第414話 土いじり子爵の優雅な一日・始



View of ヘルミナーデ=アプルソン スラージアン帝国子爵






「アプルソン!勝負だ!」


 教室でカインベルさんが私に指を突きつけながら叫びました。


「またですの?」


 わたくしが若干ため息をつきつつ答えると、カインベルさんは憤慨したように地団太を踏みます。


 とはいえ、この方が本気で悔しがっているわけではない事くらい、わたくしだけではなく教室にいる皆も理解しております。


 まぁ、何と言いますか……これはいつもの挨拶のようなものですしね。


 今わたくしがいるのは学校……エインヘリアに王都に作られた留学生たちの学ぶ為の学校という施設、その教室ですわ。


 因みにカインベルさんは帝国の伯爵家の方で、確か三男でまだ成人しておりません。


 帝国の留学生代表にわたくしが選ばれたことが気に入らなかったらしく、留学が始まった当初はかなり喧嘩腰でした。


 ですが、数か月も経ち何度も彼の言う勝負を挑まれ続け相手をして差し上げる内に……もう日常の一部みたいになってしまっていますわね。


「またとはなんだ!お前、そういうのはアレだぞ!なんかこう……不敬だぞ!」


 カインベルさんは顔を真っ赤にしながら、なんかふわっとした雰囲気の文句をつけてきます。


 この方……留学生に選ばれるだけあって、普段は年若くとも非常に優秀なのですが、そこはかとなく残念な感じを身に纏ってらっしゃいます。


 悪い方ではないのですが……。


「それは失礼いたしました、カインベルさん。ですが、レディに指を突きつける貴方も紳士的とは言い難いですわ」


「ふぐっ!?」


 笑顔でわたくしがそう告げると、何故か衝撃を受けたかのように胸を押さえながらカインベルさんが蹲りましたわ。


 よくやる動作なので驚きはしませんが、何か持病でもあるのではないかといつも心配しております。


 エインヘリアにいるうちに、しっかりと検査した方が良いのでは……?


「ヘルミナーデさん、おはようございます。相変わらずカインベルさんと仲がよろしいようで」


 教室に入って来たのは、大陸南西部にある小国、パールディア皇国の皇女殿下であらせられるリサラ皇女殿下。


 わたくしたちと同じようにエインヘリアへの留学生ですわ。


「おはようございます、リサラ様。これは……仲が良いのでしょうか?」


「私から見るととても仲が良さそうに見えますよ?」


 そう言って上品な笑みを浮かべるリサラ様。


 エインヘリアの作ったこの学び舎では、貴族平民問わず各国から選抜された方々が集まっている事もあり、身分の差が非常に激しいのも特徴です。


 ですが、身分の上下によって学ぶ内容に違いはなく、その成績評価に忖度は一切ありません。


 そしてこの場にいる方は、各国が立場貴賎よりも、個々人の能力……優秀な人材を欲している事を十分理解しております。


 そしてこの場が学び舎であることと同時に、将来各国で重要な地位に就くであろう若手の交流の場であることも。


 まぁ、わたくしは少し他の皆さんとは毛色が異なりますが……土いじり男爵、もとい子爵ですので。


 まぁ、それもあってカインベルさんは何かと勝負と言ってくるのでしょうが……。


 身分差による礼儀は最低限存在しますが、わたくしがリサラ皇女殿下を名前で呼ぶことを許されているように、非常に緩やかな規律とも言えますわね。


「わたくしよりもリサラ様の方が成績が良いのですし、挑むならリサラ様に挑むべきでは?」


 わたくしがそういうと、何故かカインベルさんが吐血しながらさらに蹲ります。


 ほ、本当に大丈夫なんですの?


「あら、ふふっ。ヘルミナーデさんは中々酷い方ですね」


「わ、わたくし、何かしてしまいましたか?」


 カインベルさんが吐血するのは、一日数回ありますし……初めて見た時は慌てましたが、本人は問題ないとおっしゃいますし、気にしないようにしていたのですが……。


「いえ、ヘルミナーデさんに非は……全くないとは言えませんが……」


「言えませんの!?」


「ふふっ、それはそうと……」


 流されましたわ!?


 リサラ様は基本的に面倒見が良く、お優しい方なのですが……偶に意地悪なのですわ。


「ヘルミナーデさんは帝国の子爵家当主ですよね?」


「え、えぇ、そうですわ」


 唐突に変わった話題に首を傾げつつも、わたくしは頷きます。


「しかもヘルミナーデさんが当主として陞爵されたとか?」


「え、えぇ。運が良かったと申しますか……」


「まだお若いのに凄いです。そんな有望な方なのですし、婚約者もさぞかし素敵な方でいらっしゃるのでしょうね」


 リサラ様の言葉に血を吐いて蹲っていたカインベルさんが、勢いよく顔を上げました。


 その勢いで血が飛び散らなかったのは、奇跡としか言いようがありませんわね。


 それはそうと……。


「……?いえ、リサラ様。わたくしに婚約者はおりませんわ」


「まぁ、そうだったんですか?」


 リサラ様が驚いたような表情を見せますが、私は苦笑しながら首を振ります。


「はい。つい先日陞爵しましたが、わたくしは地元では土いじり男爵と呼ばれていましたの。当主ですし婿入りしてもらうしかありませんが……男爵であれば、平民出身の騎士の方にでも婿入りして貰えば良かったのですが、子爵となった今ではそれも難しいですし……結婚は諦めておりますの」


「そんな、ヘルミナーデさんはとても素敵な方ですし、求婚する男性はいくらでもいるのでは?」


「先程も申しましたが、わたくしの家は土いじり……つまり貴族でありながら自ら畑仕事に従事する家ですわ。子爵家の家格に見合うような男性が、農作業をして下さるとはとても……」


 わたくしが苦笑しながら言うと、リサラ様は少しだけ考えるそぶりを見せた後口を開きました。


「なるほど。確かに難しい条件かもしれません。ですが、それが結婚を諦める程の事かと言えば、それはそうではないと思います。最初からその条件を突きつけられてのお見合いはハードルが高いですが、ヘルミナーデさんの人となりを先に知っていれば、その条件でも受け入れられると言う方は必ずいるはずですよ」


 リサラ様がにっこりと微笑みながらそうおっしゃいますが……男爵家以上の方が畑仕事を受け入れてくれるでしょうか?


 まぁ、エインヘリアのおかげでとんでもなく仕事は楽になっておりますが……それでも畑仕事には違いありませんし……。


「そ、そうだぞ、アプルソン!どうしてもというのであれば、俺が手伝ってやってもいいぞ?」


「カインベルさんが婿探しを手伝ってくださるのですか?」


「ぐふっ!」


 立ち上がりわたくし達の会話に参加したカインベルさんでしたが、あっという間に吐血して蹲ってしまいました。


 本当に大丈夫なのでしょうか?


「やはり、酷い方です」


「……?リサラ様、今何かおっしゃいましたか?」


 わたくしの問いかけに、リサラ様は微笑みながら首を横に振られました。


 何かリサラ様が呟いたような気がしたのですが、気のせいだったのでしょうか?


「話は変わるのですが、なんでも今日から新しい講師の方が来るそうですよ?」


「新しい講師ですか?」


 私達の学ぶ学校では、エインヘリアの文化や学問の他に、エインヘリアと友好関係を結んでいる各国から講師を招き、その国の文化や歴史も学んでおります。


 その関係上、新しく講師の方が来られることは珍しくありませんが……。


「えぇ、昨日、エインヘリア王陛下にお会いしてこの話を聞きましたの」


「エインヘリア王陛下がおっしゃったのであれば、間違いありませんわね……因みに何処の国の……」


 私がリサラ様にそう尋ねようとした所、講師の方が教室にいらっしゃったので、わたくし達は私語を止めました。


 因みに蹲っていたカインベルさんも急ぎ自分の席に向かっております。


「皆さん、おはようございます。本日は講義の前に新しい講師を紹介いたします。担当されるのは帝国の礼儀作法についてです」


 実に端的に帝国史を担当している講師の方が言うと、新しく赴任された講師の方が教室へと入って来て……その顔を見た瞬間、わたくしは思いっきり立ち上がってしまいました。


「おや、いくら私の顔が良いからと、興奮して立ち上がられるのは淑女としてどうかと思いますよ?」


「な、なん……!?」


「それは当然、日常業務の傍ら、エインヘリアで講師登用試験に合格したからですよ。アプルソン子爵」


「ど、どうし……!?」


「それはまぁ、やりたかったから……いえ、正直目玉が飛び出るほどの給金が貰えるのですよ。エインヘリアでの講師とは」


「ヘルミナーデさん?」


 立ち上がった私を見上げながら首を傾げるリサラ様。


 しかし、今のわたくしに返事をする余裕はありませんわ!?


「本日より、帝国式礼儀作法を担当させていただきますセイバスと申します。どうぞよしなに」


 なんで貴方が講師をやっているのです!?


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