第428話 ソイン子爵

 


View of ザンバール=リンダーエル ブランテール王国事務官






 貧乏くじ。


 今の私の立場を一言で表すならば、これに尽きる。


 リンダーエル伯爵家の三男として生まれた私は、家名に傷をつけぬように努力を怠らず研鑽に励んで来た。


 三男である以上、将来的には伯爵家から出ることになるが、必死に研鑽を積んだ甲斐あって王宮付きの事務官……文官としての仕官が叶ったのだ。


 リンダーエル家は武門の家柄で、現当主である父は将軍、二人の兄も軍属となっており……そんな中、文官の道に進んだ私は……家族に大絶賛された。


 我が家の頭にもちゃんと脳みそは詰まっていたのだと冗談めかして私の仕官を喜んでくれた家族の事を、私は誇りに思い……そしてそんな家族が命を懸けて守ろうとするブランテール王国に、家族と形は違えど全力で尽くすつもりだ。


 だから、国家の命運をかけた今回の仕事には命を懸けて挑み、たとえ道半ばで倒れようとも無駄死にだけはすまいと心に誓っていたのだが……。


「ザンバールちゃん、分かる?大事なのはね?愛なのよ愛、これ大事なことよ?」


「……ソイン殿、何度も申しておりますが、私をちゃん付けで呼ぶのはお止めください」


「あー、堅い!ザンバールちゃん堅いって!そんな堅いとモテないよ?男にも女にも。あ、息子は硬い方が喜ばれるけどね?」


「必要ありません。それよりもソイン殿、そろそろ酒は終わりにして引き上げましょう。明日も早いのですよ?」


 私は精神的な頭痛を堪えつつ、ソイン子爵を促して宿に戻ろうとしたのだが、当のソイン子爵は立ち上がる素振りすら見せない。


 国から与えられた使命……それは、どこまでもちゃらんぽらんな子爵を、無事使者としてエインヘリアに送り届け、そのサポートをすることだ。


 正直、この……子爵とは到底思えない人物の言動に……私の心は毎日へし折られ、それを繋ぎ合わせるのに相当な労力を割いていた。


「ザンバールちゃん早いって!早いのはほんとダメよ!辛抱なさい!まだ夜は始まったばかりですよ!」


「……」


 私は盛大にため息をつきつつ、席に座り直す。


 非常に腹立たしいが、彼をおいて宿に戻ることなぞ出来ない。


 私達が今いるのは敵地……ラ・ラガの街の大衆酒場だ。


 質の悪い酒で酔ったソイン子爵はもはや理性的な会話は出来ず、普段から真面目とは程遠い人物が殊更酷い事になっている。


「お?飲む?ザンバールちゃんもお酒飲んじゃう?」


「飲みません」


「またまたー、飲みたかったんでしょ?素直に言いなよぅ。飲みたかったんでしょ?」


 な、殴りてぇ……。


 非常にうざいテンションで絡んで来るソイン子爵に殺意を覚えていると、店の給仕が近づいてきて呆れたように口を開く。


「おにーさん、嫌がっている人にお酒を勧めるのは感心しないわよ?」


「え?嫌がってるの?ザンバールちゃん嫌がってるの?」


「えぇ」


 給仕の出してくれた助け舟に私が乗ると、ソイン子爵は物凄く意外と言いたげな表情になった。


「うわぁ、ごめんよぅ。おじさん、ザンバールちゃんが飲みたくないだなんて気づかなかったよぉ。お姉さんありがとうねぇ、教えてくれて」


「うんうん、お酒は気持ちよく飲まないと駄目だからね」


「ほんとそうだよね。いやぁ、このお店で飲むお酒が美味しいから、おじさんちょっと強引に行きすぎちゃったよぉ」


「あはは、それは嬉しいですけど……もしかしてお兄さんたちはこの街の人じゃないのかな?」


 給仕の問いかけに一瞬ドキリとしたが、よっぱらいは気にした様子も見せずに会話を続ける。


「あらら?もしかしてこのお店って、この辺じゃ有名だったりするのかな?」


「あ、うん。この辺じゃ結構有名かな?」


「あちゃー、それは失礼しました。道理でご飯もお酒も美味しいわけだねー」


 ソイン子爵がおどけた様に笑いながら褒めると、給仕は嬉しそうに笑いながら会話を続ける。


 もしかするとこの給仕は店の雇われではなく、自分の店なのかもしれないな。


 若干誇らしげにも見える給仕を見ながら私はそんなことを考え、同時にそこまで神経質になる必要はないかと安堵する。


 この国のものでないとバレたところで、給仕が我々に害をなすとは思えない。


「ありがとうございます!ところで、お兄さんたちは何処からいらっしゃったんですか?」


「んー、東ね、東の方から来たのよ」


 ちょ!


 安心した直後に、どうしてそんなとんでもない暴露かますんだよ!


 大声でそんな事……ど、どうする?口を塞ぐか!?


 い、いや、そんなあからさまに目立つ真似を出来るはずが……。


 そんなことを考えている間にも、ソイン子爵と給仕の会話は続けられる。


「東って、戦争で大変なんじゃ?」


「国内はそうでもなかったかな?攻め込んでる側だしねー。ここも国境からそんなに遠くないけど平和なもんでしょ?」


「あー、それもそうですね。ちょっと食材が高くなったかなぁって気はしますけど」


「あー、やっぱりそうなんだね。もしかして値上げとか考えてた?」


「あははー、まぁ……そうですねぇ、近い内に……」


「おー、それは今日来て良かったなー。いや、お姉さんには悪いんだけどね!」


 酔いに任せて軽妙な感じで会話を続けるソイン子爵。


 なるほど、社交界で浮名を流すだけあって、酔っぱらっていても女性との会話は手慣れたものという事か……感心はするが、全く尊敬できない特技だな。


「えー、お兄さん酷いですよ!」


「あはは!その分いっぱい頼むから許してよ!とりあえず、なんかお肉のいいところお願いします!」


「はーい、ご注文ありがとうございまーす」


 笑顔を見せながら去っていく給仕にひらひらと手を振るソイン子爵……って!


「なんで追加注文しているんですか!もう帰りますよ!」


「えぇ?ザンバールちゃん夜はこれからだよぉ?」


「だから明日は早いって言ってるじゃないですか!」


「ままま、もう頼んじゃったんだし、ちゃんと飲み食いしていかないと失礼だよぉ?」


「だ、誰のせいだと……!」


「ほらほら、食べて食べて!次の料理来ちゃうよー?」


「……」


 何故こんな人を上層部は使者に選んだのだ!?


 私はこれから続く長い旅路とその先にある仕事を考え、頭を抱えた。






「ザンバールちゃん……僕酔っちゃったかも」


「かもではなく、全力で酔ってます!現実に真っ直ぐ歩けなくなる人がいるとは知りませんでしたよ!」


 私は、足元がおぼつかなくなったソイン子爵に肩を貸しながら皮肉を言うが……言われた本人は楽しいそうに笑うだけだ。


「まぁまぁ、誰にでも初めてってのはあるよ」


「……質の悪い酒を大量に飲むからですよ。もう少し立場を考えてくれませんかね?」


「いやいや、僕上質な酒でも良くこうなるし……お酒のせいにするのは良くないなぁ」


「初めて云々は何処に行ったのですか……?」


 酔っ払いに論理的な会話は不可能だと知りつつもツッコミを入れてしまう。


「真っ直ぐ歩けなくなる人見たの初めてだったんでしょ?」


「……そうですね」


 ほんの少しだけ……そこまで考えが回らなかった事を腹立たしく思いながら、私はソイン子爵を担ぎ直す。


「う……ゆ、揺らさないで……」


「……」


 顔色を悪くして口元を押さえたソイン子爵……い、いや、待ってください!


「そ、ソイン殿……?吐かないでくださいよ!?」


 嫌な予感がした私はソイン子爵から離れようとしたのだが、ソイン子爵は強引に私を引き寄せる。


「ザンバールちゃん、無理かも……いや、無理……あ、絶対無理」


「ちょ、ちょっと、離して!離してください!」


「あっち……あっちの路地の方連れてって……ぎりぎり、ぎりぎりだから……」


 俯きながら暗がりの方を指差すソイン子爵。


 もはや一刻の猶予もないと感じた私は、全力でそちらに向かう。


「ちょ……揺らすの無し……」


「はい!つきました!離してください!!」


 路地に到着してすぐにソイン子爵を引きはがす。


 こういった路地は大通りと比べて殊更酷いにおいがするので、心行くまで中身を出してくれることだろう。


 私は巻き込まれない様に離れようとして……肩を掴まれる。


「背中さすって……」


 弱弱しく告げられる言葉に、これ以上ないくらいイラっとしたが……上司であり貴族家当主の言葉に逆らえる筈もない。


 怒りを堪え、心の中で盛大にため息をつきつつソイン子爵の背中をさすっていると、通りの向こうから五人程の男が姿を現した。


 見た感じ向こうも酔っ払いのようだが……ソイン子爵程悲惨な事にはなっていない様だ。


 まっすぐ歩いているのがその証拠である。


「お?にーちゃんたち大丈夫か?」


 近づいて来た男達がこちらに気付き、心配そうな顔で声をかけて来た。


 酔っ払いとしての連帯感か、それとも彼らがお人好しなだけなのかは知らないが、手を借りる必要はない。


「あぁ、連れが派手に酔っただけだから問題は……」


 私がそこまで言うと大きくえずくような声があがる。


「あー、大変そうだな。水やるよ……革袋のマズい水だが、口を濯ぐくらいは問題ない筈だ」


 一瞬気まずそうな顔をした男達が、こちらに近づき革袋を差し出してきた。


 しかし、流石に見ず知らずの彼らからそれを受け取り子爵に使わせる訳にはいかず、折角の好意ではあるが断らざるを得ない。


「いや、すまないが……」


「あぁ、助かるよ!」


 顔色は悪いものの、屈託のない笑みを見せながら差し出された革袋に手を伸ばすソイン子爵。


 いや、貴族として警戒心が無さすぎでは?


 私がそう思った次の瞬間、顔色悪くよろよろと動いていたソイン子爵の姿が突然ぶれたかと思うと、革袋を差し出していた男が地面に倒れる。


「え……?」


 呆けたような呟きは私が出したものか、それとも他の誰かが発したものか分からなかったが、少なくともソイン子爵が発した物でない事だけは分かった。


 何故なら、次々と男達が倒れ伏す中……いつの間にか手にしていたナイフを拭うソイン子爵は、先程まで酔っぱらいながら陽気に笑っていた人物と同一人物とは思えない程、無機質な目で男達を見下ろしていたからだ。


「ひっ……」


 私の喉から絞り出したような悲鳴が漏れ出ると、ソイン子爵がこちらを見て……破顔する。


「びっくりさせてごめんね。餌に食いついてきたこいつらを逃がしたくなくてさ」


 月明かりに照らされながら、普段通りの気さくな様子で語り掛けて来るソイン子爵が異質な……化け物に見える。


「さて、ザンバール君、そろそろ移動するよ。流石に現場を見られるのはマズいからね」


「……は、はい」


 何が起きているのか分からない。


 何故彼らは……し、死んでいるのか?


 どうして?


 ソイン子爵が殺した?


 駄目だ……何が何だか……。


「大丈夫かい?」


 心配しているとも苦笑しているとも取れる表情を見せるソイン子爵に辛うじて頷いて見せた私は、足早にこの場から去ろうと動き出し……ソイン子爵に止められた。


「ザンバール君、そっちじゃない。もう宿にはいかないよ。このまま街を出るんだ」


「……え?」


「この街での用事は終わったからね。こいつら……監視の処理をしたくてこの街には来たんだ。いや、国境からずっとついて来てて鬱陶しいったらなかったよね?」


 同意を求めて来るソイン子爵に、私は混乱した頭を何とか働かせつつ……かぶりを振る。


 今の彼に対しては正直に話したほうが良い気がしたのだ。


「……彼らは監視者だったのですか?一体何処の?」


 監視されていたと聞かされて、何故か少しだけ冷静になった自分に驚きつつソイン子爵に尋ねる。


「とりあえず、移動しながら話そうか。大丈夫、ちゃんと説明するよ。あぁ、馬車の準備は部下がやってくれてるから心配はいらない。聞きたい事があったら何でも聞いてくれて構わない……今夜は夜を徹して移動することになるし、時間はたっぷりある。答えられることには全部答えるよ」


 そ、そうだった。


 ここは今殺人現場……悠長に話をしている場合ではない……全然冷静になれていなかったようだ。


 ソイン子爵の言葉に頷き、私達は夜闇紛れるように街を後にした。


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