第432話 ダメ出し
View of ランバル=ソイン ブランテール王国子爵 情報部部長
ルフェロン聖王国のファルク摂政との会談を終えた私達は、迎賓館の一室に戻って来ていた。
「ザンバール君、お疲れ様。議事録ありがとうね」
「いえ、会談の邪魔をしない様に振舞えたか……」
生真面目な様子で返事をするのは、書記として会談に参加してもらったザンバール君。
「まぁ、初めての外交だからね。ぎりぎりアウトってところかな?」
「……」
軽い様子で裁定を下した私の言葉に、ザンバール君は結構真剣に落ち込んでしまったが……恐らく問題ないだろう。
リンダーエルの気質を良く受けついている彼なら、すぐに立ち直るはずだ。
「仕方ないよ、こればっかりは経験が物を言うからね」
実直で勤勉な彼ならば、経験を積めばすぐに一角の人物となるだろう。
そこから先……超一流となれるかどうかは、彼次第ではあるが。
「ダメな点を指摘して貰っても良いでしょうか?」
「勿論構わないよ。まずは……聖王に対する態度だね」
「……聖王への態度ですか?」
「うん。ザンバール君、聖王の事……舐めてたでしょ?」
「っ!?」
私が指摘すると、顔色を一気に青くするザンバール君。
「たとえどんな相手であっても、舐めるのは良くない」
「は、はい」
「ましてや相手は一国の王。普通に不敬罪で首が飛んじゃうよ?」
「……も、申し訳ございません」
「いや、ほんとヒヤヒヤしたよ。気付かない振りをしてくれていたけど、相手にもバレバレだったからね?」
「……自決するので、どうか私だけの責任ということにしていただけないでしょうか?」
真剣な顔でそんなことを言うザンバール君。
うん、気持ちは良く分かるが……今その必要はない。
「いやいやいや、ダメだよ!自決なんて!」
「しかし!私は今、国の代表としてここに来ているのです!だというのにそのような失態……もはや命をもって償う他!」
「過激!過激だよ!若者の失敗なんてやって当然みたいなところあるんだから!今は同じ失敗をしない様に心に刻み付けておけばいいんだよ!」
この辺りの直情的な手段出るところは、リンダーエル家の人間といった感じだな。
文官なのに責任の取り方が完全に武門のそれだ。
「ですが!」
「しかしもですがも要らないですよ。今ザンバール君の上司は僕だからね。責任を取るのは僕の仕事だ。若者は若者らしく功績は自分の物、失敗は上司の物って思っとけばいいんだよ」
「そんな若者見たことありませんが……」
少しは落ち着いたようで、私の言葉にツッコミを入れて来るザンバール君。
とりあえず命をもって償う事は止めてくれたようだ。
内心ほっとしつつ、私は肩をすくめてみせる。
「そうかい?そのくらい自信過剰な方が若者らしいと僕は思うけどね。まぁ、何にしても……別に面と面向かって馬鹿にしたり態度に出したりした訳じゃないんだから、次から注意すれば良いよ」
「……態度に出していなかったのに、私の考えていたことが伝わったのですか?」
訝し気な顔を見せながらザンバール君は言うが……そういうとこだよ?
「ザンバール君は顔に出やすいし、仕事中は一生懸命無表情を装っているけど……分かる人には分っちゃうんだよね」
「それは……どうしたら良いのでしょうか?」
「これはもう経験を積むしかないかな?とりあえず、感情を制御しようと思っている内はまず無理だね。まずは他人をよく見て自分の観察眼を磨くこと。それから、自分の本心を隠すことが上手な人を参考にすれば良い」
無になるだけが本心を隠す術じゃない。
要は相手に見透かされさえしなければ誤魔化す手段は何でも良いのだ。
まぁ、大抵は観察眼を鍛えていく内に、自分を隠すことが出来るようになっているだろうけど……ザンバール君は、こうやって一つ一つ段階を踏んでいると思わせた方が上手くいくタイプだ。
私のアドバイスに従って……さっそく私の事を穴が開きそうなくらい力強い目線で見て来る。
本当に分かりやすい子だ。
「さて、次に……というかこれは今言ってたことだけど、考えてることが表に出過ぎな点だ。交渉において、それが致命的なのは言うまでもないよね?」
「はい」
「書記として参加していたのに、僕たちの会話を聞いて色々考えを巡らせていただろう?議事録は完璧だからそこは問題ないんだけど……直接話に参加していないからと言って油断すれば……情報は駄々洩れってことだね」
「すみません……」
寧ろ交渉している相手からよりも、そういった周りの人間からの方が情報は得やすいものだ。
そういった意味で……完璧に擬態して、こちらに相手の思惑通りの情報しか与えてこなかった人物があの会談にはいたが……。
「まぁ、今回に関しては……こちらの情報は会談前から全部掌握されていたみたいだけどね」
エインヘリアの諜報力には最大限注意を払っていたつもりだったが……それでもなお上を行かれている。
何より恐ろしいのは……。
「何故ファルク摂政は、こちらの想定以上に向こうが情報を掴んでいる事を開示したのでしょうか?エインヘリアの諜報力の凄さは、ソイン子爵が直接体験して嫌という程知っている事を把握している筈。それなのに何故、更にその先がある事をこちらに見せて来たのか……」
「それはね、彼らが……その程度の事は知られても問題ないと思っているからだよ」
私の感じた恐ろしさ……それをそのままザンバール君に伝えると、彼は目を丸々にしながら喘ぐように口を開く。
「……い、いち国家の上層部が集う会議の内容を、こと細かに把握していたのですよ?市井の井戸端会議ではないのです。国の最重要機密を暴いておいて……その程度の事……だと?」
「だろうね。彼らにとってそれは秘することもない情報なのだろう。諜報員を送り込んだのか、誰かを買収したのか、やり口は分からない……いや、諜報員のほうがありそうかな?いやぁ、怖いねぇ」
私は努めて軽い様子でそう言って見せるが……当然その胸中は穏やかなものではない。
エインヘリアの前ではあらゆる企み事が白日の下にさらされる……企むことさえ不可能?
いや、それは言い過ぎだ。
確かに、エインヘリアの諜報能力は我々のそれとは次元が違う……しかし、だからと言って全ての事象を把握するなぞ出来るはずもない。
神ならぬ人の身で全てを見透かすなど……あってはならない事だ。
これは、何をしても無駄だとこちらに印象付ける為のブラフに過ぎない……当たり前だ、どれだけ規格外であっても全てを把握することなぞ出来るはずがない。
自分に言い聞かせるように念じた私は、目の前で青を通り越して顔色が白くなっているザンバール君に声をかける。
「いやぁ、ルフェロン聖王国がここまで完璧にエインヘリアに取り込まれていたのも意外だったね」
「属国となって二年……相当苛烈なやり方をしていたとしても、まだ心を折りきるには早すぎると思うのですが……」
「ははは!ザンバール君、それは甘いよ。人の心を折るのは苦痛だけじゃない。現に……うちの情報部はエインヘリアに完全に心を折られたし、君も怪我一つ負っていないのに途方に暮れていただろう?」
「それは……」
エインヘリアは属国に対してこれ以上ないくらいに甘く優しく、これ以上ないほど明確に力の差を見せつけている。
反抗を許さないなどというありきたりな脅しは必要ない。
ただエインヘリアという国の力を感じ取らせるだけで、反抗心を完全に封じ込めることが出来る……それくらい隔絶した物を持っているのだから。
そうやって完全に折った後で、極上の甘味を味合わせる……人は苦痛には抗うものだが、快楽には溺れるものだ。
「いやぁ、エインヘリアの上層部……特にエインヘリア王は相当性格が悪いね。人の心の弱い部分をよく理解しているよ。心を折って反抗心を失わせ……その上で甘美な夢に浸らせる。ほんと、隙が無いよねぇ」
「甘美な夢……それが、今のルフェロン聖王国の姿ということですか」
「完璧とも言える治安に活気。民達は美味しい料理を楽しむ余裕まである……そりゃ、諸手を上げてエインヘリアを歓迎するよね」
「……」
深刻な顔で黙り込んでしまったザンバール君に私は笑いかける。
「大丈夫だよ、ザンバール君。寧ろこの状況は福音だよ。僕達が友好を結ぼうとしている相手は僕たちの想定以上に大きかった。喜ばしい限りじゃないか」
「本当に友好が結べるのでしょうか?」
ザンバール君のその質問は、我が国も甘美な夢に溶かされてしまうのではないかという恐れを含んでいる。
その懸念はもっともなものだが、今そこは関係ないとも言える。
まぁ、脅したのは私だが。
「それが僕らの仕事だよ」
私の言葉に、ハッとなったザンバール君だったが、すぐに表情を引き締める。
「ソイン子爵。先程おっしゃって下さった、エインヘリアに詳しい人を手配してくれるという件、お受けしますか?」
気持ちを切り替え、すぐに必要な事を考えられるところは実に素晴らしい。
「……いや、止めておこう。その人物から得られる情報は、エインヘリアにとって都合の良い情報だけだろうしね。出来れば王女殿下に話を聞きたかったけど……多分無理だろうね」
「一応、王女殿下にご挨拶したいと申し入れてみますか?」
「うん、それくらいはさせてもらおう」
「では、すぐに手配いたします」
部屋から出て行ったザンバール君を見送った後、私は先程の会談を思い返す。
ザンバール君には伝えなかったけど……あの聖王……舐めて良いどころか、中々の人物であるように見えた。
わざとあのように振舞って、こちらを油断させる……いや、我々の能力を計ったのだろう。
それと同時にルフェロン聖王国とエインヘリアの関係がどういった物なのか、考えるように仕向けて来た。
傀儡が誰なのか、そもそも傀儡なのか、どこまでルフェロン聖王国は自らの足で立っているのか、ルフェロン聖王国の主は誰なのか……。
ザンバール君は見事にその策に嵌って、会談中に考えを二転三転させていたみたいだけど……相手を混乱に叩き込んでいる最中、ほぼ完璧にこちらがどう考えてこの会談に臨んでいるかは攫われてしまった。
だからこその、摂政の最後の言葉だ。
自らは一言も喋ることなく、ただ摂政の隣に座って少しだけ動いて見せただけでこの成果だ。
あの幼さでこんなえげつない手を打って来るとは……今代の聖王はかなり油断ならない人物といえる。
それにしても……真摯に向き合えば、最良の結果となる……か。
アレは、本心から出たものと見て間違いない。
一度も直接相対していないというのに、ここまで圧倒してくるエインヘリアという国。
彼らと槍を交える事を決断し、併呑されていった国の指導者たちは……一体何を考えて開戦に踏み切ったのだろうか?
市井に流れる情報だけでも、経済力と技術力が非常に高い事が分かるし、一度でも密偵をエインヘリアに送り込んでいれば、その防諜力の高さも気付けるはず。
いや、我が国でも情報部の重要性が理解され始めたのは、此度の戦争が始まってからの事……情報というものにどれほど価値があるのか理解出来ているのは、各国でも上層部のほんの一部と考えて良いのだろう。
私の立場からすると、情報を得ずに戦争を仕掛けるなぞ狂気の沙汰でしかないのだが……そんなことを考えていると、王女殿下との面会の許可が下りたと意外そうな顔をしながらザンバール君が部屋へと戻って来た。
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