第445話 度数96パーセントの食前酒
View of レイズ=オリアス=ブランテール ブランテール王国王太子
「……エインヘリア王陛下。申し訳ありません、我が国の王は現在病床に伏しておりまして、ご挨拶適わぬこと、王太子として誠に申し訳なく思っております」
エインヘリア王の要求……王をこの場に連れてこいと言う要求は、当然飲めるものではない。
我が父である現ブランテール王陛下は数年前病に倒れ、二年程前からは執政を私が執り父には療養に専念してもらっている。
衰弱し寝たきりで明日をもしれぬ身という訳ではない。
現に執政に関しても、父にアドバイスを求めることも少なくなく、現在国が置かれている状況も把握している。
元々二年前に私が執政を担うことが決まった際、王位継承の話も出ていたのだ。
しかし、父の病が治る事を信じ、私はこれを固辞した。
それからしばらくして……今回の戦争が始まってしまった。
今にしてみれば、あの時私は王位を継ぐべきだったと言える。
戦争が始まる前は父も譲位に前向きだったのだが、戦争が始まってからは一転、王位をまだ譲るつもりはないと言い出したのだ。
今回の戦争がかなり危ういものである事を父は感じたのだろう。
恐らく何かがあった時、王として自分が責任を取るつもりなのだ。
当然私もその考えにはすぐに思い至ったが、頑として父は意見を変えようとはしなかった。
そんな父だったがゆっくりと、しかし確実に病は体を侵していき……最近は、調子のよい時以外は殆ど寝たきりに近くなってしまっている。
いくらエインヘリア王であったとしても父の状態をそこまで把握している訳ではないだろうし、エインヘリア王自ら訪問している以上、こちらにも王が出てくることを要求するのは当然と言えるが……。
「あぁ、誤解させてしまったな。この場に呼べという意味ではない。ここにいるエイシャは大司教なのだが、我が国で医療の責任者でもある」
エインヘリア王は席に座っている法衣のような物を着た少女を紹介してくる。
昨日その姿を見た記憶はなかったが……いや、そういえばエインヘリア王が船から降りて来た時に、エインヘリア王の後ろからもう一人誰かが降りて来ていたような気も……。
いや、それよりもエインヘリア王は何といった?
「……医療の責任者、ですか?」
「あぁ。それと……これだ」
そう言ってエインヘリア王は懐から小さな箱を取り出し、それを開いて見せる。
「それは、なんでしょうか?」
「万能薬だ」
……参ったな。
相手の要求は既に聞いているのだし、これ以上理解出来ない話を持ち出してこないと昨日考えていたのだが……いきなり理解不能な物をぶっこまれたんだが、どうしたら良いだろうか?
ばんのうやく……全てを癒す薬とでもいうのだろうか?
随分と驕った名前の薬だ。
「……エインヘリア王陛下。万能薬というのは……その……どういった薬なのでしょうか?」
「その名の通り……全てを癒す薬だ。毒であれ、麻痺であれ、やけどであれ、呪いであれ、病であれな」
「……本当にそのようなものがあるのですか?」
父の事もあり、少し言葉に険にある言い方になってしまったが……エインヘリア王は気にした様子も見せず、軽い感じで言葉を続ける。
「少なくとも、今まで万能薬で癒せなかった病はないな。だがこれから先も、全てを癒すという保証があるわけでもない」
……物凄く自信満々に保証はないと言ってのけたな。
だが……エインヘリア王やその傍にいる者達から不安は一切感じられず、寧ろ癒せない可能性は皆無だと考えているようにしか見えない。
「万が一を考えて、医療や回復魔法に長けているエイシャに診断させる。どうかな?王太子殿。ブランテール王の容態を我々に見せるつもりはないか?」
いきなりとんでもない話を……だがどうする?
正面から堂々とやってきて、今更エインヘリアが王を害そうとすることなぞありえないだろう。
それに、父の病気は人にうつる類のものでない事も分かっているし……エインヘリア王を会わせたとしても、その点で文句をつけられるようなことはない。
無論王自らそんなリスクは負わないだろうが……。
いや、落ち着け。
これはそんな小狡い駆け引きではない。
恐らく、恐らくだが……本当に、あり得ないと思うのだが……エインヘリア王は純粋な善意から父の病を気遣い、癒そうとしているのではないか?
そんな甘い人物ではないと分かっているのだが、エインヘリア王のこちらを見つめる眼差しが一切の他意を感じさせないのだ。
勿論改めて考えるまでもなく、王の病を癒したという実績を作れば……これ以上ない程の大きな恩を売ることが出来る。
現王である父は内政や調整に優れた王だ。
一年に渡る戦争で、大きな被害がないとはいえ、そのダメージは確実に国を蝕み疲弊させている。
しかし、このタイミングで王が快癒したとなれば、国そのものが活気づくに違いない。
それくらい、父は民に慕われ信頼されている。
そして当然、そんな王を癒したエインヘリアには好感情が集まるだろう。
北方戦線を救援し、ラ・ラガを打ち破った実績だけでも十分過ぎる程好意的な目を向けられる筈だが……その感情を決定づけるものとなる。
それは、国内におけるエインヘリアの影響力をこれ以上ない程に高めるだろう。
しかし当然、エインヘリアにもリスクがある。
いや、普通に考えればリスクの方が高い。
一国の王が病に伏しているのだ。
当然、国の最高の技術、頭脳による治療が試みられており……失敗に終わっている。
我が国最高の治癒師が数年に渡って治療の糸口すら見つけられなかった病……それを治すと国交の場で言い放つ。
絶対の自信があるからこその言葉なのだろうが、仮に治せなかったり、容体が悪化したりするようなことがあれば、それこそエインヘリアにとって致命的な傷となり得る。
それを理解した上でのエインヘリア王の申し出だ……。
受け入れる理由もメリットも非常に多いが……断る理由もまた多い。
なにより一番マズいのは、エインヘリア王がこの話を切り出したタイミングだ。
これより両国間で国交を結び、最終的には同盟という形に落とし込もうとする為の会談……その初っ端にこれだ。
これを飲めば……そしてエインヘリアが治療を成し遂げてしまえば、もはや我々はエインヘリアの言いなりになるより他ない。
だからと言ってこの提案を受け入れないという選択肢はない……それは、名君と呼ばれている現王の回復を望まないと言っているのと同義だ。
断れば……最悪、私が王を毒殺して王位を得ようとしていると言われかねない。
断る事は事実上不可能であるにも関わらず、受け入れれば身動きが取れなくなる……いや、この提案を出された時点で既に勝敗は決まったとも言える。
唯一こちらが逆転する目があるとすれば、それは治療に失敗した時だが……それは父の回復が絶望的であると突き付けられるのと同義。
それだけは認められない。
いや、国の為であるならば、王族の命も駒の一つとして動かすべきなのだろうし、テーブルに載せられているのが私の命であるなら躊躇いなく捨て去ることが出来るが……。
「……分かりました。この会談が終わり次第、私も同席させていただきますが……エインヘリア王陛下、どうか王の事をよろしくお願いします」
私の言葉に、同席している大臣達が小さく反応を見せるが……流石にこの場で声を上げるものは一人もいない。
彼らも間違いなく私と同じ結論に辿り着いている筈だが、それを表面上悟らせない姿に私は頼もしさを覚える。
「あぁ、任せておけ」
力強く頷くエインヘリア王陛下の姿は頼もしくもあるが、それと同時に恐ろしくもある。
外交の場において相手を牽制したり、言質を取ろうとしたり、真意を隠したりするのは当然誰もがやる事だ。
その上で、相手の狙いや本音を見抜き、程よい着地点を探る。
当然自国の利益を最優先としながらも、相手の利益についても思考を回す必要があるのが普通だ。
しかし、エインヘリア王のこれは違う。
完全に善なる提案。
自国で王を癒すことが出来ない以上、受け入れることに一切のデメリットは無く、寧ろ断れば国が傾きかねない程のデメリットが生じる提案。
エインヘリアとしてはリスクばかり負って、得られるものは感謝くらいのもの。
誰が聞いても正しい行いで、そこには邪なる思いが入る余地のない代物だ。
断る事は出来ず、寧ろ懇願する勢いで受け入れるしかない提案は、これ以上ない程清廉で致命的なまでに邪悪な一手。
ただの一言。
会談が始まった直後に放たれた最初の一言で全てが終わった。
おそらく、国交を始める会談の歴史において、間違いなく決着までの最短記録を樹立したに違いない。
これがエインヘリア王。
確かにランバルの言う通り、小細工や婉曲的な事をこの王はしない。
ただの一言、ただの一撃で全てを終わらせられる存在に……そのようなものは必要ないだろう。
エインヘリアという国は幸せだな。
いかなる外敵にも脅かされることはありえない……エインヘリア王という絶対的な強者によって守られ、平和という理想でしかない世界を享受できるのだから。
そんな風に私が諦念にも似た感情を抱いていると、エインヘリア王が口を開いた。
「さて、少し主題とずれてしまったが……ついでだ。先程、この国の南西側に位置するゼイオット王国に関する情報が入ったので、それも伝えておこう。貴国とは戦争中の国だ、情報は早ければ早い方が良いからな」
物のついでと口にしながらエインヘリア王が話題を変えるが……また何かとんでもない事を言い出しそうで恐ろしい。
そもそも先程というのはどういう事だろうか?
ここはエインヘリアではなくブランテール王国だ。
エインヘリア王の元に他国の情報が易々と手に入る場所ではない。
いや、それ自体はもはやどうでも良いか。
既にこの会談における趨勢は決した。
この後我々に出来るのは、エインヘリア王の話を聞き、相槌を打ち、提案を受け入れる事だけだ。
エインヘリア王が何を語るか恐ろしくはあるが……既に全てを受け入れる境地には達したと思う。
恐怖はあれど動揺することはない……。
そんな心持ちで、私はエインヘリア王の言葉に耳を傾けた。
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