第429話 種明かし



View of ザンバール=リンダーエル ブランテール王国事務官






「ソイン子爵……先程のアレは……」


「うん。ラ・ラガの……多分諜報員だろうね。国境から越えたあたりからしつこくついて来てたよ」


 馬車に乗った私達は、夜道をゆっくりと進んでいく。


 夜の街道を馬車一台と護衛の兵二人で進む等、はっきり言って自殺行為以外の何物でもないが、先程見たソイン子爵の姿を思い出すと文句は言えなかったし、心のどこかで今はそれが最善であるという確信もあった。


「ラ・ラガの諜報員が……国境を越えてすぐ私達に気付いたのですか?」


「気付いた……というよりも、待ち構えられていた感じだね。多分、僕たちの情報が漏れてたんだよ」


「……それはつまり」


「上層部……もしくは、それに近しい所に裏切り者がいるってことだね。まぁ、今回の戦争の最初も役人が買収されていたし、目先の金銭にころっと転がった奴が他に居てもおかしくないね」


「……」


 父や兄達が聞いたら、地の果てまで追いかけてでも片をつけようとする話だ。


 しかし、文官として働く私からすると……さもありなんという感じはする。


 父達のように清廉潔白な豪放磊落……誰が見ても二心を持つとは思えないという人物がいる一方で、国家の危機にありながらも自らの利益を優先する人物は存在するのだ。


 勿論、国に忠節を尽くす身としてはふざけるなといった感じではあるが、そういう人物は得てして裏切るという行為に対し罪悪感を覚えない。


 当然こちらの罵倒なぞそよ風の如く……彼らが恐れるのは自らの首に縄がかかるその時だけなのだろう。


 忠義者、悪徳を食む者、上手に生きる者……多くの者がいる中、民が最も心強いと感じるのは、清濁併せ飲み自国が有利になるように手段を選ばず最善を尽くす人だ。


 正道も邪道も巧みに使いこなし、国を導くその在り方はどんな剛の者よりも頼もしく映るし、そういった強い指導者を民は戴きたいと考える。


 そしておそらく……このソイン子爵を重用している王太子殿下は、そういった類の人物なのだろう。


 この戦争を乗り越えた後の……次代のブランテール王国の未来は明るいものになると確信できる心強さだ。


 しかし……それはそれとして、このソイン子爵とこうして一対一で話をするのは凄まじく恐ろしい。


 あぁ、今朝……いや、酒場で食事をしていた時の私であれば、寧ろ辟易としていたであろうに……あの頃の心労に比べたら、今の心労は重たすぎる。


「まぁ、とりあえず監視の目は振り切ったし、これで安心してルフェロン聖王国に向かえるってもんだね」


「あの……一つ疑問なのですが、どうして彼らが監視者だと分かったのですか?」


「国境からずっと同じ顔があからさまな視線を向けて来てたら流石に気付くよぅ。まぁ多分彼らは密偵としてはそこまでしっかり修行してないんじゃないかな?体の動かし方を見ても、密偵ってよりも兵士って感じだったし」


「全く分かりませんでしたが……」


「あはは!それは仕方ないよ。ザンバール君は普通の文官さんだからね。君の御父上なら多分国境の所で切り捨てていたんじゃないかな?」


 そう言ってカラカラと明るく笑うソイン子爵は、ほんの少し前数人の男をあっという間に殺した人物には見えない。


 それに、その言葉通り……父であれば、そんな怪しさを漂わせる相手が目につけば……それ以上は考えまい。


「父の事を……?」


「勿論知ってるよぅ。リンダーエル将軍はブランテール王国屈指の将軍だからね。二人のお兄さんたちも順調に軍で出世しているみたいだし、リンダーエル家は安泰だねぇ」


「ありがとうございます」


「そんな彼らがべた褒めするザンバール君には、多くの人が期待しているよ」


「ぶっ!?」


 べた褒め!?


 いや、家族は皆私の事を物凄く持ち上げるけど……え?外でも吹聴しているのか!?


「力自慢ばかりの家に遂に賢さが宿ったと、もうリンダーエル将軍は十年以上自慢してるね」


「そ……そうですか……」


「因みに、お兄さんたちも軍でザンバール君の事を自慢しまくってるよ」


 ……やめて。


「だからザンバール君は軍では超有名人」


 やめてぇ!!


 頭を抱え声なき叫びをあげる私を見ながら、ソイン子爵が声を上げて笑う。


 その瞬間……私はとあることに気付いてしまった。


「……ソイン子爵。もしかして、お酒を飲んでいらっしゃらないのですか?」


「あれ?気づいちゃった?」


「えぇ……酒場や、肩を貸している時は衣服にしみ込んだ匂いで分からなかったのですが、こうして少し距離を開け、向かい合って話していたら分かりました」


 ソイン子爵が大笑いした際に、酒の匂いが全くしなかったのだ。


 家族の話題で……父が酒を飲みながら大笑いを良くした時の匂いを思い出し気付いたのだが……あの騒動以降酔っている様子がなかったのは、そもそも酔っていなかったからか。


「流石に任務中にお酒はね。飲んだ振りをしながらうまく処理する技術は、社交界では必須なのさ」


「私の知る社交界の技術とは少し違うのでしょうね……」


 確かに社交の場で酒を片手に談笑をしながら、酒には口をつけないと言うのは普通だが……ソイン子爵の場合は少し違う技術な気がする。


「油断、酒、睦言っていうのは色々と口が軽くなるものさ。ザンバール君も文官としてやっていくなら上手に使えるようにならないとねぇ?」


「今日まで真面目に仕事をしてきたつもりでしたが……ずっと騙されていたと知った今となっては、色々と考えさせられますね」


「むぅ、ザンバール君を騙すなんて、悪い奴もいたもんだね。リンダーエル将軍に言いつけておこうか?」


「……それはいいですね。多分父が地の果てまで追いかけて、その下手人の首を飛ばしてくれると思います」


 一瞬揶揄われている事にグッとなったが、すぐに反撃方法を思いついた私がそう言うと、ソイン子爵はにっこりと笑みを浮かべたまま固まる。


「……ザンバール君。僕達は友達だよね?」


 恐らく、私の事を自慢する父の顔でも思い出しているのだろう。


 ソイン子爵がいつもとは違った雰囲気の笑みを浮かべながら言ってくるが……私は馬車の外を見るように顔を背けながら答える。


 因みに外は真っ暗なので何も見えない。


「今日まで本当に苦労してきました」


「ごめんってば!」


 かなり必死な様子で謝って来るが……正直この人の外面は一切信用できない。


「冗談はさて置き」


「本当に冗談?将軍だけじゃなくお兄さんたちにも言いつけない?あの二人も相当な腕前だからね?駄目だよ?変な事言ったら」


「……考えておきます。それで、ソイン子爵は情報部の方ということでしょうか?」


 情報部……今回の戦争の折に組織強化されたという話だったが、組織強化ということはそれ以前より活動自体はしていたという事。


 そこに所属する者達は栄達を望めず、表舞台ではひっそりと過ごしていると言う話だったが……この人はその辺り微妙な気がする。


 はっきり言って悪い意味で目立つ人だ。


 ひっそりというには程遠い人物だが……いや、この人が情報部所属というのは普通分からないだろうし、最適な人材と言えるかもしれない。


 交友関係も……特に御婦人方相手に広く、言葉巧みに情報を集めるのも慣れたものだろう。


 それに何より、その軽薄さという仮面に隠れて本心が見透かせないのも厄介だ。


 周知されている人物像も、本来の仕事を隠すためのヴェールに過ぎないのだと思うと、その遠大なやり口にぞっとした物を感じる。


「うんうん、その通り。因みに御者をしているぬぼっとした奴と護衛についてる二人の兵もそうだよ。流石に少人数で敵地を抜けなきゃいけないからね……その辺はしっかり仕事の出来る人で固めとかないと、裏切り者もいるからねぇ」


「……情報部の者なら問題ないと?」


「問題ないと言いたい所だけど、情報部がどうかってよりも、彼らが信頼できる相手ってことだね。能力的にも性格的にも。あ、因みにザンバール君もだよ。君は僕が選んだわけじゃないけど、文官としての実績と信頼から今回の仕事に抜擢されたんだ」


「……」


 国家の命運にかかわる今回の仕事……それなりに評価されていたからこそ与えられた仕事だとは思っていたが……改めて言われると、重たさと同時に誇らしさを感じてしまう。


「聞きたい事はおしまいかな?」


 にやにやとした仮面はそのままに、ソイン子爵が尋ねて来たので私は遠慮なく質問することにした。


「……今回の仕事について、ソイン子爵の見解を改めて聞かせて頂けますか?」


 この質問をするのは二度目だった。


 最初に尋ねたのはまだ旅が始まってすぐ、ブランテール王国内を移動している最中だったが……その時は、頑張らないといけないねといった適当な返しをされたのだ。


 しかし……今ならソイン子爵はその考えを教えてくれる気がする。


 私の前で、あの者達を処理した時点で信用されたと見て良い筈だ。


「うん、勿論いいよ。概要は置いといて……今回僕達がやるのはエインヘリアと国交を結ぶことだ。上層部は今回の戦争の裏にエインヘリアがいると考えているみたいだけど、ちょっとその辺怪しいんだよね。出立する前にレイズ……あ、王太子殿下とも話をしたんだけど、エインヘリアを疑う理由が消去法じゃぁちょっと弱いよねぇ」


 ……正直、王太子殿下の名前を呼び捨てにしたことの方が気になってしまって、話があまり頭に入ってこない……い、いや、全力で集中せねば。


「エインヘリアってね?上層部……いや、他の国が考えているよりも何倍も恐ろしい国なんだよ」


「恐ろしい……ですか?」


「うん。僕としては、あの国がこんな中途半端というか雑というか……とにかくこの程度の策略を使ってくるとは思えないんだよ」


「ソイン子爵はエインヘリアについて詳しいのですか?」


「いや?寧ろ全然知らないかな?」


 あっけらかんと言ってのけるソイン子爵を思わずジト目で見てしまう。


「全然知らないのに恐ろしいのですか?」


「あはは!未知っていうのは誰にとっても恐怖だと思うけどなぁ?」


「……それはそうかもしれませんが……」


 微妙にはぐらかされている気がするんだが……いや、誤魔化そうとしているわけではなく、揶揄っている様な雰囲気だ。


「いや、揶揄ってるわけじゃないよ?まぁ、考えてみてよ。さっきも言った通り、僕の所属はブランテール王国の情報部。その僕が、他国の中でもとびっきり危険度の高いエインヘリアという国の事を全然知らないんだよ?」


 苦笑しながら放たれた言葉の意味を理解した瞬間、私は背筋に冷たいものが流れるのを感じた。


「……うん。理解してくれたようで何よりだ。当然、僕たち情報部は戦争が始まる前からエインヘリアという国の事を調べてたよ。いや、正確には調べようとしていた、だね。その結果わかったことは……エインヘリアの防諜力は、笑いしか出ないレベルでとんでもないってことくらいだね。勿論一般的な……普通に民達の噂に上る程度の情報は把握しているけど、逆に言うとそれ以上の情報は一切ないんだ」


「防諜力……ですか?」


「うん。今から話すのは冗談でも夢でもなんでもない、うちの情報部が本当に体験したことだから、そのつもりで聞いてね?」


 そう前置きしたソイン子爵から語られたのは……質の悪い冗談のような、怪奇現象のような何かだった。


 曰く、情報部の人間がエインヘリアとの国境を越えた瞬間、外交官見習いを名乗るものが現れ情報部の人間の観光案内を始める。


 曰く、外交官見習いは街道沿いの国境だけでなく、山を越えようと森を抜けようと必ず現れる。


 曰く、たとえ偽名を名乗ろうとブランテール王国所属である事を確認されて、その後本名で呼ばれる。


 曰く、エインヘリア国内でどれだけ振り切ろうとしても絶対に振り切ることが出来ない。


 曰く、料理がとんでもなく美味しい。


 曰く、観光案内の後エインヘリアの外に出た瞬間監視はいなくなる。


「……その、どんな手段で入ろうとも現れるのですか?」


「うん。僕も実際行ってみたからね。ほんとに出たよ」


 まるで怪異か何かの様にソイン子爵は言うが、事実それと大差なく感じるな。


「そ、そうですか……」


「エインヘリアの諜報力は隔絶してるよ。こちらは向こうのことを何も知らないのに、向こうはこちらの事を全て知っているんだもん。国境越える時に名札でもつけてたかな?って疑っちゃったよ」


「……」


 おどけて言うソイン子爵だが、恐らく私が感じた不気味さの倍以上のものを、情報戦のプロであるソイン子爵はその身に感じた筈だ。


 エインヘリアとはそんなにも常識の通じない相手だったのか……。


「王太子殿下にはその辺しっかり伝えたつもりだったんだけど、丁度南のエーディン王国がいちゃもんをつけて来た時期だったからね……戦争の方で頭がいっぱいだったみたいで、その時は聞き流しちゃったみたい。今回の件を聞かされた時に改めてその話をしたけど、顔を青褪めさせていたよ」


 それはそうだろう。


 そんな冗談にしか聞こえない様な諜報力を持った国と、まともにやり合える筈がない。


 戦争も外交も……全ては情報を制する者が勝つのだ。


 戦う以前の段階で、我々は既に負けている……三国との戦い、相手方に英雄がいると言う絶望的な状況が児戯にさえ思える様な状況だ。


「分かるだろう?エインヘリアという国を敵に回すことの恐ろしさが」


「えぇ」


「早々に属国に降ると言う英断をしたルフェロン聖王国は大したものだよ。当時エインヘリアは、まだ周辺国に攻め込まれている小国に過ぎなかったというのにね。その先見の明こそがルフェロン聖王国を活かしたのだから、ほんと脱帽するよ。この大陸で一番早くエインヘリアという脅威を正しく認識したのはルフェロン聖王国だね」


 確かに、エインヘリアが初めて認識されたのは、ルモリア王国を滅ぼしその領土を得た時で、それとほぼ時を同じくして周辺国からは良いカモとして攻め込まれていた。


 瞬く間に周辺国を併呑したとはいえ、ルフェロン聖王国が属国となったのはその最中の出来事。


 その段階でエインヘリアの異常性を理解出来ていた国は、ルフェロン聖王国を置いて他にないだろう。


「だからね、僕らがやるべきはエインヘリアと友好的な関係を結ぶこと。上層部が言うような相手の裏を探る様な事は基本的にはしない。っていうか、そんなことしようとしたら多分即バレる。あくまで友好の使者として、そして可能であれば現在の窮状を打破するため同盟を結ぶってのが最上だね」


「同盟ですか……」


 最初聞かされていた話とは真逆なレベルで話が違うな。


 私が聞いた話では、今回の戦争の裏にいるエインヘリアへと向かいその真意を確認し、その矛を収めてもらう為の交渉を始めるといった内容だった。


 交渉を始める為の交渉……それが、同盟を結ぶことを目的とした交渉に変わるわけで……国家の命運をかけたという点に違いはないが、より責任が重くなったのを感じる。


「まぁ、君の仕事は僕のサポート。やる事はあまり変わらないから大丈夫だよね?」


「……そう、でしょうか?」


「寧ろ相手の腹を探るんじゃなくって、こっちが腹を見せて仲良くしてねって言うだけだから、難易度はさがったんじゃないかな?」


「……何でもかんでもさらけ出せるわけじゃありませんし、相手の意図はしっかりと読む必要があります。心労は変わりませんよ」


「あはは!そういうのは僕が色々調整するから大丈夫。基本的に指示も判断も僕がするし……君は文官として蓄えた知識を貸してくれる感じで大丈夫だよ」


「分かりました。ソイン子爵、改めて……よろしくお願いします」


「うん、よろしくね。ザンバール君。まずはこのまま目立たない様にラ・ラガを抜けてルフェロン聖王国に向かうよ。道中はうちの連中に任せておけば大丈夫だけど……ルフェロン聖王国からは気が抜けないからね」


「はい!」


 この日を境に、ソイン子爵は人が変わったように真面目に物事に取り組むように……なることはなく、相変わらず軽薄な様子で人をけむに巻く様な飄々としたやり口で楽しそうに過ごしており、私はそんな子爵に文句を重ねる日々となった。


 そしてブランテール王国を出立してから一月半、私達はルフェロン聖王国へと辿り着いた。


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