第397話 密室とは



View of ベイロット=ハバレア フェイルナーゼン神教枢機卿 革新派






「面倒なことになったな」


 私の部屋の応接テーブルに着いたレフラスが、普段通り一切困ってなどいない様子で言う。


 実際は焦っていない訳ではないとは思うのだが、その冷静な様子に苛立ちを覚えてしまう。


「全くだ。まさかエインヘリアに人を送った結果、こんなことになろうとはな。しかし、本当にあの魔力収集装置とやらは魔王の魔力に対し効果があるのか?」


「それは分からん。エインヘリアに行った司教もその効果を確認出来た訳ではないからな。というよりも、話を聞く限り傷や病を治すと言ったものではなく、予防のようなものだ。効果があるという確信は死ぬまで出来るまい」


 やはり冷静にそう答えるレフラス。


 言っている事は正しいし、本当にその通りなのだが……やはり苛立ちが募る。


 どうしてそんなに落ち着いていられるのだ!?


 このままでは我々が進めてきたことが全て水泡に帰すというのに!


 そう喚き散らしたかったが、この男相手にそんな事をしても無駄であるし、何より感情的に叫び見縊られるわけにはいかない。


「だが、問題はそこではない。装置が魔王の魔力を無力化出来るかどうかはこの際どうでも良い。問題はその装置を周辺国はもとより、聖地にまで設置を進めるという方向で会議が決着したことだ」


「あぁ。転移に通信……こんなものを設置しようものなら、北方諸国は全てエインヘリアの属国となるようなものではないか。我々がどれだけ苦労して周辺国に根回しをしたと……このままでは全てを奪われてしまう!」


「……だが、相手は帝国と戦い、その後も平然と領土を拡大し続けているエインヘリアだ。反対した所でどうしようもなかろう」


 早々に諦めたような事を言っているが、この男がそこまで殊勝な人物でないことは私が一番良く知っている。


 恐らくあの会議の間に何らかの算段はつけている筈だ。


「ならばどうする?プリオランはともかく、教皇や伝統派の二人は厄介な相手だぞ?」


 プリオランはただのお人好しだ。


 勿論それなりに優秀ではあるのだが、奴が枢機卿の地位に就けたのはその人柄の良さ故……正直、アレは我々の障害とはなり得ない。


 しかし教皇を含めた伝統派の三人は厄介だ。


 最年長であるサモアンはその老獪さで油断が出来ない。


 ゼウロンは研究者気質で権力には興味を示さないが、その頭脳は間違いなく教会でも随一。


 賄賂や女といった物が一切通じない分、サモアン以上に厄介な相手とも言える。


 そして教皇。


 先代教皇から多くを学ぶ前にその地位に着いた小娘。


 良いように傀儡として操ることなど容易い……就任当時はそう思っていたのだが、とんでもない見当違いであった。


 あれは、化け物だ。


 慈悲深く慈愛に満ちた若き教皇……その仮面を一切崩すことなく、全てを俯瞰しているかのように見透かし、民の救済を謳ったその口で恐ろしく冷徹な判断を下すことの出来る女だ。


 あの化け物に悟られぬように動きことを進めるのに、我々がどれだけ苦労させられているか……。


 私がそんなことを考えていると、レフラスが視線を本棚の方へと向ける。


 その意味を理解した私は座っていた椅子から立ち上がり、本棚の仕掛けを動かし隠し扉を出現させ、その中へと滑り込む。


 この隠し部屋は私が作った物ではなく、歴代の枢機卿の誰かが作った物だ。


 どうやって知ったかは知らないが、この部屋の主である私でも知らなかったこの仕掛けの事をレフラスは知っており、密談がある時は必ず私の部屋に訪れこの隠し部屋の中で話をしてきた。


 ここを使う事を求めて来たということは、私の予想通りレフラスの中では今後の動きについてある程度考えが纏まっており、そしてその内容は万が一にも外に漏らすことが出来ない内容であるということだ。


 私に続き隠し部屋に入って来たレフラスは仕掛けを動かし、隠し扉の向こうの本棚を元に戻すと私に何を言うでもなく勝手に椅子に座りため息をつく。


 鉄仮面のような表情が崩れることはないが、この隠し部屋にいる時のレフラスは気を抜いているのか、少しばかり普段とは様子が変わる。


 とはいっても些細な違いでしかないが……少々粗野な雰囲気があるのだ。


「プリオランが根回しをしたとは思えんが、教皇が前向きだった以上可決されることは分かっていた」


「そうなのか?中立のお前が反対するような態度だったから、状況は五分五分だと思っていたのだが……」


「私は立場上、確証の無い事には頷くわけにはいかん。私が反対した理由はそれだけだ。そもそもお前は賛成しておくべきだった筈だ。何故揶揄するような行動をとった?」


「それは……認める訳にはいかないだろう?」


 認めてしまえば我々の利権が大きく損なわれるのだ。


 反対するのは当然……そう思ったのだが、レフラスは呆れたようにため息をつく。


「私は立場上反対しただけだ。だがお前はあのような態度は取らず、流れに任せ賛成しておくべきだったな」


「……」


 確かに、今になって考えれば……あそこで私が反対する必要はなかった気がする。


 伝統派の二人……特に研究責任者であるゼウロンは非常に興奮しつつあの司教に質問をしていたからな。


 あの状況で反対した所で可決となるのは当然の流れだった。


「まぁ、今更だがな。だが、このままエインヘリアの思惑通りに動くのはマズいというのも確かだ」


「何か策があるのか?」


「エインヘリアに手出しをするというのは流石に無謀だ。そこまでの手勢を集めるのも困難だしな。だが、理由をつけて介入を遅らせることは出来る」


「どうするんだ?」


「簡単な話だ。教皇にエインヘリアに向かってもらう」


 ……?


「今回の件、エインヘリアにとっても決して小さい話ではない筈だ。司教が約定を交わしたとはいえ、規模を考えるならば上の立場の者が正式に調印を交わすべき内容と言える。フェイルナーゼン神教のトップである教皇自ら正式にエインヘリアを訪問するというのは、向こうにとって対外的に良いアピールとなる。教皇はよほどのことが無い限り聖地を離れることはないからな。エインヘリアだからこそ動いた……そういう風に考え、こちらの話を受け入れる筈だ」


「つまり教皇をエインヘリアに送って、戻ってくるまでの時間を稼ぐという意味か?長くても一年……いや、例の転移を使われたらそれこそ数か月程度しか稼げないのではないか?」


 たったそれだけの時間を稼いだところで何も解決はしない。


 時間ももちろん必要だが、それ以上に必要なのは現状をひっくり返す強烈な何かだ。


「魔力収集装置の件は、エインヘリアとしても教皇たちにしても早く話を進めるべき内容だからな、あまり時間は引き延ばせないだろう。お前の言う通り、数か月がいいところだろうな。ただ教皇を送り調印させるだけならばだが」


「つまり本命は別にあると?」


「……アレは賢し過ぎて人形としては適していないからな。廃棄が妥当だろう」


 淡々とそう口にしたレフラスに、そしてその言葉が意味することを理解し……怖気が走った。


「いや……それはいくら何でも……」


「ハバレア。このままではあの教皇に全てを掌握されるか、エインヘリアに全てを奪われるか……どちらかしかないぞ?それで良いのか?」


「そ、それは……」


 あの化け物が教皇となるよりも以前から、私は必死に根回しを行い周辺国への影響力を高めていた。


 最初は、革新派としてフェイルナーゼン神教の教えを広め、より多くの民を救済する事を考えていたと思う。


 だが、教会の財務に携わり、資金繰り……献金や寄付を集めるようになってから、ただ民を救済するというお題目だけでは組織が維持出来ない事を見せつけられた。


 権力者たちは己の欲望に忠実で、近づいて目せばすぐに分かる程、腐臭と汚泥に塗れた存在だった。


 献金を受ける筈の我々が、逆に権力者に金を渡すという矛盾。


 ただ綺麗なだけのお題目では到底集められない金を集める為、私自身も汚泥に塗れていったのだ。


 始めの頃は理想の為、教会の汚れ部分を引き受けたつもりでいたが……やがて私の心は腐り落ち、腐臭を漂わせる側になっていた。


 そして、より効率よく金を集め、信徒を集める為……レフラスの仲介で、犯罪者共を教会の権威を高めるために利用していった。


 自ら貶め、自ら救済する。


 そんなやり方で、私は聖地より東側にある数か国をほぼ掌握する程の力を手にすることが出来た。


 そんな矢先にこの話だ。


 もはや、民の為、教会の為といった理念は擦り切れてしまっている。


 しかし、その行いの始まりは確かに善なるものだったのだ。


 汚泥に塗れながら捧げた信仰を、少しでも私自身に還元したい……のうのうと善人面を晒すプリオランの奴よりもよっぽど精力的に動いてきた私は、救われるべきなのだ


 教皇の事は恐ろしくはあるが、恨みがあるわけではない。


 いや、寧ろ畏敬の念を抱いていると言えよう。


 しかし、私の望む未来に必要ない……寧ろ邪魔であるという事もまた事実。


「……教皇だけ排除した所で意味はあるのか?」


 私の問いかけにレフラスの鉄仮面のような顔が歪む。


「エインヘリアに行くとなればゼウロンの奴も喜んで行くはずだ。当然、聖騎士はかなり多めに護衛に着かせねばなるまい。そうすれば聖地の守りは緩くなる……サモアンも歳だからな、急逝したところで天寿を全うしたと思わるだけだ」


「……」


「教皇とゼウロンはエインヘリア領内に入ってからやる。そうすれば、エインヘリア側に責任を問う事も出来るからな。そうやって時間を稼いでいる間に、新しい枢機卿とともに次の教皇を傀儡とすればよいだろう。幸い、次の教皇は今代の教皇が就任した時よりも更に若年だ。操るのはさほど苦労すまい」


「……」


「段取りは……基本的に私に任せろ。出来る限り迅速に教皇自らエインヘリアへと向かうように仕向ける。けして余計な事はするなよ?判断に困った時はまず私に報告しろ。最後の詰めは、手を貸してもらう必要があるから、その時は頼むぞ?」


「あぁ……分かっている」


 もはや引き返す事の出来ない同意をした私は、感情を持て余す。


「心配はいらない、完璧に事を運んでみせよう。そして全てが終われば、お前は教会における第二位の権力者だ。勿論、裏の意味で、だがな」


 その言葉を最後に、レフラスは感情の見えない鉄仮面のような表情へと戻ると、仕掛けを起動して私の執務室への扉を開き足早に隠し部屋から出て行った。


 レフラスが出て行った以上、ここに長居をする必要はない。


 私は足取り重く扉へと向かう。


「……やっぱり、警戒されていた通り、ドロドロっスねー」


 レフラスの物ではない軽薄そうな声が聞こえた気がした私は、執務室へと戻ろうとした足を止めて隠し部屋を見渡す。


 しかし、当然ながらそこには誰もおらず、私は首を傾げつつ執務室に戻り、隠し部屋を封鎖した。


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