第405話 役に立たない力
View of クルーエル=マルクーリエ フェイルナーゼン神教教皇
エインヘリアに到着して二日目、私達はシャイナに案内されてエインヘリアの城にやって来た。
エインヘリアの城下町は現在発展中といった感じで全ての建物が新しく、街全体が若さを感じさせるものだった。
しかし、その中央に存在するエインヘリア城は荘厳にして流麗。
城下町の若々しさとはかけ離れた、歴史を感じさせる威容を誇っていた。
とはいえ、城はあくまで城。
目を奪われんばかりに美しい城ではあったが、そこに一歩足を踏み入れた瞬間……私はあまりの異様さに思わず口元を押さえてしまった。
「教皇猊下、どうかなさいましたか?」
私を案内していた外交官、シャイナが気遣わしげな表情を見せながら見上げるように問いかけて来る。
「いえ、大丈夫です。シャイナ殿」
「もしお加減が悪いようでしたら、陛下にその事をお伝えいたしますが……」
成人している女性にしては随分と背が低く、表情もまるで子供のようにも見えるが……この人物が只人でないことは私が一番よく理解している。
「お気遣いいただきありがとうございます、シャイナ殿。ですが問題ありません。とても美しい城だと思っていたのですが、中に入っても素晴らしく……少し見惚れてしまっていました」
シャイナに向かって微笑みながらそう言ったものの……私は内心生きた心地がしていなかった。
私は武芸者ではないどころか、生まれてこの方凡そ武器と呼べるような物を持ったことすらない。
だから、目の前にいる人物が危険かどうかは持ち前の洞察力によって判断している。
しかし、一つだけ。
前教皇猊下と次期教皇候補であるユーリィにしか話していない特殊な能力が私にはあった。
それは、嗅覚だ。
それも通常の嗅覚とは別の……非常に特殊なもので、鼻が良いとかそういった物ではない。
魔物や英雄を嗅ぎ分けられるというか……彼らから特殊な香りを感じることが出来るのだ。
匂いの種類は様々だが、一つだけ傾向がある。
それは、強力な魔物や英雄であるほど香りが強く、濃厚になるというものだ。
最初にこの能力に気付いたのはサモアン相手にだった。
まだ前教皇猊下が生きておられたころ、助司祭としてその政務を手伝っていた時に、サモアンがいつも同じ匂い袋を使っていると思っていた。
非常に品の良い香りで、それが私の知識には無い花の香りだった為、気になった私が前教皇猊下に尋ねたところ、サモアンは匂い袋を持っていないという指摘を受けた事で私の感じていた香りが普通のものではない事が発覚した。
そして同様にシュプレイスやラキュア、それから助司祭として各地を回った時に見た魔物の匂いを感じ取ったことで、凡そこの能力の事を把握出来たのだ。
とは言っても、あまり役に立つ能力ではない。
強力な相手程香りが強くなるといっても、それは遥か遠くからでも分かるという物ではなく、ある程度の距離まで近づいた時に初めて分かると言う物で、魔物を探したりする時に使えるようなものではない。
それに、香りを感じられるほどの距離に魔物が居れば聖騎士が必ず対応するし、害意を持った英雄や魔物に香りが感じられる程気づかぬ間に近づかれては、それはもう死と同じ意味だ。
分かったところでどうしようもない。
そして、私が判別可能なのはあくまで魔物か英雄と呼ばれるものだけで、英雄と呼ばれるまでには至らない強者等の香りは一切感じ取ることが出来ないのだ。
普通は……英雄が暗殺者として動くことはまずありえないし、危険を察知するという使い方はまず出来ない。
少なくともこの能力があって良かったと思った事は、過去に一度もない。
ただ、香りを感じられる距離であれば、その香りが誰から発せられているか判別は出来る。
この能力があったからこそ、姿の見えなかったクーガーが部屋にいたことに気付けたし、ひと目見ただけでシャイナが化け物であることにも気付けたのだ。
まぁ、クーガーの場合は香りだけではなく、本人が気付いて欲しいと気配だけでアピールしていたが。
そんななんとも使いどころのない能力だったが、今はその能力がエインヘリアという国の異常さをこれでもかというくらいに教えて来る。
要所要所に立っている武官の全てが、あのリズバーンよりも濃厚な香りを発しているし、御用聞きのメイド達までもがシュプレイス達よりも若干薄いくらいの香りを纏っている。
急にこの能力が狂ったのでない限り……この城は人の枠を超越した者達の巣窟ということになる。
そしてそれを感じているのは私だけではなく、シュプレイスや他の聖騎士達も同様のようだ。
しかし、ここまで来た以上、今更そんなことを気にしてもどうしようもない。
私は普段通り外向けの笑みをシャイナへと向ける。
「そうでしたか。この城は我々の誇り。教皇猊下にそうおっしゃっていただけたと知れば、皆も喜びます」
そう言って、本当に嬉しそうに微笑むシャイナからは、リズバーンを超えるほどの強さを持つ英雄であるという気配は一切感じられない。
シュプレイス達も、武官やメイド達の事は警戒しているようだが、一番私の近くにいるシャイナの事を警戒していないように見える。
これは恐らく、シャイナがシュプレイス達には分からない様に実力を隠しているという事なのだろう。
私の目から見ても、シャイナの擬態は完璧で、外交官という肩書が無ければ品の良い少女のようにしか見えない。
その擬態も、私の鼻までは誤魔化せないようだが……。
しかし、サモアンやシュプレイスも決して不快な香りがする訳ではないが、クーガーやシャイナを始めとするエインヘリアの者達からは非常に良い香りがする。
クーガーからは小麦を焼いた時のような香ばしい香りが、シャイナからは甘い果物のような香りがしている。
まぁ、匂いの種類は強さには関係ないようだが。
昔統計を取ろうとしたこともあったが、同じ種類の魔物であっても全然違う系統の匂いだったり、全く関係ない二人が似たような香りを放っていたりしたので、香りの強弱だけを当てにするようにしたのだ。
不思議なのは複数人の香りが混ざったり、強い香りに弱い香りが負けたりしない事だ。
全ての香りを嗅ぎ分けることが可能だし、その香りが誰の物なのかもはっきりと分かる。
本当に役に立ったことは殆ど無い能力だが……エインヘリアの異常性を知る一助にはなったか。
「機会があったら、是非聖地にある神教総本山にお越しください。流石にこのお城には見劣りしますが、大陸で最古の建築物と言っても過言ではない代物です。総本山以上に歴史を感じる事の出来る建築物はないでしょう。まぁ、興味のない方からすれば古いだけの建物ですが」
周囲から漂ってくる様々な香りから意識を外して苦笑してみせると、シャイナは目を輝かせながら口を開く。
「とても興味深いお話です。数千年に渡るフェイルナーゼン神教の歴史、その一端を感じられる建築物……俗な言い方になってしまい、神聖な総本山を訪れるには不謹慎かもしれませんが、とても面白そうだと……」
まるで少女のような笑みを浮かべながら、少し恥ずかしげにシャイナは言う。
とても可愛らしく人好きのする笑みは、流石外交官といったところだ。
もしここで話しているのが、私以外の……例えばプリオランであれば、嬉々として総本山を案内したことだろう。
「ふふっ、興味を持って頂いているのに、不謹慎だなどと思ったりはしませんよ。機会があれば、是非私がシャイナ殿を案内させて頂きたいですね」
「そんな、猊下に案内して頂くなど、恐れ多いです!」
恐縮したように首を振るシャイナに、私は笑みを絶やさずに言葉を続ける。
「お気になさらないで下さい。クーガー殿は大変楽しんでおられたようですし」
「申し訳ありません、猊下。アレは少し調子に乗りやすい性質でして……失礼が無かったでしょうか?」
「とても紳士的でいらっしゃいましたよ。来訪された時には驚きましたが」
私の言葉にシャイナは困ったように眉尻を下げる。
「それは、大変失礼いたしました。同じ外交官としてお恥ずかしい限りです」
「ふふっ……本当にお気になさらないで下さい。聖地とエインヘリアは、その距離からお互いの事をあまりよく知りませんでした。ですがこれからは、良く知っていくことが大切だと考えております。その為には、ありのままの私達を知ってもらう事が必要だと思います」
「そう言っていただけると助かります。クーガーにはしっかりと言い含めておきますが」
「お手柔らかにお願いします」
私の言葉にシャイナが非常に綺麗な笑顔を見せた後、立ち止まる。
「すっかり話し込んでしまいましたが、到着いたしました。こちらの扉の向こうが会議場となっております。準備がよろしければご案内いたします」
そう言って小さく頭を下げたシャイナは、少しだけ我々から離れる。
気を使ってくれたのだろうが、この城に来た時点で既に準備は整っているし、皆も覚悟は決まっている。
「ありがとうございます、シャイナ殿。皆準備は整っておりますので、ご案内をよろしくお願いします」
「畏まりました。それではこちらへどうぞ」
シャイナがそういうと、扉の脇に立っていたメイドがゆっくりと扉を開く。
次の瞬間、即座に嗅ぎ分けられない程の数と濃度の香りが爆発的に広がった。
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