第398話 教皇クルーエル=マルクーリエ



View of クルーエル=マルクーリエ フェイルナーゼン神教教皇






 エインヘリア……大陸南方に突如として現れた大国。


 私のいる聖地からだと馬車で移動するだけで半年以上もかかるとあって、かの国に関する情報は殆ど無かった。


 なので、十か月程前に南へとレイリューン司教を派遣出来たのは、手を回したかいがあったと言う物だったが……その成果は予想をはるかに上回るものだった。


 しかし、なるほど。


 帝国の女狐が情報をひた隠しにする訳だ。


 エインヘリアと帝国は一度ぶつかり痛み分け……その後同盟を結ぶことになったと聞いていた。


 しかし、ただの同盟相手に過ぎないはずのエインヘリアの情報を、何故か帝国はひた隠しにしていたのだ。


 それも、わざわざ隠す必要のないような、些細な情報であってもだ。


 一体何故そんなことをするのか、中々意図が掴めなかったのだが……魔力収集装置の件を聞き、所謂対等な同盟関係と言う物がまやかしであることが分かると同時に、あの女狐の意図が読めた。


 帝国はエインヘリアを恐れている。


 大陸で最大の……そして軍事力で見ても、二十名以上の英雄を抱える最強の国が新興の国を恐れているという事実は、大陸そのものをひっくり返しかねない。


 恐らく、エインヘリアと帝国はその事をよく理解し、その上で事実を隠しているのだろう。


 これは女狐の発案による物か?


 それともエインヘリア側の……?


 エインヘリアがただの侵略国家であれば、大陸最強の国家を降したという看板を掲げる筈。


 しかしそれをしないという事は……エインヘリアの王は中々食えない人物だという事になる。


 それに、レイリューン司教の報告では、エインヘリアは帝国への配慮をしっかりしているということだった。


 つまり、エインヘリアは侵略国家でありながらも、秩序の破壊者ではないという矛盾を抱えた国。


 帝国の女狐同様、面倒な相手という事だ。


「皆がもう少し分かりやすい方だったら、こちらとしても楽が出来るのですがね」


 私は書いていた食糧支援に関する書類の最期にサインを入れながらため息と共に呟く。


 一番の問題は……やはり魔力収集装置だ。


 仮に魔王の魔力への最適解でなかったとしても、レイリューン司教が確認出来た機能だけで十分過ぎる程の価値がある。


 アレを北方諸国に設置することが出来たら、非常に良い抑止力となるのは間違いない。


 北方諸国は基本的に貧しい国が多く、隙あらば隣国を攻めて物資を得ようとしている。


 勿論、そうならない様に我々も裏で手を回しているが、全てを完璧に制御できているとは言い難い。


 しかし、そんな状況であっても全てをエインヘリアに掌握されている状況で、軍事行動を強行する国はないだろう。


 そうなれば、軍は外征の為ではなく内政の為に使われることになる。


 それは即ち、北方諸国の治安の向上に繋がる……勿論そう単純な話ではないが。


 しかし、我々が介入して、そういった流れを作ることは難しい話ではない。


 勿論表立って政治に介入するつもりはない。


 ただ、そういう流れを作るというだけだ。


 フェイルナーゼン神教は、フェイルナーゼン神の御心を現世にて実現させる為に存在している。


 ハバレア辺りは勘違いをして権力欲に取りつかれているようだが、やるのであればもっと上手くやってもらいたいものだ。


 そういった手腕のレクチャーをしてやるべきか?


 私は聖騎士団の遠征に関する書類の最期にサインを入れ、さらに次の書類に取り掛かる。


 まぁ、ハバレアは別に問題ない。


 アレは俗人に落ちただけの男。


 いざ自らが何かを判断しなければならなくなった時、尻込みして自分では何も決められない類の小者だ。


 勿論ただの小者ではない。


 虚栄心が強く、それ故他人の虚栄心をくすぐる事に長けており、金を集めるのが上手い。


 だからこそ枢機卿という立場にあり、行動の自由を許してやっている訳だ。


 それにしても、今代の枢機卿は随分とバラエティに富んでいる。


 一人は虚栄心に塗れた小者。


 一人は老獪な聖騎士上がりの武闘派


 一人は恐ろしいまでに善良で求心力に優れる者。


 一人は己の興味のある物だけに執着する変人。


 そして最後の一人は……。


 その人物の顔が脳裏に浮かぶと同時に、本日最後の書類を書き終えて、私はペンを置く。


 指示書関係はこれで終わり。


 後は要望書の確認だが……。


 サイドテーブルに積まれた書類を見て軽くため息をついた私は、手早く書類に目を通し処理を進める。


 次の一手は……私とゼウロン枢機卿をエインヘリアに向かわせ、聖騎士に紛れ込ませた暗殺者を使い殺す、そんなところだろう。


 場所は……より効果的な一手とするならば、エインヘリア国内に入ってから。


 同時にサモアンにも刺客を放つだろうが……まぁ、アレなら襲撃がある事だけ伝えておけばどうにでも処理出来るだろう。


 問題は私達の方だ。


 間違いなく手練れを送り込んで来るだろうが……残念ながら護衛である聖騎士は、対人戦闘をあまり得意としていない。


 だからこそ相手の手も読みやすいのだが……直接的な武力、特に暗殺に特化した相手となると些か分が悪い。


 襲撃があると分かっている以上先手を取る事は容易いが、出来ればもう一手確実なものが欲しいところだ。


「しかし、この状態でエインヘリアに借りを作るのも良くありませんし……」


 コンタクトを取るべきか否か。


 手段はある。


 それに、エインヘリア側も事態は把握していると見て良い。


 優先すべきは民の救済。


 その為には、今邪魔をされるのは避けたい所だ……この際借りを作る事には目を瞑るしかないな。


 全ての要望書に目を通し、いくつか裁可印を押した私は顔を上げ、執務室にいる人物の一人に声をかける。


「ユーリィ。書類をサモアン枢機卿へと持って行ってくれますか?」


「畏まりました、教皇猊下」


 自分の机から立ち上がった少女、教皇付き助司祭であるユーリィが私の執務机の方へとやって来る。


「それと、帰りにお茶を貰って来てくれますか?少し一息入れましょう」


「……畏まりました」


 少し時間を空けてから戻ってくるように。


 暗にそう伝えた私の意図を読み取ったユーリィは、略式ではない拝礼をした後、書類を抱え部屋から出て行く。


 彼女は次代の教皇となる為に私の下で研鑽に励んでいるのだが、非常に優秀だ。


 まだ成人すらしていない年齢ながら、司教たちにも負けず劣らずの能力を持っているし、フェイルナーゼン神教の教えに忠実で敬虔。


 あと数年もすれば、教皇としてフェイルナーゼン神教を取り仕切る事も出来るでしょう。


 勿論、その為には私が場を整えておく必要がある。


 少なくとも、今の状態で彼女に教皇を引き継ぐわけにはいかない。


 そういった事情を考えても、今のタイミングでエインヘリアと繋がりを持てたのは奇跡的……フェイルナーゼン神の思し召しとしか思えないタイミングだ。


「お待たせしてすみません。少々政務が立て込んでおりましたので」


 私が視線を何処に向けるでもなく声をかけると、私以外誰もいない筈の部屋に私以外の声が響く。


「おや、気付いていたっスか?」


「書類仕事をしている間、早く話がしたいというような熱い視線を向けられれば、いくら私が鈍感でも流石に気になってしまいますよ」


 私がにこやかにそう答えると、一瞬前まで確かに誰もいなかった筈の場所に軽薄そうな男が姿を現す。


 それは執務机の向こう側……私の目の前だ。


「それは申し訳ないっス。催促していたつもりはなかったっスけど」


 まるで友人と話しているかのような気楽さで肩をすくめてみせる男の姿を見て、背中に冷たい汗が流れるのを感じる。


 もし彼が私の考えていた客人ではなく、我が命を狙う刺客だとしたら……もはやどうする事も出来ない。


 次期教皇を逃がすことが出来ただけでも御の字というところだろう。


「お名前をお伺いしても?」


「おっと、重ね重ね申し訳ないっス。俺はエインヘリアの外交官、クーガーっス」


「初めまして、クーガー殿。御存知だとは思いますが、私はクルーエル=マルクーリエ。フェイルナーゼン神教にて教皇の職に就いております」


「ご丁寧にどうもっス」


 飄々とした態度を一切崩すことなく外交官を名乗る男。


 本気でこんな男を外交官として他国に送り込めば、戦争不可避といった感じだが……この態度が虚勢ではない事は百も承知だ。


「聖地見学は、有意義なものでしたか?」


「そっスね。若干食傷気味なくらいっス」


「退屈しなかったのならば何よりです。では、あまり時間もないので本題に入らせていただいても?」


「構わないっスよ」


 クーガーの了承を得た私は、本日の仕事を開始した。


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