁ!?」


「治せる!お前の妹は治せるんだ!」


 男の放った言葉に俺は一切の思考が止まった。


「な、治せる?」


「そうだ!治せるんだ!見ろ!アレはお前の妹を眠らせる薬だ。体に害はない……眠らせて、そしてエインヘリアに連れて行くんだ。そうすればお前の妹は治療できる。今まで通り……いや、今までと違って狂化することへの恐怖から解放されて生きることが出来るんだ!」


「……う、うそだ!」


「本当だ!俺は治った!俺も狂化から治ったんだ!だから大丈夫だ!お前の妹は絶対に治る!」


 腕をつかむ男の事を……俺は初めてマジマジと見る。


 そこで初めて気づいた、俺の腕を掴む男が人族でも……ましてや魔族でもないことに。


「ドワーフ……?」


「そうだ、俺はドワーフだ。もう二年くらい前の事になるが、俺は狂化して……そして治療してもらったんだ。実体験だからな、自信をもってお前の妹は治ると断言してやる!」


 掴んでいた俺の手を離したドワーフは、両手で力強く俺の肩を叩く。


 ドワーフの言葉が本心から放たれたものだと、両肩から広がる痺れるような痛みと共に体全体へと染み込んでいく。


 俺がその事を自覚するのと同時に、サララの叫びが途絶え……穏やかな寝息へと変わった。


「ほ、本当に治る……ですか?」


「あぁ。本当だ」


「狂化することは……なくなるのですか?」


「あぁ。もう怯える必要はない」


 力強く頷くドワーフの顔が突然歪んだように見辛くなった。


 な、なんだ?


「よく頑張った。お前も、妹も、よく頑張ったな」


「っ……うわああああああああああ」


 もっと早く助けてくれれば母も……とか、考えなかったと言えば嘘になるが、サララが助かるという言葉と、狂化に怯える必要が無くなるという安堵に、俺はあふれ出した涙と嗚咽を押さえることが出来なかった。






「おはよう、お兄ちゃん!朝だよ!起きて!」


「う、うぁぁ……」


 日の光を遮っているカーテンが勢いよく開けられ、ガラスの窓から強烈な朝日が部屋へと入り込んで来る。


「早く起きてご飯食べて!学校に遅れるよ!」


「あ、あぁ……おはよう、サララ」


 エインヘリアに来て約二か月、すっかり朝が弱くなってしまった俺はサララに起こされ、重たい体を何とか起こす。


「もう、夜遅くまで師匠と遊んでるからいけないんだよ!」


「い、いや、サララ。アレは遊んでるんじゃなくって修行なんだ」


 俺とサララはエインヘリアに来ると同時に師匠……あの時、サララは絶対に治ると断言してくれたドワーフに引き取られていた。


 師匠はエインヘリアの研究機関で働く技術者、魔道具技師だ。


 親のいない俺達はエインヘリアで孤児院に入るはずだったんだけど、何故か師匠が引き取ってくれて……俺は少しでも師匠の手伝いがしたいと思い弟子入りすることにしたのだ。


 だが、エインヘリアでは子供は学校に通い色々な事を勉強しなくてはいけなくて……朝から昼過ぎくらいまでは修行の時間がとれない。


 師匠も昼間は仕事が忙しいし……だから俺の修行はどうしても夜になってしまうのだ。


「頑張るのもいいけど、ご飯はしっかり食べないと駄目なんだからね!じゃぁ私は師匠を起こしてくるから!また寝たらダメだよ?」


「あぁ、分かったよ」


 パタパタと足音をさせながら部屋を出て行くサララを見送った俺は、身支度を整える。


 数か月前では考えられなかった暮らし。


 サララの狂化はあっさりと治り、何不自由ない暮らしをさせてもらい、あまつさえ勉強と職の修行までさせてもらえる。


 幸せ……これ程までにそれを感じられることがあっただろうか?


 勿論、何気ない日常が幸せだったという考えは今でも変わっていない。


 だが、今この瞬間は……心の底から楽しいと思えるのだ。


 楽園と言うものは本当に存在した。


 エインヘリア。


 俺はこの国に、何を返せば良いのだろうか?


 多くを勉強して、修行をして……いつかそれが分かるようになることが、今の俺の目標だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る