第406話 初体験
View of クルーエル=マルクーリエ フェイルナーゼン神教教皇
シャイナに案内された扉の向こうには、大きなテーブルが置かれており五人の人物が着席していた。
一人は青い髪で眼鏡をかけた怜悧な雰囲気の男。
何処からどう見ても文官といった姿だが、彼から感じるミントのような爽やかな香りは、シュプレイスから感じる香りよりも濃厚なもの。
けしてそうは見えないが、相当強い英雄と見て良いだろう。
一人はウェーブのかかった茶色い髪の女性。
非常に穏やかで優しそうな笑みを浮かべているが、何よりも目を引かれるのはその胸部。
同じ女であっても目を奪われずにはいられない……不自然なくらいの膨らみがこれ以上ないくらい主張している。
とはいえ、特に何の感想も抱かないが……敢えて言うならばもげれば良いと思う。
そんな彼女もまた、濃厚なハチミツのような甘い香りを纏っている。
一人は黒髪を後ろで束ねた女性。
正装というには程遠い、何かの作業に従事している様な服装だが非常にしっくり来ていることから、恐らく彼女の仕事着なのだろう。
やはりというか、彼女もまた先の二人と同様に濃密な香りを放っている。
一人は桃色の髪の少女。
目を閉じているようにも見えるが、こちらへの視線を感じるのでそう言う訳ではないのだろう。
恐らく十歳前後だと思うが、その身に纏う法衣は華美なもので非常に地位の高い聖職者であることを物語っている。
しかし、それ以上に驚きなのは……彼女から放たれる香りが先の三人よりも遥かに濃厚なもので……リズバーン以上……クーガーやシャイナと同じくらい濃厚な香りがしている。
そしてそれは席についていない、護衛であろう女騎士や軽装の男も同様だった。
護衛はともかく、それ以外の人物は事前にレイリューンから人相を聞いていたので、紹介されずとも役職まで分かる。
しかし、明らかに文官であろう者達が英雄というのは、色々とおかしい気がする。
いや、英雄が複数いる事自体は予想通りだし、英雄だからと言って内政が出来ない訳ではない。
だからエインヘリアの重鎮が軒並み英雄であっても、別に問題はない。
しかし……最後の一人……紹介されずとも分かる。
この場における……いや、このエインヘリアにおける最上位者。
圧倒的な気配を放ち悠然とした態度でこちらを見ているその姿は、尊大でありながらも油断のような物は一切なく、こちらの全てを見透かすかのように鋭い眼光で見据えて来る。
その姿は、十人が十人恐ろしいと言うだろうが、同時に十人が十人美しいと称するに違いない。
しかし、私にとってはその姿よりも、彼から発せられている香りが……な、なんだこれは……!
会議場にいる護衛達と同等の濃い香り……それはまだ良い。
エインヘリア王本人も英雄というのは予想外ではあったが、右を見ても左を見ても英雄しか存在しない様なこの城に住んでいるのだから、そういう物だと納得出来る。
だが……この香りはマズい!
「……猊下?」
一瞬というには少し長い時間固まってしまっていた私に、レイリューンが小声で話しかけて来た。
その一言で我に返った私はレイリューンに感謝しつつ、会議場へ足を踏み入れる。
シャイナに続き会議場内を進んでいくが、後ろに続く者達が若干気圧されているのが伝わって来る。
恐らくエインヘリア王の放つ圧力が効いているのだろうが……正直、私にそれは効かない。
そんなものよりも……エインヘリア王から発せられている香りが問題だ。
しかし、当然ながらそれは誰にも伝わることはない。
私は案内された席に腰を落としつつ、正面に座る男……エインヘリア王を見る。
うぐ……近い……。
い、いや、それは当然だ。
彼はこの国の王で、私はフェイルナーゼン神教の教皇。
立場上、席順が同じになるのは当然……なのだが……。
と、とりあえず落ち着くのだ。
幸いこの能力の事を知っているのはユーリィだけで、そのユーリィは流石にこの会談には参加していない。
次期教皇とは言え、対外的には助司祭に過ぎないからな。
しかし、おかげで私が多少普段と違っても、何に動揺しているかはバレない筈。
そんな風に内心の動揺を抑えていると、青髪の男……事前にレイリューンから聞いていた通りキリクと名乗った男が挨拶を始め、エインヘリア側の出席者の紹介を始める。
私は嗅覚を刺激してくる香りから強引に意識を外し、キリクの言葉に耳を傾ける。
参謀、内務大臣、開発部長、大司教。
レイリューンが以前来た時も外務大臣は紹介されなかったようだが……外交官達のトップは参謀ということだろうか?
そんな風に考えていると、今度はレイリューンが私達の事を紹介する。
といっても、この会談に参加しているのは、教皇である私と枢機卿であるゼウロン、それから護衛のシュプレイスだけだが……。
こちら側の短い紹介が終わると、私の正面に座るエインヘリア王がゆっくりと口を開いた。
「久しいな、レイリューン。壮健だったか?」
「はい。エインヘリア王陛下のおかげで、初めてこちらに伺った時とは比べ物にならない程快適な旅路を過ごすことが出来ました」
鼓膜を揺らすエインヘリア王の声に、再び意識がそちらに向いてしまいゾクリとする。
「くくっ……それは何よりだ。一度転移による移動を経験してしまうと、馬車による移動が億劫になってしまうだろう?」
「ははっ、おっしゃる通りですね」
「北方諸国と我々は交流が無いからな。もし何らかの伝手があれば、飛行船を出してやってもよかったのだが」
「飛行船ですか。こちらに残った司祭達から試乗させて頂いたと聞いておりますが……」
「流石に転移には劣るが、飛行船の移動速度は馬車のそれとは比べ物にならん。それに……馬車のように揺れないからな。長時間乗っていても辛くないぞ」
「それは、非常に羨ましい話です。馬車旅は腰が非常に辛いので……」
皮肉気な笑みを浮かべながらも、気さくな様子でレイリューンと会話をするエインヘリア王。
その身に纏う威圧感からかけ離れたその態度は、恐らく狙ってやっているのだろうが……そのギャップが否が応でも人を惹きつける。
あのゼウロンでさえ、エインヘリア王の姿に目を奪われているように感じられる。
「しかし、教皇自ら我が国に来られるとは思っていなかったが……よくぞ来られた、歓迎しよう」
レイリューンとの話がひと段落し、エインヘリア王が遂に私の方へと話しかけて来た。
水が向けられることは分かっていたのだが、いざその時が来た瞬間、心臓を直接握られたかのように体の中が縮こまる様な感覚を覚える。
「……ありがとうございます、エインヘリア王」
表情筋を全力で操作し、何とか笑みの形を作った私は言葉少なく礼を述べる。
くっ、私がこんな一言を告げる事しか出来ないなんて……。
悔しい想いや冷静になれという想い……他にも色々な想いが頭の中を駆け巡り、自分の心が千切れるのではないかと思ってしまう程に乱れる。
しかし、ここで屈する訳にはいかない。
私は全力で、教皇としての自分を前面に押し出しながら言葉を続ける。
「以前レイリューンに提案頂いたポーションの提供、そして何より魔力収集装置の件は、我々フェイルナーゼン神教にとって軽視出来るものではありません。この訪問はけして大げさなものではなく、寧ろやらなければならない事であったというのがフェイルナーゼン神教の総意であります。そちらは御理解頂けますか?」
「無論だ。そして、そちらの教義が俺の目的とかけ離れているわけではない事もな」
「エインヘリアの目的……ですか?」
「エインヘリア、というよりも俺の目的だな。それを叶える為に、俺達は良い関係を築けると思う」
……。
分かっている。
エインヘリア王がどういった意味で良い関係と言ったのかは。
分かっているのだが……やはりダメだ。
エインヘリア王の言葉を受けた私は、口元に手を当てることを堪えられない。
この香り……エインヘリア王から放たれる香りが……す、素敵すぎる!
こんなに良い香りが、この世に存在していたなんて!?
あぁ、ダメだ!
今まで全力で認めまいと押し殺してきたというのに!
一度認めてしまったらもうダメだ!
そんな場合じゃない事は重々承知している。
でも……心臓が……動機が抑えられない!
心が……痛い。
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