第434話 武と知を兼ね備えし王



View of ザンバール=リンダーエル ブランテール王国事務官






 私はブランテール王国の王城に勤務する事務官だ。


 言うまでもなく職場は王城で、当然城の空気にも慣れているつもりだった。


 ルフェロン聖王国で王城に行った時も、多少の違いはあれど、やはり城の空気感というものはどこも似たようなものなのだと思ったものだ。


 勿論、ルフェロン聖王国でも緊張していなかったわけではない。


 来るものを拒むといった感じで威圧してくる城という場所は、あらゆる意味で人に優しい場所ではない。


 少なからず耐性のある私だったからこそ、多少の緊張程度で済んだと言える。


 そしてその威圧感は、小国よりも中堅国、中堅国よりも大国の城と言った感じで、より顕著になっていくものなのだろう。


 残念ながら大帝国や魔法大国に行った事のない私では、それらを想像することしか出来ないが……今私が感じている重圧は、それらと比較しても圧倒的なものであると断言できる。


 エインヘリア城の外観は非常に荘厳かつ流麗なもので、ひと目で目と心を奪われるものであった。


 それは城の中に入ってからも同様で、細かな装飾や造りは、壁や柱の一つ一つが芸術品であるかのようであった。


 そんな城の中の様子に目を奪われていた私は、ソイン子爵や護衛の方々が、城に入ってから妙に緊張している事に気付けなかった。


 私がその事に気付いたのは……謁見の間に入る直前。


 周囲の様子に気を取られ、味方の状態に気付けなかったのは致命的と言えた。


 しかし、既に謁見の間は目の前……そのことを確認することも出来ずに扉は開かれ……まるで凄まじい強風でも叩きつけられたかのように、圧倒的な何かが全身を打つ。


「……ぁ」


 そうしようと自ら考え行動に移したわけではない。


 ただ……不意に体を押されればよろめくという極々自然の摂理に従って……物理的に何かに押されたわけでもない私の体は後ろ向きに倒れそうになり……すぐ後ろにいた護衛の兵に背中を支えられ、辛うじて後ろに半歩下がっただけとなった。


 一瞬状況が理解出来なかったが、倒れそうになったところを支えられた事に気付いた私はすぐに礼を言おうとして、不意に背中を通して伝わって来たもので……私を支えてくれた兵が今何を感じているかを理解してしまった。


 背中を通し伝わってきたのは……彼の手の強張り、そして震え。


 おそらく、情報部として多くを見て来た彼らは、私が感じている何か以上の物を感じ取っているのだろう。


 それは恐らく恐怖。


 情報部として、ソイン子爵が信頼できると優秀さに太鼓判を押した彼らが感じたそれは……当然、後ろにいる護衛だけではなく……私の前に立つソイン子爵も同じく感じているに違いない。


「さぁ、いきますよ」


 しかし、そんな状況にありながら……ソイン子爵は普段より少しだけ堅い様子で声をかけて来た。


 どこか遠くから聞こえたようなソイン子爵の声に従い、私は足を踏み出す。


 すぐ前を歩くソイン子爵の背中だけを注視し……視線も意識もただその一点に集中させる。


 何処か予感があったのだ。


 何かに意識を集中させていないと……気を失ってしまうという予感が。


 しかし、その背中に集中していたから、私は気付いてしまった。


 いつも飄々としており、どんなことがあってもその余裕を崩さないと思っていたソイン子爵の背中や肩が強張っている事に。


 あのソイン子爵でさえ、自身を制御しきれない程緊張……いや恐怖しているのか?


 その事実に驚愕するとともに、納得もしてしまう。


 どこか、超越した雰囲気を持っていたソイン子爵も、やはり人の子だったのだと。


 そして……この場の空気が、ソイン子爵にさえも緊張を強いる場であることを。


 大きな謁見の間とは言え、王の前まで進み出るのにそんなに時間がかかるわけでもない。


 前を行くソイン子爵の背中が動きを止め、後に続く私達も少し距離を開けて立ち止まる。


 謁見の間を進む間……たとえ遠目であったとしても、私はエインヘリア王の姿を直接見てはいない。


 王を直接目にすることは不敬であるという考え以上に……直接その姿を目にしてしまったら、正気を保てる自信が無かったのだ。


 立ち止まった私はすぐに頭を垂れ、ソイン子爵の陰に隠れるように気配を殺す。


 勿論、こんなところで気配を殺したところで意味はないのだが……それでも極力身を縮こまらせ、気配を殺そうとせずにはいられなかったのだ。


 謁見の間には静寂が広がり、エインヘリアの重臣たちが我々を挟み込むように整列しているにも拘らず、一切の身じろぎさえも感じられない。


 そんな永遠とも思える静寂を破ったのは……ソイン子爵だった。


「御初御目にかかります、エインヘリア王陛下。私はブランテール王国レイズ王太子殿下より使者の任を賜りました、ランバル=ソイン子爵と申します。此度は急な訪問であったにもかかわらず迅速対応をしていただき、誠にありがとうございます」


「構わないとも、子爵。さほど急だったというわけではないしな。長旅大変だっただろう?」


 放たれる圧倒的な威圧感とは裏腹に、非常に涼やかな聞き心地の良い声で旅路を労われる。


 エインヘリア王……顔を上げてその姿を見る事は出来ないが、声の張りからして思っていた以上に若い人物のようだ。


 ルフェロン聖王国で王女殿下からかなり若い王であるとは聞いていた。


 それでも、王太子殿下やソイン子爵と同年代位だと思っていたのだが……それ以上に若い人物なのかもしれない。


「確かに、ラ・ラガ国内を旅していた時は非常に厳しい道のりでしたが、ルフェロン聖王国に入ってからは整備された街道に素晴らしい治安、更には素晴らしい美食の数々……非常に快適な旅路でした」


「それは良かった。街道整備や治安の向上、それに生活の質の向上は、エインヘリアやその友であるルフェロン聖王国で優先して取り組んでいる事柄だ。他国から来た子爵等が実感できたという事は、実を結んでいるということだな。実に喜ばしい」


 言葉だけを聞けば……民の事を第一に考え、たとえ属国であろうと慈しんでいる仁君のようだが……ソイン子爵が挨拶をした時から一切変わらぬ涼やかな声音は、とても喜んでいる様には聞こえず、ただの事実をそんなものかと言い捨てているようにしか聞こえない。


「エインヘリア国内を旅することが出来なかったことは少々残念ではありますが、あの転移という技術も大変素晴らしいものでした。正直に申し上げて、あまりの出来事に暫く呆然自失としてしまったくらいです」


「転移を初めて体験した者の反応は大体二種類に分けられる。子爵の様に呆然としてしまうか、興奮してテンションが振り切れるか……だな」


「お恥ずかしい限りです。事前に説明を受けていたのですから、もう少し楽しむ余裕が欲しかったところです」


 あれを初めて体験して興奮する……確かに、素晴らしい技術だし、そういった感想を持つ者もいるかもしれないが……アレを体験してそんな余裕があるのは、余程能天気な者だけではないだろうか?


「そういえば、先程エインヘリア国内を旅してみたかったといっていたが、確か子爵は以前エインヘリアを訪れた際に、国境近くの街をしっかり見学したのではなかったか?」


「……その節は大変お世話になりました。それと、お手を煩わせてしまった事を謝罪させていただきたく存じます」


「くくっ……気にすることはない。遥々外国から我が国に興味を持ってやって来てくれたのだ。しっかり歓待してやらねばエインヘリアの名折れというもの。楽しんでいただけたかな?」


「はい。エインヘリアという国をとくと体験させていただきました」


 エインヘリア王の嫌味もソイン子爵は平然と受け流す。


 いや……これはルフェロン聖王国で予め釘を刺されていたからこその余裕かもしれない。


 そこに気付いた瞬間、私は天啓を得たようにエインヘリア王の考えが見えた気がした。


 正解かどうかは分からないが……ソイン子爵がエインヘリアを調査しようとしてそれが露見したことは過去の話……今更それをどう取り繕うとその事実は変えられない。


 しかし、エインヘリア王がこの場でそれを持ち出し、気にすることはないと明言したことで、過去のそれを不問とすると内外に喧伝したのでは?


 それはエインヘリア側からの譲歩にも見える。


 関係を一度フラットにすることで今後の話をやりやすくした……表面上はそう見える。


 勿論この事実、ブランテール王国はエインヘリアに対して大きな借りを作った事にもなるが……今この場においては我々への援護射撃と取ってよいはずだ。


「さて、それでは……そろそろ本題に入るとしよう。ソイン子爵……此度はどのような要件でここに来たのかな?」


 聞いていた通り……いや、それ以上だ。


 本題に入る前に表面上は問題を解決し、その上で大きな貸しを作る。


 ただの社交辞令の交換だけで、この状況……エインヘリア王は武だけでなく知でも常人の先を行く化け物だ。


 ただ友好を結ぶという単純な任務が、途轍もない無理難題のように感じられたのは……恐らく私だけではない筈。


 しかし、光明も見えた。


 エインヘリア王は確かに我々に手を差し伸べてくれた。


 ソイン子爵であればその真意を読み取ることが出来る筈。


 この先に広がるのは光差す未来なのか、暗雲立ち込める絶望なのか……私にはまだ分からない。


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