第438話 暴威



View of ガランディ=リンダーエル ブランテール王国伯爵






「何が起こっている……?」


「わ、分かりません。ですが、撤退を開始したという訳ではなさそうです」


 戦場で敵本陣が乱れているという状況、普通に考えれば味方の奇襲等で混乱しているといったところだが……当然我々がそんなことをする筈がない。


 我々はけして相手を絶望させてはならないからだ。


 その事は、英雄の存在も含めて部隊の指揮権を持つ者達全員に下達してあるし、独断で奇襲を仕掛ける者はいない。


 ならばあれは……。


「かなりマズい事態になったと見るべきか」


「まさか……あれは英雄の仕業だと?」


「恐らくな。何故本陣で爆発が起きたのかは分からんが、最悪を想定するべきだな」


 このまま何事もなくラ・ラガの連中が英雄を連れて撤退してくれれば、言う事は無かったのだが……残念ながらその願いは届かなかったようだな。


「英雄用の配置はすぐに出来るな?」


「はっ!指揮官クラスには通達しております!」


「儀式魔法の発動も開始せよ。射程や効果範囲より、威力と儀式の速度を優先させろ」


 敵英雄がどんなタイプの英雄かは分からない。


 魔法が得意なのか、肉体的な能力が高いのか、それとも特殊な能力を持っているのか。


 どんなタイプであっても非常に危険で、只人である我々が個人で対応出来る相手ではない。


 余程弱点の分かりやすい相手でもなければ、初見の英雄相手に効果的な立ち回りなんぞ出来る筈もなく、英雄用の配置と言ってもとどのつまりは射程内に入っての一斉攻撃。


 砦を壁として戦い相手の情報を出来る限り集める。


 それには砦内に誘引して罠にかけ……砦自体は放棄する事も視野に入っている。


 勿論敵軍に包囲されている以上砦から脱出するにはかなりの危険を伴うが、撤退は砦にいる軍のみで行うものではない。


 英雄が出現した際の狼煙、更に砦を放棄する時の狼煙を上げれば、各砦に詰めている軍が撤退支援のために東方に布陣している敵軍へ突撃を仕掛ける手筈となっている。


 その後は軍を分け各小砦での防衛戦へと移行する。


 英雄が戦場に現れない様に時間稼ぎをして、いざ英雄が現れたらこの砦を破棄してでも英雄の情報を出来る限り収集して、後方の砦で更に時間を稼ぐ……これが今回の戦における策……戦術となる。


 十日だ。


 この大砦で十日持った。


 英雄がいることを考えれば十分な戦果と言える。


 そして我々が後方に下がったとしても、小砦群で更に時間を稼げば……がら空きのラ・ラガは必ず襲われるだろう。


 この戦いでかき集めた軍も数を減らし疲弊している今……ラ・ラガが滅亡する可能性は非常に高い。


 常であれば、我々に休戦の仲介を求めてくるところだが、はっきりと我々と決別した今、ラ・ラガが頼るとすれば……エインヘリアか?


 流石にかの国が出てくれば停戦を余儀なくされるであろうが……エインヘリアには今ザンバールとソイン子爵が向かっている。


 あの二人であれば、最善の結果を出してくれるだろう。


 私に出来ることは、その結果が出るまで全力で北方戦線を維持することだけだ。


「流石にこの距離では人ひとりの動きは見えないな」


 先程の爆発以降、敵の本陣は落ち着いた様子はなく……寧ろ騒ぎが大きくなっているようにも見える。


 あそこから放たれた英雄がこちらに向かって来ていれば、しばらくすれば見えるかもしれないが……。


「斥候を出しますか?」


「……出せ。但し、距離は大げさなくらい取るように厳命しろ。可能な限り距離を開けて、情報を持ち帰る事を至上とするように」


「畏まりました。直ちに」


 私の指示を聞いた副官がすぐに部下に命令を出す。


 その間私は敵軍から目を逸らすことはなかったが、本陣が混乱している以外、敵軍に動きは無かった。






 斥候に出した者達は問題なく全員が帰還したが、齎された情報は予想通り英雄が動き出したという情報だった。


「敵本陣で暴れまわった英雄は、現在この砦に向かって歩いて進んで来ております」


「敵軍が動く様子は?」


「英雄が敵本陣で暴れた際に命令系統が崩壊してしまったようで、現在敵軍は混乱しております」


「……英雄さえいなければ最高の状態だな」


 こちらは何もしていないというのに敵本陣が吹き飛び、命令系統が麻痺。


 今門を開けて突撃を仕掛ければ、それこそ吹き散らす様に敵軍を蹂躙できることだろう。


「何故英雄が暴れ出したのかは分かるか?」


「申し訳ありません。出来る限り距離をとって状況を確認しただけですので……」


「そうだったな、すまない。英雄が来るのは正面、西門側だな?」


「はい。敵本陣より一直線に向かって来ております。恐らくもうそろそろ物見も視認出来る頃合いかと」


「準備は既に整っているな?」


 私が尋ねると、副官は真剣な表情で頷く。


「はい。バリスタや連弩で狙えるようにしてあります」


 これで倒せれば何の問題もないが……いや、妙な期待は余計な衝撃を受けるだけだ。


 可能であれば砦を盾に儀式魔法を叩き込みたい所だが、最短でも半日は必要な儀式魔法の発動まで耐えられるかどうか……。


 アレは人の形をした化け物……出来れば若い連中にはその強さを見せたくない。


 英雄という存在の危険性を知っていて欲しいと思う反面、心が折れてしまわないかと心配になる……アレはそういう相手だ。


「将軍、見えました」


 副官が目を細め、遠くを注視するようにしながら言う。


 その視線の先には……まだ殆ど黒い点にしか見えないが、こちらに向かってくる人物が見える。


「合図を出すまで決して攻撃を仕掛けない様に。東側はいつでも撤退できるように進めているな?」


「問題ありません」


「良し。後は、アレの出方を見るだけだな」


 ゆらゆらと近づいてくる人影は次第に輪郭をはっきりとさせ、私の目にもその姿が判別できるようになって来た。


「随分と大柄だな。私よりデカいのではないか?」


 私はかなり大柄で、普通の成人男性より頭一つか二つくらいは背が高いのだが、こちらに向かってくる人物はそんな私よりも一回り以上大きいように見える。


 あの体格で魔法の方が得意……いや、ありえない話ではないが、外見的にはごりごりの接近戦主体の力自慢と言った感じだ。


 髪は灰色……ぼさぼさの長髪で剥き出しの二の腕は丸太の様でもある。


 その巨体も相まって一歩進むごとに周囲では地響きでも起こりそうだが……あながち冗談とも思えないような威圧感をまき散らしているようだ。


 恐らく男だとは思うが……正直、全身はちきれんばかりの筋肉に覆われ、更に前髪で顔が隠されている為、遠目では性別の判別がつかない。


 まぁ、男であろうと女であろうと……今は関係ない。


 そんな人物は、急ぐことはなく微妙に覚束ない足取りで砦まである程度の距離まで近づいて来た。


 バリスタなら射程距離内、魔法だと完全に射程外と言ったところで立ち止まったその人物は、徐に大きく息を吸い込み叫んだ。


「……ま、待った!!」


 ……随分と迫力のある待ったをかけて来た。


 無論、軍使でもない人物の言葉を聞いてやる必要はないが、少しでも情報が欲しいこちらとしては相手の好きにさせてやった方が良いだろう。


 もしかしたら……ラ・ラガから離反したいと言い出す可能性もゼロではないしな。


 とりあえず、声質からしてどうやら男のようだな。


「お、俺は……待った!」


 ……どうやらこちらに待てと言ったわけではない様だ。


 しかし……どこか妙な雰囲気だ。


「お、俺は戦えと言われた!で、でも!こ、ここに来たら!戦うなと、い、言われた!」


 凄まじい声量なので、恐らく砦中にいる者が男の声を聞いているだろう。


 そして、多くの者は首をかしげているに違いない……。


「わ、分からない!ど、どうしたらいいのか分からない!だ、だから俺は待った!」


「……バリスタと連弩はいつでも放てるように警戒させろ。アレは……いつ爆発するか分からん」


「はっ!」


 男の方から意識は切らさずに、私は副官に命じる。


「さ、最初に!た、戦えって言われた!だ、だから俺は言った!た、戦うと!で、でも、待てと!ま、待てというから待った!い、いっぱい待った!だ、だから!戦えなかった!さ、さっきも言われた!待てって!でも、戦う!俺は戦う!」


 男がそう叫んだ瞬間、相手の威圧感が膨れ上がった!


「バリスタ発射!」


 私が叫ぶと一瞬遅れ、西側に設置された四台のバリスタから槍のような矢を撃ち出された。


 そもそも対個人用の兵器ではないそれは、当然狙いをつけるといっても凄腕の弓兵のような精密な射撃が出来る訳ではない。


 しかし、見事放たれた矢の一本が男へと直撃……する直前で男が矢を素手で掴み取った。


「……は?」


 私の横で副官が呆けた様な声を出すが、恐らくこの光景を見た全員が同じ心境だった筈だ。


 しかし、私まで呆けている場合ではない。


「装填急げ!次からは準備ができ次第撃って良し!」


「……は、はっ!」


 私の指示に、副官が弾かれた様に気を取り直す。


 避けられることはあると思ったが、まさか受け止められるとは……そう思った次の瞬間、男が動き出す。


「あああああああああああああああああああああ!!」


 叫びながら、手にした矢を振りかぶって砦に向かって投擲……バリスタ以上の速度で飛んできた矢が壁に深々と突き刺さりシャフト部分が弾け飛ぶ。


 ただの投擲一撃で砦を揺らした男は、そのまま雄たけびを上げながらこちらに向かって駆け出す!


「攻撃開始!」


 私の号令で空が黒くなるほどの量の矢が男に向かって降り注ぐが、避ける素振りすら見せずに走る男の体に弾かれる。


「化け物が……!」


 距離が縮まるにつれ、石や槍、魔法と攻撃の種類が増えていくが、その全てを意に介さず突撃してきた男は、防御用の柵を突き破り……その勢いのまま西門へと体当たりをする。


 凄まじい激突音と共に、門が歪む。


「無茶苦茶だな!」


 男の体当たりは破城槌の一撃よりも遥かに重いようだ。


 しかし、流石に一撃で門を破る事は出来ず、男はそのまま門に向かってその拳を何度も叩きつけている。


 既に距離が縮まり過ぎてバリスタ等の攻撃は出来ない。


「油を落とせ!」


 門に備え付けられた仕掛けから油が流され、次いで火がつけられる!


「あついいいいいいいいいい!」


 悲鳴のような声を上げながらも、けして退かずに門を殴りつける男によって、西門はかなり歪んでしまっている。


 このままでは門の開放も時間の問題だな……。


「狼煙を上げろ!中央と西門の守備兵を残して撤退を開始する!予想以上に敵の攻撃が苛烈だ!東以外の門からも各自撤退を開始しろ!砦を出た後は一丸となって東を抜け、後は事前の指示通り各砦へと向かえ!」


「はっ!」


 中央の兵と西壁の兵は殿となってギリギリまで砦に残る。


「将軍も……」


「私はぎりぎりまで残る」


「しかし!」


「アレをギリギリまで観察する必要がある。本当に危なくなったら必ず逃げる……指揮官の重要性はちゃんと理解しているからな。だからお前達は移動を開始しろ」


「私は最後までお傍に、指示を伝えるものは必要ですから」


「……死ぬつもりはないからな」


「勿論です」


「ああああああああああああああああああああああああ!!」


 ひときわ大きな叫び声と共に轟音が鳴り響き、門が崩されたことがここからでも分かる。


「急げ!殿の者達の命を無駄にするな!」


「撤退急げ!」


 門を抜けて来ようとする男にこれでもかというくらい矢が降り注いでいるが、然したる足止めにもなるまい。


「あああああああああああああ!!」


 門の方から破壊音が何度も響き、その度に砦が揺れる。


 砦その物を破壊するつもりか?


 兵達が内側に入り込んだ暴威にありったけの遠距離攻撃を仕掛けているが、破壊音は収まらず、全く意に介していないことが伝わって来る。


「近づきすぎるな!距離を保て!」


 私が砦の上から叫ぶと同時に、門の方から飛び出した黒い塊が門に向かって武器を構えていた兵の一団へと突撃し、弾き飛ばしていく。


 まるで砦内に竜巻でも発生したかのように兵も防御装置も次々と吹き飛ばされていき、兵達の怒号や悲鳴がここまで聞こえて来る。


「……一人で砦を落とすか!こちらの攻撃が一切効かないというのは堪らないな」


 殿の軍なぞ意味がないのではないかというくらい簡単に柵も、その奥で槍を構える兵も吹き散らされ、遠距離攻撃はその身体に傷一つつけることが出来ない。


「先程火による攻撃には悲鳴を上げていました。全てが効かないという訳ではなさそうです」


「あぁ、矢や槍……それに投石等は全く意に介さなかったことを見ればこれは収穫だな。それと魔法によるダメージは、報告を聞く必要がありそうだ。後は、あまり頭の良いタイプでもない……これならば策を講じればなんとかなるか?」


「力技で破られそうなほどの暴威ですが……」


「……アレを小細工で抑え込むのは不可能だ。門の所に仕掛けておいた油もかなりの量だったが焼き殺すことは出来なかった。光明は見えたが……かなりか細いものに違いはない」


 兵を薙ぎ倒し、砦を素手で破壊していく男を見ながら、せめてもの対策を考える。


 当然、兵達の撤退にはまだ時間がかかる……しかし、あの敵の勢いを見る限り撤退が間に合うようには思えない。


「撤退の判断が遅すぎたか……」


「いえ、戦闘が始まる前に逃げようとしては、アレがそのままそちらに向かう可能性がありましたし、致し方ないかと……」


「最大限警戒していたつもりだったが、これ程までの理不尽……暴力の塊とはな。英雄という存在はどいつもこいつも手に負えん!」


 暴れ来る男によって西側の門はほぼ崩壊してしまっているが、それでも男は疲れを見せず荒れ狂う。


 竜巻でももう少し大人しいのではないかと思えるような暴れっぷりだが、我が軍の兵士は勇猛果敢に対峙している。


「このままでは砦が更地にされかねんが……ラ・ラガに奪われるよりはマシか?」


 今回はもう無理だが……儀式魔法による攻撃ならば倒せるかもしれん。


 しかし、アレを半日近く足止めする方法が必要だ。


 あっという間に門を素手で壊すような相手だ。


 半日足止めをして儀式魔法を叩き込むというのは、現実的ではないな……。


「っ!?将軍!あちらを!あちらを見て下さい!」


 暴れまわる男ではなく、西の方を指差しながら副官が叫ぶ。


 このタイミングで軍を立て直したか!?


 私は慌てて敵軍の方に視線を向けたが……相変わらず敵軍は動く様子が見えない。


「なんだ?動きはないようだが……」


「将軍!違います!上です!敵軍の上空を!何か、何かが!」


「ん……?」


 私達が今いるのは砦中央の屋上。


 つまりは高台だ。


 当然敵軍の姿ははっきりと見えるし、その上空もずっと見えている。


 当然、敵軍の方を見た際に目には入っていた……空に何かが浮かんでいる事は。


 だが……理解出来なかった。


 足元で暴れる暴威よりも……飛来してくるものの姿の方が私には理解不能だった。


「あれは……空を飛ぶ……船か?」


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